6 蛍の季節
続きを読んでいただきありがとうございます。
この話を思いついて、夏頃公開できたらいいなあ、と思ったら、ちょっと遅くなりました。
ジワリと汗がにじんでくる。
まだ8月になっていないのに、気温が35度を越えるとか、異常気象だよ。私の部屋にはエアコンなんて洒落たものはない。ただ、暑さだけが狡猾な怪人よりも静かに忍び寄ってくる。何もしていないのに、呼吸すら億劫で、マジで死にそう。熱射病で死ぬ。絶対死ぬね、死の危険を感じるね、これ。
今すぐ現れてほしいのは、ド派手なポーズでSNS映えを狙うヒーローじゃない。灼けつく空に静かに冷気を送り込み、見えないところで地球の痛みを癒してくれるような、そんなヒーロー。砂漠化した土地に木を植えて雨を降らせるヒーローとか、オゾンホールを埋めるヒーローとか、そっちの方が絶対、ぜええったい良いよね。『SNSでこんな怪人倒しました、てへ♪』みたいな報告するようなヒーローよりもずっとほしい。
そんなことを、ぼんやりと考えながら、私は直径1メートルよりやや大きい程度の円の中にいるヒーローに変身した佐藤に遠距離技を飛ばした。
大げさに避けるだろうと予想して、その反対側に近づいて、佐藤の背後からそっと杖の先で動作を制した。
「無駄が多いよ」
と静かに言葉を添える。勢いよりも正確さを重視するなら、一歩の重さが戦局を左右する。私は彼女に、ただ強くなるのではなく、生き抜く技術を教えたいと思っていた。
「円が狭すぎます!」
「大きく回避しようとすれば、その進行方向に技を置かれたり、反撃までの時間が長くなるから相手に応じられるよ」
「それでも、無理じゃないですか? それにこんな風に回避するヒーロー見たことないですよ?」
私は大袈裟に、やれやれと首を振りながら答えた。
「今のヒーローたちは見栄えのために、大げさな回避や大きく魅せる技を使いたがるんだよね。無駄なく回避することが反撃までの時間が少なくなる。接近されての攻撃を受け流せば、相手の無防備な体に技を叩き込める。怪人は目の前にいる奴だけじゃない。急に増援が現れることもある。
私が君たちに求めている動きは、地味だけど、自分や誰かを守る確率を確実に高めてくれる。生き残るためには、いかに素早く最小限の力で安全に怪人を倒せるかが重用。それに……」
「それに?」
私は佐藤の立っていた場所の後ろを杖で指す。
そこには一軒家やアパート、スーパーなんかが建ち並び、買い物帰りの家族や公園で遊ぶ子供たちが見えた。
「君たちが技を回避した後ろは何だい? グラウンドの地面かい? 避難所や住宅街が沢山あるんじゃないかな。そこに怪人の遠距離攻撃が行ったら、どんなに被害が広がるか考えた方がいい。最初は回避する方法を教えたけれど、本来は怪人の攻撃を全て安全な場所にはじいたり、技で相殺させたり、そもそも攻撃をさせないことが望ましい」
「そんなこと、毎回毎回できるないわけじゃないですか!?」
「事実、そんなこと気にしていなかったり、そもそもそんなことやっていないヒーローの方が多いよ。でも、君たちは自分の身を守るためにヒーローを志願したわけではないだろう?
そういうわけで、今日は野球部から借りてきたピッチングマシンを使って、回避せず弾く訓練しようか。
そうそう、球は全部硬球だから、気を抜くと怪我するよ」
佐藤たちの悲鳴が聞こえたが、可哀そうだと思ってやめるわけにもいかない。
なんでも逃げたり回避に走らせないように、厳しく訓練するのは仕方ないことなのだ。
円の中で汗だくぐちょぐちょの佐藤を引っ張って、円の外に出す。ちょっと露出した肌に光る汗の雫とか、たまらないですね。特にそういうのが好きな男性にはたまりませんね。私はノーセンキューです。今世は見た目女の子だからセーフかもしれないけれど、中身はおっさんだからアウトです。ダメ、絶対なのだ。
彼女の汗は、こうなるまで努力した結果で、そんなことを思うこと自体、人として失格なのだ。私は、綺麗だと素直に思う心を、どこかに置き忘れてしまった心の汚いおっさんになった気がした。
私は円から佐藤を出して、スポーツドリンクを持たせ、次のえもの……おっと、次の訓練対象者に目を向ける。
「次は坂本君だよー、って、やる気あるね。準備できてるの?」
坂本君こと、ヒーローのマサカリ次郎は円の中に立っていた。
「準備できているんですが……体、大丈夫ですか?」
「佐藤さんなら……」
私はそう答えながら、あ、これ私に言っているやつだと気づいた。
坂本君は、申し訳なさそうな感じで眉間に皺を寄せていた。
「私なら大丈夫だよ。学校で沢山昼寝したし」
坂本の目が、一瞬揺れた。口元が言葉を選びかけて、飲み込むようにして、
「よろしくお願いします」
とだけ告げる。それが私に向けた、さりげない気遣いだと気づく。その沈黙の奥にある彼のやさしさに、胸のどこかがじんわりと温かくなるのを感じた。
私が頷くと、坂本は静かに構えを取った。その姿に、私は少しだけ安心する。課題をクリアしなければならない、という安直なものではない、成長を望む意志が確かにそこにあるように感じた。私は無言のまま、最初の球をピッチングマシンにセットした。
一つ一つの球を丁寧に弾き、地面に叩き落とす。
私が、次は武器を使って受け流すように、と言わなくても、彼は斧を出現させて、その刃体の角度を変えて受け流しながら地面に落として行く。
天真爛漫系の明るい佐藤と違い、坂本は見た目と違い、意外と勉強家で、冷静な性格で、よく考えて行動するタイプである。坂本君のヒーロー変身後の見た目は、ややきれいな山賊のボスみたいで、毛皮を裸上半身に担いだような格好のヒーローなのだ。そんな見た目と裏腹に、ヒーローとしての戦い方も直感的ではなく技巧派だ。最初に私と出会った時に大声を出しながら文句を言って来たのは、彼なりに調べ尽くした上で私に言って来たのだろう。
その彼は、多分、私の素性をなんとなく知ったのだろう。ヒーローの問題児として追放されたことを。詳しく聞いてこないのは、彼なりに気を遣ってくれているのだろう。
私がこの学校に編入された時期と、全国報道されて一躍有名になったクズヒーローの追放時期、後見た目の年齢、それからなんとなく推察できるのだ。
私がそのクズヒーローであると気がついていても、師匠と私を呼び続けている坂本君、本当にできたやつだよ。いくら教えを乞う立場でも、私が君らと同じ歳の頃だったら、反抗しちゃうし、裏で文句を野生動物みたいなうんこの垂れ流しをするぜ。
きっと、彼は、佐藤さんにも私が問題児のヒーローであったことを言っていないのだろう。言えば、佐藤さんなら絶対に私に真実を聞いてきそう。本当なんですか? みたいな感じで。
佐藤桜
今日も一段と訓練が厳しかった。
時速120キロメートルの野球のボールをあえて足元の地面に弾くとか、意識してもなかなか難しい。
だんだんボールの風切音が高くなり、目で追うのも大変になってくる。
更には小柄な師匠が弾に紛れて接近して攻撃してくるとか、それでもボールは弾かないといけないとか、本当に酷です。
こんな訓練が数週間続き、流石に同じヒーローの坂本君に弱音を吐いてしまう。
すると、坂本君は
「俺たち、前よりずっと動けるようになってる。師匠についてきてよかったって、今なら胸張って言えるんだ」
その言葉に、私はそっと視線を落とした。照れ隠しのようなその声の中に、坂本の素直な想いが滲んでいた。でも、そんなことを言う姿は、マサカリ担いで毛皮を身に纏った山賊のコスプレ中学生男児なのだ。マサカリ担いだ金太郎に謝ってもらいたい。
説得力というより、場違い感しかない。
「たまには、師匠に恩返しみたいなことしないか?」
「えっ、もしかして坂本君、師匠のこと……」
これは私は鈍感だった。坂本君はまさか、見た目が病弱だけどサドっ気たっぷりの師匠に惚れていたなんて。
「そういうんじゃなくてさ、いつも訓練に付き合わせてばっかりだから訓練休みの日に遊びに誘わないか?」
顔を赤くした坂本君が、視線を合わさずに少しもじもじするように、そう言って来た。いや、君、絶対師匠に惚れているよね、多分。
「まさか、坂本君、美少女2人に挟まれてハーレムを感じながら遊びに興じたい、と」
私は少しは空気を読もうと思い、胡麻化そうとする坂本君に合わせて、わざと見当違いの考えを言ってニヤニヤと笑った。
「どーしてそーなんだよ! 俺はさ、……師匠がこの町に来て良かったと思えるようなイベントをしたいな、と思ったからこうやって相談したいんだよ」
ふーん、と私は呟きながら、坂本君を見つめる。少し、嘘の味を感じた。でも、師匠のために何かしたいのは本当だと思う。私もそう思うからだろうか。
私たちは花の中学3年生なのだ。
何かもっと浮かれて遊ぶことも大事なのだ。
仕方ない。坂本君と師匠の恋路のために、私が少しくらいテコ入れをしてあげよう。
***
午後8時、私は佐藤と坂本に呼ばれて、住宅街より少し外れまでやってきた。
2人は私の姿を見つけて手を振ってきた。
「こんなところに呼んできて……。この時間は世界が丸見えという私の大好きなテレビ番組が……」
「それ、ティーバーで見れませんでしたか?」
ごもっともな回答。そもそも、私はそんなにその番組に執着しているわけではない。とりあえず、何か文句を言ってやりたかっただけなのだ。
私のこの足では、ちょっとここまでくるのは少々苦しいのだ。
3人で少し歩くと街灯の下の敷地の中に、テントと4,5人の大人が座りながら談笑していた。そこに私たちが近づくと、大人たちは私たちに気が付き、
「あら、桜ちゃん見に来たの?」
とうちわで仰ぎながら声をかけてきた。
「そうなんですよ。ほら、ヒーローの師匠にも見せたかったので」
あぁ、この子が、みたいな声を何人かが言ってうなづいた。
「白鬼コーチちゃんだっけ?」
にこにことしながら人懐っこい笑顔のおばちゃんが私にそう聞いてきた。
「いろいろと言いたいことはありますが、それであっていると思います」
「まだちょっと時期は早いから数は少ないけれど、とってもきれいよ」
そう言いながら私たちをメッシュ生地でできたカーテンみたいな幕をあげて、私たちに入りなさい、と告げる。
私たちはその声に従って前に進むと、林の中の小さな池や無舗装の道が目に入る。
スーッ、と目の前に淡い緑色の光が走った。
油断した。怪人の攻撃か、と身構えると、私の動きを見て佐藤と坂本は目を剥いて驚き、そして息を殺して笑い始めたのだ。
なんで笑うんだ。不自然な光が横切り、色んな場所で、光が点滅しているのだ。
「師匠、何やっているんですか。ぷぷぷ、もしかして、見たことないんですか?」
「師匠、テレビとかで見たことないっすか? 蛍ですよ。この町には保護団体があって、それを夏の時期に公開しているんです。さっきのテントの人たちは、その保護団体の豊川のホタルを守る会の人たち」
私は、顔が赤くなるのを感じた。蛍なんて実物なんて前世でも見たことない。
あの柔らかな光の源は、澄んだ水の流れる場所にしか宿らない。自然に愛されたようなその小さな命が、ひっそりと闇を照らしていた。
葉の上に留まって点滅する緑色の淡い光を見つけて、そっと近づき、じっと見つめる。確かに虫だ。黒く、体長は1センチメートルくらいの小さな甲虫。丸みを帯びた背中には、艶のある羽がそっと折りたたまれている。繊細な足で、葉の上をゆっくり歩き、そして羽を広げ、静かに宙へと舞い上がっていく。
ほのかに緑に光りを灯し、人工の光とは違って、どこか懐かしく、そして儚い。
「そうか、これが蛍か……」
彼らは発光器官を、大切な誰かを探すために、光らせる。
闇の中、命の灯が一つ、また一つ浮かび、そして消える。
淡い光なのに、美しく、そして強く記憶に残る。
「旧友は忘れていくものなのだろうか。
古き昔も心から消え果るものなのだろうか」
私はそうつぶやくと、その言葉に佐藤は、はぇー、とでも言いそうな顔をしていた。
「蛍の光の和訳、ですか?」
ヒーロー変身時の姿よりも明らかにIQが70ほど高い坂本君かそう答えた。
「よく知っているね」
「あの閉店ガラガラの曲? 和訳なんてあるの?」
「閉店の曲、ね」
私は口の端を少しだけ緩めた。過去の記憶にそっと触れるような、その旋律は今も、どこか胸の奥で鳴り続けている気がした。
「元々はスコットランドの民謡の『オールド・ラング・サイン(久しき昔)』で、それを原曲に『蛍の光』は作られたんだ。どっちの歌詞も素敵だよ」
昔の友を懐かしむ歌なのか、大切な友との別れを惜しむ歌なのか、どちらにも目の前の蛍の光は、きっとよく合うに違いない。
ほわりと浮かぶ緑色の光が浮かぶ中、弟子の2人は携帯端末を同時に取り出した。写真でも撮るのかなと思ったら、端末の画面の光で浮かび上がる顔は眉間に皺を浮かべさせ、2人はため息を吐いた。
「怪人が出たんでしょ。ヒーローは忙しいね」
「はい、隣町で向かえるヒーローが私たちしかいないみたいなんです」
佐藤は、せっかく来てくれたのにすみません、等と謝ってくるが、ヒーローの仕事が最優先なのは私だってわかっている。
彼らは変身するとともに、夜空に舞い上がる。
私は彼らが見えなくなると、ホタル保存の会の人たちに怪人が出たので避難するよう説明して、私は杖を突きながら歩き、近くの共同住宅に入り込んだ。
2人の後輩が無事帰ってこれるか、私は不安だった。2人を追いかけるには、この動かない足では無理だ。だから、私は怪人と戦いもしないのに、人目につかないように、共同住宅の不用心にも鍵の空いていた物置の中でヒーロー変身を心で叫ぶ。
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誤字脱字報告も感謝しております。
あらすじ、書き直しました。