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(改稿前版)リバーステイル・ロマネスク  作者: 旅籠文楽
6章 - 《遠き世界のエトランゼ》
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112. 異邦人

「お帰りなさいませ、シグレ様」


 フラットリー霊薬店の前でアヤメを下ろした後。御者のマックさんにお願いして滞在している宿の前でベルと共に下ろして頂くと、そこには既に志乃の姿があった。

 街灯に照らされた街の陰に映える、白と黒のコントラスト。もう時刻は23時を回っているというのに、いつものメイド服で平然と待っていた彼女の姿を見て、シグレは驚かされる。


「わざわざ出迎えてくれなくても……いつから待っていたんです?」

「大丈夫です、数分程度しか待っていませんので。たまたまシグレ様の位置情報が〈陽都ホミス〉に切り替わるのに気付きましたので、出迎えさせて頂いたに過ぎませんので」

「―――ああ、なるほど」


 詳細な位置までは判らないが、フレンドに登録していれば相手が何処のエリアに現在居るかについては自由に閲覧することができる。

 シグレが馬車で移動していることは志乃も把握している筈だから、シグレが都市内に入った瞬間を確認しているのであれば、確かに宿に到着する時間はある程度予想できるのかもしれない。


「部屋の方の話は、女将さんにしておいてくれた?」

「はい。シグレ様から連絡を頂いた後、ヘルサ様に話を通しておきました。ナナキ様と私は三人部屋で借り直しましたので、シグレ様が購われた奴隷の方は私達の部屋でお預かりすることが可能です」

「ん、ありがとう。色々と面倒を掛けてごめんね」

「とんでもありません。シグレ様のメイドとして、当然の務めでございます」


 シグレの部屋では現在ユーリと1つずつベッドを使用しており、あと1つは使い魔である黒鉄と八咫に宛がっているため、ベッドは既に埋まっている状態である。

 シグレ達が滞在している宿には最も広いもので三人部屋までしか存在しない為、ベルを泊まらせるために四人用の部屋を取り直す―――といったことも出来はしない。しかし、何かと気苦労の多い日を過ごしたであろうベルを個室へ押しやるのも忍びなく、とりあえず今日の所は同じ女性同士であり年齢も近いであろう志乃とナナキと共に過ごして貰うのが良いと考えたのである。

 二人で部屋を利用していた志乃とナナキに、三人部屋を取り直すよう求めるのは申し訳なくもあったが。馬車の中でシグレが相談した所、志乃はこれをすぐに快諾してくれた。


『シグレ様が不遇の他人を看過できない方であることは、私は誰よりも良く存じておりますから』


 奴隷として売られていた少女を購ったことをシグレが念話で伝えた時、志乃は念話の先で驚いた様子さえ見せずに、そう答えてみせた。

 シグレからしてみれば、自分のしたことは責められることでこそあれ、好意的に解釈されるようなことでは無いと思うのだが。……志乃は普段からシグレことを過剰に評価したがる嫌いがあるから、今回も彼女の中でそのように解釈された結果だろうか。


「……あなた、自分は平凡な冒険者だって、馬車の中で言ってたわよね?」


 シグレの斜め後ろから、少し責めるような口調でベルがそう告げる。


「ええ、言いましたね」

「どこの世界に、自分に仕えるメイドを持っている〝平凡な冒険者〟が居るって言うのよ……」

「それは……」


 妹であるナナキの世話役として、給金を払い雇っている現実世界は別として。少なくともこちらの世界では、シグレは志乃の雇い主というわけではないのだが。

 ……けれど。志乃のことをベルに上手く説明するための言葉が、シグレには全く思いつかなかった。




    ◇




 ベルが部屋から出掛けたと志乃から念話で連絡が来たのは、シグレが既にベッドの中へと身を委ねていた、深夜の0時を僅かに回った頃のことだった。

 少し夜風に当たってくる、と。数分前にベルは志乃にそう告げてから部屋を出たらしい。志乃の隣のベッドへと、ベルも一度は身体を潜り込ませていたらしいが―――おそらく眠れなかったのだろう、と志乃は語った。

 それ自体は別に、何らおかしいことではない。寧ろ、今日という一日に凝縮された彼女の境遇のことを思えば、心の中に蟠るものがあり、あるいは不安となって蝕むものがあり、眠れないというのも自然なことであるように思えた。

 形としては見えなくとも、ベルの首輪にはシグレから五十メートルという限られた距離しか離れられない鎖が明確な枷となっている。部屋から出掛けたとはいっても近場だろうし、治安の良いこの街では然程心配するようなことも無いだろう。

 また、仮に彼女に何かあったとしてもベルはシグレの傍で復活することができるのだから、そもそも心配など全く必要無いことかもしれない。


(―――それに、ベルにだって一人になりたい時間もあるだろう)


 シグレは何度か自分にそう言い聞かせてはみるが。

 しかし、部屋を出たベルのことを心配に思わずにはいられない自身の心を、宥められるだけの充分な理由となり得ないことは、何より自分自身で一番良く判ることでもあった。

 0時を回ってしまった為に、〝ゲーム〟としての制約から既に少なからず重たくなっている瞼を擦りながら、シグレは宿の階段を降りる。宿はどこでも基本的に24時間営業であるため、酒場と飲食スペースを兼ねた一階では何人かの利用客と共に、ガドムさんがカウンターに立って対応をしている様子が見えた。

 その光景を脇目に見ながら、シグレは宿の外へと出る。




 馬車に乗ってばかりの道中には意識しても居なかったが、今夜は随分と中天を泳ぐ満月が綺麗な夜であったらしい。

 夏も終わりが近いとはいえ、まだまだ残暑の厳しさを湛えた微かな夜風の中に身を委ねながら、頼りない街灯ばかりが点在する薄暗い街中へと目を凝らしながら眺めてみると。

 そこには月光を受けて煌びやかに舞う桃色の髪を湛えた、少女の姿があった。


「ベル」


 自らが付けた、彼女の名前を口にする。

 五十メートルという制限があるとはいえ、宿からもう少しぐらいは離れた場所まで行っているかと考えていたものだから。シグレは暗闇に目が慣れ次第、この場所から〈千里眼〉を飛ばしてベルのことを捜索するつもりでいたのだけれど。

 まさか宿を出た先、すぐ目の前で彼女を見つけられるとは思わなかった。


「―――大丈夫よ、逃げたりしないわ」


 シグレの掛けた言葉に気付いて、僅かに逡巡してみせたあと。

 ベルはそう言葉を返してきた。


「逃がせるものなら、逃がしてあげたいんですけどね……」


 稚い少女の首に嵌められた、曇った鈍色の重苦しい首枷。

 彼女を解放してあげたいと。シグレは強くそう思うが、一種の呪具としての能力を有する〝累奴の首輪〟は、着脱することも破壊することも容易で無いことは、累奴の管理官の方から何度も念押しされた事項でもある。


「……私ね、本当はもう少し宿から離れた場所まで、歩こうと思ったの」

「でも、そうしなかったのですね?」

「しなかったのではなく、出来なかったのよ。宿から数歩外へ出て周囲を見渡してみれば―――そこには、私の全く知らない世界が広がっていて。並び立つ家々の形も私が知らない形をしているし、地面は石畳に覆われていて土肌だって見えはしない。奴隷として売られるために……本当に、全然何も判らないような、遠くの世界に運ばれちゃったんだなって、そう痛感したら……」


 震える手が、シグレの手を取る。

 その手は随分と小さく、彼女の幼さを改めて意識させた。


「……私、変なことを言っているわよね。罪人として記憶を消されて……元居た土地の事も、家族のことも、友人のことも、何一つ覚えていない筈なのに。なのに……いま、見知らぬ土地に居ることを、怖いと思うだなんて……」

「何もおかしくありませんよ。当然のことです」


 例え記憶を消されても、失わないものもあるかもしれない。

 この世界に〝記憶を消す〟魔法や呪いというのが実在するとしても。長い年月を経て頭や身体の中に染みついた、その人の中にある総ての〝記憶〟というものを、簡単に消せるとは―――思えない。


「本当は、ちょっと夜風に当たったら、宿にもちゃんと戻るつもりだったの。シグレは私にとても優しくしてくれたし、私もあなたに迷惑を掛けたく無かったから。だけど―――私、情けないわよね。宿を出たら……足が竦んで、動けなくなってしまったわ……」

「……誰だって、不慣れな土地では、不安や畏怖を感じるものです」


 最初は手だけが触れさせていたベルは、やがて縋り付くようにシグレの腕を取り始めていた。彼女の肩が、身体が震えているのが、月明かりしかない薄暗い世界の中でも、シグレにははっきりと判る。


「異邦人の私には、縋れる寄方(よるべ)も何も有りはしない……。でも私、これから先ずっと、そういう場所で生きて行かなきゃいけないのね」

「ベルが異邦人だとするなら、自分もまた似たようなものですよ」


 少なくとも、数ヶ月前―――初めてこの〈イヴェリナ〉に来た時点では。シグレにだって、こちらの世界には何一つ見知っている土地も、知り合いも居なかったのだから。

 けれど今は、シグレにはこちらの世界で知り合った沢山の友人が、仲間が居る。最初に狩りの仕方や素材の扱いについて教えてくれたカエデから始まり、カグヤやユウジ、ユーリやアヤメ。

 ―――そして勿論。ベルのこともまた、こちらの世界での大切な仲間だ。


「縋れる相手が必要でしたら、自分に縋って下さい。……生憎と、それほど立派な人間ではありませんので、役者として不足かもしれませんが」

「シグレ……」

「……ベルが幸せに生きられるよう、自分に出来る限りのことはしますから」


 人の〝縁〟というものを、シグレは信じている。

 記憶を失っている中に、おそらく様々な不幸を経験したであろう彼女が。流れ着いた遠国の果てに、こうして自分の許へと辿り着いてくれたのは、きっと彼女の為に自分が何かしてあげられることが有るからではないだろうか。―――そのように、シグレは信じていた。


「……ふふっ」


 シグレの言葉に、暫し呆気に取られたように言葉を失い。まじまじと、ただこちらを見つめ返すようにしていたベルは。

 やがてその表情を僅かに緩めて、吹き出すように笑みを零してみせた。


「〝幸せにします〟なんて。―――何だか、プロポーズされてしまったみたい」

「そ、それは……」


 確かに、今更ながら思い返してみれば、随分と気恥ずかしい台詞を口にしてしまったような気がする。


「―――私は、あなたのものよ。シグレ」


 少し小さな声で。けれど、明瞭に。

 そう言い切ってみせるベルの言葉が、シグレの心を打つ。


「そんな風に、考えなくてもいいのですよ?」

「そういう風に考えさせて頂戴な。……奴隷に身を落とすだなんて、最初は堪え難い苦痛であることのようにばかり思っていたけれど。シグレのような、良い主人のものとして生きるなら、それも悪くないかなって。そんな風に……ようやく、少しは思えているのよ」


 穏やかに紡がれる言葉は、夜の静けさに溶けていくほどに儚くはあったが。

 ベルの偽りない本心そのままの言葉なのだと、シグレにはすぐに理解できた。


「自分の為に生きたいという思いは、生憎ともう持てそうには無いわ」

「……そうですか」

「だから私は、貴方の為に生きる」


 そう告げる彼女の意志が、どのように在ったのか。それは、彼女から率直にそう言葉をぶつけられたシグレ自身にさえ、判らないことであるように思えた。

 ただ―――誰かに縋って生きることと、誰かの為に生きるということは、本質的には案外近しいものであるのかもしれないと。そのように思ったりもする。

 艱難に耐えた果てに流れ着いた場所で、挫けずに自分の幸せを希求した生き様を続けるというのは。自然なことであると口にするのは簡単でも、存外に難しいことかもしれない。自分の為に生きるのだと口にするベルの言葉は少々重いものではあったが―――累奴という与えられた役割に準ずるように、他者の為に生きることの方が彼女にとって楽であるようなら、縋ってくれるそのこと自体は純粋に嬉しいと思えた。

 ベルが自分の為に在ると言ってくれるのであれば。自分はそれに応えるように、ベルの為に在ろう。それならきっと釣り合いが取れていて丁度良い。




 この世界でもうひとつの生き方を始めたシグレも、記憶を失って新たな生き方を歩み始めるベルも、どちらも新天の世界で新たに人生を始めた〝異邦人〟であることには変わらない。

 彼女の不遇な境遇に自分を重ねようというのは、ともすれば烏滸がましいことかもしれないが。それでも自分の中に、離れることが許されず共に生きることが宿命付けられた彼女の傍で、安らげる居場所を作りたい気持ちがあることもまた、正直なシグレの気持ちでもあった。


(〝異邦人〟か―――)


 単語そのものは、どちらかというと排他的でネガティブな印象を与える言葉であるようにも思うけれど。新たな居場所を築くために努力する者という意味では、それほど悪い言葉でもないような気がする。

 モルクさんから幾度となく責付かれながらも、未だに決めかねていた店の名前ではあるが。ベルと共に生きる為の新たな居場所を作り始めるための第一歩という意味で、新しく始めるその店に名を冠してみるのも良いかも知れない。




                - 6章《遠き世界のエトランゼ》了


 

お読み下さり、ありがとうございました。

先月は結局11回しか投稿出来ませんでした。すみません。


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文字数(空白・改行含む):5488字

文字数(空白・改行含まない):5280字

行数:149

400字詰め原稿用紙:約14枚

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