125. 鍛冶の匠
間が空いてしまいました。すみません。
12月に暇なんて望むべくもありませんでした……。
モルクさんから邸宅と共に借り受けている店舗。半ば押しつけられるような形となった店ではあるが、この店を実際に開き、店内の棚に陳列する時のことを考えながら霊薬などを生産する日々を続ける内に。いつしかすっかり愛着が湧いてしまったこの店に〝エトランゼ〟という名前を付けたのは、つい昨日のことだった。
エトランゼ―――即ち、異邦人という意味の言葉。それは先日、こちらの世界でベルの人生を背負う覚悟を決めた時に、心の中で幾度となく反芻した言葉でもある。
以前の夜にベルが口にし、そしておそらく彼女が心の中で渇望しているであろう寄方に、この店がなれればいい。そうした思いを少なからず籠めて、シグレは〝エトランゼ〟という名前をこの店に付けた。
とはいえ自分が個人としてモルクさんから借り受ける店舗であるとはいえ、シグレとしてはこの店を完全に自分だけの領域にしようなどという思惑は一切無い。ユーリやナナキが生産した霊薬も店内には並べることになっているし、カグヤの刀剣やユウジの木工品も預かることで話は既についている。あくまでも皆の共同店舗として運営していければ、それが一番良いことだと思っている。
だから店の名前についても、シグレの一存だけで決めてしまうつもりは無かった。誰かひとりでも反対したり、別の候補名を挙げてくれれば、自身が提案した〝エトランゼ〟という店名をシグレはすぐに引っ込めただろう。
けれど、そうはならなかった。皆はすぐに、その名前を受け容れてくれて。逆にユウジからは「決めるのが遅えよ」と軽く頭を小突かれてしまったりもしたものだ。
「シグレ。私は一階で掃除でもしているわ」
カグヤが既に来ているからだろう。鍵が開いていた
「掃除ですか? それでしたら、少し後で自分も手伝いましょう」
「野暮なこと言わないの。あなたは地下でゆっくり話して来なさいな。―――私にカグヤの邪魔をさせるような真似は、どうかさせないで頂戴」
まるで子供を窘める時みたいに、軽くめっと叱るような調子で。
ベルにそう言われてしまうと、シグレとしても何も言い返せなかった。
「判りました。ご厚意に甘えることにします」
「ええ、私のことは気にしないで」
ベルに軽く一礼してからその場を後にし、シグレは店舗奥にある部屋に入る。
店舗のフロアに比べれば随分と狭いその小部屋の隅にある、以前下見に来た時には立て付けが悪くて開かなかった扉。備わっているドアノブを捻ると、以前下見に来た時が嘘みたいに、軋みの音ひとつさえ立てずにその扉は正しく動作した。
開かれた扉の先すぐに現われたのは、傾斜がやや急な階段。その階段の深みからは下にある鍛冶場の炉の物であろう熱気が溢れてくるようで、体感的な気温が休息に1~2度は上がったであろう意識が伴った。
光を取り込む窓がないから、覗き込んでみても階段それぞれの段差には縁が殆ど見えない。天井に向けて《発光》のスペルを行使することで照明を確保したあと、何か照明の代わりになるものを市などで探してこなければいけないな、と階段を降りる傍らでシグレは思案する。このままでも自分はそれほど不便でもないが、スペルで照明を準備できないカグヤはきっと不便を感じるだろうから。
◇
考えてみれば、カグヤが〈鍛冶職人〉として腕を振るう所を目の当たりにするのは、これが初めての機会だった。
地下工房の中にシグレが入っても、カグヤは気付く様子さえなく。備え付けられた火床と鉄床と共に、刀身の元となるものであろう鋼と一心不乱に向き合い。彼女が造り込みの鎚を打ち下ろす度に、甲高い澄んだ金属の音が部屋一杯に広がっていく。
あたかも炎天下を思わせる程に、じりじりと肌に張り付く熱気が溜まった部屋の中。けれど一定の律動で彼女が奏でる、均一の音程と強さで響かせる澄み切った音に感覚を委ねることは、不思議と悪い気がしない。
真夏の外気の中にあっても、畔の傍に身を置き、打ち寄せる波間の音に耳を傾けている時間が不快でないのと同じように。彼女の鎚の刻みに心を委ねることは、一抹の清涼な心地良ささえ感じさせてくれるようにも思えた。
鎚を振るう度に、赤熱した鋼から幾許かの火花が舞い踊っては、昏がりの中に溶け消える。また、鎚のそれに応えるかのように、律動を同じくして鉄床もまたぼんやりと黄金色に輝く飛沫を放つ。おそらくは〈錬金術師〉の天恵を持たなければ扱えない〝錬金台〟があるように、あの鉄床もまた天恵を有していなければ扱えない、特別な何かであるのだろう。
これが霊薬の作成であれば、天恵として〈錬金術師〉を有する職人が居て、作成する材料が揃いかつ錬金台を初めとした用具も準備されていれば。生産行為はとても簡単に済ませることができるし、時間もさして掛からないものだが。―――どうやら〈鍛冶職人〉はそう単純なものではないらしい。汗水を流し心血を注ぎ、鎚を手に腐心するカグヤの姿を見ながら。シグレは改めてそう思った。
声を掛けようか―――迷ったが、シグレは静かに彼女の仕事を見守ることにした。頬や腕に多量に伝う汗を気に掛ける素振りもなく、一呼吸の乱れさえなくカグヤが集中している作業は、その一品が業物となるか鈍刀となるかを決める重要な工程かもしれない。
いま彼女を邪魔してしまうことはどうしても躊躇われたし、シグレとしても洗練された所作を繰り返す、気高き職人としての彼女の光景を、今少し目に焼き付けておきたいという意志のほうが勝っていた。
(この部屋には、一切手を入れていないという話だったけれど―――)
店舗に対しモルクさんのほうで改装を施した部分は、店の外観と販売フロアの部分だけだと聞いている。地下にあるこの工房に関しては、入口の扉を除いて一切手は加えられていないという話だったけれど。実際に鍛冶場を使用しているカグヤの作業光景を眺めている分には、火床や鉄床を初めとした設備に不備は見られないように思えた。
寧ろ然程広くもない地下室の中で。コンパクトに纏まった設備は、体躯の小さなカグヤにも実際に使い勝手が良さそうにも見える。嘗てのここは防具店だったという話だし、その時の店主が快適に仕事に打ち込めるよう工夫を凝らした結果、この環境が作り出されたのかもしれない。
「お疲れ様です」
「―――わわっ。し、シグレさん!?」
暫くして、鎚の音が止んだ後に。〈インベントリ〉から取り出した清潔なタオルを差し出すと共にシグレが声を掛けると、案の定カグヤはこちらの存在に全く気付いていなかったらしく、酷く狼狽した様子を見せた。
「あ、ありがとうございます……。いつから見てらっしゃったんですか?」
「カグヤが打っている鋼の長さが、この三分の一ぐらいだった頃からですね」
「うあ……〝素延べ〟の工程丸々じゃないですか。それでは十五分近くはお待たせしてしまったのではないですか? 気にせず途中で声を掛けて下さっても大丈夫でしたのに」
「カグヤの技に見入っていて、時間なんてすっかり忘れていましたから」
もちろん、それは誇張でも何でも無い。
事実、彼女の魅せる技の冴えに、すっかりシグレは虜となっていたのだから。
「最初はただの直方体の鋼でしたのに、よく短時間のうちにここまできっちりと刀の形に仕上げることが出来るものです。……ああ、この次点ではまだ、刀身に反り返りというものは無いのですね?」
「あ、はい。刀の反りというのは後で〝焼き入れ〟という工程の際に、冷水で急冷することによって生じるものですので」
「急冷によって、ですか……?」
「はい。焼き入れを行うと高熱により鋼が膨張して刀身全体が伸びるのですが、その直後に冷水で急冷する際、刀身の棟の側と刃面の側で、急冷による温度伝達速度に差を付けてあげるんです。すると膨張した鋼が冷却により収縮する具合にも差を付けることができますので、それによって刀の棟の側がより強く収縮するようにしてあげることで、自然と刀身には〝反り〟というものが生じて―――って、すみません。こんな風に言葉なんかで説明しても、判るわけないですよね?」
「いえ、なんとなくは判る気がします」
「折角地下に工房があるのですから、近いうちに刀を一本拵えてみませんか? 興味がお有りでしたら、やっぱり実際に一度製作を体験なさってみるのが一番だと思います。もちろん私で宜しければ、出来上がりまで傍で説明とお手伝いをさせて頂きますので」
「ええ、是非とも宜しくお願い致します」
カグヤの提案に、深々とシグレは頭を下げる。
作業を眺めている間、気付けばシグレはカグヤに対して敬意と共に、殆ど憧憬に近しい気持ちさえも抱いていたものだ。
その彼女から直接手解きを受けられるとあれば、それは願ってもないことだ。
「ところで、その〝焼き入れ〟という工程は、これから行うのですか?」
「はい。焼き入れを行うと高熱により鋼が膨張して刀身全体が伸びるのですが、その直後に冷水で急冷する際、刀身の棟の側と刃面の側で、急冷による温度伝達速度に差が付くようにしてあげるんです。すると膨張した鋼が冷却により収縮する具合のほうにも差が生じることができますので、それによって刀の棟の側がより強く収縮するようにしてあげることで、自然と刀身には〝反り〟というものが生まれて―――って、すみません。こんな風に言葉で長々と説明なんかしても、伝わるわけないですよね?」
「……そうですか」
できれば続きの工程も見てみたかったので、残念だな、とシグレは思う。
刀の鍛冶に関しては完全に素人であるシグレであっても、〝焼き入れ〟なるものが刀に命を吹き込む最も重要な工程であることは、時代小説などで読み囓った程度の知識として漠然とは知っていた。カグヤがその匠の技を以て〝焼き入れ〟作業にに挑む様を、傍で見てみたかったのだ。
「あの……。ところで、何か私に御用がお有りなのですよね? 見ての通り手が空きましたので、今でしたら何でも承りますが」
「―――ああ。そうでした、すみません」
思いのほか良い物を見れたことで、すっかり本題を失念していたことに今更ながら気付かされる。
掃除をしているということだったが。あまりベルを待たせすぎるのも良くないし、手短に用件を済ませる方が良いかも知れない。
「宜しければ、カグヤに受け取って頂きたいものがあるのです。……少なからずカグヤに不快な思いをさせてしまうものかもしれませんので、もしお嫌でしたら拒否して下さって構いませんので」
「は、はあ……。それは一体、何でしょう?」
〈インベントリ〉から、カグヤに渡したいそのアイテムを取り出す。
不思議とカグヤにその品を見せることは、仄かな恥ずかしさを伴う気がした。
「これは―――指輪、ですか?」
「はい、自分と揃いの指輪です。受け取って頂けませんか?」
「えっ」
カグヤが目を丸くする。
そうして、たっぷり数秒は間を置いてから。
「―――うぇええええええええええええええ!?」
狭い地下室の工房の中に、カグヤの声が盛大に轟いた。
お読み下さり、ありがとうございました。
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