8 悪夢は覚める
お怪我はありませんでしたか?
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佐藤桜
私の両親は怪人に殺された。
建物が燃え、焦げた臭いが鼻を突き、至る所から空に向かって黒煙が立ちのぼっていた。
倒れた父と母の手を握って叫んでも、返事はなかった。あの時、私はただ、助けてくれる誰かを……
ヒーローを待っていた。
そのほんの三十分もしないうちに、一人のヒーローが現れた。黒い和服に銀の刺繍。まるで葬式に現れた死神のようで、同時に、可愛らしくも不気味な市松人形のようにも見えた。
そのヒーローが怪人を倒す様を、私はただ呆然と見ていた。恐ろしいほど静かで、まるで現実じゃないような一瞬の出来事だった。
来るのが……遅すぎる……
気がつけば、私はそのヒーローに近づいて服を掴んでいた。
「なんでもっと早く来てくれなかったの……! お母さんが……お父さんもおおおお!」
ヒーローは、私と同じくらいの少女に見えた。長い黒髪はさらりと乱れ、目の下には濃いクマが刻まれている。その子は、気まずそうに私を黙って見ていた。何も言わず、何も否定せず、ただ私の怒りと涙を受け止めていた。
もし、あのとき私に力があったなら……そう、何度願ったかわからない。その願いは、三年の歳月を経て、叶った。
私はヒーローとしての力に目覚めた。
その知らせを聞いた姉は、どこか複雑な顔で
「おめでとう」
と言ってくれた。心から祝ってくれたのか、それとも、私の歩もうとしている道に不安を感じていたのか。今となってはわからない。
短期のヒーロー訓練所に入ると、想像していた以上の現実が待っていた。
あの時どこから湧いたのかすら妙な自信は、初日の訓練であっけなく砕かれた。軒並みいる同期の中で、自分の力がどれほど頼りないものか思い知らされ、心が折れそうになった。
ある日、研修所からくたくたになって帰宅し、ぽつりと、やめようかな、と漏らすと、姉はほっとしたように笑顔で言った。
「やめてもいいんだよ、桜。
普通のままの桜で私は構わないんだよ」
でも、私の中にはまだ、うまく言葉にできない感情が残っていた。辞めたくてたまらないわけじゃない。でも、ヒーローとして続ける自信もない……そんな曖昧なまま、短期の訓練を終えて、私は4月を迎えた。
私の名前を呼ぶように、街中に私と同じ名前の桜が咲き始めていた。どこか、応援してくれているようにさえ思えた。
そして、春風のように現れたのが師匠だった。
師匠に出会い、訓練を受けるようになった。言葉はきつく、方法も容赦がなかった。でも、不思議な安心感があった。ちゃんと見てくれている、という感覚。
中級の怪人を、坂本君と2人がかりでなんとか倒せたとき、初めて『私はヒーローになれたのかもしれない』と思った。
でも、怪人を倒したところで、両親は戻らない。
復讐は私の心を満たさず、むしろ、自分がヒーローとして足りない実力ばかりが浮き彫りになった。
ヒーローという仕事は、想像していたより、ずっと重いもので、過酷なものだった。
毎日の訓練でクタクタになることもあるが、何よりも、本番である怪人との戦いはちょっとしたミスや油断で命を失う。
私は恵まれていた。この街で、たった2回の出動しかない。その上、師匠から指導してもらえているし、学校で普通に授業にも出れる。
あの日、私が罵倒を浴びせたあのヒーローとは違って……。
調べれば調べるほど過酷だった。彼女は、ほぼ休みなく走り回り、私の何十倍も広い範囲を一人でカバーしていた。仲間もバディもなく、孤独な戦いを続けていたのだ。
おそらく、学校にも行けないし、遊ぶ時間も、そもそも寝る間もなかったに違いない。
その人こそが、圧倒的な撃破数を誇り、必ず怪人を『墓にぶち込む』と言われたヒーロー『埋葬人』。無慈悲で孤独なヒーローだった。
ある日、病室のベッドに伏せる師匠と、他愛ない雑談をしていた時、ふと弱音が漏れた。
過去のヒーローたちの苦労が、身に染みてわかるようになったこと。ヒーローのことを何もわかっていなくて、街を助けてくれたヒーローにかつて怒りをぶつけた自分が恥ずかしいこと。訓練だけで疲弊している自分が情けないこと。そして、倒した怪人はたったの2体、それも坂本くんの助けがあったからこそだったこと。
「……私、ヒーロー、向いてないかもしれません」
すると、師匠は静かに言った。
「無理して続ける必要はない。他にもヒーローはいる。あなた1人いなくなっても、世界は回る」
でも……と、彼女は言葉をつなげた。
「でも……どこかに『やめたら後悔する』って気持ちがあるなら、それは、多分、続けた方がいいよ」
そう、しんみり私に語りかけた。
その声には、ただ優しさだけではない、どこか自分を重ねているような響きがあった。まるで、青白い小さな炎のように、静かで強い熱を宿していた。
「なんで師匠はヒーローをやめ、いや、なんで、ヒーローになったんですか?」
私の問いに、彼女は少しだけ黙って、それからぽつりとつぶやいた。
「なりたかったわけじゃない。ただ、拒否すれば、大事な人たちがみんな死ぬってわかってた。それに私以外の誰かにも、死んだら悲しむ人はいるでしょ? だから、選ぶしかなかった」
そのあと、師匠はぽつぽつと昔話を語ってくれた。
「最初は酷かったよ。私の先輩が先輩マウント取ってきてさ、訓練も厳しいし、三か月間もびっしり朝から日が暮れるまで。時々夜間訓練で無理やり起こされて真夜中の森で組み手やらされたり。その後は怪人をさ、ほとんど休まないで駆除に出掛けて、基地に休みに帰れず、戦い終わったその場で寝たり、ヒーローの死体と間違われたり、しばらくずっと1人で回らされたし、あれ、おかしいな、最初の方が楽だったわ」
そんなふうに笑っていたけど、その目は遠く、どこか戦場での悪夢を見ているように見えた。
とても、ポンコツヒーローだった、と卑下していつも自分のことを語る師匠は、ポンコツとは思えない、
幾度も死地を越えてきたその瞳は、色褪せながらも、確かな意志の光を宿していた。それは誰よりも立派で、美しかった。
「まあ、なんていうかさ、私の戦果に比べたら、ヒーローになって三か月でいきなり怪人を2体倒すなんて、すごい戦果だよ。私なんて三か月間も訓練から卒業させてもらえなかった。
だから、佐藤さんがヒーローを辞めなきゃいけないくらい能力が低いだなんてことはないよ。
無理しないで生きて帰って来れたら、私はそれでいいと思うし、ヒーロー辞めたくなったら辞めたらいい」
師匠はそう言って、私ににこりと笑う。師匠の笑顔は、なによりも心に沁みた。
体調が悪いはずなのに、いつもと同じように笑って、叱ってくれて。
「……なんで、こんなに指導してくれるんですか? 私たち、ぶっちゃけ、他人じゃないですか。それなのに、ヒーローのエネルギーもあんまり使っちゃいけない体なのに、最初の頃はあんなに使って……」
本来は師匠はヒーローエネルギーを使ってはいけない体だとお医者さんが言っていた。それなのに、いつも訓練では変身しないけれど、微量ながら使っていた。
今はそんなことできないけれど、病院のベッドから動けない体で、いつも私たちに時間を割いて指導してくれる師匠。その理由が、ずっと気になっていた。
師匠はムッとして、あの医者め、余計なこと言ったな、と呟き、少しだけ考えてから、彼女はこう答えた。
「私の技術はね、先輩たちや仲間たちと一緒に磨いたものなんだ。誰かの背中を見て、誰かと励まし合って、必死に生き延びて、ようやく手にした技術。……だから、それを、後輩が継いでくれるのが、すごく……嬉しいんだよね
ごめん、重いでしょ?」
少し照れたように笑いながら、でもどこか寂しげにそう言った。
私は、泣きそうになるのを堪えて、笑った。
「師匠、重いっす」
笑いながらそう返すと、師匠もまた、苦笑いを浮かべた。
力なき正義は無力だと昔、誰かが言った。
ヒーローになることは、無力ではあってはいけない。そして、何かを守るという義務を背負う。
でも、それは同時に、いつも自分の中にある弱さや痛みとも向き合っていくことなのかもしれない。
もし、いつかヒーローでいられなくなったとしても……
私は、師匠のように、生き方そのものが誰かを救う人でありたいと思った。
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もう少しで終わります。