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元蕎麦屋のおじいさん、幽霊に出会う

作者: 木邑
掲載日:2026/03/23

築60年あまりの公営団地。

ここが、わしの()()()だ。


建物をぐるりと囲むように背の高い雑草が生えているせいで、昼だというのに薄暗い。

駐輪場には乗り捨てられたボロボロの自転車や、

何年も停めっぱなしの雨ざらしのバイクやらが何台もあり、廃墟さながらだ。

近所の小学生にはお化け屋敷と呼ばれているようで、夏には肝試しにも使われているらしい。

入居時に挨拶に行った際、

苦々しい顔で、隣に住むじいさんが教えてくれた。

この公営団地は市が運営しており、居住権は抽選で選ばれ、収入によってはかなり安く入居できる。

古くさい団地だが、景気が悪い今では抽選に

当たるのも大変なようだ。

1回目の抽選で当たったことは喜ばしいが、ここに至るまでの経緯を考えると、諸手を挙げて喜べはしない。


長年勤めた会社を定年退職し、

趣味で始めたそば打ち。

趣味が高じて退職金をつぎこんで店を出すものの、あっという間に大赤字。

借金整理のためマイホームまで手放し、嫁にも逃げられ、今、わしの手元にはそば打ちの麺棒と、

わずかばかりの年金しか残っていない。

とりあえず、住むところが確保できただけでもよしとするべきか。


団地に住んでいるのは、わしのような老人ばかりであとは一握りのヤンキー若夫婦。

しかし団地内は意外にも治安が保たれている。

ヤンキー若夫婦のまだらな金髪のこどもも、老人ばかりのこの団地ではアイドルだ。

要するに、平和ということだ。

なにもかも失ったわしには、これ以上の望みは贅沢かもしれん。


隣のじいさんが、わしの住んでいる101号室は

事故物件だと教えてくれたが、

もうこれ以上失うものも怖いものもない。

しばらくは事故物件ということもすっかり忘れ、

ただ、何も起こらない日が過ぎていくのをじっとやり過ごす、そんな生活を送っておった。


しかし夜中の丑三つ時に、そいつは現れた。


くたくたのせんべい布団で眠っていたわしは、

ふと視線を感じた。

起き上がろうとするが、

縛られているように体が動かぬ。

顔だけを動かすと、足元にぼんやりと誰かが立ってわしを見下ろしているではないか。

あろうことか土足のままで。


思わず「人の家に勝手に入るやつがあるか!」と

どなってしまった。

年々怒りっぽくなっているから、

こればかりはしょうがない。


隣のじいさんが事故物件だといっていたのを思い出す。何十年か前に自殺があって、

その後入居した人間が事故死したとかどうとか。

まあ、昨日食った飯を覚えているかもあやしいじいさんの言うことだ。

話半分に聞いておくのがいいだろう。

とはいえ、うっすら透けている姿を見る限り

幽霊であることは間違いない。

それにしても今の居住権はわしにある。

あいさつもなしに、それもこんな夜中に

あがりこむとはけしからん。

じじいは夜中に一度目が覚めたらもう終わり。

再び眠りにつくことができないのだから。


幽霊は、顔の辺りにもやがかかっているせいで表情はわからんが、どうやら狼狽しているように見えた。


よく見ると、幽霊は男とも女ともわからぬものの、すらっと背が高く今風のパーカーを着ているようで、シルエットからどうやら若い男のように思える。


逃げた女房との間にこどもはできなかったが、

もしわしにこども、いや孫がいたら

これくらいだったかもしれん。

そう思うと、おろおろしている幽霊が

ほんの少しだけ気の毒になってしまった。


「お前さん、名前は何というんだ」

眠くて苛立ちそうになるのを抑え、極力優しい声で話しかけると、

幽霊は何かを伝えようとしている。

が、全くわからんかった。

わしの耳が遠いせいかもしれんと思い、何度も聞き直したが、結局何もわからんかった。


しょうがないので、わしは幽霊に

とりあえず

『バケ太』と名前をつけることにした。

そして、次に現れるときは、

もう少し時間を考えるように、と付け加えて。


バケ太は、夜が明けるまえに、

いつの間にか消えていた。


それからというもの、

バケ太はたびたび現れるようになった。

週に1~2回。まるでデイサービスのように。


わしのいったことを守り、夜中ではなく、

明け方の4時頃に現れる。


律儀なやつは嫌いではない。



「バケ太、おまえさん飯は食わんのか?」

早朝から日課の将棋を指しながら、前々から気になっていたことを聞いてみた。


幽霊だからさすがに人間と同じものは

食わんとは思うが、人間の生気や寿命を食っとるとしたら、さすがにわしのような老人1人分では大して腹も満たされないだろう。

野良猫のように、違う名前で呼ばれながら

あちこちで食事をしてるのかもしれん。


バケ太はゆっくりと首をふる。


どうやら、飯は食えるらしい。



冷蔵庫をのぞくが、たいしたもんは入っていない。幽霊といえど、まだ若そうだから、豆腐や納豆ではかわいそうだ。


「お前さん、そばは好きか?」


振り向くと、バケ太は大きく頷いていた。


「よし、じゃあ今からわしが打ってやろう」


確か蕎麦屋を閉店したときに、

そば粉も打ち粉も少しだけ持ってきている。



開かずの扉と化している押し入れから道具と材料を取り出す。店を閉じるときに、乱雑に段ボールに詰めていたのだ。マジックで、粉とかこね鉢と書きなぐられている段ボールを開封しながら、

まさか、またこいつを使うことになるとはな、と心の中で苦笑する。


こね鉢に計ったそば粉とつなぎ粉を

入れ、こねていく。


表情こそ見えないものの、

バケ太はわしの真横にぴったりくっついて、

興味があるように手元を覗き込んでくる。


なかなか可愛いやつじゃないか。


やってみるか、と声をかけると

何度も縦に首をふり、わしの返事も待たずに

こね鉢に手を入れてリズミカルにこねていく。

幽霊のわりになかなか筋がいい。


実際にはそば粉は1ミリも動いてないが、

バケ太は一生懸命こねながら、汗をふく動作までしている。



そうこうしているうちに、

窓から光がさしこんできた。

タイムリミットだ。


わしは、明日の朝もう一度来るように伝えるとバケ太は、残念そうに頷いた。


バケ太が、朝の光に溶け込んでいくように

ゆっくりと消えていくのを見つめながら、

久しぶりに誰かのためにそばを打つことに、

わしは年甲斐もなく心が踊るのを抑えられなかった。



その日を境に、バケ太は頻繁に現れるようになった。どうやら懐かれてしまったようだ。

明け方近くにやってくるこの風変わりな幽霊に手料理を振る舞うことが、日課となりつつあった。


包丁の使い方、食材の選び方、そば作りに必要なコツ、市販のめんつゆの有効な使い方…

果たして幽霊に必要な知識かは疑問ではあるが、

まるで孫に教えるように、教えていった。


何よりもうんうん、と頷きながら

わしの飯を一生懸命食う幽霊が

どうにも可愛くてしょうがなかった。

一方で思う。

女房がいたときにも、同じようにしてやればよかったと。

苦労ばかりかけてしまっていることに気づかぬふりをして、向き合うこともしなかった。こんな風に一緒に過ごす時間を、もっと大切にしていれば、違う未来があったかもしれん、と今になって後悔ばかりだ。

罪滅ぼしではないが、

せめて自分の目の前にいる幽霊にはきちんと向き合おうと思えるようになっていた。


何より、わし自身散歩して飯を食って寝るだけのつまらない生活だったが、いつしかバケ太が来るのが唯一の楽しみになっていた。



しかし楽しい時間はいつも突然に終わりを告げる。

数ヵ月後のある早朝。

バケ太がいつも現れる時間よりも早く、

背中が痛くて目が覚めてしまった。

枕元の時計はまだ、夜中の3時を指している。

やれやれ、とつぶやいて

布団からゆっくりと体を起こす。

背中だけでなく、顎や肩なども軋むように痛い。

うっすらと吐き気もする。

ここ数ヵ月、年甲斐もなく張り切りすぎたのかもしれん。

それに、日に日にバケ太の姿がはっきりと見えるようになっているのが気になっていた。

犬や猫などは飼っているうちに、表情がわかるようになるという。

同じたぐいの現象であればいいのだが、

もうひとつの仮説として、

わし自身のお迎えが近くなってきて、

この世のものでもない幽霊が徐々にはっきりと見えるようになっているのではないか、そんな気もする。


ただ、それも悪くない。

どうせこのまま生きていたって、働きもせず、細々と年金で暮らしながら、ゆっくり死ぬのを待つだけだ。面白いこともなく、幽霊との交流だけが楽しみになっているような人生なのだから。



思いを巡らせていると、

いつの間にかバケ太が隣で心配そうに顔を覗き込んでいた。


「なんじゃ、もう来たんか」


不調をバケ太に悟られないよう、できるだけ普段通りを装い、努めて明るい声を作る。


今日はそばの切り方を教えてやろう、といい冷蔵庫で寝かせていたそばを出そうと立った、その時。


胸をめった刺しにされたような激しい痛みが襲った。ぐうっ、と喉の奥から声にならない声が出る。思わず、体をよじり反射的に胸を押さえてうずくまってしまった。


ーああ、今日わしは死ぬのだ。


脂汗が出てくる。

やけに自分の呻き声が耳に響く。

ふとバケ太を見上げると、もやがかかっていた顔は、今やはっきりと見える。


慌てて何かを叫んでいるその顔は、想像していたよりもはるかに幼かった。

かわいそうに、バケ太もこんな苦しい思いをして死んでしまったのか。


わしから離れていくのが怖くて、なぜ死んだのか、成仏できないのには理由があったのか、聞けなかった。

こんなことなら、会話はできずとも、

うんうんとバケ太の気のすむまで話を聞いてやればよかった。

成仏してわしの前からいなくなるのが怖く、

ずっと一緒に過ごす時間にしがみついてしまった。


いつもこうだ。

いつもわしは、失くすときになってはじめて大事なことに気がつく。


苦しくて目がかすんでくる。

しかし、死んでも構わん、これだけは言わなくてはならん。


「…ありがとうなぁ、バケ太」



その瞬間、



『死ぬな…!!じいちゃん…!!!』


はっきりと声が聞こえたと同時に、

わしの意識は薄れていった。




次に目を覚ましたときは、

天国ではなく、消毒液の匂いに包まれた病院のベットの上だった。


医者によると急性心筋梗塞だったようで、

文字通り一命をとりとめたようだった。


どうやら隣のじいさんが異変を感じ、警察と救急車を呼んでくれたらしい。


見舞いにきてくれたじいさんによると、

寝ていたところ、足元におぞましい幽霊が現れ、慌てて家を飛び出したところ、わしの部屋のドアに無数の血まみれの手形がついており、パニックで通報をした、とのことだった。


警察と救急車が来る頃には、

煙のように跡形もなく手形は消えていたそうだ。


あと少し遅れていたら、

今頃あんたは火葬場にいただろう、とも教えてくれた。

ありがたいが、どうもデリカシーのないじいさんだ。

1週間ほど入院したあと、

わしは無事自宅にもどることができた。


自宅は、倒れたときそのままで、

ちゃぶ台の上には、作りかけのそばが、あの日のまま置かれていた。



ふと、畳に目をやると、ふるえる血文字で、大きく

『ありがとう』

とかかれているのが目にはいった。



きっと、もうバケ太は現れないだろう。

理由はないが、そう思った。

人助けをしたことで成仏したのか、それとも別の理由かはわからないが、それでも、もう会うことはできないことだけは、わかった。


寂しい。

こらえていた涙がぐっとあふれる。

恥ずかしいが、しょうがない。

こぼれる涙をぬぐったその指で血で書かれた文字をなぞる。


…消えない?


思わず、手のひらでごしごしとこする。

しかし畳に印刷されたかのように、血文字は一向に消える気配がなかった。


涙が引っ込み、かわりに急激に頭に血が上る。


「ばっかもーん!バケ太!!団地の畳は

借りとるもんが修繕せにゃならんのじゃぞ!!!」

気がつくと、わしは大きな声を出していた。


まるで、はじめてバケ太と出会ったときのように。



ー後日譚ー


バケ太に救われた命で、

蕎麦屋として再起した、などという美談にはならなかったが、かわりに、シルバー人材センターに登録し、草刈りや木の剪定など臨時で働くようになった。そこで得た賃金で、月に一度、団地の集会所にてボランティアでそば打ち教室をしている。


どうやらそばを提供するよりも、教える方が向いているようだ。店を出していたときよりも多く人が来てくれている。

案外蕎麦屋をやめてからのほうが、いいそばが打てているかもしれない。


ちなみに、わしを助けてくれた隣のじいさんは、予知夢を見てわしの危険にかけつけたと言い出し、思うところもあったのか、『ムッシュウ誠』という名で

占い師として活躍している。

どこかで聞いたことのあるような名前だ。


同じく団地の集会所で15分200円で未来を占っているらしい。かなりインチキくさいが、今のところ来月まで予約はいっぱいだそうだ。

繁盛してなにより。


あれから一年。


今日はわしが死ななかった記念日。

そしてバケ太の成仏記念日。

小さな段ボールで簡易的に作ったバケ太の仏壇に、小さな椀にいれた蕎麦を入れそっと手を合わせた。

畳には、まだあの日の血文字が残っている。

ふと、笑みがこぼれる。


今度天国で会うときには、

これよりもっと上手くなった蕎麦を食べさせてやるからな、などと考えながら、

もう一度手を合わせた。

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