106. 購買
荘厳にして華美な〈フェロン〉の宮殿。その入口から廊下を抜けて大きな広間に入ると、そこには正装でありながらいかにも商人といった風格を漂わせた人達が、既にかなりの数の露店を開いていた。
露店とは言っても〈ホミス〉の露店市に見るような、地面に簡素なシートだけ敷いて商品を並べるような簡素で安っぽいものではない。適切に机や棚を配置し、自らの販売ブースを形成させた上で商品を陳列させて販売しているのが殆どで、さらに隣の露店とは衝立のようなものを立てて明確に区切っている人も多いようだ。
アヤメの説明に拠れば、机や棚、衝立などは備品として衛兵に求めれば自由に貸与して貰えるらしく、その際に生じる設置などの力仕事もあちらが請け負ってくれるようだ。何とも至れり尽くせりな催しだなあと、シグレとしては感心させられるばかりだ。
露店の販売品としては、宝飾品などの身を飾る品を扱う店が最も多いように見える。これは会場の参加者の大半がいずれも女性の同伴者を連れて歩いていることを考慮すれば、最良の陳列品であるからだろう。同伴する女性に対してプレゼントなどで気を引きたいと思う男心に、その需要を見るわけだ。
次点で調度品の類や、美術的な価値がありそうな工芸品などを扱う露店が多いのは、こちらは夫妻として参加している人を購買層と見込んでのものだろうか。
サイズが大きく重たそうな品を扱う露店も多いようだが、そうした物でも気軽に商いのやり取りができてしまうのは、〈インベントリ〉に入れてしまえば重量やサイズを無視して容易に運搬することが可能な、こちらの世界ならではの景色だなとも思えた。
あるいは単に交易品を売買する場として捉えているのか、農産物を箱単位で陳列する〈ホミス〉側と思わしき商人や、木材や鉱石などをやはりこちらも箱単位で陳列する〈フェロン〉側らしき商人なども居るようだ。
剣や鎧、甲冑などの武具を扱う店もあれば、衣服や染物を売っている露店もある。一方で書物などを陳列して売っている露店もあるなど、多様な露店が並ぶ光景というのは眺めているだけでも楽しい。
生憎と霊薬や薬などを扱っている店というのは見当たらないが、この中にそういった露店が混じっても何の問題も無いだろう。いつかまた別の機会があれば、今回見知った知識を元に販売側として参加してみるのも良いかもしれない。
「色々と見て回っても、旦那様は冷やかすばかりのようじゃな。なんぞ買ったりはなさらぬのか?」
「ああ、いえ―――。先に軽く、どんな店があるのか一通り目を通してしまいたかっただけです。もちろん色々と買いたいとは思っています」
「そうかそうか。ところで、あの店はわらわ達にとって有用であると思わぬか?」
アヤメに促される先、そこにあったのは調理用具などを扱う露店であるようだった。鍋やフライパンのようなものから、蒸し器やすり鉢のようなもの、包丁に近いサイズのナイフや木製のへらのような小物までもが所狭しと陳列されている。
自分たちにとって有用というからには、それは〈錬金〉に活用できる物であるという意味なのだとは思うが。果たしてそれらの物をどう使うものか、シグレには想像も付かなかった。
「アヤメはこういうのを、使ったりするのですか?」
「……ふむ。旦那様はあまり、こういうのは使われぬか」
シグレの問いに、けれどアヤメは何か納得したようにうんうんと頷いてみせて。そうしてから、くふっと小さな笑みを零してみせた。
『ヒールベリーを錬金台で溶かすと、何ができるかの?』
アヤメは問いに答える代わりに、新たに問う言葉を念話で送ってくる。
『それは―――もちろん、ベリーポーションができるかと』
『では、品質が40のヒールベリーと、品質が40の水を用いて、何も添加せずにベリーポーションを1個作るとする。この時の完成品の品質と効果量はどうなる?』
『何だかクイズみたいになってきましたね……。逸品でない限りは、完成品の品質も40前後かと。効果は飲用時のHP回復で、回復量は必ず品質の1.5倍になります』
何も添加せずに霊薬を作るということ自体がまず無いために、アヤメの問いにどういった意図があるのかシグレには何とも判別が付かないが。とはいえ、その程度の出題にであればシグレにも即答することができる。
『では、この際に霊薬に用いる同品質のヒールベリーを、事前に熱湯の中で10分ほど湯がいておくとする』
『―――は?』
『先程と同条件の水を溶媒に用いてベリーポーションを作成した場合、完成品の品質と効果量はどうなる? あるいは逆に、充分に凍られたヒールベリーを用いて霊薬を生成した場合にはどうなるかの?』
霊薬の作成に関して、シグレなりに試行錯誤の努力はしているつもりだった。
例えば、添加する際に何の素材を用いればどのように変化させたり、どういった効果を付加することができるか。あるいはどの素材とどの素材から混合ゼルを作り、それを添加に用いればどういった変化を霊薬に与えることができるか。様々な試行を繰り返し、その都度に結果を記録することは欠かさない。
最終的な品質は素材と溶媒、添加内容の品質がどのような割合で影響した結果に決定され、品質に対してどのような係数が掛けられて完成品の効果量が決定されるか。品質が幾らの聖泉水を用いることで、霊薬の品質をどのように引き上げることができるか。―――結果が数値となってはっきり判る以上、そうした検証と研究も余念無く存分に行っている。
なにしろ毎日のように錬金ギルドの工房に籠っているのだから。まだまだ霊薬の生産に手を出し始めて経験が浅い身ではある物の、それなりに自負もあったのだが。
『……そ、それで結果が変わるのですか?』
しかし、シグレの言う試行錯誤とは、あくまでも錬金自体の本質的な行程に即した内容の範囲内でのみ、繰り返された物である。
アヤメが挙げるような、素材そのものを変質させた上で用いようという試みは未だ曽て試みたことがないし、そもそも可能であるなどと考えたことさえ無かった。おそらくは自分だけでなく、ユーリも同じである筈だ。
『くくっ、別に教えても構わぬがのう。旦那様は本当に、わらわから結果を教わることをお望みかの?』
『それは―――』
挑発的な物言い。
けれど、アヤメの言う通りだ。
『確かに、結果だけ教わっても面白くありませんね』
『うむ、そうであろそうであろ。―――さすがは旦那様じゃな』
用いる素材そのものに予め手を加えておく。そんな事が許されるのであれば、加工の方法など本当に幾らでもあるのではないだろうか。
錬金に於いて素材は〝溶かす〟ものであるから、そこに手を加える必要は本来であれば無い。だが例えば、ヒールベリーの果皮を剥いた上で素材に用いれば効果は変わるのだろうか。種も取り除き、果肉だけを集めて素材に用いればどうなる? あるいは最終的には溶かすにしても、ベリーを刻んだり潰してから用いれば結果は変わるかもしれない。
もしくは溶媒の方に手を加えてみるのはどうだろう溶媒を。水ではなく湯に替えてみたり、事前に蒸留してから用いてみるというのも面白い。あるいは河川の水ではなく敢えて雨水を用いてみたり、折角海が近いのだから海水を用いてみるのも―――いや、これだと飲用には適さなくなるだろうか。
『どうじゃ? 色々と思いつくことはあるかの?』
『……何となく無駄そうに思えるものも多いですが。試してみたいと思うことは、沢山思いつきますね』
『うむ。失敗して当たり前、上手く行けばめっけものじゃな』
アヤメの言う通り、その程度の気構えで挑戦してみるのが良いかもしれない。
だが、色々と試す為には錬金ギルドの中でやるのは都合が悪いだろう。他の利用者が普通の錬金をやっている中で、ひとりだけ異質な実験をやるというのはあまり公共のギルドの利用方法としては正しくない気がする。
折角自宅や店を持てるのだから。どうせなら錬金も、ギルドではなく自分の領域で作業ができるのが理想だろうか。
「……あの。何かお探しの品とか、有りますか?」
「お、おお―――。すまぬ、これは大変失礼したのじゃ」
二人揃って露店の前で、念話と共に考え事に没頭してしまったものだから。硬直しているシグレとアヤメを訝しく思った調理器具露店の店主が、声を掛けてくる。
黙考の深みに嵌っていたシグレは現実に戻るのが一瞬遅れて返答に詰まり、代わりにアヤメが適当に応対してくれていた。
『どうせ街に帰るまでは何も出来ぬ。考え事は後でな』
『―――すみません、気をつけます』
折角の機会だし、今は露店に並べてある商品のほうに没頭することにしよう。
品物に一通り目を通してから、露店の端に積まれた幾つかのサイズで揃えられたキャニスターが素材の保管に便利そうだったので、シグレはそちらを一揃い購入することにした。
容器自体は金属製のようだが、持ち上げてみるととても軽く、鉄などの有り触れた素材で作られているわけではないようだ。今までしっかりと密封できる容器というのを持っていなかったので、これはこれで慌てて見繕ったにしてはなかなか良い選択であるように思う。
「旦那様は何か、他に見たい店はあるか?」
調理器具店から離れたあと、アヤメにそう問われてシグレは頷く。
「錬金台というのは、ここで買うことができるでしょうか?」
「うむ、買えると思うぞ。かく言うわらわも、店にある自分用の錬金台というのは以前に〝杖益会〟にて購入したものであるからな。今回も探せば売っている店はある可能性は高い」
「では是非そちらを。色々と研究するなら、自分も欲しい所ですから」
「そうじゃな、それが良かろう。ギルドの工房で妙な実験をしていては、ワフスの奴から白い目で見られかねんしな」
アヤメと共に広間の中を見て回り、その一角にあった〈迷宮地〉から出土したアイテムを中心に取り扱う露店にて、錬金台を二台購入する。アヤメが言うには錬金台というのは職人などが作れる物ではなく、〈迷宮地〉の宝箱から時折発見できるものであるらしい。
肝心の値段のほうはアヤメから聞いていた額よりも二割ほど高かったが、店主の説明に拠れば代わりに調薬台としての機能も兼ねる特別性の錬金台であるのだそうだ。
〈薬師〉としての生産も始めているシグレにとっては都合が良い品だ。それにきっと、この錬金台であれば以前一度考えたことがある〈錬金術師〉と〈薬師〉の両者の加工法を併用するような遣り方も、何かと試し易いように思えたのだ。
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