105. 杖益会
―――〈森林都市フェロン〉。
山間に位置し、名前の通り深い森林に囲まれているその都市は、主に林産物と鉱山の交易によって成り立っている街でもあった。
街の四方にはいずれも交易路が延びているが、隣接する都市の多くは距離が離れており、林道は整備されているものの利用する行商人はそれほど多くない。しかし南方に位置する〈陽都ホミス〉だけは例外的に〈フェロン〉から然程離れていない距離に位置しており、故にこの二国間の交わりは他都市と一線を画するほどに深い物となっている。二国の中枢貴族が交互に催す〝杖益会〟もまた、その交わりの深さを示す証のひとつと言えるだろう。
『もう都市内に入りましたので、あとはゆっくり移動します。窓は開けて下さって構いませんよ。眠っておられるお二人にも、そろそろ起きて頂いた方が良いでしょうしね』
御者のマックさんの言葉に従い窓を開けると、採取行の際に感じるような森の空気が真っ先に馬車内に飛び込んできて。それから石造りの家ばかりが多い〈ホミス〉とは全く異なった、木造の家が密集する〈フェロン〉の景色を見ることができた。
涼しげに抜ける風が、少し扱った馬車内に浸っていた身には心地良い。
〈フェロン〉へ一度来てみたいと漠然と思ってはいても、まさかこうした機会で訪ねることになるとは思わなかったが。催しに参加する以上今回は難しいだろうけれど、次に来ることがあれば是非、色々と街中を散策してみたいものだ。
『やれやれ……。〈フェロン〉では近すぎて、ゆっくりと眠る暇も無いな』
狭い車内で首や肩を軽く動かしながら、目を覚ましたスコーネさんがそんな風に愚痴ってみせる。
二時間と掛かっていないのだから、確かに都市間を移動したにしては然程時間は掛かっていないのだが。とはいえスコーネ夫妻とは違い、ずっと起きて様々な会話をしていたシグレとアヤメからすれば、それは結構な時間に感じられたものでもあった。
『モルクよ。そろそろ着くが故に、わらわ達にも杖を寄越すがよい』
『おお、そうだったな』
アヤメの言葉に促されて、スコーネさんは〈インベントリ〉から四本の杖を取り出し、それを全員に一本ずつ配った。
杖とは言ってもその長さは40cm程度しか無く、短すぎて何かの用途に役立てることができるような長さではないように思える。
『スコーネさん、これは?』
『入場証のようなものと思ってくれればいい。私が招待した参加者であることの証拠にもなる』
短い杖の両端には小さな金属のプレートが埋め込まれ、そこにはスコーネ家の家紋が。―――つまり、旧王家の紋章が意匠として彫り込まれているようだ。
『あと、シグレ。今更だが私のことは〝モルク〟と呼んでくれた方がいい。家名で呼ばれても、私と妻のどちらに向けた言葉か判らぬ』
『……それもそうですね。すみません』
◇
〝杖益会〟に関して、中枢貴族のひとりが主催するという話を聞いていたこともあり、てっきり会場は貴族の個人宅か何かであるのかと思っていたら。馬車が到着した会場は〈フェロン〉の宮殿そのものであった。
会場の周囲にびっしりと詰める騎士と兵士の人数とその配置を見れば、素人のシグレからしてもこの場所がいかに厳重な警備下にあるのかは明瞭に察することができる。
考えてみれば、参加者である〈ホミス〉の中枢貴族のひとりにでも害が為されるようなことがあれば、それは極めて重大な都市間の問題ともなり得るのだから。会場が最も客人を堅牢に護ることができる都市の宮殿そのものであるのは、ある意味当然とも言えるのかもしれなかった。
(正装が必須にもなる筈だよね……)
馬車を降り、荘厳な宮殿の入口を目前にして。
正直を言って、シグレの内心では場違い感が半端では無かったが。今更後に引けるわけもないので、半ば諦めに似た心地で覚悟を決めるしかない。
「旦那様よ。腕を」
「……腕、ですか?」
そう言われて彼女の腕を見つめて、その後に自分の腕を確認しても見るが。特におかしい所は無いように思えた。
「……くくっ。判らぬなら訊き方を変えよう。旦那様の利き腕は〝右〟のほうで合っておるかの?」
「あ、はい。自分は右利きですが」
「了解したのじゃ」
不意にシグレの右腕が、僅かに後ろを歩くアヤメの手に絡め取られてしまう。
そこまでされて、やっとシグレにも意味が判った。
「なるほど。―――エスコート、ですか」
「うむ。宜しく頼むぞ、旦那様よ」
周囲を見渡してみれば、確かに他の参加者の人達も必ず男女のペアであり、いずれも男性側が女性に腕を取らせたり、あるいは手を引いたりしながら歩いている。
一種の社交場を兼ねた催しであるという話だったし、宮殿に入場しようというこの時点から、参加者には相応の礼が求められると言うことなのだろう。こちらの世界での〝エスコート〟のルールは全く知らないが、周りを見る限りどうやら現実世界のそれと同様に考えて良さそうだ。
『立場上、我々は色々と挨拶回りをせねばならんが。シグレ達は中に入ったら、気にせず好きに見て回るといい』
『判りました。ありがとうございます』
メノアさんの手を引きながら、自分たちよりも少し前を歩くモルクさんに念話でそう言われ、シグレは内心で軽く一礼する。
自分たちばかり面倒事に付き合わないのも申し訳なくはあるのだが、モルクさんに着いて歩いても帰って迷惑になるだけだろう。有難く、こちらはこちらで好きに展示即売などを見て回ることにしよう。
『シグレの求める類のアイテムは、有るとしたらオークション側で出品される可能性が高い。おそらく六時頃には今回のオークションの出品物を纏めたリストが中で配られるだろうから、時間頃になったら受け取ってチェックしてみるといい』
『なるほど……。承知しました、そうしてみます』
アヤメの手を引きながら宮殿の門を潜り、〈フェロン〉の衛士達が整列する廊下を歩く。
入場証代わりに左手へ持つ杖に、自分がモルクさんの招待で参加することの証が刻まれている以上、何かあれば自分の身柄を保証するモルクさんに迷惑が掛かることになるだろう。せめて恙無く、催しの参加を終えるように務めたいものだ。
「楽しい催しに、なると良いのう」
「そう、ですね」
折角参加する以上は。アヤメの言う通り、楽しまなければ損というものだろう。
そして共に参加する以上は、その楽しみはアヤメと共有できるものが良い。
「明るい宮殿の中に入ると、アヤメの黒いドレスは映えますね」
「くくっ。そうじゃろうそうじゃろう。わらわの魅力が旦那様にも判るか?」
「ええ。とても魅力的で、お綺麗です」
正直な感想としての、偽りない言葉ではあったが。
急に歩速が遅くなったアヤメを訝しく思い、振り返ってみれば。そこには黒いドレスとは対極的な白い肌の中で、けれど耳までもを真っ赤に染めたアヤメの姿があった。
「き、急に変なことを言うでない!」
先に魅力について語ったのは、他ならぬアヤメ自身のほうだった気もするが。
語調を荒くさせながらも、彼女が今まで以上に、シグレの腕をしかと強く掴んでくれるのが何だか嬉しかったので。その突っ込みの言葉は、そっと心の中に仕舞っておくことにした。
お読み下さり、ありがとうございました。
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