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第1章


 私は今、足枷の重みを引きずっている。ゆっくりと進む馬車の上、背中に食い込む縄のきしみが不快だ。


 ざわざわと通りを埋める群衆は、私を見るたびに罵声を浴びせ、ある者は石まで投げつけてくる。石畳を転がる小石は乾いた音を立て、視線を下げれば血のついた汚れがうっすらと目に入る。

 かつては拍手喝采を送ってくれた人々が、今は「偽聖女」だと一斉に非難を向けている。

 その変わり身が、むしろ哀れですらある。


 断頭台が設置された広場へ近づき、私は馬車から強引に降ろされる。観衆は狂乱の様相で歓声を上げ、私を指さしては口汚く罵る。


(神殿の“聖女”として国に使い捨てられた。いい子ちゃんでいた結果が、これね)


 王家や神殿は、私が持つ“聖なる力”を、彼らに都合のいいように利用して暴利を得ていた。聖女の仕事に慣れてきたところで運営体勢に口を挟んだ途端に、私は排除対象になったという訳だ。

 妹を次の“本物の聖女”として担ぎ上げ、国は同じ暴利を貪り続ける――それがこの断頭台行きの、くだらない理由だ。


 通りを埋める歓声がひときわ大きくなり、壇上で待ち受ける王太子の姿が目に飛び込んでくる。

 金色の髪を振り、白いマントを翻して立っているその姿は、遠目から見ればいかにも「理想の王子」らしい。だが、その内面は冷酷で利己的。私を聖女兼婚約者から「偽聖女」へと突き落とし、今まさに死刑を宣告しようとしている。


 広場の中央には高い処刑台が組まれ、私を待ち受ける刀剣が燦然と陽光を反射している。群衆の歓声が一気に高まり、私は台へと押しやられる。

 視線を感じてふと上を見れば、妹――リリアナが神殿の高位司祭たちに囲まれながら微笑んでいるのが見えた。彼女は純真そうな顔つきのまま、私を見る瞳にはわずかな勝ち誇りが宿っている。

 台の上で膝をつかされ、肩を押さえつけられても、私は静かに息をする。


 くだらなく、醜い。世論操作された民衆も、国の道具に成り下がる妹も、暴利を貪る王侯貴族も。


 王太子の声が響く。

『偽聖女エリス・フォン・ルーエ。お前は王家と神殿を欺き、国を混乱に陥れた罪人だ』


 よく通る声が、広場中に吸い込まれていく。観衆は水を打ったように静かになった。

 私は顔を上げ、冷ややかな視線を王太子に向ける。すると彼は唇を歪め、さらに続ける。


『お前の処刑は、いまより執行する。この断頭台こそが、お前の偽りを白日の下に晒す証となるだろう』


 ……その宣言に、私は内心小さく笑う。――計画通りだ。


 冷たく光る刃の先が私の首筋を捉える。そこにあるのは絶対的な死の気配。

 刃が私の首に触れようとする瞬間。


 ゴオッ! と地響きのような暴風が来襲し、処刑台が薙ぎ倒される。

 木材の砕け散る様が一気に視界を覆った。


『嘘だろ……!』

  人々のざわめきが地鳴りのように広がる。私を捕らえていた兵士たちが後方へ吹き飛ばされ、崩れゆく処刑台の破片が騒音の中を転げ落ちていく。


 怒号と悲鳴が入り混じり、広場は大混乱に陥っている。暴風はそのまま民衆を襲い、人間が旋風に吹き飛ばされる始末だ。

 私は瓦礫の上に片手をつきながら静かに立ち上がり、周囲を見回した。


「ふん、断頭台を壊すだけで良かったのに。雑魚が煩いわ」


 旋風で大混乱に陥った広場。先ほどまで私をあざ笑っていた貴族たちが、口を開いて驚愕に立ちすくんでいる。王太子はどこかで怒鳴っているのかもしれないが、その声は混沌に飲み込まれてよく聞こえない。

 大勢の人々が悲鳴を上げて逃げ惑う光景を見ながら、私は大きく息を吸って、吐く。


「……くだらない気遣いよ。魔王様」



 そう呟いた瞬間、瓦礫の影から冷たい風が吹き抜ける。

 その風に混じって、何か異様な存在感を伴う気配が近づいてくる。周囲の喧騒とは違う、深い闇の底から這い上がるような静謐。私は振り返り、そこにいる男を見つめる。


 長身の、黒い外套をまとった男。漆黒の瞳は暗い光を宿している。

 民衆が避けるように道を開けるなか、彼はさらりと足を進める。周囲から湧く嫌悪とも畏怖ともつかぬ視線を意にも介さない。その圧倒的な存在感で、混沌の渦中ですら彼だけが際立っている。


 魔王――レオンハルト。

 人々を震え上がらせる漆黒の軍勢を率いるという、魔族の長。

 彼の口はわずかに動き、低く重みのある声が私の耳に届く。


「……お前は喜ぶかと思ったのだがな」


 言葉尻はまるで私を嘲笑するようで、彼の瞳には危険な冷たさが宿っている。

 背後では人々の悲鳴や怒号が渦巻き、破壊された処刑台の破片がまだ落ち続けている。

 けれど、その混乱が遠い世界の出来事かのように感じられるほど、私と魔王の間には奇妙な静寂が降りている。


 闇のような冷たい空気の中、私とレオンハルトは視線を交わす。わずかに笑みを含んだその表情からは、彼の真意など読み取れない。

 けれど、私は知っている――ここにいる誰よりも彼が私を“理解”しているということを。

 レオンハルトはゆっくりと視線を王都のほうへ向けた。


「……くだらない、か。だが、我もお前を見下されるのは癪なのだ」


 彼の声に宿る圧倒的な力を感じながら、私も視線を同じ方向へ向ける。

 焼け落ちた処刑台から高く舞い上がる煙の向こう、混乱に包まれた民衆と、遠巻きに立ち尽くす貴族や神殿の高官たちの姿。あれほど偉そうに振る舞っていた彼らが、私と魔王の出現によって完全に硬直しているのだ。


 ひとつ確信していることがある。

 王国は、そして私を陥れた者たちは、これから大きく変わる。

 そう、私が変えるのだ。聖女としての私の良心は、今日、ここで死んだ。

 契約を交わした悪魔――ならぬ魔王と共に、私は、この世界に復讐する。


「この世界を壊すだけじゃ足りない。私は、それ以上のことができるわ」


 そう、微笑んで小さく呟くと、私の横ではレオンハルトがわずかに首を傾ける。ただ、その眼差しには私に対する興味がはっきりと浮かんでいる。


 大混乱のさなか、私はレオンハルトと共に広場の一角を歩き出した。

 周囲の貴族や兵士たちが慌てて逃げ道を作る。人々が恐る恐る私たちを見つめる様子は滑稽ですらあるが、誰も手を出そうとはしない。いや、出せないのだろう。魔王の圧倒的な威圧感。普通の人間には耐えがたい“異端”の権化には。


 遠くから警備兵らしき集団が悲鳴を上げ、混乱に拍車をかけている。馬鹿でしかない。

 崩れ落ちた処刑台を目の当たりにして、誰もが恐怖に震えている。王太子が何を口走っているかは聞こえないが、きっと私を“化け物”呼ばわりしているに違いない。


 私が立ち止まり、荒れた石畳の上で後ろを振り返ると、レオンハルトも足を止め、ゆっくりとこちらを向く。

 その瞳に宿る黒い炎のような光を見て、私は小さく笑ってみせた。


 ――この舞台は、私がこの世界を変えるための“運命の分岐点”なのだ。



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