142. 満月の宝珠
「アニストール・レイスターと申します、挨拶が遅くなり大変失礼を致しました。衛士隊に所属し、掃討班のひとつを任されております。シグレ殿のお噂はかねがね、隊中の皆から伺っておりました」
「噂、ですか……? 自分の?」
「はい。錬金術師であるシグレ殿が手掛ける霊薬は、大変に良質であると聞いております。衛士隊の、特に我々のような掃討班に属する者は危険な任務に当たる機会も多く、『鉄華』にて買い求めるシグレ殿の霊薬を個人的に買い求めて、緊急時の頼みとする者もあるとか」
今は森で急増した魔物へと対峙していることもあり、掃討班にも中級相当のなかなか良い霊薬が支給されているが。『鉄華』の店内では、これを大きく上回る霊薬をいつでも買い求めることができるのだという。
最近はあまり『鉄華』を訪ねていないこともあり、店内の様子についてアニストールも良くは知らないのだが。〈陽都ホミス〉に存在する最も大手の霊薬専門店『フラットリー霊薬店』でも、そのレベルの霊薬ともなれば小規模にしか扱ってはいないだろう。
『鉄華』のような〝武具店〟が高レベルの霊薬を大量に扱っているというのは、なんとも出鱈目な話に思えて仕方が無いものではあるが。何人もの部下から話を聞く限り、それが真実であることは間違い無かった。
「作っている側としては大変に有難いことです。霊薬も決して安いものではないでしょうに」
「そうなのですか? シグレ殿のお作りになる霊薬は、相場よりも随分と安い値で店頭に並べられているとも聞いておりますが」
「それでも、怪我をしたからといって気軽に使える額でもありませんから。本音を言えば、今のさらに半値ほどで売りたいぐらいなのです。……とはいえ、あまり相場と差がある価格で店頭に並べると、色々とお叱りを頂戴してしまうものですから」
「ああ……」
霊薬を大手に扱っている専門店こそひとつしか思い当たらないが。店こそ持つには至らないまでも〈錬金術師〉の天恵自体を有する者自体は、この街にも相応に存在する筈である。
もちろん天恵を単に腐らせるだけの者も居るだろうが、一方では別の本業を持ちながら、市場などで都合良く安価な錬金素材が手に入った時にだけ霊薬を生産し、露店市に出して売り払うような。副業的に天恵を活かしている野の〈錬金術師〉は、それなりに存在することだろう。
『フラットリー霊薬店』は冒険者向けの低級で安価な霊薬を主に扱う店でありながら、一方ではこの街のあらゆる〈錬金術師〉の為に。寡占的な店であるにも過買わず、霊薬の相場というものを引き上げも引き下げもせず、厳格に保つ役割を果たしているのだと。―――今はスコーネ卿の妻となったメノアが、昔そう教えてくれたのをアニストールは覚えている。
シグレ殿のような多数の霊薬を手掛けている職人が、下手に安価すぎる品を市場に流せば、市場の霊薬相場はおそらく急落してしまうに違いない。
そうした事態になった際に最も困るのは、おそらく副業的に〈錬金術師〉をやっている者達だろう。相場が急落すれば、自力で森などから素材を調達することが出来ず、市場から素材を都合している彼らはやっていけなくなる。
野の〈錬金術師〉が副業としてのそれを廃してしまえば、この街から霊薬の担い手が一気に失われることになるだろう。
シグレ殿に〝お叱り〟を与えているのがスコーネ卿のような貴族なのか、はたまた相場の守護者である霊薬店の店主なのか、それは判らないが。おそらく指摘は正当なものであり、故にシグレ殿も従っておられるのだろう。
「ふむ……。シグレ殿、ひとつ不躾な提案をしても?」
「何でしょう?」
「例えば、僕の隊―――衛士隊の掃討班に、相場よりもずっと安い価格で纏まった量の霊薬を定期的に譲って頂く。仮にそういった提案をさせて頂いた場合、引き受けて頂けますでしょうか?」
アニストールの言葉に、シグレ殿の隣に座るカグヤが僅かに眉を顰める。
無理もない。我ながら随分と虫の良いことを言っている自覚はある。
「……なるほど。直接やり取りを行い、かつお渡しした霊薬をアニストールさんの部隊の中のみで消費して下さるのであれば、問題ないかもしれませんね」
「はい。是非ともご検討頂けましたら」
市場を介さず、直接シグレ殿とやり取りするのであれば。例えいかほどの金額で取引を行ったとしても、霊薬の相場を徒に狂わせてしまうことにはならないだろう。
「そう、ですね……。自分の一存だけでは少々お返事しづらく、実際に取引を行う場合にはスコーネ卿や『フラットリー霊薬店』のアヤメと事前に相談をしておきたい所ではありますが。個人的には衛士隊の方への支援自体は吝かでありませんし、ひとつの問題点をクリアできればお引き受けすることは可能だと思います」
「……問題点とは、どのようなことでしょう?」
「自分は、霊薬を生産する素材を〈アリム森林地帯〉で採取していますので……。手持ちの在庫から取引数回分程度の霊薬を都合することは可能だと思いますが。そういった契約を交わし、定期的にお譲りするとなると、現状のままでは難しいかもしれません」
「なるほど……」
〈アリム森林地帯〉とは、この街の北門を出た先。〈ホミス〉と〈フェロン〉を繋ぐ山道付近のエリアのことである。
現在この街の北門は、増えすぎた魔物の対処に衛士隊の掃討班―――即ちアニストール達が当たるため、衛士隊の守備班によって封鎖されており、一般の通行は許可されていない。
このせいでシグレ殿は〈アリム森林地帯〉へ素材を採取しに行くことが出来ないで居るのだろう。封鎖はいつ解除されるとも判らないでいるのだから、シグレ殿が問題点として挙げるのも当然のことである。
「そのお話は北門の通行が可能になりました後、また改めて致しましょう。先程も申し上げましたが、協力自体は吝かでなく、良いお返事ができるかもしれませんので」
「ああ―――是非とも、宜しくお願い致します」
「先ずは今回、こちらをお訪ね頂いた用向きのほうをお伺いしても宜しいでしょうか。一応は……モルクさんから多少伺っておりますが、実際に品を拝見し、お話しを伺わないことには交渉もできませんので」
指摘され、訪問本来の用向きをすっかり忘れていたことに、今更ながらにアニストールは気付かせられる。
慌てて〈インベントリ〉の中から家宝のそれを引っ張り出し、シグレ殿の前に差し置いた。
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満月の宝珠/品質140
【転移復活】
宝珠に手を当てて自信や他人のことを思い浮かべることで、
その相手の姿を宝珠の中に映し出すことができる。
映っている相手が死亡した場合、宝珠の設置場所で復活させる。
明滅する光を纏っている時にのみ効果がある。
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月光を受けて力を蓄える生命の宝珠。効果を発揮すると
光が失われるが、月がひと巡りする間窓辺に置くと光が蘇る。
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「……なるほど」
静かにアイテムを見つめるシグレ殿の目には、ただ思案の色だけが見える。
事前にどういった品であるのか、スコーネ卿から聞いていたからだろう。そこに驚きのようなものは見て取れないが。
「こ、これはまた、凄いアイテムですね……」
代わりにシグレ殿の隣に座るカグヤが、目を瞠らせながら彼の分までも驚いてくれているようで。充分驚きに値する品であるとの自負もあったアニストールは、そのカグヤの反応を見てほっと安堵の息を吐いた。
凄いアイテム、との評自体は無論正しいものであるのだが。それ故にこのアイテムは命を繋ぐアイテムとして代表的な〝身代わり人形〟よりも、少なくとも三倍程度の金額は請求せねばならない。
貴族や富豪であっても気軽にやり取り出来る金額では無いので、シグレ殿が買い取って下さるかどうかは、正直アニストールにも自身が無かったのだが。
「―――買い取りましょう」
およそ十数秒ほど、品を見つめながらシグレ殿は沈思黙考を続けてから。
やがて、迷いもない言葉で。しかも値段を決めるまでもなくあっさりと、シグレ殿はそのように言い切ってみせたのだった。
お読み下さり、ありがとうございました。
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400字詰め原稿用紙:約9枚




