第4章
王国での一連の買い占め工作が徐々に成果を上げ始めたころ、私は商会の執務室で次の作戦の資料を整理している。
魔王領から送り込まれた情報と、部下たちが集めてきた王国側の市場データ。それらを突き合わせて眺めると、どうやら王国は混乱に拍車がかかりつつあるらしい。物資の価格が乱高下し、あちこちの取引所で苦情や抗議の声が上がっているという報告が増えてきたのだ。
「エリス様、そろそろ休憩を取られたらいかがでしょう?」
扉をノックして入ってきたアーサーが、心配そうに声をかけてくる。彼の瞳には私を気遣う色がはっきりと浮かんでいる。確かに、ここ数日は立て込んだ会議や指示出しが続いているせいで、ろくに食事もとっていない。とはいえ、私の頭は今、王国側の出方を読み解くことでいっぱいだ。
「ええ。でも、あと少しだけ。この貨幣発行の動きだけは見過ごせないから」
言いつつ、私は王都から届いたらしい公的布告の写しを手に取り、さらりと目を通す。そこには緊急措置として新たな貨幣を発行するという告知が記されている。市場混乱への対抗策として、王太子や神殿が協力して打ち出したらしい。だが、これが思わぬ逆効果をもたらす可能性を私は感じ取っている。新貨幣の価値を保証するだけの財政基盤が、今の王国にあるのかどうか――それこそ彼らの弱みになるはず。
「……面白いわね。相変わらず場当たり的な策しか打てないようだわ」
王国が自ら動いてくれるほど、こちらとしては把握できる情報が増える。もちろん、相手も必死だろう。王太子は私の存在を恐れ、魔王領との結託を嫌悪しているはずだから。その一方で、近頃は「暗殺計画」の噂もちらほら耳にする。私を抹殺しようとする動きがあるという報告だ。まだ確固たる証拠はつかめていないけれど、もし本当に実行されるのなら、対策を講じる必要がある。
机上に並べた地図や書類を脇へ寄せると、アーサーが差し出してくれたお茶を一口含む。渋みのある香りが鼻をくすぐって、少しだけ頭が冴える気がする。すると、執務室の外で足音が聞こえ、慌ただしく扉を開けたのは別の部下だった。
「エリス様、大変です! 魔王領近くで活動していた我々の仲間が、王国側の密偵らしき者に襲撃を受けたという報告が入りました!」
その声に周囲の空気が張りつめる。私は椅子を立ち、部下の慌てた表情を見据える。やはり王国側も手段を選ばなくなってきたのだ。
「被害は?」
「幸い大きな被害は出ていないとのことですが、いくつかの物資が奪われ、こちらの情報を探られた可能性があります」
暗殺計画だけでなく、こうして直接的な襲撃を仕掛けてくるとなると、王国も相当追い詰められている証拠だ。やり方が強引すぎるのは、彼らが軍事力に頼りきってきたからこそ。けれど、私はただ闇雲に彼らを排除しようとは思わない。どうせなら、この動揺をもっと大きくして、王国の内部から崩壊を促すほうが得策だ。
「わかったわ。すぐに対策を講じる。まずは被害状況の詳細をまとめてちょうだい。あと、密偵や暗殺者の身元を特定できれば、王国側の連携の程度もわかるはず」
部下に指示を与えると、彼は大きく頷き、急ぎ足で部屋を出ていく。アーサーも私のそばで緊張した面持ちだ。私は書類を集め直し、すぐにでも次の作戦会議に移りたいところだが、その前にどうしても確認したいことがある。
「アーサー、王太子の周辺がどう動いているか、神殿との連携状況も探っておいて。おそらく一枚岩じゃないはずよ。彼らの間にある亀裂を見つけ出せれば、こっちに有利な材料になる」 「承知しました。すぐ情報網を使って動きます」
頼もしい返事をもらい、私は執務室を出る。廊下を進み、黒薔薇商会の広い会議スペースへ向かう途中、壁にかかった窓から外の景色が見える。魔王領の空はどこか薄闇を帯びていて、人間の国とは違う空気が漂っている。だが今や私の本拠地はここであり、王国がどう足掻こうと、この地を脅かせるほどの力は残っていないはず。
会議スペースに入ると、すでに数名の部下が集まっている。その中には、前世で私と関わりのあったという混血の青年の姿もある。皆一様に険しい顔つきだが、私の顔を見るなり、すぐに声をそろえて状況を伝えてくる。
「例の暗殺計画らしき動き、どうやら王都の一部貴族が主導している可能性が高いです。神殿高官たちも何かを企んでいるという噂があって、互いに情報を隠し合っているようで……」 「ふむ、やはり内部も統一感に欠けるのね。対策が混乱すれば、それだけ付け入る隙が生まれるわ」
私は聞きながら、壁に貼りつけた王国の権力構造図を見やる。王太子とその側近、神殿の高官、貴族たち。それぞれが利害の一致で結束しているようでいて、実は裏で裏切りや情報のリークが起こっているというわけだ。もし神殿と王太子の間に温度差があるのなら、一気に彼らの結束を崩すチャンスがありそう。
「エリス様、王国が新貨幣を発行する動きに合わせて、大量の偽造貨幣が出回る可能性があるという噂も入っています。これが本当なら、市場がさらに混乱するはずです」
もう一人の部下が報告を続ける。私はその言葉を聞き、心の中で小さく笑む。王国が新貨幣を乱発し、それに便乗して偽造行為まで行われれば、市場の信用は一気に落ちる。そこへ私たちがさらに仕掛けを重ねれば、王国の財政基盤がほぼ自壊状態になるのは目に見えている。
「……いい流れね。これは大きなチャンスだわ。混乱している今こそ、一気に攻勢に出ましょう」
部下たちの視線が私に集中する。次の一手がどれほど危険かは承知しているはずだが、誰も引き下がる様子はない。むしろ、この黒薔薇商会の成長が魔王領全体にも好影響を与えていることを、彼ら自身が実感しているのかもしれない。
「これから大規模な取引を仕掛けるわ。王国側の要となる物流拠点に目をつけ、我々の手で一部の物資を意図的に“高騰”させるの。そうすれば、王国が発行しようとしている新貨幣の信用価値も揺さぶれる。もし偽造品が出回れば、人々はますます王国に不信を抱くでしょう」
部下がうなずき、細かな手順を確認するためメモを取る。私も手早く作戦概要を口にしつつ、彼らに役割分担を伝える。あれこれ指示を出すうちに、部下たちの表情が引き締まっていく。暗殺や密偵の噂に気を取られることなく、こちらから先に手を打つのが得策だ。王国側が翻弄される隙に、私たちは市場をさらに掌握する。
作戦会議を終えるころ、外はすっかり日が傾いている。私は執務室に戻り、机上に散らばる資料をもう一度見直す。そこへ、珍しくレオンハルトからの伝令が来たという報せが入る。魔王領の兵士が私を呼んでいるらしい。
少しだけ胸が高鳴る。レオンハルトは必要最低限のときにしか直接連絡を寄こさないからだ。私が通されたのは、商会の離れにある小さな部屋。その奥で、漆黒の外套を羽織った彼が腕を組んで待っている。
「随分と忙しそうだな」
低く響く声を聞くと、緊張が走ると同時に、不思議な安心感もある。私たちは契約によって結ばれた“夫婦”だが、日常的に甘い言葉を交わすような関係ではない。それでも、互いの力を尊重しあっているという意識はある。私は言葉を選びながら、王国の現状を手短に伝える。
「暗殺計画や密偵が動いているみたい。でも、彼らは内部の連携すらままならない。私たちが攻勢を強めれば、崩壊は時間の問題よ」
すると、レオンハルトは微かに笑む。冷徹な瞳に興味の光が宿り、指先で私の手首についた契約の紋章をそっと指し示す。
「ならば、遠慮はいらない。俺の兵や呪術も必要なら使え。お前が望むなら、王国の中枢に直接打撃を与える準備もある」
「ありがたい申し出だけど、今はまだ大規模な侵攻は不要よ。あの国の体制がボロボロになってから総仕上げをするほうが効果的だわ。……もっとも、そうなる日は遠くないと思うけど」
レオンハルトは黙って頷き、そのまま踵を返す。別れ際にほんの少しだけ振り向き、低い声で付け加える。
「……暗殺が本格化すれば、お前の部下たちにも危害が及ぶ。油断するな」
言い捨てるようにそれだけ言うと、彼は闇の奥へと姿を消す。その立ち去り際の態度に、かすかな優しさが感じられるのは気のせいだろうか。私は苦笑いしながら、再び資料を手に戻る。王国に狙われるリスクが高まっているのは分かっている。でも、今の私には立ち止まる理由がない。むしろこの混乱を最大限に利用して、目的を果たすしかないのだ。
深夜近くになると、再び商会の部下たちが動きを報告に来る。どうやら王国内部で再度暗殺計画が浮上し、準備が進められているという具体的な噂をつかんだらしい。その一方で、王太子が発表した新貨幣についても不審を唱える貴族が現れ、神殿の高官たちが不満を抱き始めているとのこと。まさに内部崩壊のきざしがあちこちで芽生えている。
私は地図に目を落としながら思う。混乱が深まるほど、王国の縦割り構造や情報伝達の遅さが際立つ。指揮系統が機能しなくなったところへ、私の商会が更なる一手を打ち込めば、無駄な動揺を誘うことは容易いだろう。自滅への道を彼ら自身が歩んでいるのだ。
「今が好機……これ以上ないタイミングよ」
つぶやきながら、私はあくまで冷静でいようと心を鎮める。ここで焦って大きく動きすぎれば、部下たちが危険にさらされるかもしれないし、王国の残党が一時的に団結してくる可能性もある。重要なのは、王国の体制が崩れ始めるこの瞬間を逃さず、適切な攻勢を仕掛けること。
夜更けの廊下を歩き、商会の奥にある自室に向かいながら、私は胸の奥に込み上げる熱を感じる。かつて“偽聖女”の汚名を着せられ、断頭台へ送られた私。だが、今はこうして王国を翻弄する立場にいる。自分の意志でここまで形勢をひっくり返せるのだと思うと、悔しさや怒りすら妙な昂揚に変わってくる。
部屋に戻っても、なかなか眠気はやってこない。窓から外を見ると、淡い月明かりが魔王領の建物をぼんやりと照らしている。冷たい空気が頬を撫で、私を落ち着かせようとしているようにも感じる。けれど、胸の鼓動は高まり続けるばかりだ。
「王国側の反撃なんて、この程度で終わるものじゃないでしょうね。でも、だからこそ崩れ始めたら止まらない」
一人ごちる声が部屋の静寂に溶ける。頭の中には、密偵や暗殺を繰り返す王国側の動きと、そのたびに崩壊へ向かう内情が交互に浮かぶ。彼らが必死になればなるほど、裏切りや情報漏洩が相次ぎ、さらに組織は混乱する。まるで、自分で自分の首を絞めるかのような悪循環だ。
私は手首に触れる。そこに刻まれた黒い薔薇の紋章が、小さく脈打っているように感じる。レオンハルトとの契約だけが、私の行動を支えているわけではない。復讐と再生を同時に叶えたいという揺るぎない思いがあるから、私は前に進む。王国の反撃が弱まれば、そのぶんだけ攻勢を強めればいい。内部混乱が激化するほど、私の計画は容易に実行できる。
こうして夜の帳に沈みながら、私は一つ、深呼吸をする。今の混沌は、まさに転換点だ。王国が耐えきれずに崩れるか、それともこのまま混乱を拡大させてしまうのか。その結末はもう見えかけているけれど、私はあえて言葉にしない。破滅への道を歩む王国を眺めながら、次の一手を練るのは私の役目だ。そう、勝ち誇るにはまだ早い。
「さあ、準備を整えて。明日から、さらに踏み込んでみせるわ」
暗闇の中でそう誓い、私は窓を閉じる。月光が途切れ、部屋はほとんど闇に沈む。だが不思議なほど恐怖も迷いもない。私が生きる意味は、ここにあるのだと、今ならはっきり自覚できるから。
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