第一話 疑心暗鬼 + ストレスフル = 逃げ足の早さ
ここがどこか、よく分からないままで、誰か知らない人と向かい合う。
涼しげな風が肌を撫でる感触が心地良いのだが…
なんだ、このやたらストレスフルな状態。
相手は絶望的な表情を浮かべて自分の手を見ている。
本当は別の場所に行きたかったのだろうか?
幸い、お互いに戸惑っているからか、すぐに攻撃されるような雰囲気ではないが。
少し落ち着いたのか、絶望の色が薄れる。
そして今度は、自分をマジマジと観察し始める。
まあ、お互様なんだが。
相手は背が高い。自分はだいたい167くらいだが、自分の目線は相手の肩くらいだ。
…180はあるか…
体格の優れた相手に対して、ギリギリ威圧感を感じないで済むのは、相手の雰囲気と、多分相手との距離が少しあるからだ。
とは言っても、『前の世界』での自分なら息を吸ってから吐くまでの間に詰められる程度の距離である。
お互いに戸惑っている今は、少なくとも攻撃はされないだろうが、心がささくれだっているかの様に警戒を止めない。
自分は元々非力で、臆病者なのだ。
だからそりゃあもう、とっげとげに警戒している。
元々よろしくない目付きに拍車がかかっている自覚がある。
多分、今の自分が襲われた時に戦えるかどうか、分からないからだろう。
『前の世界』では身体が強化され、人間離れした動きが出来たし、『勇者』の肩書きのおかげで様々なアドバンテージがあった。
しかし『この世界』では『前の世界』では常に感じていた、自分を満たす力を感じられない。
だからこそ、ここは『前の世界』ではなく、『元の世界』でもなさそうな『別の世界』と認識しているのだが…
『前の世界』で自分を『勇者』としていた力を感じられないだけで、こんなにも不安を覚えるとは…
案外、力を心の拠り所にしていたようだ。
まあ、戦いを前提にした生活だったから、当たり前なのだが。
『前の世界』での力の影響が自分の身体にどう残っているのかはまだ分からない。
筋肉が異様に発達している様でもないので、『元の世界』でも殴り合いの喧嘩をしたことがなかった自分がどれだけ戦えるのかは全くの未知数だ。
相手は明らかに自分を上回る体躯で、服に隠れてはっきりとは分からないが、筋肉もついた締まった身体に見える。
…多分。
無造作に立っている様に見えるが危険はないのか…
ひとりでグルグルと思考している間に、相手はこっちの観察を終えた様だ。
「なあ、ここどこか、分かる?」
先程は気がつかなかったが、低いが太過ぎない声。その声に尖ったものを感じなくて、少し落ち着く。
「…分からない。…ここには来たことがない。」
少し考えて、無難に思える事を言っておく。不自然ではない程度に声を低く、小さくしておく。
息をゆっくり吐きながら、気がつかれないように踵をほんの少し上げる。
いざとなったら全速力で逃げよう、本気で。
緊張感MAXな自分を気にせず、相手はボリボリと頭を掻くと、ドサッとその場に座り込む。
「まいったなあ…」
にかっと笑ってこっちを見る。
「困ってるようには見えないけど。」
「……まあ実感がないし、独りじゃないから。」
…自分のことか。
「……」
黙ったままの自分を気にしていないかのように、それでさ、と話を続けられる。
「お前、どっから来たの?」
「…遠いとこ」
「どうやって?」
「…気がついたらここにいた。」
嘘は言っていない。
他にも矢継ぎ早に質問されたが嘘はつかずに、でも最小限の単語で答えたり誤魔化したりした。
あまり声を聞かれるのは好ましくない。
気づかれると厄介だ。
「そっちは?」
「俺も似たようなもんかな。」
そっちもしゃべる気ないじゃんか…
思わずジト目で相手を見ると苦笑いされた。
ひどく、苦味のある表情だ。
これから諸々をどうしようか考えていると、相手が急に真顔になった。
「ところでさ…」
コクリと喉がなる。
「なんか食い物持ってない?」
「ない。」
これは流石に即答した。
腹の虫が嘆く音が風に流れる。
…二人分。
………実は自分も空腹でした…悪いか。