第一曲
――ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ!
「……、ん……」
枕元にあるスマートフォンから、規則正しいアラーム音が鳴っている。
皆見奏は、手探りでスマートフォンを手に取りアラームを止め、のそりと起き上がった。彼の表情は眉に皺を寄せ、寝起きの悪さが滲み出ていた。
スマートフォンに表示されている時間を見れば、まだ六時。彼が思っていたよりも早めにアラームをかけていたようだ。
「……起きよ」
奏は今から二度寝をしたら確実に今日の高校の入学式に遅刻すると瞬時に思った。
ベッドから降りて、カーテンを開けると、春独特の暖かい日差しが部屋に差し込んだ。部屋の空気を入れ替えるために窓を開ける。
ふわりと心地の良い風が部屋に入ってくる。
「……いい天気だな……、あっ、桜の花びら」
どこからか飛んできた桜の花びらが奏の部屋に入ってきた。
奏は花びらを拾って微笑む。
「あいつと同じ名前の花……」
花びらを窓の外に優しく落とし、寝巻きから真新しい制服に着替えた。
奏は特に気に留めることなく、ネクタイを緩く結び、ワイシャツの第一ボタンを開け、ブレザーを羽織って自室から出る。
一階の洗面台に行き、顔を洗う。そこで軽く寝癖をチェックした。
大丈夫なことを確認してリビングに入ると、奏の両親の楽しそうな声が聞こえてきた。
「おはよ」
「おはよ〜、奏」
「おう、おはよう。……奏、入学式なのにその格好で行くのか?」
奏の父、皆見健は奏の格好を見て少し驚いた表情をした。
「……? 別に普通じゃ……」
「第一ボタン開けて、そんなネクタイゆるゆるにして。お前も変わったなぁ」
目元を拭う真似をする健とそれをめんどくさそうに見る奏のやりとりを見た奏の母、皆見雫は微笑んでいた。
「変わったなぁって……。窮屈なのは嫌いだし」
「まぁ校則違反はしてないんだし、大丈夫でしょう。ほら、奏。朝ごはん食べちゃって」
雫はそう言いながら、料理の乗った皿を机の上に置いた。
奏は座って朝食を食べ始める。
すると健は何か思い出したのか、椅子から立ち上がってリビングにある棚から、イヤホンを取り出した。
「そういえばこの間、優一くんが家に来ただろ? その時にイヤホンを忘れていったんだ。奏、渡しといてくれるか?」
「……家が隣なんだから、ポストにでも放り込んでおけばいいだろ?」
「そうなんだけどさ。どちらにせよ、今日会うんだから渡しといてくれよ。よろしくな〜」
健は机の上にイヤホンを置いて、「いってきまーす」と言いリビングから出て行った。
奏は渋々、イヤホンをポケットに入れた。
「あ、そうだわ。今日ね、優一くんとこと咲良ちゃんとこと入学のお祝いにご飯食べに行くの。学校の校門辺りで合流しましょ。今日はお仕事ないわよね?」
「うん、ないよ」
コーヒーを飲みながら、奏が頷く。窓の外を見ると優しい朝の日差しがリビングに差し込んでいた。
テレビの天気予報では過ごしやすい気候となっているようだ。絶好の入学式日和である。
「ご馳走様」
奏は食べ終わった食器をキッチンに運んだ後、自室から荷物を取りに行こうとリビングから出ようとした。
すると突然、リビングの扉が思いっきり開いて、ドアが奏の顔面に直撃した。
「――っ!! ……ぃたっ……」
突然の痛みに奏はその場に座り込む。奏が見上げると奏の妹、皆見歌音が悪びれる様子もなく笑っていた。
「あ、ごっめーん! お兄ちゃん、わざとじゃないから〜!」
歌音は軽く謝った後、リビングのテーブルについた。
「かの、ダメじゃない。お兄ちゃんの大事な顔に傷でもついたらどうするの?」
「大丈夫だって! お兄ちゃんだもん! 平気だよ!」
歌音がケラケラ笑っているのを、奏は後ろから歌音の頭を鷲掴みした。
その瞬間に「いててて!」と声を上げる歌音。
「お兄ちゃんだもんってどういうこと?」
「傷がついてもお兄ちゃんはイケメンってことだよ!」
痛がりながらも、若干ニヤニヤしている歌音を見て奏はため息をつく。その時に手をスッと離した。
「……まぁ、そういうことにしとく」
その様子を見ていた雫が「あっ」と声をあげた。
「奏、時間大丈夫?」
雫にそう言われて奏は時計を見ると、いつの間にか七時半になろうとしていた。
「やば……っ! いってきますっ!」
そう言って奏は急いで自室から鞄を持ってきて、慌てて家を飛び出した。
* * *
――プルルルルル……。
『ドアが閉まります。ご注意下さい』
奏が駆け込んだ電車は、乗る予定の時間の電車だった。
無事に目的の電車に乗れたことに奏は安心し、息を整えながらドアにもたれる。
そこでスマホを出して今日のニュースを見る。
その際、椅子に座っていた女子高生たちの会話がうっすらと聞こえてきた。
「ねぇ、そこに立ってるのってもしかして……」
「えぇ、そうなのかな……。確かに似てるけど、こんなところにいる?」
「でも今年から高一なんでしょ! 皆見奏! うちらの一個下なのにめっちゃ大人っぽいよね!」
「それは分かる! この間の握手会でも年下とは思えなかったもん!」
電車、という公共の場だろうか。彼女たちはひそひそと小さい声で話している。
彼女たちの会話を遮断するように、奏はイヤホンをして、ふと目に止まった記事を開いた。
それは今、人気急上昇中のアイドルグループ"Maiso"の記事だった。
そこにはメンバーと、そのプロフィールなどが書いてある。奏はその中にいる、彼女たちが話していた"皆見奏"の欄に目をやった。
プロフィール画像に映っている写真は紛れもなく奏本人である。それも当然ことで、彼がそのアイドルグループに所属している"皆見奏"なのだから。
だがしかしアイドルといっても、その活動をしていない時は普通の学生だ。さっきの女子高生たちにバレかけたことを気にして、今後は変装でもしようかと奏は一瞬考える。
しかしその時になったらまた、その時に考えようと思って奏はドア越しから外の景色を眺めていた。
駅に降りて改札を抜けるまで、かなりの視線を浴びた。幸い声をかけられることはなかったけれど、これが毎日続くかと思うと奏は気が滅入った。
駅の出入り口には見慣れた背中が二つ並んでいた。
「おはよ。咲良、優一」
彼らはゆっくりと奏の方に振り向いた。
「あ! 奏、おはよ!」
「おはよ〜。相変わらずの人気ぶりで」
「うっさい」
「おぉ、こわ。あの王子様がこんなんだってファンが知ったら失神するよ?」
そう言って、奏のことを茶化してくるのは奏の従兄弟の氷山優一。
奏をいじることが大好きで、奏の反応を見てはいつも楽しんでいる。
「いやいや、逆にこのギャップがいいって言う子もいるかもよ?」
そして優一とは別方向で茶化してくるのが、奏と優一の幼馴染の相川咲良。
優一とは違い真面目な性格だが、たまにこうやって優一と一緒になって楽しむ悪い癖もある。
「……はぁ、あのなぁ……って、それよりも優一さ。俺が言えた立場じゃないけど、何その格好」
奏は優一を指差して言う。
彼の今の格好はネクタイなし、第一ボタンだけでなく第二ボタンまで開いたワイシャツ、ブレザーではなくオーバーサイズのカーディガンを着用。
いかにも、風紀委員に取り締まってください、と言っているような格好だった。
「ほら! 奏もそう言ってる! やっぱりおかしいんじゃん!」
「え、別に大丈夫でしょ。二人とも心配しすぎだって!」
呑気そうに笑っている優一を見て、奏はため息が出た。
「……何言われても知らないからな」
そう言って奏は歩き出した。
「そんな冷たいこと言わないでよ、奏〜」
「えっ!? ちょっ!? 二人とも待ってよ〜!」
奏の後ろから優一と咲良がついてきて、三人並んで学校に向かった。
校門の前まで行くと、入学する生徒とその親たちで溢れかえっていた。
奏たちが入学する学校は中高一貫の私立律崎高等学校。
中高一貫であるため、高等部の過半数は中学校からの持ち上がりが多い。しかし中には、奏たちのような外部生もちらほらいる。
奏たちはその人混みを掻き分けてクラス分けが掲示されている場所に移動した。そこでそれぞれが自分の名前を探す。
皆見奏という文字は四組の欄に書かれていた。
「ねぇねぇ! 二人とも何組? 私、四組!」
「僕も四組だった〜。奏は?」
「……俺も、四組」
その瞬間、咲良が驚いたように大声を上げた。
「えーっ! すごい偶然! 一年間よろしくね!」
咲良は奏と優一の手を片手ずつ取ってぶんぶんと勢いよく振り回していた。
すると学校内に放送が流れた。
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。クラスを確認した人から体育館へ行き、指定の座席に座ってお待ち下さい。繰り返します……」
「あ、もう行かなきゃ。……咲良ちゃん、いつまで手、握ってんの? 早く行こう?」
「あ、ごめん! つい嬉しくて……、行こっか!」
優一がそう言って咲良は気恥ずかしそうに慌てて手を離した。
二人は並んで校舎に歩いていく。その二人に追いつき、奏も同じように並んだ。
体育館に着くと、既に半分近くの生徒と保護者が揃っていた。
奏たちは四組の列を探す。
奏たちのクラスの列の後ろに着いたとき、彼らは後ろから突然、声をかけられた。
「えっと……、氷山優一くん?」
振り返ると、ぱっと見、二十代前半に見えるスラリとした体型の男性が立っていた。
「は〜い。僕が氷山優一で〜す」
優一が自分を指差して言う。
「そうか、君が氷山くんね。俺は君たちの担任の一ノ瀬洸太だ。一年間よろしく。…………って、その格好で新入生代表の挨拶をするつもりか……?」
奏たちの担任の洸太は優一の格好を見て、困った表情をした。
「あれ? それ僕でしたっけ? てっきり別の人かと思ってました!」
「えぇ!? 優一、新入生代表なの!? ってことは入学試験の首席じゃん!」
「そうだったような……、そうじゃなかったような?」
本気で忘れていた反応をした優一を見た洸太は、また大きなため息をついた。
「本気で忘れてたみたいだな……。即席で挨拶はできそうなのか?」
「そこはまぁ……、僕、天才なので」
優一はキリッとした表情で自信満々に言った。
奏と咲良は、そんな優一を見て苦笑いをする。
「……服装、どうにかならないか……? さすがにその格好はマズイだろ……」
洸太はさらに頭を抱えながら、優一の格好を指差しながら言った。
「そう言われても〜……。……あっ、いいこと思いついたっ!」
そう言って優一は奏の方を向いて詰め寄った。その瞬間に奏は嫌な予感がすると直感的に感じた。
「ちょっと来てっ!」
「ちょっ、優一……!」
優一は有無を言わさず、奏を連行した。
「……なんで俺が……、こんな格好……」
あれから奏は無理やりブレザーとネクタイをひったくられ、代わりに優一のカーディガンを押し付けられた。
「これなら問題ないでしょっ! センセっ!」
優一はドヤ顔をして両手を腰に当てて、誇らしげだった。
洸太は大きなため息をつきながら、渋々頷いていた。
「いやいやいや、俺がよくない。よくないから」
「往生際が悪いぞ奏くん! いいじゃん! 奏は前に出ないんだし。それとも奏が代わりにやる?」
奏が抗議すると、優一はニヤニヤしながらそう言ってきた。奏はその言葉に思わず顔が歪んだ。
「……入学式終わったらすぐに返せよ……」
「はーい!」
優一は満足げな顔をして、洸太の後をついていった。
「……はぁ、最悪……」
奏がそう呟くと、隣で咲良が笑った。
そんな咲良を奏がジトっとした目でと見ると、咲良は謝った。
「ごめんごめん。早く席に座ろっか。このままじゃ余計に奏が目立っちゃう」
「……そうだな」
奏はなるべく目立たないように、大人しく席に座った。
程なくして入学式が始まり、新入生代表の挨拶まで滞りなく進んだ。
「次に新入生代表の挨拶です。新入生代表、氷山優一さん」
「はい」
優一が立ち上がり、教壇に上がる。
その姿はいつものふわふわした雰囲気はなく、ネクタイはしっかり締められ、シャツの第一ボタンも閉められ、ブレザーもピシッと直されていた。
洸太に前に出るときぐらいはきちんとしろとでも言われたのだろう。
優一のあんなピシッとした姿を滅多に見ないため、奏は思わず笑いそうになり、口に手を当てた。ちらりと優一の方を見ると、優一も奏の方を向いていた。
奏が笑いを堪えてるのに勘づいたのか、優一はニコッと笑った。その表情はまるで「笑うなバカ」と言っているような表情だった。
それから無事に新入生代表の挨拶も終わり、入学式も終わった。
「……あ〜、しんど〜……。やっとこの堅苦しいのから解放される〜……」
入学式が終わった後、奏と優一は物陰でお互いの服を交換した。
「俺はあんな姿の優一なんて珍しいから面白かったけど?」
奏はネクタイを締め直しつつそう言った。
「お前、笑いそうになってたじゃん。僕はもうあんなのはしたくないでーす」
優一がグチグチと文句を言いながら、カーディガンに袖を通す。
「この後、何するんだっけ?」
もう着替え終わった奏が鞄を持ち直しながら、壁際に立っていた咲良に聞く。
「教室に行くんだよ。担任の先生の話とか教科書とか?」
「それぐらいなら帰ってもいいー?」
「ダメでーす。私が責任持って連れてきまーす」
咲良はめんどくさがっている優一の腕を掴んで体育館から出ようする。
そのときに咲良は奏の腕も一緒に掴んだ。
「どうせ奏もめんどくさがってるから捕獲」
咲良は小さく舌を出して笑った。
奏は目をパチクリさせて驚いた。しかし、すぐにいつも通りの表情に戻って、されるがままで体育館から出た。
のんびりと奏たちは自分たちの教室に行くと、すでに他のクラスメイトはみんな揃っていて、奏たちが最後だった。
「あ、やっときたな。お前らも早く席に座れよ」
洸太が三人の姿を見て、席に座るよう促した。
三人が席に座ると、洸太は話し始めた。
「入学おめでとう。一年間このクラスの担任の一ノ瀬洸太だ。よろしく。……で、まずそれぞれの机の上にあるのが教科書な。各自、きちんと持ち帰ること」
そこから洸太がいろいろ話をして、事が進んでいった。
教室でのやるべきことが全て終わり、解散になって洸太が出て行った後、奏の席にたくさんの人が群がってきた。
「ね、ねぇ! 君ってあの皆見奏だよね!? 握手お願い〜!」
「あ、ズルイ! 私も!」
「なぁなぁ! 俺と写真撮ってよ!」
「サイン! サインちょうだい!」
「いや、ちょ……、待って……」
思っていた以上に人が集まってきて、奏はどうしようかと思っていた時、咲良と優一が遠くの方からこっちをみているのに気がついた。
奏はさりげなく優一に視線で助けを求める。
すると、優一はニヤッと笑って奏の方に近づく。
「ちょっと奏〜! 今日、僕の買い物に付き合ってくれるって言ったじゃん! 久しぶりの休みだから〜って!」
そう言いながら、優一は強引に人混みを分けて奏の前に出てきた。そして奏の腕とカバンを掴んで、強引に人混みから出た。
「え、ちょっと待って! まだ私の用事終わってない!」
「俺だって!」
クラスメイトがそう主張すると、優一は彼らの方に向かって舌を出した。
「ごめんね? 奏のせっかくの休みだから早く遊びたくって! 従兄弟なのにちっとも会えないんだもん! 奏、早く行こう!」
優一は奏の腕を引っ張りながら、普段だったら絶対に言わないであろうことを口にした。
従兄弟という言葉にみんなは驚いたのか、目を見開いてこっちを見ていた。
奏たちが教室から出ると、廊下にまで響き渡るほどの大きな声が響いてきた。
教室の外では咲良が優一の鞄をって待っていた。
「あ、無事に出れた?」
「楽勝! それはそうと奏、報酬よろしく!」
優一は咲良からカバンを受け取って奏の方に振り向きながら、ウインクして言った。
奏は苦笑いをして了承すれば、優一は上機嫌で歩いていく。
その後ろに奏と咲良もついていった。




