117. 霊薬の材料
二階奥の角部屋。日当たりの良いその部屋を自分の部屋として構えたシグレは、最初の客としてアヤメをその部屋の中へと招き入れた。
大きなベッドがひとつに四人掛けのテーブルまでもが添え付けられた部屋は、先行して自分の部屋を確保しようと向かった皆が、シグレの為にと優先して残してくれた部屋だった。他の部屋に置かれているものより一回り大きく、そして立派なベッドが添え付けられたこの部屋は、おそらく以前この邸宅を借り受けていた主が利用していた部屋なのだろう。
この邸宅はシグレが個人としてモルクさんから借り受けるもの。だから一番上等な部屋は借用主である兄様が使うべき―――そう皆に主張したのは、妹のナナキだったらしい。
シグレからすれば、皆で一緒に済むのだから自分を特別扱いして欲しく無い気持ちもあったが。折角の妹の厚意であり、また皆から既に同意を得ているようだったので、素直に甘えることにした。
「すみません。お茶のひとつ、お出しすることもできませんが」
「なに、構わぬよ。それを承知で押しかけたのは、わらわの方じゃからな」
先程、シノは自分の部屋を確保するのを後回しにして真っ先に調理場のほうへと向かったみたいだったけれど。調理場は以前、シグレが下見に来た時点では最も邸宅内で傷みが酷かった部分であり、使えるようにするまでには多少の時間を要するだろう。
モルクさんから聞いた話によれば、水回り関連は業者の方に念入りに修繕して貰ったということだったが。今までずっと宿住まいだったシグレ達は、そもそも自分の食器やグラスのひとつさえ所有しては居ない。一度、街の市で色々と入用なものを揃えないことには、客人に茶のひとつも出すこともできはしないのだ。
部屋に迎えたアヤメをテーブルの一席に促し、他にユーリも同席する。先程、道中でアヤメと話していた内容をユーリも脇で聞いていたらしく、〈錬金〉に関連する道具ということだったから興味を持ったらしい。
アヤメが〈インベントリ〉からひとつのアイテムを取り出し、シグレとユーリが見守る目の前でテーブルの上に置いた。ずしりと重厚な音をテーブルに響かせたそれは、いかにも頑丈そうな鉄製であり。両手でなければ持ち運びできなさそうな程度には大きく重量もありそうで、確かに屋外で受け渡そうと思っても容易ではないだろう。
「なるほど、薬研ですか」
「む……。驚かせようと思ったのだが、既にご存じであったか。旦那様は流石じゃのう」
「知識として知っているだけで、実際に見るのはこれが初めてですが」
なので実物を目の当たりにしたことで、シグレとしても充分驚かされている。
そもそも重いせいで受け渡しに難儀するようなアイテムであっても、シグレは以前馬車の中でアヤメと互いにフレンドとしての登録を済ませており、近くのフレンドに対しては直接相手の〈インベントリ〉にアイテムを送ることができるから、本来であれば困ることは無い筈なのである。
しかしアヤメはそうした容易な受け渡し方を望まなかった。その狙いが、こうして〝いかにも〟な外観をした道具の実物を見せつけ驚かせることにあるのだとするなら、それは成功していると言っていいだろう。
興味心からシグレが指先を軽く薬研に触れさせてみると、鉄製のそれはひんやりと冷たかった。
―――薬研。
漢方薬を生成する際に生薬などを擂り潰すために用いる道具で、細く窪んだ舟形の器の上で円盤状の車輪を動かして用いる。時代劇などで薬を扱う場面の小道具などとして用いられることが多いため、名前は知られていなくとも、道具自体は案外知名度があるかもしれない。
〈錬金〉に用いる道具という話だったから、霊薬の生産とは確かに関連深そうな道具であるなとも思う。どちらかといえば〈薬師〉の天恵にこそ、より関連深そうなアイテムではあるが。〈錬金〉によって作り出される霊薬もまた、薬の一種と思えばおかしいことではない。
しかし一方で、シグレはその道具に疑問を抱かずには居られなかった。
「……粉末化する必要が、あるのですか?」
「くくっ、旦那様の言わんとすることは判っておる。どうせ溶かしてしまうのだから、細粉化したところで一緒ではないか―――そのように考えておるのじゃろ?」
「ええ」
端的に纏めてしまえば、霊薬の作成とは錬金台の上で素材を溶かして薄める、それだけだ。他の素材を添加したり溶媒に拘ることはできるけれど、それはあくまで主とする生産内容に要素を付け加え、効果を付加したり増幅させるものでしかない。
錬金台の上で素材は溶解させることは容易く、時間も然程掛からない。無論、それさえ〈錬金術師〉の天恵を持っていなければ出来ない芸当ではあるのだが、逆に言えば天恵さえ有していれば錬金素材を溶解させるために労力を裂く必要は求められないのだ。
例えばベリーポーションを作成する際に、ヒールベリーの果実に手を加える必要は無い。果皮を剥くことも、果実の中にある固い種を取り除く必要さえ無い。ビーカーに入れて錬金台の上に乗せ、そして〝意識〟すればそれだけで、果実まるごと溶けていくのだから。
「旦那様はベリーポーションをよく作っておられるよな?」
「―――あ、はい」
ちょうどベリーポーションのことを考えていたものだから。まるで内心を言い当てられるかのようにアヤメからそう訊かれて、シグレは僅かに驚く。
「よく作ると言うよりは、他に作れる霊薬が殆ど無いだけですけれどね」
「ああ……。旦那様の天恵では、レベルが上がらぬも無理からぬことであろうよ」
生産職のレベルも戦闘職と同じで、天恵が多く有するほどにレベルアップまでの道程は指数関数的に遠くなる。
自身を成長させる為に他人の100倍もの努力を要するシグレは、現在の生産レベルがまだ「2」とかなり低い値であるにも拘わらず、ベリーポーションを1瓶製作した所で経験値のバーは僅かに0.02%ほどしか増加しない。
朝方は採取に向かい、その後で霊薬を生産することを殆ど欠かすことない習慣としているシグレであっても、その目標は果てしない。されどレベルが上がらないことには作れる霊薬のレシピの種類も増えてはくれないので、結局はベリーポーションを頻繁に作っているというのが正直な所だった。
「来る日も来る日も同じ霊薬ばかり作るというのは、地味に辛かろう……。だが、なればこそ昨日〝杖益会〟の場にてわらわが話した工夫の仕方は、旦那様の苦行に一種の愉楽を与えてくれるかと思うぞ」
「ええ、是非試してみたいと思っています」
別に同じ物ばかりを作るのを、辛いと思ったことはないが。とはいえ確かにアヤメから受けた助言のお陰で当面、霊薬の作成時に試してみたいことは尽きそうにない。
霊薬を作成する際、それに用する素材に事前に手を加える―――さすがに昨日の今日であるため、まだ何も試したりはしていないが。明日からは採取行も再開する予定だし、早速その時からでも色々と試してみたいとは思っていた。
「さて、実は旦那様にもうひとつプレゼントしたいものがある。薬研と共に、こちらも受け取って貰えるかの」
アヤメが差し出してきた物を、シグレはすぐに受け取る。
それは、片手に簡単に持てる程度の無色透明な瓶。そしてその中には渋い紅色をした多数の小さな何かが、瓶の容積の八割ほどを満たしていた。
「……これは?」
「まずは、しかと〝視〟てみるのが宜しかろう」
アヤメが言わんとすることが判るので、彼女の言う通りシグレはその瓶の中に収められている物体の詳細を知ろうと〝意識〟してみる。
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乾燥したヒールベリーの花弁(80個)/品質79
ヒールベリーの花弁を乾燥させたもの。
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(ああ、これって花びらだったのか)
採取の際に花を付けているヒールベリーは何度も見たことがあるが、花冠全体ではなく花びら単体となると案外見た目では判らなくなるものらしい。記憶の中にある花の像よりも、思いの外に細長い花弁が瓶の中に沢山収められているようだ。
「確かに、乾燥させているものであれば、薬研で簡単に崩して細粉状にすることができるでしょうけれど……。これが〈錬金〉の役に立つのですか?」
「……こんなもの、役に立つ筈がない」
シグレが訊ねた疑問の声にアヤメが応えるよりも早く、そう言葉を紡いだのは。今まで無言で同卓していたユーリだった。
「ふむ、どうしてそう思われる?」
「だって、この素材は霊薬の材料に利用できない」
「―――果たして、本当にそうかの?」
素材などのアイテムの詳細は〝意識〟して知ろうとすれば誰でも見ることができる。そして、そのアイテムがどういった生産の材料として利用可能な素材であるのかは、説明文の中に記載されているのが当たり前だった。
けれど、この瓶詰めされたヒールベリーの花には、その記載が無い。花弁を乾燥させたものという当たり前の説明文が添えられているだけで、何かの生産に活用できるなどとは一切書かれていない。
だが―――活用できない物を、アヤメが渡すはずがない。
「答えを直接教わるのでは、つまらぬであろ?」
「ええ、それは勿論」
こんなの、殆ど答えそのものを教えられているようなものだが。
それでも確かに、せめて確認する作業ぐらいは自分の手で行いたいと思った。
「……もしも、これが本当に使えるのなら……」
半信半疑と言った様子で、けれどユーリは小さな声でそう呟く。彼女が今まさに思っている気持ちが、シグレにも正しく理解出来る思いがした。
もし、この素材が本当に活用可能なのであれば。今まで自分たちが霊薬に利用可能と信じていた、限られた素材の中でだけ模索していたものは何だったのか。採取行の中で特定の植物だけを選び、そして特定の部位だけを摘み取っていた自分たちは何だったのか。
もしかすると自分もユーリも、道程の中で採取できるあらゆる素材について改めて再確認する所から、今一度努力を始め直さなければならないのかもしれなかった。
お読み下さり、ありがとうございました。
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