オシマイ to ハジマリ
「選ばれざる名前」に捧ぐ…
風が軽く頬をなでる。
「本当に行ってしまわれるのですか?」
目の前の女性が小さな声で自分に訊ねてくる。
『否定してほしい。』
そんな願いと、強い思慕を込めた言葉であることがひしひしと伝わってくる。
…でも…
「元の世界へ帰るだけです。」
罪悪感に苛まれながらも、出来る限り淡々と言ってみせた。
ここで中途半端に優しくしてみせても、却って彼女にはつらいだけだろう。
なぜなら自分には彼女の想いには絶対に応えられない『訳』がある…。
沈黙が続き、静かな泉を思わせる淡いブルーの瞳から一滴、涙がこぼれた。
予想はしていたものの、実際に目の当たりにすると胸が痛い。
でも、風にそよぐ彼女の黄金色の髪も、淡いブルーの瞳もその涙も、全てが奇跡の様に美しい…
ゆるやかな曲線を描く頬を伝い、零れ落ちる涙を見て、勿体無いな、と他人事のように感じる。
この場面だって他の人から見たら感動的な物語りのエンディングの一幕なんだろう。
でも自分にはその場面に浸る余裕はない。自分のつき続けている『嘘』が居心地の悪さだけを刺激する。
「…分かりました。勇者チトセ。貴方がこの世界を救ってくださったこと。この世界は絶対に忘れません。この世界を代表して、お礼申し上げます。」
そういって深く、優雅に礼をする女性。
「私だけではなく、仲間の助力あればこそです。」
そういって目を向けると、辛く、苦しい旅路を一緒に歩んだ仲間たちが、離れたところから自分たちを見守っているのが見えた。
その中でも、1人だけ真っ直ぐに自分だけを見ている青年がいる。
彼に見えるように軽く、手をあげた。
その手にはめている指輪が光を浴びてきらりと輝いた。
仲間達は残らず手を振り返してくれる。
この世界に残れ、お前は英雄だぞ、と口を揃えて仲間たちは引き留めてくれた。
でも、『異邦人』である限り、ここに自分の『居場所』はないんだ。
引き留めてくれてありがとう、でもこれ以上は偽りきれない…
そう心の中で呟く。
「そうですね…でもやはり、チトセ様が要でしたわ。」
微笑む女性。確かにそれは事実だ。自分は『勇者』だったから。
伝説の剣を持って闇を祓う。
創作の世界の様な物語り…
自分はこの目の前の女性に『喚ばれ』、この異世界にやってきた。
そこで与えられた役割、それが『勇者』。
そして紆余曲折があったが、その役目を終え、元の世界へ帰る時が来た。
足下の大掛かりな陣が輝き始め、残り時間が少ない事を教えてくれる。
「さようなら。姫。」
偽り続けてごめんなさいと心の中で謝る。
どうせ偽るなら最後まで貴方の理想の勇者のままでいます。
「さようなら。チトセ様。」
徐々に強くなる光で、もう前がほとんど見えない。
最後の瞬間、
『ずっとお慕いしていましたっ、チトセ様!』
姫の叫びが耳に響いた。
ごめんなさい。その気持ちには応えられないんだ。
だって自分は…
意識が急激に薄れていく。
ああ、ようやくこの『嘘』から解放される…
そして…この異世界に来たときと同じ様に…ブラックアウト…
「…ん…」
何時の間にか意識を失っていたらしい。
風の音に導かれて目を開ける。
目の前には小さな澄んだ湖がある。
…明らかに元の世界の景色ではない…
思わず、右手で自分の髪をくしゃりと掴む。
その手に指輪がはまったままの感触がある。
『おい。どこなんだ、ここは…』
自分で呟いたはずのセリフと全く同じセリフが隣から聞こえて慌てて、顔を向ける。
そこには自分と同じ黒髪黒目で、自分よりかなり背が高い男性がいた。
相手も今の自分と同じように驚いた顔をしてこっちを見ている。
『誰…?』
お互いの声がまた重なった…
誤字などがありましたら、こっそり教えて頂けると嬉しいです。