第6章
私の目の前には、山積みになった書類と地図が広がっている。
王国に仕掛けた経済作戦がひとまず大きな混乱を巻き起こし、さらに王太子たちが新たな貨幣発行や軍事行動に踏み切った結果、情勢は混沌の度合いを増しつつある。私はその混乱の様子をつぶさに観察しながら、まるで次の手を誘われているような感覚に包まれている。
きょうは朝から、黒薔薇商会の本部に次々と情報が舞い込んできた。王国側は新貨幣の発行を正式に開始した一方、それに便乗する形で偽造貨幣まで出回り始めたという。そして兵を動員して王都や主要都市の警戒を強めたものの、内側の連携不足からさっそく歪みが生じているようだ。貴族や神殿が各自の思惑を抱え込んだまま衝突し、情報漏洩が後を絶たない。それらの報せを読み解くほどに、私の胸の内には奇妙な確信めいたものが芽生えてくる。
「エリス様、新貨幣の発行が想像以上に早いペースで進んでいるようです。ですが、その信用を裏付ける担保がほとんど準備されていないとの噂も……。流通面で支障が出れば、さらに王国の財政は崩壊に近づくかと」
そう言って部下の一人が小さく息を吐く。彼の持つ報告書を覗き込むと、そこには王国各地での新貨幣流通状況や、商人たちが感じている不安の声が記されている。突貫で印刷された大量の紙幣にも似た通貨は、市場でまったく信用されていない。そもそも既存の硬貨に対する換金率すら曖昧で、国民は使い勝手をつかめず混乱しているのだ。
「想定通りね。新たな通貨が出回れば出回るほど、人々は王国の本質的な弱さを感じ取る。今なら、私たちが更に圧力をかければ一気に崩れていくわ」
私は落ち着いた声でそう答え、紙の端を撫でながら次の一手を考える。すでに暗殺未遂や密偵の侵入が頻発している状態だが、王国がどれほど暴力的な手段に出ようとも、肝心の内部統制が崩れているなら大きな脅威にはなりえない。私からすれば、もはや王国の抵抗は足掻きに等しい。今は慎重に状況を見極めつつ、最後の仕上げに向けた準備を進めるのが賢明だろう。
「エリス様、お客様です。魔王領の使者だと名乗っていますが……」
扉をノックする音に続いて、部下が申し訳なさそうに告げる。その表情からして、どうやら格の高い使者のようだ。私は書類をまとめて立ち上がると、執務室を出て応接用の小部屋へ向かう。そこで待ち構えていたのは、深紅の装束に身を包んだ男性だった。レオンハルトの腹心の部下で、魔王領でも高い地位にあると聞いている。
「ごきげんよう、エリス様。魔王陛下からの伝言をお持ちしました。王国の混乱が深刻化している今こそ、軍事的な動きも視野に入れてはどうかと」
彼は低い声でそう切り出し、丁重に頭を下げる。その態度には敵意こそ感じられないが、魔王軍の意向を私に伝えるためにやってきたのは明らかだ。私は彼をジッと見つめ、少しだけ考える。たしかに、このまま軍事力を行使できれば王国を容易く制圧できるかもしれない。けれど、私はあくまで“経済”という手法によって内側から崩壊させ、新たな秩序を作ることを望んでいる。焦って力押しに傾くのは得策ではない。
「伝言、確かに受け取りました。今は、私たちの経済作戦を軸にもうひと押しするつもりです。軍の全面侵攻は、王国の体制が自壊しかけてからでも遅くはないわ」
そうはっきり言うと、彼は一瞬怪訝そうな表情を浮かべる。しかし次の瞬間、彼の瞳に理解の色が宿った。魔王レオンハルトもまた、私が独自の戦法を好むことを承知しているのだろう。だからこそ、こうして部下を送り込みつつも、最終決定権を私に託しているのだと感じる。
応接を終えて部屋を出るころ、廊下の窓ガラスが僅かに震える。どうやら外では風が強まっているらしい。差し込む光が薄暗く、まるで夜が近づいてくるような重苦しさを伴っている。私はその空気を胸いっぱいに吸い込むと、遠くから聞こえてくる兵士の足音に耳を澄ます。きっと魔王領の防備態勢を整えているのだろう。
黒薔薇商会の大広間に戻ると、部下たちが慌ただしく動き回っている。テーブルの上には地図や統計資料、そして情報源からもたらされた新しい報告が散乱している。ざっと目を通すと、王国内部に深刻な裏切りが蔓延しているという情報が飛び込んでくる。宰相をはじめとする一部の高官たちが、自分たちの保身のために密かに国外逃亡を図っているという噂まで出回っているのだ。
「王国が完全に崩れ始めている証拠ね。だが、今はこちらも、これまでの成果を冷静に見極めるべき時期よ」
私は広間の中央でそう宣言する。焦って大きく動きすぎれば、思わぬ反撃を受けるかもしれないし、せっかく生まれた混乱が収束する前に軍事衝突に流される可能性もある。何より、私たちが築きたいのは「ただの瓦礫の山」ではなく、「新しい秩序」に通じる体制なのだ。
「エリス様、先日の買い占めと貨幣操作によって、王国側の物流がさらに混乱しています。いくつかの都市では、私たち黒薔薇商会の名前を頼って物資を求める動きが出始めました。つまり、民衆の間で“王国より商会のほうが信用できる”とささやかれているのです」
そう報告してきたのは、前世で少しだけ面識のあったという混血の青年だった。彼は魔族と人間のハーフで、王国と魔王領を行き来して情報を集めてくれている。私はその言葉に胸が震える。民衆が困窮している今、私たちを信用してくれるなら、そこから先は「救済」という名目で本格的な支配網を構築できるかもしれない。
「そう……それは大きいわ。王国の人々が貴族や神殿ではなく、私たちを頼り始めたのなら、この混乱をただの破壊で終わらせずに、新たな体制の土台を作る絶好の機会よ」
私は嬉しさと苦い思いが入り混じる胸の奥を押さえながら、深くうなずく。復讐もさることながら、私が本当に成し遂げたいのは「次の秩序」だ。王太子や妹リリアナ、神殿の高官たちが独占してきた力を引きずり下ろし、その先に生まれる空白を私の手で埋めるのだ。
さっそく部下たちを集め、次の大作戦の概要を示す。これまでは市場操作によって王国を弱体化させるのが主眼だったが、これからは「商会独自の救済策」を表看板に打ち出していく。高騰した物資や医薬品などを私たちがある程度の数値で安定供給し、代わりに王国に対する人々の不満と不信をさらなる行動へ誘導するのだ。
「もちろん、ただ配るだけでは商会が立ち行かなくなる。必要なのは均衡と見返り。民衆に“大きな負担なく、商会を通じて生き延びられる”という手応えを持たせ、さらに我々への支持を集めるわ」
私の話を聞く部下たちから次々と質問が飛ぶ。価格設定をどうするのか、流通ルートはどう確保するのか、軍の目を欺く手段は――などなど。私は前世の知識と今の世界で得た情報を総動員し、ひとつひとつに答えていく。この作戦がうまくいけば、民衆からの信頼を得るばかりか、王国がもはや人民を護れないという現実を決定づけるだろう。
会議が終盤に差し掛かったとき、扉の向こうから小走りの足音が聞こえる。息を切らせながら駆け込んできたのは、さほど高くない身長の青年で、情報収集に長けていると評判の部下だ。彼は一同の注目を浴びつつ、私のもとへ駆け寄る。
「申し訳ありません、急ぎ報告がありまして! 王国宰相が何者かに襲撃されたという噂が広がっています。しかも、その襲撃が王太子の暗黙の指示だという話まで出ているんです。もし本当なら、王国の内部抗争はさらに激しく……」
一気に息をつくように言葉を吐き出した彼は、そのまま喉を押さえて黙り込む。会議室に重い沈黙が落ちる。宰相は王国の行政を取り仕切る要であり、その人物が自国内で襲撃されたとなれば、王都の官僚機構は混乱必至だろう。何より、王太子が裏で糸を引いているという噂が事実であれば、もはや王国の頂点すら分裂状態にあるということだ。
「いいわね。これで王太子や神殿がどう動くかが、さらに明確になるはず。内部崩壊は加速する。私たちはそれをただ見守るだけでなく、次なる準備を進める。――もはや、あの国にはまともな舵取りをできる者はいないでしょう」
私が冷ややかに言い放つと、部下たちは頷きながらも表情を引き締める。大局的には有利な展開だが、油断すればこちらが予想外の反撃を食らうリスクもある。王太子が暴走し、魔王領への直接攻撃を試みる可能性だって残されている。混乱が頂点に達する寸前こそ、一瞬の逆襲に備えなければならない。
会議を切り上げ、私は一人廊下へ出る。窓の外を見ると、薄暗かった空はますます陰り、遠くで雷鳴のような重低音が響いている。まるで王国の先行きを暗示するような不穏な天候だ。
私は胸元で軽く手を組み、心の中で自問する。
――ここまで追い詰めて、私は本当に何を成し遂げたいのだろうか。復讐はもちろん。だが、その先にある「民衆救済」や「新秩序構築」という理想を、私は本当に貫けるのか。それを成し遂げるだけの覚悟と手段を持っているのか。
押し黙ったまま窓の外を眺めていると、いつの間にかアーサーが隣に立っている。彼は小さく息を吐き、私に向けて穏やかな声を投げかける。
「エリス様、大丈夫ですか? あまりにも物事が一気に進むので、皆さんも気が張り詰めたままのようです」
「ええ、わかっている。私も、正直気が休まらないわ。……でも、ここで止まれば、全部が中途半端になる」
彼はそれ以上何も言わない。ただ、私の表情から葛藤を察しているようだ。気遣わしげに微笑む彼の視線を感じながら、私はもう一度深く息を吸う。
この段階まで来て、王国が実際に崩壊へ向かう光景を想像すると恐怖すらある。だが、すべてを打ち砕いたあとに自分の理想を具現化する――それこそが私がこの道を選んだ理由でもあるのだ。
その夜遅く、私は執務室に戻り、机の上に広げた地図と書類を改めて見直す。ここまでは作戦通りに市場と貨幣制度を混乱へ導き、王国の内部崩壊を誘発してきた。それが現実となりつつある今、私はさらに「商会による救済システム」を打ち立てて、民衆の支持を得る道筋を形にする必要がある。そうすれば、王国の瓦解後に訪れる空白を、私が埋める正当性を得られるはず――そう信じたい。
「……王国が自滅の道を進んでいる今こそ、私たちの計画を完遂する最大のチャンス。欲しかったのは、ただの破壊じゃない。私の手で、新しい秩序を築く――それだけよ」
小さく呟くと、窓の外から鋭い風の音が聞こえる。夜の闇が深くなり、遠雷のような重苦しい空気が辺りを包む。
王国崩壊への序曲――それはもう止まらない。私は椅子に腰を下ろし、手首に刻まれた黒薔薇の紋章を見つめる。レオンハルトとの契約が私に強大な後ろ盾を与え、復讐という炎がこの作戦を駆動させてきた。
けれど、ここから先はその炎をどこへ導くかが重要なのだ。怒りにまかせてすべてを焼き尽くしてしまうのか。それとも焦げついた廃墟から、新たな世界を立ち上げるのか。選択の時が迫っている。
――明日になれば、また新たな動きがあるだろう。王太子や神殿が最後の悪あがきを見せるかもしれないし、貴族たちが一斉に寝返る動きも起こりうる。そのすべてを丹念に見極め、私が本当に望む未来を掴むために、一歩ずつ確実に進んでいく。
私は硬く目を閉じる。孤独な夜だが、ここには私を支えてくれる部下や仲間がいる。レオンハルトは私のやり方を認めているし、魔王領もすでに私の活動を受け入れてくれている。ならば最後まで迷わずに突き進むのみだ。
王国体制が音を立てて崩れていくその瞬間を、この目で見届け、そしてその先で笑ってやる。
「私が求めるものは、破壊と救済、両方を成し遂げる力……」
小さくそう呟くと、開け放した窓から冷たい風が吹き込む。宵闇の中で、私は一人、新たな大作戦の骨組みを頭の中で描き続ける。
王国を粉々にしても終わらない。その先にこそ、私の求める真の勝利があるのだから。
面白い/続きが読みたい、と感じて頂けましたら、
ページ下の【☆☆☆☆☆】から評価をお願いします!
ブックマーク、感想なども頂けると、とても嬉しいです




