113. 宿を訪ねて
「一応、服とか色々見繕って来たけれど?」
「すみません、ありがとうございます」
シグレ達が滞在している宿の、彼が利用している三人部屋。
部屋のドアを隣のカグヤが二度ノックしたあと、さして間を置かずに部屋に迎え入れてくれたシグレに。カエデが買い物袋を差し出すと、シグレはすぐに頭を下げて礼の言葉を口にした。
布製の買い物袋の中には、ここに来る前にカグヤと共に立ち寄った服飾店で見繕った、幾つかの普段着や肌着などが詰められている。今朝方、地下探索(カグヤは採取行も)を今日も休みにしたいとシグレから連絡を受けた折に、一緒に彼から頼まれたものだった。
「シグレさんに言われた通り、私の背に合わせたサイズの服を適当に買い求めましたが……それで大丈夫なのですか?」
「ええ、大丈夫だと思います。自分の見立てですと、彼女もカグヤと大体同じぐらいの身長だと思いましたので、。―――代金のほうは、幾らになりましたか?」
「あ、領収書を貰ってきてあるわよ」
そう告げてから、カエデはシグレの方へ一枚の用紙を差し出す。
とはいえ、こちらの世界には現代社会で言ういわゆる〝領収書〟という仕組みが存在しないので、単に購入する代金などを一枚の用紙に纏めて貰っただけのものだったりもするが。シグレの性格的に、お金の借りをすぐに清算したがることは判っていたので、予め購入する際にカエデのほうから店員さんに一言お願いして、購入品と金額の仔細を紙に纏めて貰っておいたのだ。
渡した用紙に記載されている内容を元に、すぐに合計金額に充当するだけのgitaが、シグレから自分の〈インベントリ〉の中へと移されたことがカエデには判った。
「えっと、すみませんが……こちらは隣の部屋に持って行って頂けますか?」
いま受け取ったばかりの買い物袋を突っ返すように差し出しながら、シグレはカエデ達にそう告げる。
「隣? いいけれど、隣ってナナキちゃん達の部屋?」
「はい。そちらに、ベル―――昨日からの子も居ますので」
「ん、了解」
そういうことであれば、確かに私達で届けた方が良いだろう。
衣服や下着を着替える際にシグレが居たのでは、おそらくはシグレが購入したというベルちゃんという少女も、着替えにくいだろうから。
シグレの部屋を、どこかうっとりと陶酔した表情で見回しているカグヤの腕を引っ張りながら。シグレの言う通り、カエデは隣の部屋を訪ねてみることにした。
◇
シグレが、スコーネさんと共に参加した何かのイベントで〝奴隷を購入した〟のだと聞いたのは、今朝方に本人から寄越された念話でのこと。
奴隷を購入した、などと聞かされれば。通常であればカエデは、その人に対して相当な軽蔑の感情を持たずには居られなかっただろう。
けれど―――他でもないシグレから聞かされたとなれば話は別で。
こと〈イヴェリナ〉の世界だけに限れば、仲間内の他の誰よりもシグレと付き合いの長いカエデは、充分に彼の性格というものを熟知しているだけに。決して彼が私欲や、あるいは他の何か低劣な目的や感情から〝奴隷〟を購ったのではないことは、すぐに理解できた。
(……たぶん、見過ごせなかったんだろうな)
話を聞いた後、まずカエデはそう思った。
『私に、何か手伝えることがあるなら、遠慮無く言って?』
だから、奴隷を買ったことを告げたシグレを責める言葉など考えもせず、カエデが最初に返した念話の言葉がそれだった。
おそらくは、単純な優しさから―――。看過できなかった奴隷の少女を購ったのであろうシグレに、何か少しでも手伝えることがあるのならば、自分もその一助となりたい。
カエデの返した言葉に、念話の先でシグレは僅かに驚いた様子を窺わせたあと。彼が〝ベル〟と名付けた奴隷の子の為に、衣服を調達してきて欲しいとシグレは求めたのだ。
「わざわざ私の為に……ありがとうございます」
隣の部屋でナナキちゃんとシノちゃんに紹介された、柔らかそうなウェーブの掛かった桃色の髪を湛えた少女―――ベルちゃんは、首に金属製の重たそうな首輪を、そして身体には肌の露出部分が多すぎていかにも扇情的なドレスを身につけていた。
背の高さは、確かにシグレの言う通りカグヤと同じぐらいだろうか。もしかするとベルちゃんの方が僅かに背が高いかもしれないけれど、たぶん殆ど誤差みたいなものなので、カグヤに合わせたサイズで購入してきた衣類は問題無く着こなすことができるだろう。
「お礼なら私やカグヤによりも、シグレに言ってね。私達はシグレに頼まれて買ってきただけだし、服の代金もさっき、ちゃんとシグレから貰っちゃってるからさ」
「それでも、大変に有難く、助かりました。シグレは服を買いに行こうと朝から言ってくれたんですが……この格好の儘で街をうろつくのは、色々と人目に付きそうですから」
「あはは……。それは確かに、そうだろうねえ」
シグレが真っ先に『服』に関して、カエデに助力を求めたのも頷ける。
おそらくは奴隷として売られる際の格好として、今着ている服を宛がわれていたのだろうけれど。ベルちゃんにこんな格好の儘で居させるのは、さぞシグレにとって容認しがたいものであったのだろうから。
「カエデさんやカグヤさんにも、もっと砕けた話し方していいと思いますよ? お二人とも、そのほうが多分喜ぶと思いますから」
「そう、ですか……?」
ナナキちゃんに言われて、ベルちゃんがカエデ達の意を図ろうとおずおずとこちらを見つめてくる。カエデもカグヤも、二人ともその視線にすぐに頷くことで応えた。
「うん。もっと気安い仲間や友達として、ベルちゃんと仲良くなりたいしね」
「はい! 私も、ベルさんと仲良くなりたいです!」
「……ありがとうございます」
破顔するように、優しい笑みを零した少女の表情を見て。
シグレが大金を投じて彼女を救おうとしたように。私もまた彼女の力になってあげなければいけないな、とカエデは気持ちを確かめるのだった。
それから暫く、部屋の借り主であるナナキちゃんやシノちゃん、それから一言も話さないながらも実は最初から部屋に居たユーリちゃんを交え、女の子六人かしましく他愛もない話に耽っていると。
ふと、ベルちゃんから全員にひとつの相談を持ちかけられる。
「どの天恵を取得するかについては、未だに悩んでいる部分が多くて……」
天恵の振り直しは〝羽持ち〟ならではの特典であるものの。正式に〝羽持ち〟であるシグレの奴隷となったベルちゃんもまた同じ特典に与れることは、ユーリちゃんの例があるからカエデも既に知っていることだった。
フレンドとしての登録は先程済ませているから、ベルちゃんのステータスをカエデが〝意識〟して確かめてみると。そこに記載されている天恵は『狂戦士Lv.1』のひとつだけで、生産職に至ってはひとつも天恵なし。これならレベル初期化のペナルティも全く痛くないし、確かにすぐにでも天恵を振り直してしまった方が良いだろう。
「これだけは取得したい、って天恵はどれかあったりする?」
テーブルに広げられた天恵の一覧が記載された用紙は、以前天恵の振り直しを行ったユーリが、その時の記憶を頼りに再現したものらしい。
これだけ大量に有る天恵のリストをあっさりと再現してしまえる辺り、何気にユーリちゃんの記憶力はかなり凄いような気がする。
「そうですね……。シグレの生産の手伝いがしたいので〝秘術師〟は取ろうと思っています。《固定化》のスペルが使えれば、それだけで多少は力になれるでしょうから」
「ふむふむ。それなら、後衛に立つ術師系の天恵で纏めちゃう?」
「いえ、できれば逆に前衛向きの天恵を中心に選びたいと思っています。シグレの前に立って戦えるように」
何の衒いもなく、当然のことのようにベルちゃんはそう告げる。
シグレに買われたのは昨日の晩のことだという話だけれど。躊躇いのない言葉には、彼女なりの精一杯の誠意と信頼が籠められているように思えた。
「そうだねえ―――シグレを護りたいなら〈騎士〉はいいかも。《庇護》っていう仲間が受けたダメージを肩代わりできるスキルがあって、継続して使い続ければシグレのことを確実に守ることができるから」
「……なるほど。それは、良いですね」
「普段は私がシグレに《庇護》を掛けてるし、ナナキちゃんも〈騎士〉だから同じことができるけれどね。でも、私やナナキちゃんが常にシグレと同行するとは限らないから」
魔術師としてのシグレの弱点は唯一、耐久力に致命的な難があることだけ。
これは彼の傍に〈騎士〉がただひとり伴う、それだけで簡単に対策できることだった。《庇護》のスキルは持続時間を斬らさずに定期的に効果時間を更新することさえ忘れなければ、僅かなダメージさえ漏らさずに相手を護りきることができる。
そして―――この、僅かひとつの弱点さえ他の味方が補ってさえあげるだけで。シグレは他の一般的な〝魔術師〟とは異なり、ただひとりだけで戦況を変えてしまうほどに巧みに魔術を使いこなしてくれる。
対峙する魔物の数が多ければ、眠りや捕縛などのスペルでその脅威を軽減し。武器の威力を上げたり炎を宿らせたりして味方の攻撃力を上げ、吸収効果の付与や回復呪文で味方を護る。更には詠唱の無い呪文を連発することで充分な火力ともなり、ノックバック効果を持つ攻撃呪文で敵の戦列を乱し―――こちらが魔物を抑え込む事に成功すれば、直ちに長い詠唱のスペルを完成させて、大火力の猛威で一気に魔物を殲滅する。
冒険者ギルドで出会う魔術師などと組んだ経験はカエデにも相応にあるが、普通〝魔術師〟という人はそれだけ多くの仕事を求められるものではない。あくまでも瞬間的な火力に勝るのが魔術師の最大の利点であり、戦闘の開始直後に何度かスペルを放つだけで、こちらが優勢に転じればMPを温存して戦闘を前衛に任せるような人が普通だった。
〈騎士〉の天恵を持つ人が同行すればそれだけで、シグレはレベルの低さなどものともせずに無類の強さを誇るのだ。カエデかナナキちゃんのどちらかが常にシグレと同行出来るとは限らないけれど、首輪のせいでベルちゃんは今後常にシグレの傍に居続けることになるらしいし。そんな彼女が《庇護》のスキルを使用できれば、何よりもシグレにとっての力となるだろう。
「そう……ですね。では〈騎士〉は是非取ってみようと思います。他には元々持っていた天恵の〈狂戦士〉なども、折角ですので取ってみようかと」
「おおー。私達はちょっと防御重視気味な所があったし、ベルちゃんが火力が高い前衛として参加してくれるなら嬉しいかも」
カエデは言うまでも無く味方を護る盾の役割だし、ユウジの〈重戦士〉もカウンターの威力こそ高いとはいえ、本来は防御重視の前衛職だ。ナナキちゃんはバランス良く色々な天恵を取っているものの、手数や補助重視で攻撃能力を重視しているわけじゃないし、シノちゃんに至っては戦闘中に一体何をしているのかカエデにも良く判っていない。
現在のパーティの火力は、シグレとユーリちゃんの二人の術師にかなり依存している部分が大きい。本当は威力の高い攻撃スキルを多く揃える〈侍〉であるカグヤが同行してくれれば有難いのだけれど、危険性の高い〈迷宮地〉などへ常に〝死〟の危険が付き纏う彼女を同行させることをシグレは良しとしないし、勿論カエデだってそれは嫌なのだ。
(―――もっとも、それはもうすぐ解決するだろうけれど)
私達が毎日のように地下迷宮を探索している最大の目的。それは、報奨品のひとつである〝連繋の指輪〟であり、このアイテムがあれば羽持ちではないカグヤを〝死〟から護ることができる。
必要貢献度は4,000と膨大だった筈だけれど、シグレが言うにはもう残り僅かという所まで来ているらしい。最近はシグレがソロで地下迷宮へ潜ったりしていることにも、カエデは気付いていたりするわけだけれど。彼が貢献度稼ぎの追い込みを掛けているのも、一日も早くその指輪をカグヤに渡したい一心からなのだろう。
〝死〟のリスクさえ取り払われれば、カグヤは私達のパーティの中で最大火力として、すぐにでも活躍してくれることだろうけれど。カグヤとは別のもうひとつの鋭い刃を、ベルちゃんが担ってくれるというのなら何とも心強い。
「〈狂戦士〉ということは、近接武器なら何でも扱うことができますね」
「そうなのですか?」
「はい。ですので、私がベルさんに刀を打って差し上げることもできますし……。あるいは〈迷宮地〉などから出土した武器で誰も装備していないものがあれば、ベルさんに回して上げるのも良いかもしれませんね」
ベルちゃんと会話している、隣のカグヤを横目に見ながら。
正直―――羨ましいな、とカエデは思ったりもする。
シグレがかなりの時間と労力を費やして手に入れた指輪。
それを彼女は受け取ることができ、揃いの指輪を嵌めることができるのだから。
お読み下さり、ありがとうございました。
どうにも間隔が開きがちで、申し訳ありません。
-
文字数(空白・改行含む):5388字
文字数(空白・改行含まない):5201字
行数:133
400字詰め原稿用紙:約14枚




