140. 応援と牽制
PC環境は無事に復活しました。
「これを、カグヤ様がお作りに?」
「はい。……不思議と、作れてしまったようでして」
一階の居室にてナナキさんと遭遇し、お風呂に引き留めたことを彼女からひとしきり謝られてしまったあと。
カグヤが製作した初めての付与生産の結果を見せると。ナナキさんは暫しの間、その現物を食い入るように見つめてから。やがて、静かに頷いてみせた。
「良く出来ている、と思います。……少なくとも、私よりは余程上手かと」
「……そう、でしょうか?」
「ええ。私が初めて作った品なんて、ホント酷いものでしたよ?」
そう言ってナナキさんは〈インベントリ〉の中から一本の杖を取り出し、カグヤのほうへと差し出してくる。
受け取り、杖を意識して覗き込んでみる。《最大HP+6》と記されている付与の詳細は、確かにナナキさんの言う通り、世辞にも良い値とは言えなかった。
「お使いになったのは〝精強の宝石〟ですよね? 素材に備わっているエーテルの力を、三分の二近く留めたまま付与ができているのですから、カグヤ様のは充分な出来だと思います」
「……それでもシグレさんのものに比べると、かなり出来は悪いのですけれどね」
「あれは較べてはいけません。兄様が異常なのです」
さも当然であるかのように。ナナキさんは、きっぱりとそう言ってみせた。
「既にご存じかもしれませんが……。兄様は〝あちらの世界〟では、身体があまり健常であるとは、言いがたいものがありまして。特に下肢に関しては不自由な部分が多く、自由に歩くことさえ儘ならないのです」
「歩くことも……」
〝羽持ち〟であるシグレさんの身体が、こことは異なる世界の側に於いて、何らかの不自由を抱えておられること。そのこと自体はカグヤも、シグレさん本人から指輪を受け取る際に聞いた話により、少しは知っているつもりだった。
けれど―――そこまでのものとは、思っても居なかった。歩くことさえ自由にできないとなれば、それはかなり重篤な状態と言って良いのではないだろうか。少なくとも、ここ〈イヴェリア〉に於いてであれば、すぐにも大聖堂の入院棟へお世話になるレベルであるのは間違い無い。
「それは、魔法で治したりは出来ないのですか?」
冒険者を生業としていれば、身体の部分欠損などといった重傷を負う人も少なからず生じるものである。
幸いにしてカグヤ自身にそういった経験こそ無いものの、一時的にパーティを共にした仲間が簡単には治療し得ない程の怪我を負う様を、すぐ隣から見てきたことはある。
そうした大きな負傷であっても、治療スペルを受け続ければいつかは完治させることができる。片腕や片足を失うなどといった極めて重い怪我ともなれば、大聖堂に入院して毎日治療スペルを受け続けたとしても、数ヶ月から数年単位で治療が必要になる場合もあるが。―――それでも命さえ無事なのであれば、時間さえ掛ければ必ず完治させることができるのだ。
「……無理ですね。私達の世界には〝魔法〟というもの自体が存在しませんから」
しかし、ナナキさんの回答には取り付く島もなかった。
「魔法が、無い……ですか」
「はい」
ナナキさんは即答してみせるものの、カグヤにとってそれは、俄には信じがたい事実である。
多くの天恵を有し、戦闘の最中で数え切れない程の多種多様なスペルを駆使してみせる、あのシグレさんが。元々は魔法が無い世界で暮らしていらっしゃったなどとは、全く想像もできないのだ。
「話が少し逸れてしまいましたが……。兄様は身体に不自由を背負っておられるせいか、代わりにそれ以外の部分については、何かと優れている所が多かったりしまして」
「……それは例えば、立体の認識などですか?」
先ほど、シグレさんから聞かされたばかりのことについて聞いてみると。
果たして、ナナキさんはすぐに頷くことで答えてみせた。
「そうですね。それもひとつ、と数えて良いと思います。他にも、何かをしながら同時進行で全く別のことをしたりするのも得意ですし、それから―――単純に、手先が器用だったりもするのです」
「な、なるほど……」
付与を行う際に、シグレさんが見せたエーテル操作の巧みさ。
それを実際に目にしただけに、カグヤも得心するしか無かった。
「カグヤ様のなさった付与も、大変に良い物だとは思います。ですが……正直を申し上げて、付与生産に関しては兄様にお任せするのが一番かと思いますわ」
「そうですね……。シグレさんからも、付与はどうぞ自分に任せて下さい、と言われてしまいましたし」
「……え? 兄様が、そのようなことを言ったのですか?」
目を丸くしたナナキさんが、意外そうにそう問い返す。
「はい。えっと……シグレさんの指導の下で、私は四回の付与を行いました。うち二つは私が朝に作った長剣で、もう二つはシグレさんがその場で作って下さった、銀製の腕輪なのですが」
〈銀術師〉のスペルを扱えるシグレさんは、銀さえあればその場でちょっとしたもの程度であれば、簡単に拵えてしまうことができる。
材料とする銀も、〈インベントリ〉からお金を総て〝1gita銀貨〟で取り出せば簡単に用意できてしまう。その為、カグヤが付与の練習に使う為の銀の腕輪を、シグレさんはその場で本当に〝あっと言う間に〟作り上げてしまったのだ。
「ふむふむ、それで……?」
「私が付与の作業を行う間、実はシグレさんは私の〝生産経験値〟を確認していて下さったらしいのですが。合計で四回の付与を行ったにも拘わらず、私の生産職の経験値はほんの少しも増えなかったのだそうです」
フレンドに登録している相手のステータスは、いつでも閲覧することができる。
これを利用すれば相手のレベルや能力値だけでなく、修得しているスキルの一覧なども見ることができ、戦闘職・生産職の経験値であれば〝次のレベルに到達するまでの蓄積割合〟の形で把握することができる。
シグレさんが言う所に拠れば、カグヤのレベル22の〈鍛冶職人〉であるカグヤの生産職経験値は〝71.2%〟という値から、四回の付与を経ても僅かにさえ増加しなかったのだそうだ。
「む……。それは、勿体ないですね。付与生産は得られる経験値が多いですから」
「はい。シグレさんもそのように言っていました」
付与生産は他の生産に比べて、どうしてもコストが高くつく傾向がある。それは実際に生産を行う前にシグレさんから聞かされ、教わったことでもあった。
但しその一方で、付与は経験値を得やすい面もあるのだと、カグヤが四度の付与を行った後にシグレさんは教えて下さった。
特に上級の宝石素材を用いたり、複数種の宝石素材を同時に付与する行為からは、得られる生産経験値の量も膨大になるとのことで。現にシグレさんの生産職は、先ほど高価な素材を惜しみなく用いた〝飛燕一刀〟への付与により一気に15%近くも経験値が増加し、つい先ほどレベル8へと成長したのだそうだ。
数多の天恵を有し、他人よりも経験値を圧倒的に得にくいシグレさんでさえそうなのだから。付与生産が齎す経験値の多さが、実際かなりのものであろうことはカグヤにも容易に察することができる。
……だというのにシグレさんお手製の銀製の腕輪を対象に行った、複数の宝石素材を用いての付与を終えてもカグヤの生産経験値が全く増えなかった。
それを見て、シグレさんはすぐにひとつの仮説を立てたのだ。
〝連繋の指輪〟の力によって、相手の生産天恵を借りることはできる。
しかし、本来持ち得ない天恵の生産であるから、経験値を得ることはできない。
―――と。
「……兄様の生産レベルが、もう8というのもかなり驚愕なのですが。それをさておくとしましても……確かに、経験値が得られないのでは勿体ないですね」
「はい。ですのでシグレさんも、付与は自分に任せて下さいと」
「なるほど。そういう意味で兄様が言ったのであれば、納得できます」
うんうん、と何度も頷きながらナナキさんはそう言ってみせた。
「そういえば。兄様はいま、どちらに?」
「あ、シグレさんは自室で着替えておられます。何でも午後に、お客さんがいらっしゃるとか」
なので着替えの邪魔にならないよう、カグヤもシグレさんの部屋をすぐに出て来たのだ。
「お客様? この家に来られるのでしょうか?」
「あ、はい。そうらしいですよ? どのような方なのかは存じませんが……何でもスコーネ卿の紹介でいらっしゃるとか」
「ふむふむ……。家主様の紹介となれば、兄様も無下にできないわけですね」
それも有るのかもしれないが。そもそもシグレさんは人に頼まれると、なかなかそれを拒否できない人柄の方でもある。
誰の紹介であろうと無かろうと。自分を頼りにしてくるかたのことは、容易に無下にはできないのだろう。
「……むう。このあとユーリ様とお出かけする約束が無ければ、私もそのお客様と会って、人柄を見極めたい所なのですが」
「あ、私が同席しますので。後でナナキさんにも、どんな方だったのかお伝えしますよ」
シグレさんに頼まれて、そのお客さんとの場にはカグヤも同席することになっている。
まだ詳しくは聞かされていないのだけれど、カグヤにも何らかの助力を要請する場合があるかもしれない、とシグレさんが言って下さったからだ。
「そうですか。カグヤ様が兄様の隣に居て下さるのでしたら、私も安心してお出かけすることができます。―――カグヤ様。もしもそのお客様が、兄様を都合よく利用なさろうと言うのであれば」
「判っています。その時は私とシノさんで、お客様をちゃんと追い出しますので」
シグレさんは優しい人であるし、それをカグヤも好ましく思ってはいるけれど。誰彼問わず優しい人というのは、何かにつけて利用されやすいものでもある。
ましてスコーネ卿の紹介となれば、おそらく何を頼まれてもシグレさんは断らないだろう。そうしたシグレさんの対応を見て、もしお客さんが図に乗った要求までしてくるようであれば―――私と一緒に追い出す手伝いをして下さいませ、とは先ほどシノさんからも念話で言い含められている。
「ありがとうございます。……カグヤ様のような方が兄様の恋人となって下さいますなら、私も今後は色々と余計な心配をしなくて済みそうですわ」
「こっ……!? い、いやいや、幾ら何でも気が早いですよ……」
「ですが。カグヤ様も、それをお望みでしょう?」
覗き込むように、こちらの目を見つめてくるナナキさんの視線。
何だかそれが堪え難くて、ふいっとカグヤは目を逸らした。
「……カグヤ様」
そのカグヤの両手を取り、ナナキさんは自身の両手で優しく握ってみせる。
「お風呂場でも少し申し上げましたが、私は兄様とカグヤ様の関係を邪魔立てするつもりは全くありません」
「う、うん……」
「寧ろ、なるべく応援して差し上げたいとさえ思っています」
「……うん。ありがとう」
その言葉が嬉しくて。カグヤのほうからも、ナナキさんの手を握り返す。
ナナキさんのほうからもまた、それに応えるように握り返してくれた。
「但し、ひとつご忠告申し上げておきますが」
「―――うえっ!?」
ぎゅううっ、と。
今度は少し強めに、ナナキさんの両手がカグヤの両手を握り締めてきて。思わずカグヤの口からは、驚きの余りに変な声が漏れてしまった。
「私も、シノも。兄様のことを心より敬愛し、お慕いしておりますので」
「し、知ってます……」
「ですので、いかにカグヤ様であっても―――兄様を独占することだけは、断固として認めませんので。どうぞ、そのおつもりで居て下さいませ?」
ぎゅうううううっ、と。尚も強く、カグヤの両手を握り締めながら。
そう告げるナナキさんの表情は、すこぶる笑顔なのに。―――正直、怖かった。
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