131. 欲張りな私
「―――我々は、この瞬間を待っていたッ!」
脱衣所から繋がるドアを開けて、続々と姿を顕わした五人の闖入者達。
その先頭に立つ彼女は浴室の中に入ってくるなり、既に湯に浸かっているカグヤに向かってそう言葉を発してきた。
「は、はあ……? どうしたんですか、カエデ?」
「どうしたって、お風呂だよお風呂ー。一緒に入ろ?」
「この人数はさすがに無理がないですか……?」
先頭のカエデに続いて、続々と浴室へと入ってくる人影を見つめながらカグヤがそう漏らすと。最後に入ってきたベルさんが、少しだけ申し訳なさそうな顔をしてみせた。
「悪いわね、カグヤ。―――でもね、みんな興味があるのよ」
「はあ。興味、ですか?」
「……ん」
鸚鵡返し気味なカグヤの問いに、ベルさんに代わってユーリさんが頷く。
その言葉の意味する所が判らずにカグヤが首を傾げていると。早々に身体を洗い終わったナナキさんとシノさんから順に湯船の中へと入ってきた。
「失礼致しますね、カグヤ様」
「は、はい」
ナナキさんとシノさんの二人に、カグヤの身体が挟まれる。
少し遅れてベルさんが。更に後続してユーリさんとカグヤまでもが一緒になって入ってくると、明らかに許容量をオーバーしている湯船の中で、六人の肩がぎゅうぎゅうに触れ合った。
「ほらほら、狭いんだから詰めて詰めて」
「も、もう充分に詰まってますよぅ……。私はもう充分湯に浸かりましたし、そろそろ上がりたいのですが」
「あら、それはダメですわ。私達は皆、カグヤ様に興味があるのですから」
すごく綺麗な笑顔を湛えながら、ナナキさんがカグヤの隣からそう告げてくる。
けれど、笑顔であるはずなのに―――ナナキさんの湛える微笑みのそれは、不思議とカグヤの背筋に寒気を感じさせるもので。「ひっ」と声にならない声を上げたカグヤは、熱い湯の中だというのに一度ぶるっと軽く身を震わせた。
「んっふふー。今日こそじっくり話を聞かせて貰うかんね?」
「か、カエデ……。話って、一体何の話をですか……?」
「そりゃ勿論、決まってるじゃない?」
そう言ってカエデは、カグヤの左手を軽く握って湯の上へと持ち上げる。
少し薄暗い浴室の中にあって、その左手の薬指に収まっている指輪は存在を主張するかのように淡い光を放っている。他に身に付けている物が何一つ無いだけに、行動によってカエデが指し示しているものは明瞭だった。
「一体、どうやって兄様を射止めたのか。カグヤ様からその話を早く聞きたくて、私もここ数日はずっとうずうずしておりましたわ」
「射止め―――!? そ、そんなことは、全くっ!」
「そうなのですか? でも皆様、既にそう認識してらっしゃると思いますが?」
「ふえっ!?」
驚きの儘に、思わず周囲の皆を見回すと。
カエデも、シノさんも。ユーリさんも、ベルさんも。皆が揃いも揃って一様に、カグヤに向かってコクンと頷いて答えてみせた。
「カグヤ様も、そしてシグレ様も。お二人共が然るべき場所に指輪を収めていらっしゃるのですから。見た人がそう考えるのは、当然のことだと思います」
さも当然のことを言い諭すかのように、シノさんがそう告げる。
確かに……ある日から時を同じくして。左手の薬指に指輪を身に付け合った男女が居るとすれば、周囲がそう考えるのも無理からぬことなのかもしれなかった。
実際、カグヤの左手の薬指に指輪を嵌めて下さったのはシグレさんであり、シグレさんの左手の薬指に指輪を嵌めたのもまたカグヤであった。一度は付与を施して下さるとのことで、外してシグレさんに渡したりもしたが。その後に改めて互いに指輪を付け合った時にも、その位置関係は変わらなかった。
そこだけ見れば、完全に恋人同士である。
「……そうなら、良かったのですけれどね」
だから、カグヤは今更ながら少し残念に思いながら、そう呟く。
あの日シグレさんが返して下さった告白の返事は、彼なりの精一杯の心が籠められた言葉だった。最終的な返答こそ先送りされてしまったけれど、シグレさんが初めて漏らして下さった本音の言葉の数々は、今もカグヤの記憶の中で輝きを失わない宝物になっている。
けれど―――こうして思い返せば。僅かに残念に思う気持ちが、湧かないと言えばやっぱり嘘になってしまうのだった。
あの日、シグレさんが返事を先送りになどせず、もし求めて下さったら―――。いま、カグヤは彼に求められたという自負心と共に、堂々と周りの皆に自分の心と立場を示すことができたのかもしれないのだから。
「……ふむ。その仰りようから察しますに、どうやらお二人が〝恋人同士〟という関係に至ったわけでは、本当に無いようですね」
「あはは……。そうなれたらいいな、って気持ちはありましたけれど」
カグヤが望むべくもないほどの、充分なものをシグレさんは返して下さった。
それは、ちゃんと判ってる。
だけど、もっと多くのものを与えて下さったなら―――。
そういう気持ちが心の隅に少なからず有るのも、また真実であった。
―――多くを望む気持ちなんて、無かった筈なのに。
気付けば私は、随分と我儘で欲張りになってしまっている気がする。
「全く、兄様は……。どうせ両思いなのですから、思い切って行き着く所まで行ってしまえばいいですのに。……最後の最後で少しだけ怯んでしまう性分は、相変わらずなのですわ」
「いえいえ、ナナキ様。あの自制に過ぎる性分のシグレ様がご自身の独占欲を少なからず発揮され、カグヤ様の左手の薬指に確かな〝枷〟を残されただけでも、今回のことは大変な快挙と申し上げて宜しいかと」
「む……。確かに、そう言えなくもないのかしら……?」
ナナキさんとシノさんのお二人は、あたかも総ての事情を見通しておられるかのような訳知り顔で、色々とシグレさんのことを語り合っておられるようだった。
その会話に耳を欹てるも、よく判らない部分が少なくない。それはカグヤが知らない多くの事を、ナナキさんとシノさんの二人が既に理解されておられる証左のように思えて。カグヤはお二人を羨ましく思った。
「……カグヤ」
「はい?」
「……どちらかから、告白とか、した?」
「あ、えっと……。私のほうから、しました」
ユーリさんの問いに、カグヤは答える。
「本当は告白するつもりなんて、全く無かったのですが……。気が付けば、無意識のうちに言ってしまっていました。シグレさんのことが好きです、って」
「……無意識、に? 告白を?」
「はい……。でも、こんなこと言っても、信じて貰えないですよね?」
「ううん」
カグヤの言葉を、ユーリさんはふるふると首を左右に振って否定する。
「……判る。よく判る。私にも、そういうことはあった」
「ユーリさんにも?」
「うん。……私もシグレとキスをした時には、殆ど無意識だったから」
「へえ、そうなんです―――」
カグヤの口から発されていた言葉が、ぴたりと止まる。
一瞬、カグヤの思考が真っ白になった。
「―――え?」
いま、キスって、言ったのだろうか。
お読み下さり、ありがとうございました。
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