109. 累奴
仕事が立て込んでおり、前話から1週間も空けてしまいました。
申し訳ありません。
タタミ数畳ほどはあろうかという巨大な陶板画に30万という高額が付けられ、会場を大いに沸き立たせた後。最後まで杖を灯していた遠くの席の人に暫しの拍手を送ってからステージのほうを見遣ると、気付けば競売人の脇には一人の少女が立っていた。
明るく照らし出されたステージの上で映える、緩やかなウェーブを伴う薄桃色の短めの髪。幼く低い背丈は、隣に座るアヤメよりはまだ幾らかあるだろうか。華美な色合いではあるものの、肌の露出部分が多く肩もお腹も剥き出しになっている―――そうした扇情的とも言える服装に少女は身を包んでいた。
シグレは最初、その少女が競売進行の補助役か何かを務めるために壇上へ登場したのかと思ったが。何かを諦観したかのような表情、あるいは繕ったような無表情のような面持ちで、躊躇いがちにステージ最前面中央へ歩み進んだ姿を見て。そして何より、少女の首に嵌められた厳めしい首輪の姿を見て。ようやくその少女こそが、競売に掛けられる次の〝商品〟であるのだと理解した。
「……この国には、奴隷制があるのですか?」
ここは人も売り買いするような場なのか―――理解と共に、酷く不快な気分にさせられながら。シグレは同卓するモルクさんへ、静かにそう問いかける。
古い時代を模した世界観的には、奴隷制もあっておかしく無いものであるのかもしれないが。最早〝ゲーム〟だという割り切りを一切持たず、すっかりもうひとつの人生として楽しんでしまっているこちらの世界での生活に於いて、出来ればそういったものは存在しないで欲しかったように思う。
「まさか! そんな制度は〈フェロン〉にも〈ホミス〉にも有りはせぬ。また他国であっても、無辜の良民が奴隷に身を落とさせられるようなことなど、あって良い筈が無かろう」
「では、ステージ上の彼女は―――?」
「あれはおそらく、どこかの遠国から追い遣られた〝累奴〟の類だろう。杖益会のオークションに出されるのは珍しいが、無いことではない」
少女の隣で競売人の方が、モルクさんの説明通り〝商品〟の説明として彼女が累奴であることを告げる。
遠方の地より累奴とされ〈フェロン〉に運ばれてきたことから始まり、母国の神官の手で少女が嘗ての記憶を消されていること、更には彼女の体躯的な魅力があまり期待できないことや、男性経験が無いといった下世話なことにまで競売人の説明は及ぶ。
「その〝累奴〟というのは、一体何なのですか?」
けれどシグレにはその〝累奴〟というものが、一般的に連想される奴隷制によるものと何が違うのか判らず、競売人の説明を聞いても今ひとつ理解できない。
「端的に言えば、犯罪者が身を落とした末路だな」
「犯罪者……?」
「刑罰の一種と考えて貰えれば判りやすかろう。彼女の首に、いかにも露骨な首輪が付いているだろう? あれは〝累奴の首輪〟と呼ばれ、罪を犯した罰としてこれを嵌められた者は〝累奴〟となり、自由を完全に失うことになる。こうした競りの場などで所有者を決め、自分以外の誰かに支配される形でな」
つまり、一種の懲役刑のようなものに相当するのだろうか。なるほど、そういう形のものであるなら―――自らが犯した罪の報いと言うことで、一時的に何かを強いられるような刑罰ということであれば。ある程度は仕方の無い制度であり、理解出来るものかもしれない。
―――一瞬シグレはそう考えたが。けれどシグレの思索を看破したモルクさんの言葉により、その考えはすぐに否定されてしまう。
「累奴には期限がない。いちど累奴となり誰かに購われれば、生涯その者は奴隷として生きねばならぬ。故に期間を決めて牢に放り込んだり、監禁したり強制労働を課したりするような刑罰とは、全く性質の異なるものだ。そもそも累奴というのは、死に処される代わりとして生まれるものだからな」
「……死刑の代わり、ですか」
要は―――自由刑の一種ではなく、生命刑の一種ということか。
しかし、だとするなら。ステージ上に佇む稚い少女が、生命刑に処されるほどの重罪を犯しているなどとは、考えにくいものがあるが―――。
「私の所有する〝身代わり人形〟もそうだし、シグレが探し求めているアイテムもその類に相当するだろうが、世の中には〝死〟を回避する手段というものが少なからずあるからな。高額なそれらのアイテムを入手しやすい貴族や富豪に対して、〝死〟というのは確実性のある処罰とは限らんのだよ。死体は必ず光の粒子となって消えてしまうから、確実に命を絶てたのかどうか確認する方法も無いしな」
「なるほど……」
モルクさんの持つ〝身代わり人形〟は、所有者が死に至る際にそれを回避させる力を持ち、自宅などに人形を安置しておけば、死亡した場所を問わず安置した場所で復活させる力を持つ。
つまり、命を失った場所とは全く異なる位置で復活できてしまうわけで。確かにそういったアイテムが存在する以上、死刑などを執行したとしても相手がどこかで生きていない保証というのは何一つ得られないだろう。
「あんなに小さな女の子が一体、死に相当する程の何の罪を犯したのでしょう?」
「さて、そればかりは私に訊かれても判らんな」
苦笑気味にモルクさんはそう答える。
別にモルクさんが裁いたわけでもないのだから、確かにその通りだった。
「累奴となった者は記憶を消された上で遠地に送られるのが慣わしとなっている。故に、こことは離れた、どこか遠くの国でそのように裁かれたのであろう」
「―――おそらくはレパーズかスマイン辺りの、南国ではないかの」
不意に脇から、会話にアヤメが参加してくる。
「ほう、判るのか?」
「わかるとも。彼女はわらわと同族じゃからな」
「……同族?」
「なんじゃ、気付いて無かったのか? フレンドの登録は済ませてあるのだから、わらわのステータスなどいつでも見れたであろうに」
馬車の中で要請され、承認したことでアヤメとは既にフレンドになっている。見ようと思えば彼女のステータスはいつでも確認することができたが……別にこれから共に狩りをするわけでもないし、特に必要を感じていなかったというのが正直な所だろうか。
アヤメに言われて、シグレは慌てて彼女のステータスを視界内に表示する。
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アヤメ・フラットリー/吸血種
戦闘職Lv. 1:巫覡術師
生産職Lv.39:錬金術師
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「吸血種……」
生産職の欄に記された、流石のレベルの高さにも無論驚いたが。その手前、彼女の種族名にもまたシグレは驚かされる。シグレがそれを確認している最中に、ちょうどステージ上で競売人の方もまた〝商品〟である少女の種族が吸血種であることを告げた。
吸血種というのはこの辺りでは滅多に見ることが無い種族であり、幾つかの限られた南方の国々でのみある程度の数を見ることができる。そういったことを、以前図書館の本を読んで知ったことがある。
おそらくアヤメの挙げた国名の例は、まさに〝幾つかの限られた南方の国々〟に相当するものであるのだろう。
「ふむ―――。旦那様はわらわのことを知っても、引いたりせぬのじゃな」
「……引く? なぜですか?」
「くくっ。わからぬならそれで良い。……さすがは銀術師様、ということかの」
何が可笑しいのか、アヤメは少し嬉しそうにはにかんだ。
「レパーズやスマインは、どちらも女王の収める国だな。女王が何物にも縛られぬ絶対的な権力を持ち、それを以て国を治める。軍事を中心とした国策を持ち、戦争まではなかなか発展しないにしても、あの辺りは小競り合いが多い。治安も決して良い地域とは言えんな」
「両国の現女王は、特に気性が荒くて喧嘩っ早いと聞くしのう。……例えば女王の不興を買えば、それだけで死罪ということも有り得る。本人だけならまだ良いが、家族も含めて一族郎党―――ということも有り得よう」
「……すると、ステージ上の彼女も?」
「さて、それは判らぬ。わらわはあくまでも、憶測の話をしただけじゃ」
憶測の話であり、仮定の話。
けれどそれは有り得ない話ではない。そういう事情でもなければ、どうして死に値するほどの罪を、幼い少女が背負うことがあるだろうか。
(もし、事実だとするなら―――)
―――それは、何と不憫な話だろう。
「して、どうするのじゃ? 落札しようと思うなら、別に難しくは無かろうよ」
「……ま、吸血種の娘など、誰も書いたがらんだろうしな」
吸血種は他者の血を吸うことで、相手の種族を『鬼宿』と呼ばれるものに強制的に作り替え、同時に相手を自分の支配下に置くことができる力を種族的に有する。累奴である彼女がそれを為すかどうかは判らないが、奴隷として近くに置いておくには少し危険な対象であるのは事実だろう。
ステージ上では少女の競売が開始され、最初の競り値として20万gitaという金額を競売人の人が告げるが。モルクさんの言葉通り誰ひとりとして暗い会場内で杖を点灯させる人は居ない様子だった。
けれど誰も買い手が現われないのは、進行側にもある程度予想できていたのだろう。その様子を見ても競売人の方は特に慌てることなく、19万、18万にと徐々に価格を落としていく。客同士で金額を釣り上げ合うのではなく、落札値を削り合っていく逆の形の競りの様相を呈してきた。
「ひとつだけ質問をさせて下さい。買われた累奴というのは普通、どういう扱いをされるものなのですか?」
「―――くくっ、旦那様は変な質問をなさるのう」
モルクさんへの質問だったのだが、代わりに隣のアヤメに笑われてしまった。
「見目の良い女子を、高額を以て買い求める類の男が。相手に求めることなど、考えるまでもなかろうよ?」
「そうですか……」
席を立ち上がり、シグレは杖に念じてその先端を点灯させる。
競売人が最後に告げた金額は16万。このまま粘っていれば、もっと安い価格で彼女を購うことは問題無くできるだろう。―――だが、シグレにとって金額は問題でなく、その少女が他の誰かに買われるかもしれないことが許せなかった。
シグレの他に対抗して競ろうとする相手は誰ひとりとして現われず、少女は8万gitaという価格のままシグレにより落札される。先程の陶板画の時よりも一際大きな拍手が、広間の全体からシグレに向けて寄せられた。
ステージ上の少女が、繕ったような無表情の儘で。―――けれど、その裡に僅かな不安のようなものを潜ませながら、杖を点灯させているシグレのほうへ小さく一礼する。
「この手のことは、目の前の一人だけを助けても何にもならんぞ?」
そう告げるモルクさんの言葉の意味は、シグレにも理解出来る。
理解出来るが、そんなことはシグレ自身でも重々承知していることだった。
「目の前にひとり居るのに、無視できませんよ」
「……ふふ。なるほど、シグレらしい答えではある」
色々と散財してしまった本日の中でも、圧倒的に高い額の衝動買いをしてしまったことになるが。シグレの心に、後悔するような気持ちは些かも無かった。
お読み下さり、ありがとうございました。
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