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作者: 霜惣吹翠

 僕がバスケットボールに恋したのは四十五インチのテレビ越しにリバースダンクを叩きつけたある人のせいだった。テレビの枠にぶら下がったようである。コービーブライアントだ。なぜそれでバスケが好きになったのかを僕はここで話さない。彼のハイライトを一度見れば誰だってわかるからだ。ただ彼はもちろんその汗がキラキラしていた。三歳の僕はそこに流れ星を見た。

 それからすぐ僕は父にバスケットボールとゴールをせがんだ。日本にゴールはほとんどなかったからアメリカによくある庭のゴールを連想した。でもビー玉のような風船と猫が潜るような穴を壁に付けたくらいのものしかくれなかった。僕はとうとう六歳になるまでテレビでしかバスケットゴールを見たことが無かった。

 五月五日のこどもの日の頃、六歳の僕は親にテーマパークへ連れて行ってもらった。妹が楽しみにして飛び跳ねるのが煩かった。その気分を紛らわすため、だけでない。僕は窓の向こうで三メートル五センチの看板を探していた。いつだってそうだ。高速道路から降りてからすぐに広い公園があった。そこにバスケっとゴールを見つけた。すでに僕の心はテーマパークを忘れていた。僕はワガママにそこへ行きたいとせがんだが、父に怒鳴られると涙に過ぎ去った。液体のりのような涙だった。

 その帰り。テーマパークは案外楽しかった。反面、かなり疲れた。眠たかった。夕焼けの車内は運転する父しか起きていなかった。僕は眠る妹の向こうにまた公園を覗いた。ゴールの間に浮かぶ夕の赤い丸はバスケットボールのようだった。しんみりとした風が過ぎ去った。

 フロントミラーがピカッと光った。父は負けた。車は公園に止まった。

 僕はボールを持っていなかった。だからただ見上げた。ゴールは大樹のごとくそこにあった。正直見ているだけで楽しかった。今振り返ればテレビの中の女優にあったような、憧れの到達という感覚だ。僕はゴールと対面するだけで喜べた。でも僕は少しだけ好奇心旺盛だった。ゴールの真下に行ってネットとリングから夕陽を覗いた。さながらクラッチスリーを叩きこまれたセンターの気持ちを想像した。ボールは夜に沈み、そのまま試合は終わった。


 僕が初めてバスケットボールをしたのはそれから三年後だった。実はそれまでに友達と町のバスケットゴールを探し出して遊ぼうとしたが、とても高くてどうしようもないし、中学生がギラギラしていて怖くて近づけなかった。だから小学四年生のクラブでのミニバスケットが僕の初めてだった。

 ゴールはそれでも大きかった。初めてドリブルをしたときはボールの反動で僕のほうが跳ねてしまって転んだ。そのまま転がって頭をぶつけたときはボールの気持ちを知った。

 しかしバスケットボールは楽しかった。僕はきっと輝いていただろう。最初はクラブの一二時間だったものが、足らず庭でドリブルしたりして五六時間、それでも足らず、公園の魔塔にボールを投げて八時間。母に叱られたが、僕の心はいつだって弾んでいたし、さながら僕はコービーはこんな気持ちだったろうと想像した。僕は今、コービーと同じ汗を掻いている。

 ゆえに僕の目標はNBAに到達した。少年は間違いなくかなり夢見ていた。でもバスケットボールにはそれほどの力があった。


 俺が初めてバスケットボールを嫌いになったのは中学三年生のときだ。四六時中バスケをしていたら教師に怒鳴られた。うちのバスケ部は弱小だった。どれほど練習しても試合に勝てるはずがない。そういう嘲笑を、ときには慈愛じみたもので教師共は僕を誑かそうとした。だけでない、まんまと部員はそれに引っかかってバスケに意欲がない。帰宅部になると目立ち、すると不良に目を付けられる。それを嫌がるだけで練習もまともにやらない。僕はその真っ向逆だったからそういうのと対立していた。その末に孤独だった。

 孤独の穴からマグマのごとく怒りが噴き出れば、僕は決まって学校をサボった。公園のゴールにボールを放った。綺麗な弧を描いてリングに吸い込まれていった。その下に長髪の男がいた。

 背丈は中学生のものではなく、学ランを着ているから高校生だろう。男は俺のボールを指で回すとボーリングのごとくこちらへ転がした。


 「お前、学校はどうした? サボったのか? 真面目そうに見えるがね。お前も学校や勉強が嫌いなんだろ?」

 「時間が勿体ないだけだ。椅子に座っているより体動かさないといけない。それに俺は周りの人間みたいに地味な人生に興味はない。機械みたいに生きるつもりは無いんだ」

 「よく言うぜ。たまにお前のこと見てたけどさ、四六時中ここでバスケしてんだろ。同じことずっとして、まるで機械みたいだぜ」

 「いいだろ別に。どけよ」

 「俺は圭。なぁお前、バスケ一色の人生もいいけどさ、もっといろんな景色見に行かねえか。もっと楽しいこと教えてやるよ」


 バスケットボールより楽しいことなどこの世にあるわけがない。と俺は思い込んでいた。そうでも十四歳の孤独は煙草の煙に温かさを求めてしまった。試合に出てもどうせ勝てない。息抜きをしたかった。また不良など大したことが無いと証明したかった。

 結果として俺は不良になった。今まであった鬱憤の解放する場所を見つけた。

 俺は圭のバイクに乗せられ、町の影を覗いた。町の外を走った。ぶつかる風は荒々しいが、景色は壮大だった。学校の外、夜の外に出た。コートの内側より外側のほうが遥かに広いのだと証明されてしまった。孤独はコートの内側に、そこに留まろうとする窮屈さに鬱憤があったと判明した。バスケが苦痛であることに気づいたのだ。

 夜のバイクに弾かれる圭の汗もまた輝いていた。コービーのようではない。さらさらした、まるで乙女のような汗だ。俺はそこに孤独を見た。暴れれば圭の目はギラギラと触りがたい光を放つが、終わってみればこうも弱い。恋ではなく、俺はその先にある人生を憂いた。心配になった。

 俺は十五ながら圭にバイクの乗り方を教わった。自分の足が欲しかったし、圭にぶら下がるのも飽きていた。事故って足を折った。自由に走ろうとしたのに病院に足を縛られてしまった。


 圭が殺人をした。

 ある朝、俺は病室の六十五インチのテレビの向こうに夜の抜けたような白い男が映った。手錠が付けられていた彼が圭だった。恋人を殺したらしい。映る名前はたしかに圭のものでも、俺の知っている圭ではなかった。

 俺はその後黙った。あの顛末に憚られた。ああはなりたくないや怖いからというよりは、単に近づきたくない、関わりたくない。いや、圭がそういった雰囲気を出していた。ああなった圭と会っても損をするだけと本能的に察したのかもしれない。

 一時の解放が終わって、俺は学校に戻った。学校は小鳥小屋のように映った。平和という幻想で包もうとする空気はどこぞの薬の甘い香りを彷彿とさせた。結局、俺は授業をサボって体育館で玉遊び、人がいれば町を散歩するようになった。たまに学内の不良が絡んできたりもしたが、面倒なので逃げた。

 俺は心底バスケに憑りつかれていたらしい。やることがないとまた公園にいた。することがないからボールを投げていた。以前のように綺麗な弧は描かない。砲丸投げや野球のピッチャーのように投げた。

 そんなところに退屈そうな十三歳がやってきた。真面目な学ランだ。俺はなんだか苛立っていた。ボールをぶん投げて追い払った。

 ところがアイツはたまに現れるし、俺は暇だったから、、アイツとバスケするようになった。意外にもこういうのは長く続いた。十三歳は学校で虐められていて、それが嫌だからとサボっているらしい。同級生に殴られるくらいなら親に叱られた方がマシだと。俺は優しくなかった。むしろ小僧の心をへし折るためにバスケでボコボコにした。

 つもりがコイツのほうが上手だったから俺はいつも負けていた。ついに中学を卒業するまで大人らしさを見せつけることができなかった。つくづく自分はバスケに向いていないと自覚して、俺は同時にバスケからも卒業した。


 それから工場で働くようになって、今や朝に揺れる学ランも日常に溶け去った。ドロドロの液体を運んでは流して、自分もドロドロの汗を掻く毎日だ。安い給料と重い体。充足しない空っぽの心。俺は何のために生きているのだろう。社宅の小さな洗面所の水たまりに映る俺の表情はあのときの圭と酷似していた。

 夜になれば工場の仲間と油のような酒を胃に流す。ありもしない幻想を煙草と一緒に吹かし、ぼんやりとする居酒屋の照明を焦げ茶色の入ったグラスで隠す。今にして二十一歳、これからあと何十年、何倍、こんなのを続けるのか。未来を想像するとつまらない気持ちになるから考えない。かといって思い出す過去もありきたりだから鼻が勃たない。香るのは灰色の溜息だけ。

 こういった日々の指摘に刺激が足りないだの、夢がないからと吐く馬鹿者がいる。まさしく同僚の勝平のことだ。勝平は誰よりも酒を飲み、灰を吸い、女を抱き、喰らう。仕事は平凡だ。こいつは億万長者になりたいらしい。子供じみた夢だ。どうするのかと聞けば返ってくるのは大抵運、度胸、理屈にもならない理屈だ。パチンコ、競馬、麻雀、オンラインカジノ。決まって負けて借金をして次は次はと酒を飲む。馬鹿者だろう。

 俺は人生に飽き飽きしていた。勝平がわめしい輝きを放つと、陰って見える俺たちの人生を嗤うようで、それに飽き飽きしていた。けども人は誰かを見下さないと満足できない生き物なのかもしれないとたまに共感もする。

 とある日だった。勝平は狭い居酒屋で俺と仲の良いもう一人に秘密の話をした。勝平はいつもの態度で「強盗をしよう」と誘ってきた。チャンスが来た。人生を逆転させるにはリスクも必要だ。などといつものセリフも混ぜた。もう一人は酔っていたらしい。まんまと乗っかってしまった。勝平の唾が俺にもかかった。俺は断った。単に疲れ切っていた。勝平は今までで一番黒く渦巻いた表情をした。俺を徹底的に見下したのだろう。そういうのにも疲れた。


 二十六インチのテレビに勝平が映った。富豪ではない罪人である。老婆を殴っただけで人は殺していないが、薬は吸っていたらしい。馬鹿なやつだ。あまりに滑稽だから少しだけ気分がよくなった。

 そうはそうとて変わらない日常が続く。煩いやつが消えて工場は機械の色に染まっていた。評判の良くなかった高齢の先輩方に説得力が付いたようだ。周りの若いのも真面目だった。これもまた面白いから高揚した。少しだけ心の穴が踊った気もした。

 それから昼休み。公園で日光浴しようとしたら、小学生の子供が一人でバスケをしていた。届きもしないバスケットゴールに風船玉を頑張って風船玉を投げている。ビー玉のような幼い目で、四十五センチのリングの向こうを見上げていた。今日はよく晴れている。きっといい景色だろう。


 

 

細かい数字が間違っているかもしれないけど知らん。

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