7 焚べた命の代償は
いつも読んでいただきありがとうございます。
後輩2人の戦う場所は隣町の駅前の上空だった。
私は、屋上にそっと降り立ち、周囲を見回してから変身を解く。ヒーローの姿のままでは、抑えていてもオーラが滲み出てしまう。今は目立たないほうがいい。それに、必要以上に疲れてしまう。
怪人のランクは、多分2人と同等レベル。
余程のことが無ければ、大丈夫だろうと、悪意ある攻撃をギリギリで弾くところを見て、そう心に言い聞かせた。
過保護でも成長しない。きっと、助けてくれると思われていたら、勝てる相手にも勝てない。
厳しすぎたかなと思ったが、それも杞憂で終わりそうで、油断することなく、丁寧にヒットアンドアウェイを繰り返し、相手の遠距離攻撃は駅の西に広がる海へ弾いていた。
言われたことができていてエライ!
私は、屋上の隅でうんうんとうなずきながら、ふたりの成長に胸を熱くしていた。
すると、粘りつくような生温さ。胸の奥がきゅっと縮むような嫌な感覚――わかる。これは、怪人だ。しかも、ただの怪人じゃない。上級怪人だ。
後輩の佐藤と坂本では荷が重すぎる。2人が10組いても、物理的に食べられるレベルだ。
やつは、音もなく、私の横に現れた。全身黒ずくめで、赤色の鳥の横顔のような仮面をつけていた。
「ヒヒヒ、こっちに上物のヒーローがいたと思えば、カタワの女と、雑魚のヒーローが2人か」
タコか、イカか。手足がにょろりと蠢くその身体は、まるで粘液に塗れたような軟体で、嫌に生々しく、18歳未満お断りの体なのだろう。
「そーなんですよー。見逃してください」
私は心のこもらない言葉でそう答えると、赤色仮面の怪人は喉を震わせ、声を上げて笑い出した。
「カタワの女、お前、ヒーローなんだろ。俺みたいなのが横に立てば、普通の人間なら失禁しながら命乞いするぜ?」
まあ、そうですね、少なくともヒーローだとバレますよね。
私は杖を横に一閃する。振った先には不可視の刃が飛ぶが、赤色仮面の怪人には当たらず避けられる。
「そんな見え見えの攻撃、当たるわけないだろう。ヒーローならヒーローらしく、変身して戦うべきだ。そうだ、戦って、戦って、戦いの中で、死ぬなんて最高ではないか。そして、俺の糧になれ」
怪人の戦闘狂じみた言葉を無視して再度刃を飛ばすが避けられ、そして距離を詰められ、拳を振り抜かれる。
私は杖の両端を持って、相手の拳を弾くように受け流す。力は受け止めない。それが肝要。すると怪人はバランスを崩しながら私をすり抜け、そして軟体を生かして一回転半周り、腕を伸ばし、私に迫る。
腕が伸びる速さに、音が追いつかない。私はわずかに目を見張った。
杖を刀のように持ち替え、杖の先で払うが、杖は軟体の腕に巻き付かれた。
杖ごと私の腕が巻き付かれ折られることを予見して、杖を手放し、片足だけで後方に跳躍し、腕を振るい不可視の刃を放つが避けられる。
こりゃなかなか強い方の上級怪人だ、とため息を吐いた。
「どうした、戦うのが怖いか? 距離を取ればなんとなく勝てるだなんて、チキンな三下のヒーローぐらいだ。お前みたいなタマなし野郎は早く俺の糧になればいい。そもそも、女ならタマはないか、ハハっ!」
好きで転生したわけでも、好きで女になったわけでもない。くそが。
「お前、戦闘狂のフリをしてるけど、格下を痛ぶって、最後に悲鳴を聞きながら、体をしゃぶり喰うのが好きなんだろ」
「よくわかっているじゃねぇか。なら、もっと、泣け! 叫べ! ヒャハッ!」
ーーー
怪人は煽り、杖の持ち主の前で、その杖を粉々に砕く。
相手を煽り、地味な嫌がらせを続け、冷静さを失わせ、飛び込んできたところに大きな負傷を負わせ、そして痛ぶり殺す。時には殺しながら喰う。
それが、楽しくてたまらなくて、怪人をやっている。
だから、目の前にいた右足を引きずる整った顔立ちの少女がどのように這いずり、仲間に助けを求め、救援が殺され、自分に赦しを乞うのかと思うと、高揚感が増され、胸が熱くなってくる。
そう、少女は確かに目の前にいたのだ。
目の前には何もない。
すると、目に映る景色が、左下方向にずれていく。
そして、怪人は重たい音を立てて、空を見上げていた。
立とうとしても体を動かそうとすると、下半身と右腕が動かない。
欠けた左手の一部を見て、そして、自分の臓物が地べたに転がっているのを見て、すっぱりと袈裟に体を切断されたことに気がついた。
「な、……なんで?」
ようやく口に出せた言葉は、ただの動揺。
初めて感じる、すぐそこにある死に怪人は戸惑いを隠せない。
嘘だ、そんなはずがない、などと言葉を心に浮かべるが、目の前の事実は変わらない。
視界の端に、黒い生地と黒髪が揺れていた。
怪人は、こいつとは戦うなと言われていた、1人のヒーローを思い出した。
おかしい、先ほどの少女と気をつけるべきヒーローの姿が全然違う。ヒーロー変身はかけ離れた姿にはならないはずだ。先ほどの少女はくすんだ白い髪をして、片足が麻痺していた。違うはずだ。アイツが救援に来たのか?
しかも、こんな田舎に、こんなにも早く?
「な、これは、違うんだ。俺だって好きで怪人をしてたんじゃない。世の中が悪いんだ」
怪人は思いつく命乞いの言葉をありったけ紡ぎ始める。しかし、言葉が終わるよりも先に、黒髪の少女が淡く緑に発光する光の棒を怪人の頭に突き刺した。
「早く終わらせよう。変身して技を使うと疲れるんだよね」
怪人が、格が違いすぎる、戦ってはいけないやつだったと思った瞬間、彼の存在は、音もなくこの世界から溶けていった。
ーーー
人知れず、私は上級怪人を倒した。
その一方で、後輩2人は中級くらいの怪人を倒し、報道機関に取材されまくっていた。本当に立派な仕事だったと思う。
彼らが取材を受けているころ、本格的に調子が悪くなり、救急車で病院に運ばれた。
お医者さんに
「なんでこんなんになるまで放っておいたんですか!」
とお怒りを受けましたが、電子カルテをお医者さんが見直すと
「あれ、一週間前に検査受けてましたよね……あ、急変ですね、失礼しました」
と頭を下げた。
うんうん、ちゃんと謝れてえらい。
でも、急変の原因作ったのは私です。サーセン。
お医者さんは電子カルテに目を向け、見直し始め
「……そういえば、あなたヒーローでしたよね」
と私に質問してきた。お医者さん目は先ほどみたいに鋭さが増していた。私は額に脂汗を感じた。
「もう、戦わないように、と言いましたよね? 別の病院でも言われてますよね?」
あ、原因、バレてるわこれ
ーーー
佐藤桜
師匠が学校を休むようになった。
担任の先生から、師匠に板書の写しやプリントを渡すように頼まれ、坂本君と共に、師匠の病室に訪れた。
師匠の病室は個室だった。
病院の個室は、使用料金が高いらしい。ヒーローだから特別待遇なのかな、と思ったけれど、師匠は元ヒーローだった。お金、大丈夫なのかな、と私のことではないのに心配してしまう。師匠はあまり高い服とか鞄とか使っている人ではないから。それに、持ち物も少なく、小物も、メイク道具どころか日焼け止めすら使っていない。私は心のどこかで、師匠、お金足りてるのかな、とつい要らぬ心配をしてしまった。
師匠の入院している特別な病室は、白く清潔な部屋であった。
師匠の持ち物は本当に何もなかった。前まで使っていた杖さえ無かった。
髪の毛も、肌も真っ白な師匠が、そのまま部屋の中に溶けて消えてしまうような気がした。
寝息を立てる師匠を起こすのは可哀想だと思い、テーブルに学校で渡されたプリント等を置いた。
妙にしんみりしてしまったが、坂本君に心配されないように、元気そうに振る舞った。
「よし、坂本君、証拠写真を残すから、私がプリント置いたところと師匠の顔が映るように写真を撮るんだ」
「寝顔なんて撮ったら、師匠の訓練、厳しくなるんじゃない?」
ごもっともな坂本君の言葉に、うっ、と私は思わず唸る。
「でも、誰が置いたかわからないでしょ? もしかしたら師匠、プリントに気づかないかも。だから、写真を撮って、LINEで送って」
「ああ、そうだね。それなら仕方ないよね」
坂本君は私がプリントを置きながら決めポーズしているところとバックに師匠が映るように絶妙なバランスで撮影してくれた。
その瞬間、ガラリと引き戸が開かれる音が聞こえた?
「検温の時間です。入りまーす……君たち何しているの?」
入ってきた看護師さんに見つかり、私たちは慌てて姿勢を正した。
なんだか、とても気まずかった。
看護師さんから、私たちに少し待つように言われ、師匠の部屋の前にあったベンチで座っていると、何度か見かけたことのある白衣を着た小柄な男性が声をかけてきた。ネームプレートの端には医師と書かれていた。
「君たちがあの子の関係者ですか? 医師の円山と言います。総合内科とヒーロー診療を兼任しています。ん、ああ、佐藤さんに坂本君か。ずいぶんと見違えたよ」
円山先生は私たちヒーローを見ることのできるお医者さんだ
ヒーロー自体は生きていれば、独自のエネルギーで自己修復することができるけれど、私たちの健康状態はお医者さんによる検査で時々確認されている。
検査で思わぬ病気が発見され、しばらく療養する場合もある。
基本的にはヒーロー自体には治療するわけではないけれど、病気などの不調を見つけ、しばらく強制的に休ませることで良くなるそうです。それによって、短命だったヒーロー達の寿命が伸びたらしい。
そうやって考えると、師匠は治療のために、ヒーローやめさせられたんじゃないのかな、と私は思ったけれど、そういう話は円山先生は教えてくれなかった。
円山先生は私たちを別室に連れて行き、私たちを席へ座らせた。
円山先生は紙コップ入りのひんやりとした冷たいお茶を渡し、私たちに
「最近、訓練してもらっているんだって?」
と尋ねた。
「はい! 師匠がいろいろと教えてくれて」
「師匠? ああ、あの子かい」
「はい。そのおかげで昔に比べるとすごく強くなって」
すると、円山先生は眉間を摘み、下を見た。
「その時、あの子は変身していた?」
「師匠は一度も変身していません」
「そうか、約束は一応守ってくれていたけど、別の何かがあったのかな……」
円山先生はひとしきり考えていたけれど、ため息を一つ吐いて、私たちに視線を戻した。
「前にヒーローは自分の限界以上に力を出せるけど、体にダメージを負うという話は説明したよね。
時間が経てば回復するけれど、何度もダメージを負い続けたり、あまりにもダメージが深い時は完全に回復することがない」
その声は穏やかだったけれど、確かに痛みを含んでいた。
「最終的には体が弱くなり、ほんの少しでもヒーローの力を使えば、内臓の機能が止まり、死に至る。
今は限界値調査が行われて、ヒーローリング、つまるところのリミッターをみんなつけているから、昔よりはみんな死ななくなった。
君たちは当然、つけているよね?」
急に視線が強くなり、私たちは左手につけたヒーローリングを見せた。
そもそも、ヒーローリングは電話も時間の確認も、携帯電話とのリンクでスケジュール管理も、わからないことをAIに質問し放題だし、怪人の情報も音声で知らせてくれる至れり尽くせりの機能がついていて、取り外す必要のないものを外して落としたとかあまりにもよくわからなすぎて冗談にすらならない。
「あの子はリミッターなし、リミッター拒否した世代の子。このままだとあまり長くはない」
えっ、と私と坂本君は声を上げた。
「正義感の強すぎる子ほど、ヒーローリングのリミッターに嫌悪感を覚える。まだ助けられる人がいる、怪人の被害を少しでも減らしたい、って気持ちでね。
それにほんの数年前だけど、ヒーローの数は怪人の出現数に比べて全然足りなくて、ヒーロー達が本当に頑張ってくれていた。それはもう、文字通り自分の命に火を灯してね。
二十歳くらいのヒーローや、随分と歳を取ったヒーローも、小学生なりたてのヒーローも、みんな人類の未来を切り開くために、あっけないくらい死んでいった。
本当に、医者をしていてあんなに辛い時はなかったよ」
円山先生の瞳はどこか遠くを見ていた。
きっと、先生の目には、出撃して帰ってこなかった数々のヒーローたちが映っていたのだろう。
その時の記憶が、今も先生の背中に影を落としているに違いない。
「ヒーローが怪人を簡単にねじ伏せると、みんな勘違いし始めるんだ。ヒーローはどんな怪人も簡単に倒せる、ヒーローを呼べばすぐに駆けつけてくれる。怪人からの被害はヒーローの怠慢みたいな感じで。
その裏でたくさんのヒーローが若くして死んだり、寝たきりになって引退を余儀なくされたのをまるで忘れてね」
円山先生は少しだけ視線を落とし、深くため息を吐いた。
「あの子は、十年以上安静にすれば、普通の人、ヒーローじゃない普通の人として生きられるかもしれない」
先生の声は静かだったが、その響きには確かな痛みがあった。そう、ヒーローではなく、普通の人として生きる選択を強いらなければならないのだ。あの師匠に。
「あの子はヒーローエネルギーのほぼ全てを使って命を繋ぎ止めている。自己修復に使えるエネルギーはもうほぼない」
とっさに坂本君が座っていた椅子から立ち上がって
「自己修復じゃなくて、別のヒーローが回復させることはできないんですか」
と尋ねた。先生はゆっくりと首を振る。その仕草だけで、私は気が重くなった。
「それぞれのエネルギーの波長は微妙に違って、仲間同士の回復はほぼ不可能なんだ。1人だけできた子はいたけれど……」
「じゃあ、その人にお願いすれば……」
「もういないんだよ、その人は」
言葉の重みが、部屋の空気を静かに沈めた。
円山先生は、ゆっくりと私たちを見た。
「あの子、……君たちの師匠……申し訳ないけれど、もう訓練にはあの子にお願いしないでくれ。口出しならいくらさせてもいいんだけど、ヒーローエネルギーを使わせるわけにはいかないんだ」
師匠、今までありがとう……でも、相談くらいしてほしかった。
私は口に出せない悔しさが、体の中をめぐった。
感想、ブックマーク、評価などありがとうございます。とても励みになっております。
誤字脱字の報告もありがたいです。
次からの更新は一週間くらい空けるかもしれませんが、遅いながら頑張って書いておりますのでお待ちください。