134. 付与生産・序
「〈付与術〉というのは―――簡単に言ってしまえば〝エーテル〟を操作することで、物品に対して全く別の新しい力を与えることが可能な生産技術のことです」
シグレさんの部屋にある四人掛けのテーブル。そのテーブルの一席に腰掛けたシグレさんが、落ち着いた声でカグヤにそう説明を始めてくれた。
「つまり、新しく何かを造り出すというものではないわけですか?」
「ええ。既存のものに手を加えることしかできません」
カグヤもまた、シグレさんの対面側に座りながらその説明に聞き入る。
今まで生産に関しては〈鍛冶職人〉一本でずっとやってきたから。こうして自分のものとは別種の生産について教えて貰うというのは、何だか少し新鮮な心地がした。
「付与ギルドの方から習った話に拠れば、天恵を有していたとしても〈付与術〉は修得が大変に困難な生産技術なのだそうで。殆どの方は、それを生業とされることを考慮しないのだそうです」
「……それは、どうしてですか?」
「単純にお金が掛かるからのようですね。〈付与術〉の生産を行うためには、まず付与を施すための武具や装飾品が必要になります。ですので、まずはそれを購わなければなりません」
生産を行うためには元手が必要になる、それ自体は別に驚くような話ではない。カグヤの修めている〈鍛冶職人〉の生産であっても、まず手習いの初歩として定番である包丁を拵えるためには、市場から鉄鉱石や山砂鉄などを購わないことには始まらないのだ。
更にそれを製鉄し、地金とするのにも金が掛かる。大量に素材があるならギルドに使用料を払って精錬設備を借りれば良いが、最初のうちから鉱石素材などを大量に揃えられほど懐に余裕がある者は稀だろう。大抵は素材に幾許かの手数料を上乗せする形で、他の職人の持つ精錬済の地金と交換して貰うことになる。もしくは錬金術師の元に素材を持込み地金へと変換して貰う手もあるが、こちらのほうが安定した質のものを得られる代わりに高く付く場合が多いのが難点だ。
とはいえ―――最初の生産時に掛かる金も、所詮は素材代と加工の手数料だけである。
鍛冶の場合、初期の元手として600から1000gitaもあれば充分だろう。その金で素材を購い、地金と交換し、それを加工して十から二十程度の包丁を作り出すことができる。完成した包丁はギルドに1本100gitaで買い取って貰うことで即現金化でき、それなりの黒字になる。あるいは自分で露店を出すつもりがあるのなら、客を相手に直接販売することでその倍額で売ることもできるだろう。
「完成品を買うとなると、かなり高く付きますね……」
人の手によって作り出された完成品は、買うとなるとかなり割高になる。何しろ、包丁の一本とっても〈鍛冶職人〉の天恵を持っていないことには作り出すことはできないのだ。
作れる人間が限られる以上、然程手間が掛かっていない物であっても割高になってしまうのは、ある種当然ことでもあった。
「そしてもうひとつ材料が必要になります」
「確か、宝石素材……ですよね?」
「はい。これがまた、買うと結構高いのだそうで」
シグレさんは、そう言って苦笑してみせる。
付与に用いる素材のことについては、以前ベルさんの武器に関する話をした折に、シグレさんから少しだけ聞いたことがあった。
「〈付与術〉の生産には宝石を消費します。それも普通の宝石ではなく、特殊な力を持った宝石素材でなければなりません。自分の場合には〈ペルテバル地下宮殿〉の魔物や宝箱から得られたものを利用していますから、そちらの元手は掛からないのですが……」
「普通の人が、自力で〈迷宮地〉から手に入れるのは無理でしょうね……」
武具への付与にしても、霊薬の生産にしても。職人としてシグレさんが持つ最大のアドバンテージは、何と言っても素材を自力で調達できてしまうことだ。
シグレさん自身も数多の天恵を駆使した高い戦闘能力を有しているし、彼には同行を厭わない何人もの仲間が居る。とりわけ霊薬の生産に於いては、自力で採取してきた新鮮で品質値の高い素材を惜しみなく用いることで、シグレさんの作る霊薬の高い質と効果に繋がっていることをカグヤはよく理解していた。
とはいえ普通の職人にとって、素材とは自力で調達できるものではない。護衛を雇えば不可能ではないが、冒険者と兼業でもない限り、職人が危険な場所へ行くことを嫌がるのは当然のことである。
故に素材は普通、市場に求めることになるが。他の冒険者が市へ流した素材を探して購うとなれば、その経路上には何人もの商人が差し挟まれることになり、最終的な購入価格はそれだけ上乗せされたものになる。まして宝石素材などという元々高価な物であれば、膨れあがる金額もそれだけ膨大なものになるだろう。
--------------------------------------------------
精強の宝石/品質50
〈付与術師〉が扱える宝石素材。
既存の装備品に『最大HP増加』を付与する。
--------------------------------------------------
「例えばこの宝石は〈ペルテバル地下宮殿〉の中で最もよく拾うことができる宝石素材で……何気にいま、250個近く持っていたりするのですが」
「に、250個ですか……。やっぱり買うと高いのですか?」
「普通の宝石として換金するなら、1個300gita程度になるそうですが。市場で付与に用いる宝石素材として購うとなりますと、その10倍近い値が付くのだそうです」
宝石は普通に貨幣の代わりとして使われることもあるから、冒険者ギルドなどで換金することができる。換金額が300gitaというのは、比較的よく流通する一般的な宝石程度の価値と考えていい。
とはいえ250個もあれば、その金銭価値は75,000gitaにも及ぶ。それはカグヤの店である『鉄華』の中でも、相応に上等な拵えの刀を購入出来るほどの金額だ。
ましてや、その10倍ともなれば―――。
「普通に鋳造して作られた長剣が、1本3,000gitaぐらいでしょうか?」
「あ、はい。そうですね、3,000から4,000gitaぐらいだと思います。質の悪いものや中古品でも良いのでしたら、2,000gitaぐらいから買えると思いますが」
「では、仮に〈付与術〉の職人を新しく志そうとなさる方が、必要なものを総て市場から購入される場合。長剣の購入に2,000gita。更に宝石素材の購入に3,000gita。ひとつの付与生産を行うだけでも、5,000gitaの材料費が掛かることになりますね」
「……な、なるほど。天恵が有っても、志せる方が居ないわけです」
金額を聞いて、思わずカグヤは苦笑する。
何しろ5,000gitaもあれば、それなりの宿の部屋を一ヶ月契約で借りることができる。それ程の額を気楽に出せる人など、果たしてどれだけ居るだろうか。しかもたった1つ作るだけで、それだけの金額が掛かるというのだから恐ろしい。
勿論、付与が施された武器というのは戦いを生業とする人間にとってはひとつの憧れであり、大変に高価な値が付けられる。コストが高く付いても、売ることができれば充分なリターンにはなるのだろうけれど……。しかし安価なものではないだけに、なかなか露店などで簡単に売れるものでもない筈だ。
「すみません、少し話が逸れましたが―――とりあえずひとつやってみましょう。カグヤ、何か適当な付与を施しても良いような、武器などを持っていたりしませんか?」
「えっと、朝に〝エトランゼ〟の工房で造った長剣が三本あります。その……地下工房の熱気が凄いことになりまして、慌てて造ったのであまり出来は良くないと思いますが」
「ああ……。シノから少し話は聞きましたが、あの地下工房は雨の日には使わない方が良いようですね。まさかそんな不備があるとは気付かず、すみません」
「い、いえ。私の方こそ、気付かずにすみません」
互いに謝罪の言葉を口にしながら、カグヤは〈インベントリ〉から取り出した三本の長剣をシグレさんに手渡す。
--------------------------------------------------
ショートソード(3個)/品質72-74
物理攻撃値:24
扱いが容易な片手用の長剣。
鍛冶職人〝カグヤ〟の製作品。
--------------------------------------------------
やはり、というべきか出来はあまり良くないようで、その結果が品質の値として如実に現われていてカグヤは小さく落胆する。
もちろん市の露店などでよく見かけることができる、単に鋳造して造られただけのものに比べれば、これでも随分と性能的に優れた長剣ではあるのだが。手間と時間を掛けて鍛造を行い、拵えただけの価値があるものとは正直言い難かった。
「この武器を、付与の実演に使っても構いませんか?」
「はい、好きに使って下さい」
「ありがとうございます。……それでは、少し見ていて下さいね」
三本ある長剣のうちの一本をテーブルに置き、シグレさんは残りの二本を〈インベントリ〉の中へと収納する。
同じくテーブルの上に置かれた、先程の宝石素材をシグレさんの指先がこつりと叩くと。小突かれたその宝石から、紫色の光の飛沫が微かに弾けたのが、カグヤの目にもはっきりと視認することができた。
お読み下さり、ありがとうございました。
-
文字数(空白・改行含む):3951字
文字数(空白・改行含まない):3816字
行数:93
400字詰め原稿用紙:約10枚




