101. スコーネ邸にて
〈薬師ギルド〉での生産を手早く終えた後、視界内に表示させた時刻にまだ余裕があることを確認しながら、シグレは街並みをゆっくりと歩く。
いつもの地下迷宮探索も今日はお休みということで皆と話はついており、シグレはスコーネさんの招待により、本日の午後から夜に掛けて隣接する〈森林都市フェロン〉にて開催される社交場でのオークションに、スコーネさんと共に参加させて頂くことになっていた。
視界内の時計はまだ1時過ぎを示している。昼の2時にスコーネさんの自宅前で待ち合わせて、それから馬車で〈フェロン〉へ移動する手筈になっているのだが、簡単な位置だけは事前に教わっているとはいえスコーネさんの自宅を訪ねた経験がシグレには無い。その為、多少道に迷うことを想定した上で余裕を持って〈薬師ギルド〉を出発したのだが―――手探りでの訪問ではあったものの、さすがは名家だけあってスコーネさんの自宅は有名らしく、道中で街行く人に訊ねたりすれば誰からでも場所を教えて貰うことができた為に、到着までには10分ちょっとしか掛からなかった。
スコーネさんの自宅は大きいには大きかったが、この一帯は高級住宅街なのか周囲にも大きい家々が多く、その中では寧ろ小さめな邸宅であるように思えた。いちど下見にも行った、改装が終わり次第シグレが貸して貰えることになっている家と広さ的にはあまり変わらないかもしれない。
多少は約束の時間の前に着くことも礼節のうちに入るかもしれないが。幾ら何でも40分以上前に着くのでは迷惑にもなりかねない。いちど位置を記録してしまえばもう迷うことも無いだろうから、付近の街の中央部より少し北側に逸れた市街を散策し、引越し後に何かと入り用になりそうな調度品や小物類を少し揃えることにした。
「―――ああ、シグレ。良く来てくれた」
時間を潰してから、約束の5分前に再び到着したスコーネさんの自宅に着くと。門が開いた邸宅の敷地内には玄関前に儀装馬車と言っても良さそうな一台の豪華な二頭立て馬車が停められていて、その傍らに立つスコーネさんがすぐにシグレのことを見つけて声を掛けてきた。
スコーネさんの他にも、御者の方を含めて既に何人かの人がその場には待機しているようだった。これでも一応少しは早めに来たつもりだったが、もしかするともっと早めに来るのが〈イヴェリナ〉でのマナーであったのかもしれない。
「すみません、お待たせしてしまいましたか?」
「約束の時間前であるし何も問題無かろう。―――会うのは初めてだったな。紹介しておこう、こちらは妻のメノアだ」
スコーネさんに手を引かれて、隣の長身の淑女が小さく頭を下げる。
「妻のメノア・スコーネで御座います。シグレさんのお話はかねがね、夫から伺っておりますわ。数多の天恵を持ちながらも腕の良い冒険者であり、同時に熟達した〈錬金術師〉でもいらっしゃるとか」
「と、とんでもありません―――。共に戦ってくれる仲間や、錬金を手解きしてくれた相手に恵まれているだけです」
「……ふふっ。夫からは随分と謙遜がお好きな方、とも聞いておりましたが。どうやらその人物評も間違ってはいないようですね」
婦人に上品に笑われながらそう言われてしまうと、最早シグレには返す言葉も無かった。
「隣のいかつい男がマックだ。今日は御者を務めて貰う」
「シグレです、本日はよろしくお願い致します」
「執事を務めております、マックです。こちらこそよろしくお願いします。なにしろこの家は、主人からして戦闘狂のようなものですからな。私のような、いかつい男でもなければ執事も務まらないというわけですよ」
主人と執事というのは、本来であれば明確な上下関係があって当たり前なのだろうけれど。どうやらこの家では、それも案外フランクなものであるらしい。
そういう部分も含め、なるほどスコーネさんらしいなともシグレには思えた。
「あともう一人紹介するが―――シグレは既に面識があったりするかね?」
「……? いえ、初対面だと思います」
「そうか。なら折角の機会だから、今回を切っ掛けに誼を通じておくといい。互いに同業の者同士となるわけだし、今後は何かと関わる機会も多くなるだろう」
そう言ってスコーネさんが一歩身を引くと、それに合わせて隣に立っていた小柄な少女がシグレのほうへと一歩前に出てきて、スカートの端を摘んで軽く挨拶してくれた。
やや和のテイストが入った黒いドレスを身に纏っている彼女は、カグヤ以上に背が低く、随分と幼い少女であるようにも見えるが。けれど同時に、その佇まいの良さと所作の美麗さは、子供のそれとは全く異なり、大層魅力的であるように見えた。
「わらわはアヤメ・フラットリーと申す。違いなく初対面ではあるが、シグレ殿の話ならカグヤから散々に聞かされておるから、存外に詳しかったりするかもしれぬな?」
「え? カグヤから……ですか?」
「うむ、殆ど惚気のようなものばかりはあるがの……。カグヤはわらわと同じく、女性らしい成長に一切恵まれなかった心友であるから、互いに知らぬことはない―――というのは半分冗談だが。ま、店を開けていて客が居ない時には、始終念話で四方山な話を交わす程度には仲が良いのでな」
そういえば彼女の名の一部である〝フラットリー〟という単語には、何か思い当たるものがあるような気がする。
つい最近になって耳にしたことがあったような―――比較的最近の記憶を探り、そして僅かな間を置いてシグレは思い出すことができた。
「―――もしかして、アヤメさんは〝フラットリー霊薬店〟の?」
「わらわのことは呼び捨てにしてくれて構わぬ。―――っと、既に存じておるなら話が早いの。いかにも私が『フラットリー霊薬店』が店主のアヤメじゃ。今後は街に二つしかない霊薬店同士となるのであるし、是非ともよろしく頼めると有難い」
「こちらこそ、よろしくお願いします。……生憎と自分にはまだ、店を開くという意識が欠如しておりますが」
「くくっ、その辺の事情も少しは把握しておるよ。シグレ殿は家が借りたかっただけであるのに、モルクの奴に上手く丸め込まれて、店まで押しつけられる羽目になったのであろ?」
事実その通りなので、何一つ言い返せる言葉が見当たらない。
アヤメの隣で、スコーネさんもどこか苦笑気味に顔を引きつらせていた。
「モルクの奴は人誑しじゃからな……。嗚呼、懐かしくも忌々しや―――思い返せば、わらわも嘗てはモルクの奴めに誑かされて今の店を始めたのじゃったか……」
「はっはっ、人聞きの悪い。若く有能な職人に、貴族として活躍の場を与えたにすぎぬ。感謝されこそすれ、恨まれる覚えなどさっぱり無いな」
「ふん、貴様に感謝などこれっぽっちもしてやるものか! 競争相手もなく、客の確保に困らぬ店は楽で良いぞと甘い言葉に騙されいざ初めて見たが最後、まさか繁盛しすぎて店を休むことも霊薬を絶やすことも許されぬ生活に縛られてしまう羽目になろうとは……」
「いいじゃないか、金は貯まるだろう?」
「たわけめ。根が貧乏性の人間がいかほど金に恵まれようとそうそう気軽に使えはせぬし、使えもせぬ金など幾ら貯まっても虚しいだけじゃ……。どうせ今回の杖益会も、参加するだけで殆ど浪費などできぬであろうよ……」
肩を落としながらそう語るアヤメの気持ちが、シグレにも痛いほどに判るような気がした。
必要があることにならばシグレは大金であろうと躊躇無く出すことができるが、逆に言えば必要が無いことに対しては財布の紐は固くなる。こちらの世界に来て初期の頃の印象がまだ残っているだけに、どうしてもお金を使う際に〝それが何日分の生活費になるのか〟という考えが、未だに一瞬頭を過ぎってしまうのだ。
「ところで、その〝杖益会〟というのは何でしょう?」
「―――なんじゃ、シグレ殿はそんなことも知らずに参加なさるのか?」
「ええ、ちょっと欲しいマジックアイテムが有りまして」
おそらくは、それが今から向かう催しの名前なのだろうが。生憎とシグレは、展示即売とオークションが行われる場であり、一種の社交場を兼ねているということ以外は何も知らされていない。
「ま、どうせ〈フェロン〉までの移動には時間が掛かる。その辺の話は後ほど馬車の中でするとしよう。家の中に服を用意させているから、シグレにはそちらに着替えて来るといい」
「そうですね、さすがにその格好の儘では障りがあるでしょう」
「あ、はい……」
スコーネ夫妻にそう言われ、シグレは渋々と屋敷の中に向かう。
どうせ似合わないのだろうなと思うと、早くも気が滅入る思いがした。
お読み下さり、有難う御座いました。
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