141. 件の錬金術師
指摘を頂戴しました為、衛士隊内の呼称を「掃討班」と「守備班」に改めました。
アニストールが所属する側が「掃討班」です。
(後ほど既記の番外128話分も修正します)
家宝である〝満月の宝珠〟を買い取ってくれる〝シグレ〟という名の錬金術師殿は、スコーネ卿から聞いた話に拠れば、貴族でも商人でもない〝羽持ち〟の冒険者であるらしい。
危険を顧みずに自ら森の中へ分け入って錬金素材を採取し、それらを新鮮なまま惜しみなく費やして霊薬を作成する。故に、彼の錬金術師殿が手掛ける霊薬は性能に優れ、かつ安価のまま店頭に並ぶ。
スコーネ卿が聞かせてくれた話に拠れば、古い時代の遍く〈錬金術師〉というものは、自らが用いる素材を自らの手で摘み取ってくるというのは、とても当たり前のことだったのだという。―――だが、森に踏み入れば危険な魔物といつ遭遇するか判らない以上、そんな真似ができるのは死を恐れる必要が無い〝羽持ち〟の冒険者ぐらいのものだろう。
何でもスコーネ卿はその職人に、半ば無理強いするような形で店舗を貸し与えたらしい。その店の開業も、間もなくに控えているのだと聞いている。
優れた技術を持っている人物が、世に出るよう計らうのは当然のことだと。そのように語るスコーネ卿の表情は、なんだか少し嬉しそうにも見えた。
―――良くも悪くも、人が善すぎる御仁だ。
話の折に、スコーネ卿は彼の職人の人格についてかくも語っている。
腕の良い職人といえば、何かにつけて気難しそうなイメージがあるだけに。スコーネ卿にそこまで言わせる人であるというのは、交渉がしやすそうで有難かった。
止む様子も激しさを増す様子も見えない、ただ延々と降り続けるばかりの冷たい雨の中を。フード付きの革コートに身を包みながら、アニストールは静かに歩く。
雨に煙る視界は不確かで、十数メートル先ともなれば殆どぼんやりとしか見確かめることができない。それでも、この辺りの区画には所用で何度も来たことがあるので、アニストールが迷うことは無かった。
スコーネ卿に教えて貰った邸宅の程近い場所にまで到達し、アニストールは緊張を解すべく、何度かゆっくりと深呼吸を繰り返す。
邸宅もまたスコーネ卿が貸し与えているものであるらしく、件の錬金術師殿の他にも、冒険者の仲間が何人か一緒になって暮らしているのだという。
本日、この時刻に訪問することはスコーネ卿のほうから念話で事前に伝えて下さる話になっているので、邸宅に不在ということは無いだろう。
(何にしても……貴族でなく冒険者だというのは、ある意味で都合が良い)
内心でアニストールはそんなことを思う。
堅苦しく話すのを別に嫌いと思うわけではないが、自分よりも立場が上の人間相手では、どうしても強気に交渉しにくい部分もある。
貴族でなくとも、店舗を貸し与えられるほどの腕前であるのだから。地位だけしか取り柄のない下手な貴族より、却って財貨の蓄えも期待出来るというものだ。
必要以上に高く売りつけようなとと考えるわけではない。そもそも、そんなことをすれば、紹介して下さったスコネー卿の顔に泥を塗ることになりかねない。しかし、折角家宝を手放すのだから……優れた霊薬を一本でも多く、自分の部下に都合してやりたいと思うのもまた、正直な所ではあった。
「―――アニストール様、でございますね?」
「はっ……?」
思わず、アニストールは目を瞠る。
錬金術師殿の邸宅に邪魔した後、どのように会話を広げようか―――ちょうど、そんなことを考えていた矢先。いつの間にかアニストールのすぐ目の前に立っていたメイド姿の女性が、深々と頭を下げながらそう声を掛けてきたのだ。
そういえば耳障りな雨音のノイズと、アニストールが身に付けているコートを雨が打ち付ける感覚とが、いつとも判らない間に消えている。それもその筈で、メイド姿の女性が差し掛ける大きな傘が、アニストールの身体ごと雨を防いでいてくれた。
「アニストール様……ですよね? もし間違っておりましたら申し訳ありません」
「あっ……。はい、僕がアニストールですが……」
「ああ、合っておりましたなら良かったです。私はメイドのシノと申します。シグレ様からお話しを伺い、不躾ながら門前にて待たせて頂いておりました」
そう言ってから目の前のメイドは今一度、深々とアニストールに頭を下げた。
落ち着いた言葉遣いと立ち振る舞いは老練のメイドそのものであるのに、彼女の顔立ちにはどこか、あどけなさが残っているようにも見える。もしかするとアニストールより、ずっと年下であるのかもしれないとさえ思えた。
「ご案内致します、どうぞ」
「あ……。これはわざわざ、ありがとうございます」
何となく機先を制されたような気がして。僅かに気後れしながらも、アニストールは先導するメイドの彼女の後に着いていく。メイドの彼女はするすると敷地の門を開けて、アニストールを導いてくれた。
スコーネ卿が貸しているらしい邸宅は、良くも悪くもこの辺の土地に見合った程度の広さであり、広すぎるという程ではない。少し裕福な商家や貴族、あるいは成功した高ランクの冒険者に見合う程度のものでしかないように思えた。
(お金を持っているのか、居ないのか……)
アニストールは内心、首を傾げざるを得ない。
シノと名乗ったメイドの振る舞いは上品でそつが無く、間違い無く昨日今日で身についたようなものではない。おそらくは長期間に渡って雇われ、年季の入ったものであるのだろう。
メイドの雇用自体にはそれほど金は掛からないが、熟達したメイドを雇うとなれば給金にもそれなりの額を用意する必要がある。そのことから考えれば、錬金術師殿は結構な財を成しているようにも思える。
しかし邸宅はといえば、スコーネ卿と懇意であるという割には、なかなか質素な佇まいにも見えるのだ。
件の錬金術師殿が一体どの程度の財貨を有しているのか、見当を付けるのが難しいように思えて。まだ見ぬ相手との交渉を、最終的にどの程度の金額で終着させるべきなのか、アニストールは顔に出さないよう気をつけながらも密かに困惑を深めるのだった。
◇
「―――カグヤ?」
メイドに連れられた先の、邸宅の玄関口に程近い一階の応接室。
部屋に通された先のその部屋に、ソファーに腰掛けた、良く見知った彼女の顔があったものだから。殆ど無意識のうちに、思わずアニストールはそう口にしてしまっていた。
「……あれ、アニストール? 今日は衛士のお仕事はお休みですか?」
「うん。雨期に森に出るわけにもいかないから、お休みかな」
「森に、ですか……。そういえば、アニストールは確か掃討班の隊長でしたっけ。雨期に森に入って魔物と戦うというのは、厳しいでしょうね……」
そう呟いて、カグヤは心配そうに眉尻を下げる。彼女とアニストールとの関係は友と呼べる程のものではないが、こちらの境遇を慮ってくれる彼女の優しい気遣いが、何とも嬉しかった。
カグヤは、武具店『鉄華』の店主である。
最近は雇っている店番に任せているようだが、数ヶ月も前までは店を訪ねれば、いつでも彼女の姿を見ることが出来たものだ。
腕利きの〈鍛冶職人〉であり、彼女の作る武具は一般の鋳造品に比べれば随分と質が良く、性能に優れている。危険な任務に当たる機会も多い掃討班の武具を求めるには『鉄華』は良い店であり、何度かの利用を経たことで店主である彼女とはアニストールも既に面識を得ていた。
そういえば、件の錬金術師―――シグレ殿の霊薬は、何故か武具店である『鉄華』の中で扱われているという話を部下から聞いたことがある。シグレ殿は冒険者であるらしいから、おそらくは同じ冒険者としての縁でカグヤと知り合い、その店棚に霊薬を預けるに至っているのだろう。
「モルクさんから話は伺っております。初めまして、シグレと申します」
カグヤの隣に座っていた男性が、笑顔のまま立ち上がり、アニストールのほうへ片手を差し出してくる。
その柔和な笑みの中には、貴族や商人の笑顔に貼り付いているような、険しさというものが全く無い。邪気や嘘っぽさというものが微塵も無い笑顔を向けられて、僅かにアニストールはたじろいだ。
「はっ―――。こ、これは大変失礼を致しました」
瞠目し、慌ててアニストールは頭を下げる。
応接室に通されて。まず邸宅の主に挨拶するのでは無く、その隣にあった見知った顔へ気安い言葉を掛けるなど―――こちらから望んで面会したにも拘わらず、礼を失するにも程がある振る舞いと言える。
「気になさらないで下さい。自分はモルクさんのように貴族というわけではなく、一介の冒険者や職人に過ぎません。お互い、堅苦しいのは無しにしましょう」
「寛大なご配慮に痛み入ります。そうして頂けるなら僕も―――いえ、自分としても有難い限りです」
「〝僕〟で構いませんよ。どうぞ気安く話して下さい」
シグレ殿の優しい微笑みに見つめられ、アニストールは少し気恥ずかしくなる。
そんなアニストールの様子を、隣のカグヤもどこか苦笑気味に見つめていた。
お読み下さり、ありがとうございました。
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