111. ベル
『この馬車って、凄い速さで走るのね……』
少女―――ベルの口から、感心半分呆れ半分といった様子で漏らされた念話の言葉に、シグレも内心で頷く。
〈フェロン〉の都市内を抜けて林道へ出た馬車は、それまでの穏やかな乗り心地が嘘であるかのように、速度を上げて走り出していた。当初こそ馬車の中で普通に言葉を交わし合っていた三人ではあったが、今は車内の騒音が酷くなり、耳栓を付けたために念話でなければ会話は成立しなくなっている。
窓を閉め切っているために外の景色を見ることはできないものの、車輪を走らせる騒音と馬車の揺れは耳栓をしていてなお届いてくる程であるため、見確かめられずともその速さについては体感として伝わってくるものがあった。
『やっぱり、窓を開けるわけにはいかないのかしら』
『危ないので、やめた方が良いそうですよ』
『そうよね……。流れる景色が見えないのは、少し残念ね』
記憶を失うと共に、自身の名前までもを失っている少女。果てに辿り着いた自分の境遇がそれほど不幸ではないと割り切ったのか、今は彼女も幾許かの明るさを取り戻してくれているように見えた。
その少女に、シグレは〝ベル〟と名前を付けた。最初は日本的な名前を幾つか候補に考えたのだが、少女の桃色の髪に、和風な名前はどうしても似合わない。かといって洋風の名前といって思いつくものもシグレには無く―――最終的には、少女の声が澄み切った鈴の音のように綺麗であるという理由のみから連想する形で、そのように名前を付けた。
良い名前であるのか全く自信は無かったが、どうやら当の本人は気に入ってくれたようでシグレやアヤメが彼女の名を口にする度に、どこか擽ったそうに目を細めてみせる。名前を決めるという行為が未だに苦手なシグレではあるが、苦心の上で出した名前も、気に入って貰えたのであれば嬉しかった。
『少し、これからの真面目な話をしても構いませんか』
シグレがそう問うと、ベルはすぐに頷いてくれた。
『こちらこそ、お願いしたいわ。シグレの人柄は何となく理解出来たし、当初覚悟していたよりもずっと有難い境遇に恵まれたことは判ったけれど。でも、これから先。私が一体どうして生きていけば良いのか、全く判らないから』
『基本的には、ベルの有りたいように生きて下さるのが一番良いとは思っていますが。ただ……ベルに嵌められたその首輪は、かなり厄介な物であるようです』
〝累奴の首輪〟は誰かが一度主人の登録を済ませたが最後、その主人から累奴自身が離れることを許さない。飼い犬などに付ける首輪とは異なり行動範囲を制限するリード線こそ無いものの、主人から距離を離れすぎればそれだけで、累奴に対して容赦の無い死を与える。
つまりシグレがの主人として登録した以上、ベルはもう二度とシグレから離れることはできないのだ。幸い、制限される範囲自体はおよそ五十メートル超ぐらいまでなら大丈夫と、かなり広めではあるのだが。それでも今後は、シグレが出掛ける際には必ずベルも同行する必要が生じるだろう。
『自分は冒険者をしています。ですので魔物が多数生息するような、危険な場所へ出掛ける機会も頻繁にあります』
『……冒険者? 店を開く予定がある、と言っていなかったかしら?』
『くくっ。旦那様は冒険者でもあり、職人でもあるからのう』
首を傾げるベルを見て、シグレの隣でアヤメが可笑しそうに肩を震わせる。
『一応、冒険者が本業……ですね。他に霊薬の生産などもやっているのですが、色々事情がありまして、もう少ししたら店を開くことになってしまいました』
『ふうん? 何だか変わってるのねえ……。すると私は、シグレと一緒に危険な場所へもついて行かなきゃいけないことになるわね?』
『申し訳ありませんが、そうなります』
彼女の自由を、自分に合わせて制限しなければならなくなるのだと、事前に判っていれば良いのだが。累奴に関する知識がゼロだったシグレが、そのことを知ったのは彼女を落札した後のことだった。
……いや。知っていても結局は、ベルのことを落札したかもしれないが。
『判ったわ。私もシグレと一緒に、戦えばいいのね?』
『積極的に戦わなくても結構ですが……。同行して頂く以上は、自分の身を守れる装備と技術は持っていた方が良いと思います』
―――そういえば、ベルにはどのような天恵があるのだろう。
不意にそう思い、シグレが彼女のステータスを〝意識〟してみると。
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ベル/吸血種(累奴)
戦闘職Lv.1:狂戦士
生産職Lv.0:-
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そこには、彼女の名としてシグレが付けた名前がしっかり刻まれると共に、何一つ成長されていない天恵が示された。しかも生産職の天恵に至っては、何一つ有していないようだ。
というか、唯一の天恵が〝狂戦士〟って……。それがどんな天恵であるのか詳しくは知らないが、その単語から受ける印象というのは、少女の持つ幼さに見るものとは全く逆のものであるように思えた。
『……私、魔物と戦った経験なんて無いけれど、それでも構わないかしら?』
『問題有りません。これから伸ばしていけば良いと思います』
寧ろ、未成長の天恵はある意味で好都合でもある。
天恵の再設定を行うのに、全く障害が無い状態とも言えるからだ。
『自分は〝羽持ち〟の冒険者なのですが―――。ベルは〝羽持ち〟について、既に知っていたりしますか?』
『ええ、少しだけ聞いたことがあるわ。確か、命を失うことが無い……とか?』
累奴となった時に彼女は一度記憶を消されているという話なのだが、そういった類の記憶は残っているのか。
『では、これから〝羽持ち〟について詳しく説明しますが……。あまり一般には知られていないこともあるようなので、濫りに他言はしないで頂けると助かります。アヤメにもお願いしたいのですが、構いませんか?』
『構わぬよ。旦那様が心に秘め置けというなら、従うのは吝かでない』
『すみません、助かります』
隣のアヤメに軽く頭を下げてから、シグレは二人に自分が知る限りの〝羽持ち〟の情報を伝えていく。
ベルの告げた〝死ぬことがない〟という事実の説明から始まり、羽持ちだけが有する〝ストレージ〟のことについて。戦闘職と生産職の天恵を自由に選ぶことができることや、両方のレベルが1に戻っても良いなら天恵の再設定も可能であること。
更には、これを話すかどうかは少し迷ったのだけれど―――既にカグヤ達には話してしまっている通り、自分たちがここ〈イヴェリナ〉とは別に、もうひとつ生きる世界を持っていることまでもを惜しみなく伝えた。
『に、俄には信じられぬ……』
シグレの告げた内容には、さすがにアヤメも頭を抱えてみせる。
こことは別の世界でも生きています―――なんてことを唐突に告げられたとしても、容易に信じられないのは当然のことだろう。
『とはいえ、その辺のことはさして重要ではありませんし、信じなくても忘れて頂いても結構です。いま知っておいて頂きたいのは、〝羽持ち〟が死んでしまっても復活できることと、天恵の再設定ができることのほうでして』
『……ふむ?』
『この2点については―――〝羽持ち〟の財産と見做される方にも適用されるそうなのです』
財産、という言い方をするのには些か抵抗があったが。以前シグレにその辺りの仔細を説明してくれたライズさんがそう言っていたのだから、言葉を変えずそのまま伝える方が適切だろう。
『財産……。つまり、私のことね』
しみじみと漏らされたベルの呟きに、シグレも躊躇いがちに頷く。
首輪を嵌められた累奴は、主人として登録された相手の命に逆らうことができない。そして自らの命令に従属する相手というのは〝財産〟であるのと何も変わらない。―――以前、司教のライズさんはそのようにシグレに告げた。
『自分と同じで、もうベルは〝死ぬ〟ことが有りません。より正確に言えば、死んでしまっても5分後ぐらいには復活することができるようになります』
『死ぬことがない、か……。確かにそれなら、未経験でも実戦の中でいちから戦闘技術を覚えてみるのも良いかもしれないわね』
『また、先程言いました通り、今後はベルも天恵を自由に選ぶことができます。矢面に出て武器を振るう天恵でも、後ろからスペルを行使する天恵でも、好きなものを自由に取得することができます。戦いが苦手でしたら、後者の方をお勧めしますが―――』
実際の戦闘に於いては、後衛には後衛なりの大変さというものがあることを、無論シグレも承知してはいるのだが。直接魔物の目前に対峙し、その迫力と威容に向き合わなければならない前衛の方が、慣れないうちはずっと大変なことのように思う。
シグレの提案に、ベルは暫し考えるような素振りを見せてから。やがて、ひとつの疑問をシグレに向けて口にした。
『たぶん、シグレが戦闘の中で命を落とした場合には、私も遅れて死ぬことになるわよね?』
『……そうなると思います』
死んでも僅か5分で復活することが可能であっても、その復活位置については選ぶことができない。街を出た先で命を落とせば最後に通過した門の外で復活することになるし、〈ペルテバル地下宮殿〉の場合にはそこに進入する門の手前、衛兵の方々が詰めている部屋内で復活する。
そしてシグレがそうした位置で復活を果たせば、仮にシグレとは違いベルが戦闘の中で命を落とさずに済んだとしても、ベルとシグレとの距離は五十メートルどころではない距離にまで離されることになる。おそらく〝累奴の首輪〟は、すぐにでもベルに対して無慈悲な死を与えるだろう。
『だったら、シグレの前に立って戦える天恵がいいわ。シグレが死ぬような状況の時には、私が既に死んでいるぐらいのほうがいい。……首輪に絞められて窒息死するぐらいなら、魔物との戦闘の中で殺される方が苦しまずに済みそうだもの』
『それは……そうかもしれませんね』
〝累奴の首輪〟が与える死とは、即ち装着者を縊り殺すという事である。
現実世界のそれに比べれば随分と痛覚がセーブされた世界とは言え、縊首による苦しみの中で命を落とすというのは間違い無く辛いものであるだろう。それに比べれば、戦闘の中で果てることのほうがまだ良いというのは頷ける。
『具体的に決めて頂くのは、大聖堂にて選択可能な天恵のリストを頂戴してからでも構いませんが。戦闘に参加なさるのでしたら、自分がどういった役回りを担いたいかについてだけは、少し考えておいて頂く方が良いかも知れませんね』
『わかったわ。たぶん、基本的にはシグレの前で戦えるような天恵にすると思う。……負担を増やすようで申し訳ないけれど、武具などについてはシグレに強請っても構わないのかしら?』
『それは勿論です。買うのでしたら代金は自分が持ちますし、あるいは自分が所有しているアイテムの中に何か使えそうなものがあるかもしれません』
〈ペルテバル地下宮殿〉内で獲得されたアイテムは、基本的にはパーティ内の欲しい人に譲り合う形で分配しているが。誰も必要としないアイテムというのも相当数を発見する機会があるし、そうした物品の中には最終的にシグレへと所有権が巡ってきたものも少なからずある。
誰にも希望されなかったアイテムとはいえ〈迷宮地〉の宝箱から出土したそれらのアイテムは、基本的には地上で普通に購うことができる一般品よりも性能が優れていたり、何らかのオプション効果が付与されている点で有用性が高い。レベルが1からの参加になるとはいえ、それらのアイテムを活用できれば幾分かベルも有利に戦うことができるだろう。
『戦闘だけでなく、生産職の天恵も自由に選べますが―――』
『そっちはシグレと同じにするわ。……あなたが生産系の施設を利用する時には、私も同行することになるでしょうし。シグレの横で何もできずに見ているだけというのは、やっぱり退屈だろうしね』
『……なるほど』
それは、確かにそうかもしれない。
自分とユーリ、そして妹のナナキ。新しく店を始めるに当たり、三人で慌てて霊薬などの準備を進めている現状の中で。新たにベルも〈錬金術師〉の天恵を得てそれに参加してくれるのであれば、シグレとしても有難い限りであった。
お読み下さり、ありがとうございました。
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