100. 森の冒険者
じりじりと灼くような暑気も、街を出て緑の中へと身を委ねればそれだけで、一転して全く不快でないものになるのだから不思議だった。
森の中にあっても暑いには違いないのだが、林道を覆う枝葉の隙間から降る木洩れ日や、一面の鮮やかな緑というものは、それを感じさせないだけの心地よさを齎してくれる。森林浴というものは偉大なのだなあ、とシグレもしみじみの心の中で思ったりもした。
朝食後の〈アリム森林地帯〉へ出掛ける採取行。宿の手伝いをしているシノが不在であることを除けばすっかり習慣のようになっているそれにも、最近になってひとつの変化が訪れた。
林道や、あるいは林道から外れた森林の中で、他の冒険者の姿を見かけるようになったのだ。多くは3名から6名ぐらいでパーティを結成しており、〈斥候〉などの探知に優れた天恵を有する者も加わっているのか、森林内の魔物を積極的に探り狩っている様子が窺えた。
「ギルドが動いた……ということでしょうか?」
「きっと、そうなのでしょうね」
カグヤの漏らした呟きに、シグレも頷く。
先日、森林内に魔物が増えすぎているように思えることをギルドへ伝える役割を率先して買って出てくれたのは、他でもないカグヤだった。おそらくは彼女が齎した情報に呼応して、ギルドが何かしらの依頼などを冒険者向けに発行してくれたのだろう。
「……ギルドの対応がこんなに迅速だなんて、ちょっとびっくりです」
カグヤは、その対応に少なからず思う所がある様子だったが。何にしても、冒険者の手が増えてくれるのは有難いことだ。
森林内でガルゼを狩る、そのこと自体は黒鉄も毎回楽しそうに狩りをしている様子だし、ある程度なら構わないのだが。とはいえ最近では個体数があまりに増えすぎているせいで、探索本来の目的である採取がやや等閑になっているのは否めない気もしていたのだ。
森林内での活動に不慣れな冒険者が多いせいか、林道や渓流沿いの小径からあまり外れた場所には足を伸ばさない場合が殆どのようではあったが、限られた区域だけとはいえ魔物との遭遇機会を減らしてくれるのは充分に有難い。
「これで森林内が本来の状態に戻ってくれるといいのですが」
「……ん。本当に、そう。……面倒は無い方がいい」
渓流の近くに自ら設置した植栽林を持っているユーリからすれば、その森で魔物が増えすぎることも、また魔物を討伐する冒険者が増えてしまうことも、どちらもあまり歓迎したくない事態だろう。総てひっくるめた上で早い内に沈静化して貰うことが、彼女にとっては何よりの願いであるに違いない。
「兄様、確か今日はいつもより少し早めに戻るのですよね?」
小径の脇に生えるペアスという背の低い植物から、小粒ほどの黄色い果実を採取する傍らにナナキがそう問いかける。
ペアスの果実は服用者の自然治癒力を高める薬効を持つ。錬金特製を有しているわけではないので〈錬金術師〉としては無価値な植物だが、入手性が容易で〈薬師〉としては多用しやすい。
「個人的なの都合で申し訳ないけれどね。送ってあげることはできなくなるけれど、それでもいいならナナキ達は採取を続けても勿論構わないよ?」
先日新たに修得した《帰還》のスペルにより、採取先から〈陽都ホミス〉の北門まではパーティ全員で即座に戻ることが可能なのだが。このスペルはシグレしか修得していないために、シグレが先に帰ってしまうと他の皆を送り届けてあげることはできなくなってしまう。
とはいえ、無論往路は徒歩で来たわけだし、少し前までは帰りも徒歩が当たり前だったのだ。この場に居る皆にとっては、それほど大した負担でもないだろう。
「いえ、私達も兄様と一緒に帰ります。そこまで今日の内に作りたいものが有るわけでもありませんし」
「ん、そっか。了解」
どうせ毎日のように採取に来ては生産の日々を繰り返しているのだ。店の陳列品を充実させるために頑張っているとはいえ、確かにそこまで根を詰めるようなことでもない。
今日は採取後にまず〈薬師ギルド〉のほうへ行こうという話になっている為、シグレも薬の材料として使えそうな素材だけを手早く回収していく。普段であれば〈薬師ギルド〉の後に〈錬金ギルド〉のほうへも行くのだが、今日はそこまでする程の時間の余裕は無いだろう。
「確か本日は、オークションに参加されるのですよね?」
「うん、スコーネさんの誘いでね。〈フェロン〉で催されるイベントに、随伴させて貰えることになったのですが……。そういえば〈フェロン〉というのは、移動にどれぐらい時間が掛かるものなのでしょう?」
普段から採取のために利用している林道が、隣接都市である〈フェロン〉にまで繋がっている交易道であることは知っているが。シグレは〈陽都ホミス〉との境である谷川までしか来たことがないため、その先がどうなっているのか知らないのだ。
以前〈ホミス〉からは海産物を、〈フェロン〉からは林産物を主に交易しているという話を聞いたことがあるから、海産物を腐敗させずに届けられる程度には近いのだと何となく察することができるが。それ以上のことは、シグレもまだ何も知らなかった。
「えっと、そうですね―――馬が一頭だけの荷馬車でゆっくり進んで、三時間と少しぐらいでしょうか。スコーネさんみたいな貴族の方の馬車と言うことであれば少なくとも二頭立てでしょうし、途中にある施設で馬も交換されると思いますから、道中で何も無ければその半分も掛からないと思います」
「なるほど……」
馬車というものに乗った経験は無いが、訓練された軍馬が引きでもしない限りはあまり速度が出る乗り物でもないだろう―――そう思い、距離も判らずに移動に三~四時間はかかるものだと覚悟もしていたのだが。どうやら、シグレが予想していたよりはずっと早く着くことができるようだ。
「それにしても、オークションですかぁ……。露店市のほうでも毎週末に似たようなことはやっているみたいですが、スコーネさんが参加されるものとなりますと、それとは格が違うんでしょうね」
「オークションだけでなく、展示即売の場でもあるそうですが。総て含めて貴族の社交場の一端としての役割があるというお話でしたし、多分そうなのだと思います。……随伴する自分も正装させられてしまうらしいですし」
社交場のメインである貴族と、それに随伴する商人や職人、芸術家や文化人などしか入場できない場であるらしい。それだけでも格調がそれなりに高い場だということは容易に察せられ、何となく面倒そうに思えてシグレとしては少々うんざりもしていた。
しかし、そういった格調ある場での取引でもなければ、価値の高いアイテムというものはなかなか出回るものではない―――スコーネさんにそう言い諭されれば、シグレも納得せざるを得なかった。誰かを〝死〟から護る類のアイテムが、高い価値を持たない筈が無いからだ。
正装必須の場であるが、シグレはそれらしい服を持っていないため、こちらはスコーネさんの家から貸して貰える話になっている。
「シグレさんの正装……! け、けっこう見たいです」
「やめてください。絶対に似合いませんから……」
男らしい体格に恵まれていないシグレからすれば、どんな格好をしていようと華やかな場では自分があまり良いようには見えないことは判りきっている。
ましてシグレの隣に、スコーネさんのように立派な人が居れば尚更だろう。おそらくはスコーネさん付きの小姓か何かにでも見えれば、まだ良い方ではないだろうか。
「ですが、オークションと展示即売ですかあ。そういうことでしたら、確かにシグレさんとしては行かないわけにいきませんよね。折角、新規開店のお店に良い商品を入荷するチャンスなわけですし」
「―――えっ?」
「……えっ?」
間の抜けたシグレの返事に、却ってカグヤのほうが驚いた顔をしてみせる。
シグレからすれば、自分の欲しい物を求めに行くという目的からの参加でしかないのだが。―――そうか、言われてみればオークションにしても展示即売にしても、本来は店などに商品を入荷するための場であるわけだ。
改装が終わりスコーネさんから引き渡されれば、店を開かなければならないというのに。つくづく自分には経営者として店を持つことになるという意識が欠如しているらしいと、今更ながらシグレは思い知るばかりであった。
お読み下さり、ありがとうございました。
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