リカンナドの王立にて。4
「暑い。あづううういいいい」
ライディンが叫びながら、上着を脱ぎ捨てて走り出した。
目指すは水場。栗色の髪をなびかせて走る彼を追いかけて、級友たちも次々と駆けていく。
体力自慢の彼らでも、この暑さには叶わないのだろう。
我先に水場へと飛び込んで、もろ肌脱いで水浴び、おふざけ、転げまわってたわむれ遊ぶ。
でも、それを遠目で見るだけの者もいる。・・・少数だが。
「ほら、呆けてないで行くぞ、エイミール!」
・・・腕を取って走り出すな。
・・・力いっぱい引きずるな。
・・・私は一言も「行く」とは言ってない!
「うがああああ、はーなーせー!」
フロスの拘束をはずそうと、エイミールはモガモガし始めた。
「なんだよ、また部屋でシャワーってか? 付き合い悪いなー」
「そ・・・外で、もろ肌脱いで水浴びなど出来んわ!」
真剣に嫌だ。御免こうむる。
誰があんな「地獄」を見たいものか! (・・・いんや、一部の奥様方にはお金払っても覗きたい、観光スポットと化している)
「・・・部屋で浴びるから良い! 手を離せ」
もろ肌脱いだ美丈夫たちが、むんむんしながら汗を流しているシーンなど、見たくないんだ!
ってか、もういっぱいいっぱいなんだああああっ!!! (・・・ぁ。見たんだ・・・いや、見せられたか・・・)
「あははは。なんだ、なんだ、またエイミールのわがまま炸裂かー? この間もそういや逃げたなあ」
「誰がわがままだ! ただ、部屋で水浴びした方が楽なだけだ。第一、着替えもないだろう!」
後ろから掛かった声にすかさず突っ込んだエイミール。ボケと突っ込みの奥義を身につけつつある彼(彼女)、だが。一瞬の沈黙の後、ぼふっと顔から火を吹いた。
だが、そんな彼(彼女)にお構いなく声の人物は続けた。
「もーしゃーねーなぁ。エイミールの恥ずかしがりもさ。かえって誤解されるぞお。きっと気があるから、正視できなくて目をそらすんだーとか、顔が赤くなるんだーとか何とか言われてさぁ」
エイミールの真ん前に、腰タオル一枚の艶姿の青年・・・ナミが立っていた。
呆れたようにエイミールを見おろして、大きくため息なんか付いてみせる。
短い茶色の髪を水で濡らし、理知的な青の瞳が眇められ、鍛え上げられた裸体は、水をはじいて艶めいて見える。当社比80%のエロくささだ。・・・ぁ、でも閣下には敵いませんから!
「エイミール!恥ずかしがらずに飛び込んでおいで!」
勘違い馬鹿がもろ肌脱いでカマーンしているのには、真顔でとりあえず鉄拳を叩き込む。裏拳が寸分違わず顔面に炸裂した。撃沈した馬鹿には目もくれず、ナミは続けた。
「なー?こう言う馬鹿が増えるんだぞ。付き合いってのは大事なんだ」
「・・・ふくっ! 服、着てくれっ!」
「ああ?やだよ。この暑いのに・・・。ほれ、エイミールも暑いだろー? 観念しろ。脱げ脱げ。そんで一緒に涼もうぜー・・・」
炎の魔方陣を構成したから体の中から冷まさないとなー・・・。そう呟きながら、ナミが撃沈した男を踏みつけて歩いてくる・・・と、風のいたずらが。
「あ」と、エイミール。
「あ」と、フロス。
「アララ」と、ナミ。
・・・ナミの腰巻タオルがひらひらと落ちていった。
「うわあああああんんんんっ!!!」
泣きながらエイミールがフロスを踏み倒して逃げて行った。
「・・・あ。・・・えーと・・・ごめん・・・?」
エイミールの後姿に、謝りつつ首を傾げるナミの姿があった・・・。
泣きながら逃げ帰った部屋では、レイとレミレアがおろおろしていた。
「じょっ、嬢様! どうなさったのですか?」
「ねえさん!? ど、どうしたのさ!」
襲われたか?
押し倒されたか?
触られたのか?
触らされたのか?(どこを?)
キスされちゃったのか!?
揉まれたのか?
揉まされたのかも!(だから、どこを!)
どこのどいつだ?
殺してくるから、教えてよ!
泣いているエイミールの前でおろおろしながらも、思考はどんどん、凄惨なものに陥っていく二人。
エイミール至上の二人にとって、エイミールの涙は抹殺指令書に血文字でGOと書かれたも同然だ。
そんな二人の物騒に揺れる魔力に、エイミールはようやく顔を上げて彼らを見た。
涙に濡れた翠の瞳!!!
泣いたせいで頬が赤く染まり、わななく唇が眼に痛い。
頼りなげなその風情。守ってあげたいと切実に思うその表情に。
(ああぁ、泣いたお顔も壮絶に麗しいです、嬢様ぁああああ! しかし、その涙の代償は必ず払わせて参りますからなっ!)
(う、うあ、やべっ!その顔、やべっ!!! そんな心細い顔でお願いされたら・・・俺、イッちゃう!!!)
レイとレミレアが身悶えした。
・・・気を取り直して、ソファに座り、話し始めたエイミールによると。
「・・・みんな、修練のあと水浴びするの」
エイミールが男だと信じている彼らにとって、水浴びに参加しないエイミールは「付き合いが悪い」らしい。
「さ・・・誘われるんだ・・・断るんだけど。一緒に水浴びしようって」
で、今日は、その、その・・・。
風が吹いて、腰に巻いたタオルが・・・。
「「・・・落ちたのか」」
その憮然とした呟きに、頷いたエイミールの前で、妙に眼の据わった二人組み。
・・・そんで見せたのか。
男二人のまとう気配が黒く冷たくなっていく。
・・・私の可憐な嬢様に、そんなわいせつ物を。
・・・俺の可愛い姉さんに、そんな破廉恥なものを。
「「生かしておく価値はないな」」
にっこりと微笑んだ、レイとレミレアだった。
「え・・・」
「ねえさんは、ゆっくりしててね!」
「嬢様、ちと、お側を離れますぞ」
「「ちょっと行って殺してくる!」」
物騒なふたりはやっぱり物騒だった!
「だ、だめよ!殺しちゃ、だめ!」
・・・ま。二人がエイミールに止められるのもいつものこと。
そんでレイとレミレアがしぶしぶながらも言う事を聞いちゃうのもいつもの事。
((嬢様に)(ねえさんに)嫌われたくないものな!!!)
・・・そんな自分に酔い痴れて、いつも以上に力がこもった授業を行うのもいつもの事なのだ。
アカデミーの「冷徹の君」と呼ばれるレイ・テッドが、生徒に過酷な課題を与えるのはいつもの事。
泣きながら歯を食いしばって齧りついて来る生徒を無情に蹴り倒すのもいつもの事なら、本気が見える修練を課するのもいつものこと。
殺すつもりで大技を繰り出して、寸前で救い上げる。
必要なのは有能な人材。ごく普通の魔法使いなどに用はない。
(・・・さ、死ぬ気でかかっておいで)
お前達の身の内の、まだ開花せぬ力を見せてごらん。
貴様達の魔法力の底上げが、人界の存亡に関わってくるのは明白なんだ。
あの魔王様が嬢様を諦めるなど、万に一つも有りはしない。
いずれ、この地は血に染まる。
悲鳴と戦慄、恐怖と怖気。それに打ち勝てる強い力を、与えてやろう。
彼女を守り、彼女を助ける人材が欲しいのだ。
彼女を魔族から守れるほどの力をつけて欲しいのだ。
エイミールを守る盾は一つでも多いほうが良いのだから。
・・・だから、今は生かしておいてあげる。
私の華に群がる蟲だと知っていても、生かしておいてあげるよ。その華に悪さをしなければ・・・ね。
嬢様に囚われた事に気付きもしない青臭い餓鬼どもめ。
*******
ナミは、ライディンとフロスと共に水場で水を浴びながら、考えていた。
むう、と眉を寄せる。
フロスはどちらかと言うと、飄々としたつかみ所のない男だった。
ライディンだって、一匹狼で、つるむ事を良しとしないはずだった。
その彼らが率先してエイミールにちょっかいをかけてくるのが、不思議だった。
「・・・あんまりエイミールをからかうなよ。レイ教授に眼ぇ付けられるぞ」
と、フロスが言えば。
「・・・ふん。すでに眼付けられてる奴に言われたかねぇな」
ライディンが返した。
「同感だ」
そんな彼らを前に、ナミが呟いた。
「フロス、バイだって噂になってんぞ。この間も可愛い女の子ふったそうじゃないか」
ライディンの言葉にフロスは、けっと吐き捨てる。
「下世話だな。仕方ねぇだろう。女の子とデートするより、レイ教授の地獄の特訓の方が数倍も面白いんだからさ」
「あー。確かに・・・」
過酷な授業を思い浮かべて、身震いする三人組。
底光りする黒の眼差し。
暗闇から伸ばされる腕に、一切の容赦はない。
「だな。なんか、こう・・・死ねそうで死ねない感じ? でもさ、俺、強くなったと思うんだ」
レイ教授の容赦ない魔術に翻弄され、交す度に難易度が上っていく。その充実感は言葉に出来ない。
交すたび、受けるたび、値踏みする眼差しが体の細部まで暴くように突き刺さる。
「ああ。それは同感だ」
あの教授に認めてもらいたいのだ。
あの教授に一泡吹かせたいのだ。
あの、道具を試すような眼差しで我等を見る男に、自分の名前を教え込みたい。
ただの道具じゃなく、フロスとして。
ただの使える道具じゃなく、ナミとして。
ただの道具ではなく、ライディンとして。
三人はブル、と身を震わせた。
彼が認めている者は、学園の師ローリア教授と、弟であるレミレアと、フォルトラン殿下にディレス王子。
そして心酔しきっている末弟のエイミールだけだ。
エイミールに至っては、いまだ未知数なのに、彼の眼にブレはない。
きっとエイミールは稀代の魔法使いになるのだろう。
ローリアとレイの眼差しがそう言っている。
ならば努力をするしかないのだ。
彼と彼らに後れを取りたくないのなら。
授業が、テッド兄弟のおかげで、ぞくぞくするほど楽しいものになっていた。
アカデミーに選出されて、それだけでも名誉なのに、ここには充実した濃い時間が待っていたのだ。
心酔できる教授陣と。
背中を預けるに足る、級友達と。
中でも、努力を惜しまない、エイミール。
彼を思うと胸が熱くなる。
華奢な体、繊細な術、稀有な美貌はそんじょそこらの女の子じゃ太刀打ちできない。
女子に人気のフロスがエイミールに連れ添っている為か、下種な噂も後を立たない。
フォルトラン殿下に至っては、並み居る貴族の姫君を振りまくっているらしい。
ディレス王子だって・・・レイに心酔しきっている訳ではなさそうだ。
男でも良いんだ。エイミールがエイミールなら、それで良い。
そうぽっと思い至って、ナミは慌てた。
何を、思った!?俺は今、何を!
全身から力が抜け切るようだった。認めてしまえばこんなにも容易い。
「うわ。やだな、俺ってば。ライバルばっかじゃねーか・・・。しかも、脈なんてない!」
それなのに? それなのに、か。ナミ・ハルバードよお!
うわぁ、認めたくねえなあ。認めたくねぇ・・・。
「・・・俺、男もイケル口だったらしい」
「「は?」」
呆然と呟いたナミにフロスとライディンが目を剥いた。
ナミ・ハルバード。茶髪で青の瞳のすらりとした美人。炎の使い手で魔法陣の構成に長けた、女泣かせだった男だ。