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01. 世界の境界

 


   ----------------------------------------------------------------------

              Reverse-tale Online

                Logged in...

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 銀の粒子が、暗闇の空一面を飛び交って溶けていく。

 時折その光は何かを映すのか、紅や蒼が入り交じった煌びやかな光となって、瞬きと共に幾重にも夜天を舞い踊る。なかなかに幻想的な光景だ。

 実際に見たことはないが、流星雨というのはこういう光景のことを言うのかもしれない。ひときわ眩い銀の矢が空を切り裂く光景を仰ぎながら、これが〝作り物〟の景観だとは全く思えず、気付けばすっかり見入ってしまっていた。

 ここは何も無い世界だ。一面に拡がった大地だけがあり、どちらを向いても果てに遠き地平線だけが見える。大地には一切の起伏が無く、木々や家々といったオブジェクトも全く配置されていない。殺風景が過ぎる世界の中で、ただ見上げる天幕だけが異常な程に美しかった。


 ふと、(ここはどこだろう)と思う。


 時雨しぐれがそう意識した瞬間、視界の右上隅に〈世界の境界〉という文字列が表示された。

 おそらく、これが現在地の『エリア名』に相当するのだろう。まるで夜明けの訪れのように、次第に光を纏い始める世界を眺めながら、時雨は今更ながら自分がいま身を置いているこの世界が〝夢の中〟なのだという確信を得た。




「こんにちは」


 不意に話しかけられた女性の声に、ぼんやりと遠くを眺めていた視点が引き戻される。

 太陽が無いにも関わらず次第に仄明るく変化してゆく世界の光に照らし出されて、時雨に話しかけて来たその人物が意外なほど自分の近くに立っていることに気付く。思わずびくっと驚いてしまった時雨の姿を見て、その人はにこっと穏和な笑みを浮かべてみせた。


「こんにちは。ええっと……」

深見ふかみと申します。カピノス社の者で、このゲームの開発チームスタッフのひとりです」

「自分は時雨と言います。古倉ふるくら時雨です」

「では、時雨くんと呼んで構わない? それとも名字で呼ばれる方がいい?」


 どう見ても深見さんのほうが自分よりずっと年上の女性なので、好きに呼んでくれて構わない旨を時雨は伝えた。性別を問わず年上の人にはそれだけで相応の敬意を持つので、どのように呼ばれても全く構わない。

 科学者っぽい印象を受ける白衣を身につけているのは、深見さんなりにゲーム内アバターを意識してのものなのだろうか。失礼ながら、穏やかで優しそうな印象を与える彼女には、白衣のような研究職っぽい堅苦さを連想させる衣装はあまり似合っていないように思えた。


「〈リバーステイル・オンライン〉へようこそ! この度は同プロジェクトへのモニター参加にご協力下さりまして誠にありがとうございます。時雨くんのゲームへのご案内役は、わたくし深見が担当させて頂きます。このゲームについての簡単な説明は、既に弊社の者から受けていらっしゃいますよね?」

「ええ、昼間に国広くにひろさんという方から伺いました」

「うちのチームの国広ですね? 背がとても低い感じの」

「ええ、それで合っていると思います」


 ゲームのモニター参加依頼という名目で昼過ぎに時雨の病室まで説明をしに来られた国広さんは、確かに自分より幾つも年上な筈であるのに、随分と小柄な人だったのを覚えている。

 背の低さに見合うほどに、国広さんが見せる笑顔などの表情もまた、どこか無邪気にあどけなくて。大人なのに随分と可愛らしい人なのだなあ、と話していて時雨もつい思ってしまったぐらいなのだ。


「―――って、国広さんは開発系の方だったんですか? 営業とかでなく?」

「〈リバーステイル・オンライン〉は社内でも秘匿度の高いプロジェクトでして、開発チーム以外の人間……例えば弊社の営業一課・二課などに所属する者は、プロジェクトの存在自体を知らないと思います。ですので時雨くんのような方に製品のモニターを依頼する仕事も、自然と開発チーム内の人間が行うことになりますね」

「……なるほど。実は国広さんからお話を伺ったあと、このゲームのWikiなどが既に作られていないかどうか、ゲームタイトルをネットで検索してみたりもしたのですが。一切ヒットしなかったのも、その『秘匿』のせいでしょうか?」

「はい、そのように考えて頂いて宜しいかと存じます」


 このご時世、どのようなマイナータイトルのゲームであろうと大抵はWikiなり攻略サイトなりのひとつは立つものである。ましてオンラインゲームともなれば、その情報を纏めるwikiなどは当然のように幾つものサイトが存在していておかしくない。

 だというのに、時雨が夕方頃に幾つかの検索サイトで〈リバーステイル・オンライン〉というワードを調べてみても、何一つヒットするページは得られなかった。

 国広さんの説明では、もう最初のモニターの方がゲームを始めてから五年近く経っているとのことだったので、いくら一般提供されているタイトルで無いとはいえ、この秘匿性は異常である。ヒット0件という検索結果を見た後、時雨は何度も自分が入力したタイトルが間違っているのではないかと、思わず二度も三度も見直してしまったぐらいなのだ。

 コホン、と深見さんはわざとらしい咳払いをひとつしてみせる。


「時雨くんもモニターとして参加頂きます以上、例外ではありません。このゲームのことに関しては、現実世界の方では話題にしないで頂きたいのです。ブログなど公開媒体への記述は勿論、ご友人などにお話になることも遠慮して頂きたいのですが」

「あ、はい。それは全く構いませんが」


 どうせ話すような相手もあまり居ないので、それ自体は困らない。

 院内で話すのは自分の3倍近い年齢の医者の人や、あるいはそれ以上の年齢に達した老齢の入院患者さんばかりだ。将棋や囲碁の相手を務めながら雑談に興ずる機会は多いものの、かといって〝ゲーム〟の話など通じよう筈も無い。


「ありがとうございます。もしその〝秘匿のルール〟が護られなかった場合には、申し訳ありませんが時雨くんのログインアカウントを即時停止させて頂く場合などが有るかと思います」

「なるほど。……なかなか厳しいですね?」

「そうですね、厳しいかもしれません。ですが、その『他言しない』という唯一のルールさえ護って頂けます限りは、名義上では〝モニター〟と呼称してはおりましても、短期的にではなく『半永久的に』時雨くんに対してゲームへ毎晩ログインできる環境を提供したいと考えております。もちろん利用料金なども頂戴致しません」

「つまり『夢の中』で、こちらに来られるわけですね?」

「はい、お約束致します」


 こうして実体験をしていて尚、どこか信じがたい話ではあるのだけれど―――いま時雨がこうして〈リバーステイル・オンライン〉というゲーム内にログインしているのは『夢の中』での話である。

 あちらの世界がいま何時頃なのかは判らないが、きっと現実の時雨はベッドの上で寝息を立てているはずだ。身体を現実に置き去りにして、心だけが夢を見るかのように『ゲームの中へ』ログインしている―――夢物語としか思えないが、事実こうして体験してしまっているのだから何とも複雑な気持ちだった。

 『夢の中でログインできるゲーム』の話など、時雨はついぞ聞いたことはない。現実世界の時間を浪費する、というのはVR-MMOに限らず、どんなゲームであっても没頭するほどに伴う深刻な問題である。

 それが一切発生しないゲームともなれば、画期的すぎてどれほどの大プロジェクトであるのかは想像するに難くなかった。カピノス社の開発チームが『秘匿』を徹底しようとするのも、充分に納得できる気がする。


「現実世界のほうでは、現在25時32分を少々回った所ですね。25時半にログインする設定になっておりますので、まだログインしてから2分少々しか経っていないことになります」

「……凄いですね。もうこちらの世界で15分ぐらいは過ごしてる気がするのに」

「こちらの世界では、時間の進みが現実に比しておよそ7分の1程度になりますので」


 すると、2分少々の7倍であるから、こちらで経過した時間はちょうど15分程度ということになるだろうか。


「人間の睡眠というのは4時間半から6時間程度が必要とされていますが、これは身体を休ませるために必要な時間でして。もともと脳のほうは、この15%程度の時間しか睡眠を必要としないように出来ています。ですので、身体のほうでは睡眠状態を保ちながら、脳だけを活性化させてゲーム内の世界を遊んでみる―――それが〈リバーステイル・オンライン〉のプロジェクトになります」


 ―――〝リバーステイル〟

 リバースはスペルにすると〝reverse〟? それとも〝rebirth〟のほうだろうか。

 テイルは『物語』とかを意味する〝tale〟だと思うのだけれど。


「時雨くんには、(かね)てより弊社のウェアラブル医療補助端末【カリヨン】をご利用頂いておりますが。睡眠時間中も装着されたままであるこの端末を利用しまして、毎晩の睡眠時間のうち25時半から28時半までの3時間を、ゲームにログインする時間へと割り当てさせて頂きます。また、この時間内の睡眠を安定させる為の補助を【カリヨン】が行います。この為、24時を過ぎると徐々に眠くなり、24時半ともなるとかなり堪え難い眠気を感じるようになりますが……」

「問題有りません。さすがに日付が変わる前には眠っていますので」


 時雨が入院している病院では消灯が21時に設定されている。これは個室を利用している時雨の部屋であっても例外では無く、22時には部屋の灯りが問答無用で落とされる。消灯のリズムが一定である以上、時雨の生活リズムも必然的に即したものになってしまい、狂いようがない。

 読書灯を付けることは許されているから多少は夜更かしをする機会も無いわけではないが。それでもさすがに24時まで起きていることは有り得なかった。


「入院なさっている方だとそうですよね……。一応、病院の非常ベルが鳴ったり、あるいは時雨くんの健康状態が急に変化するなど【カリヨン】本体が異常を検出した場合には、眠ったままですと危険な可能性がありますので、端末が逆に時雨くんが睡眠状態から覚醒するよう促す仕様になっております。この際にはゲームをプレイしている最中であっても強制的にログアウトされ現実に引き戻されますので、予めご承知おき下さい」

「判りました。毎晩の睡眠から3時間をログインに使うということは、ゲーム内での体感プレイ時間はおよそ21時間程度になるという理解で合っていますか?」

「合っております。体感としては、ほぼ丸一日と申し上げて宜しいでしょう。感覚的には〝現実〟と〝非現実〟の世界を、毎日交互に過ごして頂く感じになりますね」


 確かに、21時間ともなれば現実の1日と殆ど変わらない。

 何しろ現実世界でさえ、起きている時間は18時間ぐらいしか無いのだから。21時間という制限内でフルに活動できるのなら、それは寧ろ現実世界以上であるのかもしれない。


「いえ、ゲームの中でもちゃんと『眠って』くださいね?」


 そんな時雨の心を見透かすように、深見さんは苦笑混じりにそう告げる。


「眠って起きる、という過程を通して〝現実〟と〝非現実〟の世界の切り替えが行われる―――そういう感覚で利用者の皆様に理解して頂く方が、脳による認識の面でも健全であり良いことだと私共は考えております。ゲームにログインする時には常に現実では睡眠状態となりますから、ゲーム内では毎日『目を覚ます』感覚からのスタートになります。同様にログアウトする時にも、まずゲーム内で『眠る』という行為を行って頂き、現実で『目を覚ます』という形で〝世界〟を切り替えて頂くほうが、時雨くん自身のほうでも気持ちの整理が付きやすいと思いますよ?」

「……確かに、それはそうかもしれませんね」

「ゲームにログインした時。つまりゲームの中で時雨くんが目を覚ます時には、ゲーム内の時間は常に『朝の6時』頃になっていると思われます。ですので、ゲームの中にはその21時間後の『朝の3時』までログイン状態が維持されます。ですが現実世界で24時を過ぎると【カリヨン】の補助により眠くなるのと同様に、ゲーム内の世界でも24時を過ぎた辺りで眠くなる仕様にしてありますので、宿などの施設を利用して安全な場所で眠るようにして下さいね」

「なるほど、そのほうが楽で良いですね」


 時雨がそう即答すると、深見さんも笑いながら「ですよねー」と答えた。

 うっかり昼寝してしまったりして、ゲーム内でまで『上手く寝られない』思いをしたりするのは面倒だろう。ゲームの仕様として『眠くなる』ように設定されているぐらいのほうが、生活リズムが崩れる心配もしなくて済むし却って有難い。


「ゲーム内では眠気の他に、空腹なども感じます。そうですね……10時間ないし12時間ぐらい、でしょうか。そのぐらいの長時間何も食べないでいますと、ゲーム内でも普通に空腹を辛く感じるようになってしまいますのでご注意下さい。他にも毒を受けると気分が悪くなりますし、敵に殴られると痛みを感じます。その辺は現実と一緒ですね」

「えっ?」


 深見さんの説明に、思わず驚きの声が漏れてしまう。

 一般にVR-MMOのようなゲームに於いて、プレイヤーに苦痛を与える表現というものは大幅に規制されるのが常識だった。リアリティを伴いすぎるゲームでは、頭では『ゲーム』だと判っていても、プレイヤーキャラクターに与えられるあらゆる刺激は限りなく『現実(リアル)』として認識される。痛みなどはその最たる物で、故に黎明期の頃に出たVR-MMOでは、無規制の頃のゲーム内での痛覚や流血表現をまるで自分自身が非常な状態であると知覚し、その剰りに脳や精神を冒されて恐怖症のようなものを発症したり、酷い場合には廃人同様になってしまう人も出たことがあるのだ。

 なので現在一般的にサービスされているVR-MMOのタイトルはどれも、敵から攻撃を受けてもせいぜい〝押された〟という感覚が伴う程度であり、些細な痛みさえ感じないのが一般的なわけだけれど。


「……それって、大丈夫なんですか?」


 時雨は、率直にそう訊ねる。

 その時雨の反応が予測できていたからだろう、深見さんもすぐに頷いて答えた。


「問題ありません。〈リバーステイル・オンライン〉はプレイヤーの皆様による〝秘匿〟へのご協力により『存在しない』ことになっていますので。それを縛る法律なんて存在しません」

「えぇー……」


 会社にとっての〝大丈夫〟という意味ですか。

 それは全く安心できないんですが。


「ふふ、とはいえ『痛覚』を初めとした、プレイヤーの皆様が苦痛に感じる要素に関しては、さすがにある程度の緩和はしております。敵の力自慢なオークに斧で思い切り叩き殴られても、硬いハリセンで殴られたぐらいしか痛くはないように調整されておりますので。……逆に申し上げれば、『硬いハリセンで殴られる』のと同程度には痛いわけですが」

「……確かに、それは地味に痛い気がしますね。我慢はできると思いますが、不意を突かれると思わず声が出てしまうかもしれません」

「不意を突かれなくても、戦闘の臨場感の中で受けるとリアリティがあって結構痛いですよ? 私も慣れないうちは何度か軽く泣いてしまったりしましたし……」


 深見さんは苦笑しながら、うんうんと何度も頷いてみせた。


「ですが、これ程度の『痛み』は必要と考えております。私共が提供したいのは『ゲームの世界』ではあっても、『嘘の世界』では有りません。参加下さいます皆様からお金などを徴収しない関係上、名目としては〝モニター〟という体にさせて頂いてはおりますが、私共はこのプロジェクトを先程も申し上げました通り半永久的に続けたいと考えております。無期限のゲーム内で過ごす夢の世界、現実の裏側にある一日もまた、時雨くんにとっての『もうひとつの人生』であり『現実』として楽しんで頂きたいのです」

「……それはまた、大きく出ましたね」

「なので、私共はゲーム内における『感覚の制限』を必要以上に行いません。嗅覚や味覚などもほぼ現実同様のものを感じ取れるようにしております。例えば『快感』のようなものさえ、ゲーム内でも現実同様に遜色ないものを感じることができるでしょう」


 快感、って。

 それはさすがに、ちょっとよろしくないのでは―――と一瞬だけ時雨は思ってしまうけれど。よく考えてみれば美味しい物を食べたり、お風呂に入ったり、微睡みの中に身を委ねたり。軽い運動を行ったり、好きな音楽を聴いたりするのだって『快感』の一種である。

 快感という単語を聞いて、一瞬〝そういうこと〟だけを想像してしまった自分の方がどうかしてると気づき、気恥ずかしさと情けなさで時雨は思わず自分の頭を抱えた。


「そういうことも、できますよ?」

「えっ」

「避妊の必要もありませんしね。基本的には大聖堂の中で〝そういう行為〟に励まない限り、子供を孕むことはないという世界設定になっております。ですので事故で相手を妊娠させることはないのでご安心下さい、というかそもそもゲーム内では避妊具も避妊薬も買えませんしね」

「―――えっ」


 こほん、と深見さんはわざとらしい咳払いをひとつ。


「話が逸れましたが、痛みや空腹などの不快要素は一応体感レベルが調整が可能です。ゲーム内のオプションで4段階で変更が可能で、デフォルトでは最大値の『3』になっておりますね。数字を1つ下げる毎に体感量が半減して、『0』に設定すると全く感じなくなります。さすがに『0』はお勧めできかねますが」

「い、いやいやいや、ちょっと待って下さい」

「やです、待ちませんー」


 待ちませんー、って。

 何この人、可愛すぎるのだけれど。


「どうしても確認したいのでしたら実際に『ゲーム内』でどうぞ! 私共としましては別に〝そういう用途〟にこのゲームを利用されることを禁止するつもりはありません。先程も申し上げた通りプレイヤーの皆様のご協力により『存在しない』ことになっているゲームですので、これを縛る法律なんて存在しないですしね」

「で、ですが、さすがにそれはマズいのでは?」

「もちろん同意を得てない相手にはダメですよ? 普通に犯罪ですから、ゲーム内で牢屋とかに入れられちゃうかもしれませんしね。ですが、同意がある相手であればNPCが相手でもプレイヤーが相手でも問題ありません。そもそも、うちのチーフや社長からしてゲーム内でNPCと結婚して普通に夜の営みも交わしていますから、社員の我々としてもどうこう言えることじゃないんですよねー」

「………」


 さすがにもう、何も言えない。

 というか社長がそれでいいのか。


「再び話が逸れましたが、無理矢理『痛覚』などのお話に戻しますよ? 痛覚を初めとした、この『不快要素の制限調整』設定できるのはプレイヤーだけです。プレイヤー以外―――つまりNPCはこれが『3』で固定されています。NPCと戦闘などの体感を共有して頂きたい、という意味ではできれば我々としては『3』設定のままを推奨したい所です」

「……NPCと『痛み』などに関し、互いに享受する感覚についての会話が可能なのですか?」

「はい。弊社開発のAIは極めて優秀で、ゲーム内のNPCは殆ど現実の人と同じだけの思考や個性、そして感覚と感情を有しています。会話などが普通に交わせるのは勿論、NPCも痛みを嫌がったり、逆に美味しいご飯を求めたり、戦闘勝利などの達成感の心地よさをちゃんと認識します。ゲーム内でプレイヤーとNPCを見分ける方法は一応ありますが、NPCは全員が独自のAIを持ち、プレイヤーと遜色ない思考を持っています。プレイヤーとNPCを区別する必要は殆どありませんね」

「さ、さすがに俄には信じがたいですが……」


 古き良きRPGみたいに、同じ会話ばかりを繰り返すとまではいかなくても。やはり現代のVR-MMOに於いてもNPCは所詮NPCで、プレイヤーに比べると随分とお粗末な思考や発言しかしないのが当然である。

 ましてや『プレイヤーと比べて遜色ない』というレベルとは当然程遠く、そう言われても容易に信じられようはずもない。


「そうですね、これは私のほうから幾ら口頭で説明しても理解を得るのは難しいでしょうから、ゲーム内で直接NPCと会話する機会を経て実感して頂けましたらと思います。店員さんと雑談したり、値引きの交渉なども可能です。望むなら口説いたりすることも可能ですよ」

「は? 口説く……ですか?」

「はい。NPCも当然恋をしますので」


 それは―――随分とファンタジーなことのように思えた。


「実際、大変良く出来たファンタジーですよ?」


 時雨の心を読んだかのように、深見さんはそう告げる。

 先程から深見さんは間々と見透かしたように突っ込みをいれるので、もしかしたら自分の心が総て読まれているのではないかと、時雨は少しだけ彼女が湛える笑顔を怖いと思ったりもした。


「〈リバーステイル・オンライン〉の舞台となる世界の名は〈イヴェリナ〉と申します。現在、プレイヤーの方はまだ300名足らずしかおりませんので、〈イヴェリナ〉は大半がNPCによって構成された世界です。ですが誰でも仕事をこなし、趣味を求め、友情を持ち、恋をします。結婚もします。時には子供を作ることもあります―――もちろん、プレイヤーの方との間にでも」


 そこまで告げた後、一呼吸置いてから深見さんは訊ねる。


「時雨くんは、恋をしたことがありますか?」

「……ありませんし、望むべくも無いことですね」


 時雨は即答する。

 自分もそうしたことを望んで良いのだと。未来に対して淡い期待を寄せていた頃というのは、疾うに過去に置き去りにしてしまった。


「入院しっぱなしの身ですから学校にも通っていませんし、他人との出会い無いも同然です。偶に病室から出ても、同じ階の廊下や休憩所で見るのは大抵がご老輩の皆様だったりしますしね。生活範囲の環境的に不可能です」

「では是非、〈イヴェリナ〉で恋をしてみませんか?」


 ―――は? と。

 深見さんの突拍子の無い提案に、思わず驚きと疑念に溢れた声が喉元まで出掛かったけれど。その言葉は吐き出されることが無かった。

 時雨の目の前で、そう提案する深見さんの顔が、あまりにも真面目なものであったからだ。


「今は、信じられなくて当然だと思います。それで結構です」

「は、はあ……?」

「ですが、忘れないで下さいね。私は真面目に言っていますから」


 情念が籠められた言葉は、確かに〝真面目に〟言っているのだと判る―――が。

 現実の身体を置き去りにした『夢の世界』で。そのような非現実的極まりない夢物語を望むことなど―――果たして、あって良いことなのだろうか。

お読み下さり、ありがとうございました。


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文字数(空白・改行含む):9615字

文字数(空白・改行含まない):9300字

行数:203

400字詰め原稿用紙:約24枚

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