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127. 告白

長らく間隔が空いてしまい、申し訳ありません。

 


「―――私。シグレさんのことが、好きです」






 気持ちを打ち明けてしまうつもりなんて、無かった。

 知られてしまうのを怖いとさえ思っていたから、厳に秘めていたつもりだった。


 なのに、気が付けば―――押し留めようと意識する暇さえなく、素直な儘の言葉はカグヤの口から零れ出てしまっていた。


「カグヤ、それは―――」

「私、本気です! こんな気持ちになったのは……こんな風に誰かのことを想ったのは初めてですが、それでもちゃんと判るんです。私、シグレさんのことが好きです。―――とっても特別な意味で、好きです」


 それでも、零してしまった言葉を取り戻すことはできない。曝け出してしまった自分の心を、無かった事にすることはできない。

 言いかけてしまった以上は。伝えかけてしまった以上はもう、率直な儘に気持ちをぶつけてしまうことしか、カグヤには残されていなかった。


 こんなことを言ってしまえば、彼を困らせてしまうのは判っていた。

 一見すると、いつもと変わらないようにも見えるシグレさんの表情の中に。ひそかな困惑の色が微かに入り交じっていることがカグヤには判る。

 普段通りの表情を装っているのは、おそらく素の反応を見せてしまうことで私を傷つけてしまうことがないように、という配慮からのものだろう。

 こんな状況下でさえどこか人のことを優先させてしまう嫌いがあるシグレさんの様子を見て、それを少し可笑しく思う気持ちもあり、けれどそうした部分も含めて何とも彼らしいなと微笑ましくもカグヤは思う。

 普段から彼の傍に居る時にはいつも、注意深くその表情を見つめて来たカグヤにだから、彼の機微にも触れることができる。静かに、けれど小さくない動揺を示すシグレさんの表情の裡を見確かめて、カグヤはそれを心の裡で(嬉しい)と思った。


 ―――こんな考え方は、少し卑屈かもしれないけれど。

 私の言葉に。私がぶつけた、想いの言葉に。

 僅かにでも心を乱す魅力を彼が感じてくれていることが、嬉しかった。


「……カグヤ」

「はい」

「僕は、臆病な人間です」


 好き、と伝えた言葉の返事を告げられるのかと思って身構えていたら。

 やがてシグレさんの口から綴られた言葉は、全く別の方向性のものだった。


 ―――〝臆病〟

 それは(真実ではない)と、カグヤは内心でその言葉を一蹴する。シグレさんの傍に在り、彼の性格や戦いぶりをちゃんと見定めてきたカグヤには判る。

 シグレさんは必要ならば戦闘や危険を恐れることはないし、魔物の攻撃をただ一度でも受ければ致命傷になるという身でありながら、自分よりずっとレベルが格上で多勢の魔物にも果敢に立ち向かう。危険な〈迷宮地〉へ一人で乗り込んだという話も、幾度となく彼の使い魔である黒鉄さんから聞いたことがある。

 嘗て〈ゴブリンの巣〉に於いてカグヤの命を救ってくれた時もそうだ。カグヤを先行して逃がし、一人強大な魔物を相手にすることを厭わなかった彼。それほどに勇敢な彼が、どうして〝臆病〟でなどあるだろうか。


 それよりも―――カグヤは心の中で反芻したシグレさんの台詞の中に、静かに、けれど小さくない驚きを感じずにはいられなかった。

 先程、シグレさんはご自分のことを〝僕(、)〟と自称していた。それはカグヤにとって今まで、ただの一度さえシグレさんの口から聞いたことがない一人称だったからだ。


「シグレさんは、決して臆病などでは」

「有るんです。……それが、本来の僕の姿ですよ」


 シグレさんの表情を見て、それが真っ直ぐな言葉であることが判る。

 それを見てしまうと。内心では食らいついてでも否定したいとは思いながらも、カグヤは押し黙ることしかできなくなってしまった。


「以前、少しだけ話したことがあると思うのですが。僕たちのような〝羽持ち〟の人間というのは、ここ〈イヴェリナ〉とは別にもうひとつ、自分たちが生きる世界を持っています。―――覚えておられますか?」

「あ、はい。それは勿論、覚えています」


 シグレさんの問いに、カグヤはすぐに頷いて答える。

 俄には信じがたい、突拍子もないそのことをシグレさんが話して下さったのは、ユーリさんに関する一件でのこと。その一件の次第と顛末は印象的で、忘れられることではない。


「信じて頂けるかどうかは別として、遠からずカグヤにも詳しくお話しする機会があるかもしれませんが。……あちらの世界での僕は、ただ生きているだけの無力な存在です」

「シグレさんが、無力……?」

「無価値な存在とも言えるでしょうね。幸いなことにお金には不自由していませんでしたが、それだけです。身体を初めとした様々な不自由に縛られていて、僕は文字通りに何も出来ない人間でした」


 シグレさんの口から語られた言葉は、どれもカグヤには困惑しか齎さなかった。

 ここ数日は森へ繋がる門を閉ざされているために中止しているけれど、シグレさんは元々、毎日のように早朝から出掛けては魔物の棲む森を恐れもせずに新鮮な素材を採取し、それを元に極めて良質な霊薬を多数生産していて。更に、魔物が大量に蔓延る〈迷宮地〉である地下宮殿のほうへも毎日のように潜っているらしいし、同時に新しいお店〝エトランゼ〟の開業準備まで粛々と進めているというのだから。その行動力は並々のものではない。

 無力とか、無価値とか。そういった否定的な言葉とは、完全に対極的な印象をカグヤは彼に対して抱いている。それだけに唐突にそんなことを言われても、ただ途方に暮れるばかりで何の感想も抱くことはできなかった。


「全く、信じられません……」


 少し憮然としながら、カグヤはそう呟く。

 シグレさんの価値を否定する言葉は、例えシグレさん本人の口からであっても、あまり聞いていて心地の良いものでは無かった。


「ですが、事実です」


 淡々とした調子の言葉で、シグレさんは続ける。


「僕は弱い人間です。……常に身の丈に合った夢だけを見る。望んでも決して手に入ることがない、手の届かない〝夢〟に対しては。憧れを抱くことこそあっても、本気で渇望したりはしない」


 静かに紡がれる、どこか淋しそうな声色。

 シグレさんの口にする、もうひとつの世界。それがどのようなものであるのかは判らないけれど―――もしかするとそれは、彼に残酷な何かを強いた世界なのかもしれなかった。


「僕は自然と、何年も前から多くのことを諦めてしまうようになりました」

「諦めて……?」

「はい。例えば、そうですね―――自分が暮らしている病室からは見えないような、少しだけ遠くの場所へ足を伸ばしてみる、といった些細なこと。それから幾つもの本屋や図書館を巡って、実際に本を手に取りながら書架を物色すること。病院以外の場所で食事を摂ってみることや、新たな友人を得ること。それから―――恋愛に関することもそうです」


 シグレさんの口から〝恋愛〟という単語が飛び出して、一瞬どきりとする。

 彼の口から紡がれるその単語は、どこか幻想的な響きを伴って聞こえた。


「私には、シグレさんのいらっしゃる〝もうひとつの世界〟のことは何も判りませんが―――少なくとも私が知っているこちらの世界のシグレさんは、別に不自由になど縛られていないのでは?」

「ええ、こちらの世界では僕を不自由へと押し込むものは何もありません」

「―――それなら、少なくともこちらの世界では。何かを諦めたりする必要というのは、無いのではないでしょうか?」

「そう、ですね……」


 彼を縛っている〝不自由〟というものが、どんなものかカグヤは知らない。

 当然、知りたいとは思う。けれども、それはいま大事なことじゃない。いま一番肝要なことは、私が見て、触れて知った有りの儘の彼のことを、そのまま好きになった私が居るということ。

 もうひとつの世界の彼のことは、何も知らないのだから今は考えなくていい。

 私は私らしく、自分が知っているこちらの世界のシグレさんだけを見つめて、その彼に率直な想いの言葉をぶつけるだけだ。


「きっと、カグヤの言う通りなのだと思います。こちらの世界での僕というのは、きっと誰と比べても負けないほどに自由で、望むままに生きることができる」

「でしたら―――」

「ですが、情けないことに……。少し、怖いのです」


 眉尻を下げながら、ぽつりと零れたその言葉は。

 もしかすると、シグレさんが初めてカグヤに吐露した、弱音の言葉であるのかもしれなかった。


「〈イヴェリナ〉で恋をしてみませんか―――と。僕がこちらの世界へ始めて来た際に、その水先案内人のようなものを担当して下さった方が仰いました。その時には理解できなかった言葉の意味も、今でしたら少し判る気がします。ですが、だからといって……諦めるのに慣れてしまった僕には、すぐに自分を変えるというのは難しいことなのです」


 努めて、淡々と。シグレさんは心の裡を静かに説いてくれる。

 表情も声色も、必至に彼は覆い隠そうとしている様子だったけれど。その言葉の裡面に潜み孕んだ、苦渋のようなものがカグヤには理解出来てしまった。


 ―――心の中で一度、完全に諦めを付けてしまったものに再び手を伸ばそうとするのは。もしかすると、簡単なことでは無いのかもしれない。

 まして諦めなければならなかった際に、少なからず辛い思いなどをなさっていたのであれば尚更、容易に切り替えられるというものではないのだろう。


「……申し訳ありませんが、暫く時間を頂けませんか」


 それが、何となく判ったから。

 シグレさんが僅かに淋しさを溢れさせた声色で続けたその言葉に、カグヤもすぐに頷いて答えた。


「判りました、お返事を頂けるのをお待ちしていますね。シグレさんが幾ら時間を掛けて下さっても、私は大丈夫ですので」

「すみません、カグヤ。……ありがとうございます」


 寧ろ、カグヤのほうこそが〝ありがとう〟と彼に言いたいぐらいだった。

 ぽつりと零してしまっただけの、無防備に漏らされたカグヤの告白に。彼がこんなにも真剣に向き合ってくれることが、嬉しかったからだ。


「時間がどのくらい掛かってしまうかは、僕自身にも判りませんが。カグヤが伝えて下さった気持ちには、必ず返事を致します。……もちろん、その時に僕がまだカグヤに幻滅されていなければ、ですが」

「それは絶対に有り得ません!」


 どこか自嘲気味に告げたシグレさんの言葉を、カグヤは即座に否定する。

 その言葉は自分でも意外な程に、強い語調となってカグヤの口を吐いて出た。


「……ありがとうございます、本当に」


 カグヤの言葉を受けて。シグレさんは一瞬だけ、驚いたような表情を見せると。

 それから、穏やかな笑顔と共にカグヤの目を見つめて、そう言って下さった。




(ああ―――)


 その笑顔を至近距離で目の当たりにして、カグヤは自分の頬がかあっと熱くなってくるのを意識してしまう。

 彼が私に向けてくれる優しい笑顔が、カグヤは何よりも好きだった。




「……そうだ、今のうちにひとつだけいいですか?」

「はい?」

「実は、本当の僕というのは、案外独占欲が強かったりしまして」


 そう告げると、シグレさんは優しくカグヤの左手を手にとって。

 するりと器用な手つきで、カグヤの薬指に魔法の指輪を嵌めてしまった。


「ふぇ……?」


 自分の薬指に、そこにあるのが自然であるかのように違和感なく収まった指輪。

 その指輪を見つめながら、思考を停止させること数秒。


「―――し、し、シグレさん!?」


 ようやく、指輪をその指に嵌められた意味を理解して。

 狭い地下室の中に、カグヤの大声の叫びが響き渡った。


「この先、カグヤが僕に幻滅なさるようなことは、あっても仕方ないと思います。ですが―――カグヤが他の男に言い寄られるのは嫌ですから。こうしておけば、きっと他に誰も近寄って来ないでしょうし」


 元はと言えば、どの指に指輪を嵌めてもいいと、シグレさんのことを先に挑発したのはカグヤのほうである。

 だから、このシグレさんの行動も、そのカグヤの挑発に正しく答えて下さっただけに過ぎないのだが。それでも―――彼がまさか、私の薬指にそれを収めてくれることなど、カグヤは全く予想していなかったものだから。


「わ、わ、わ、わ……」


 彼の不意打ちに、自分の顔がどうしようもなく真っ赤になっていくのが判った。

 熱に浮かされるかのように、カグヤの頭は何も考えられなくなっていく。




 告白の返事は、保留にされてしまった筈なのに。

 これではまるで―――はっきりと答えを頂いてしまった、みたいに―――。




                - 7章《澄夏の畔》了

実に一月弱に渡り、感覚が空いてしまい申し訳ありません。

当初は年内に7章完結+章末余録まで投稿出来たらいいな、などと呑気に考えていたのもどこへやら、気付けば元日どころか小正月も過ぎてしまう体たらく。

年明けからこんな調子で申し訳ない限りでありますが、今年も何卒宜しくお願い致します。


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文字数(空白・改行含む):5261字

文字数(空白・改行含まない):5003字

行数:174

400字詰め原稿用紙:約13枚

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