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【短編】「真実の愛」を見つけないと死ぬらしい。って無理。詰んだ

作者: Koooda

ほんわか設定で軽ーく読めるハッピーエンド物を書いてみました。

よろしければお目通しください。


「…つまり、私は長くてもあと一年しか生きられないってことですか?」

 私はベッドの上で呆然と呟いた。

「で、それを回避するにはこの呪いの元凶となった男性と真実の愛を育むしかない、と?」


「そうなっちゃうのよねぇ…」

 小さな魔女は窓枠に腰かけ、足をぶらぶらさせながら事も無げに答えた。

 こんな適当そうな魔女だけれど、私が突然病にぶっ倒れてから、お父様が家をあげて医者を探し術師を探し、何人にも診てもらって、ようやくたどり着いた希望なのだ。


「貴方、十年ほど前に大きな爆風に巻き込まれたことあるでしょ。王家主催のお茶会で。あれは姉さんがあのクソガキ…じゃなかった、キリアーン公爵令息を呪った時の風だったのよね。で、たまたま近くにいた貴方が巻き込まれた、と」


 はあ?流れ玉にあたったってこと?

 あきれる私に魔女は小さなため息をついた。

「まあ、姉さんもペットのガチョウを蹴り上げられただけであそこまで呪うのはやりすぎだとは思うけど。‥‥あんたも災難ねえ」


 災難の一言で済まされる問題ではない。必死でベッドから起き上がって抗議した。

「そんなあっさり言わないでよ!こっちは命かかってるんだから!っていうか、貴方のお姉さん連れてきなさいよ!その女なら呪い解けるんでしょ?」

 魔女は小さく肩をすくめただけだった。

「残念ながら呪いはかけた本人にも解けないのよ。ただ呪う時に一定の解除要件を付すだけで」


 ‥‥‥いやいや、本人に解けなかったらどうしろと言うのよ?


「‥‥で、その要件が、真実の愛、だったと?」

「そうみたいねぇ」

 って、他人事みたいに。‥‥他人事か。


「…また、なんでそんな陳腐な…」

 ため息とともに漏らすと。


「まあ、適当に思いついたのがそれだったんじゃない?姉さん、魔力強いわりに頭は弱いから」


 頭弱いでは済まされない。


「‥‥そもそも、真実の愛って…何?」

 混乱のままに呟いた。

「うーん、相思相愛ってこと?かな?」


 あんたもわかってないんかーい!


「…ちなみに確認だけど、恋に落ちる相手はその人じゃなきゃだめなの?」

 魔女は小さく首を前に傾げた。

「少なくとも貴方はそうよ。あのクソガキの呪いに巻き込まれたんだから。でも肝心のクソガキは…、わからないわね。誰でもいいのか貴方じゃなきゃダメなのか。それに、死ぬのは貴方だけよ。クソガキは呪いに苛まされ続けるけれど、死ぬわけじゃない」


「…は?じゃあ、私が死んだ後、もしそのバカが誰かと相思相愛になったら、ソイツは呪いが解けて幸せになりましたとさ、ってなるわけ?」


「そうなるわねぇ」

 魔女はまた他人事のように答えた。


 私はイラつきながらも詰め寄る。

「そもそも、恋に落ちる定番って言ったら、小さな頃に助けてもらったってのがセオリーでしょう?それを、悪さして呪われたクソガキって。どうやって好きになれっていうの!?」

「いやまあ、そこはそれ。頑張って」

「無責任!っていうか無理!あんたのお姉さんの仕業でしょ!何とかしてよ!」

 いきり立って詰め寄ろうにも弱った体はベッドから離れることはできない。


「そう言われてもねぇ。私に出来ることと言ったらせめてこれぐらい、かな」

 木の枝のような杖を軽く振ると、ふっと、身体が軽くなった。


「!!!!????」

 急に痛みが消え、軽くなった体を見下ろす。頭痛もだるさも全部消えて、突然元気な体が戻ってきたみたいだ。


「寿命を延ばすことも呪いを消すこともできないけど、せめてそれまでの時間、痛みもなく健康に生きられるようにはしたわ」


「あ、ありが…」

 ふいに楽になった体に安堵し、お礼を言おうとした瞬間、

「まあ、人より体が弱かったり熱を出しやすいのはしょうがないけどね」

「それのどこが健康なのよ!!!」


 怒鳴る私に、小さな魔女は手をひらひらさせながら背を向けた。


「ほとんどなくなっちゃった嗅覚も戻らないけど、味覚もその他の感覚も全部あるから、心配しないで。あ、あと、恋に落ちる、のじゃなくて、真実の愛に目覚めないとだめよ。彼にこの事実を教えるのもダメ」

「心配しかないわよ!!」


 どれだけ騒いでも、魔女はすうっと窓の外に消えて、見えなくなってしまった。


 ***


 私ことオフェーリアは、侯爵家の長女として生まれた。優しい両親と兄からたっぷりの愛を注がれて、真っ直ぐにすくすくと育った、普通の少女。

 自由に育てられすぎて、裏表のない性格と、たまに口が悪くなることもあるけれど、対外的には完璧なマナーを保っている、はず。

 

 そんな私が呪いとやらをくらったきっかけは、十年ほど前に王宮で開かれたお茶会で、退屈になって広い芝生の庭に遊びに出た時に、突然爆風に巻き込まれたことだった。

 小さくて軽い身体は簡単に吹っ飛んだものの、着地場所が柔らかい芝生だったおかげで大きな怪我を負うこともなく、そんな事実をすっかり忘れて生きてきた。


 順調に成長した私は当たり前のように貴族学園に入学し、楽しい学園生活を送っていた。週三日の通学は授業も課題も大変だったけれど、友人と頑張ってレポートを作成したり、試験後には街で買い物やランチを楽しんだり、まあまあ充実していたと思う。


 そんな幸せが突如崩れた。

 突然襲った原因不明の発熱、頭痛と倦怠感。

 最初は風邪かな?ぐらいに思っていたのに、次第に起き上がれなくなり、楽しみだった学園にも通えなくなった。

 両親が血眼になって医者や術師を探し原因を探り、ようやく連れてきた魔女に言われたのが冒頭の言葉。


 いきなり余命一年と言われても、なんの実感もわかない。


 魔女のおかげで軽くなった体を起こし、鏡の前に立った。

 父親譲りの銀の髪は腰まで伸びて柔らかいウェーブを描いており、母親譲りの大きめの藤色の瞳には長い睫毛が揺れている。両親の良いとこ取りをしたような容姿は、頑張れば公爵令息一人ぐらい落とせないことはない、と思う。


 けれど。

「真実の愛」と言われてしまうと、途端に自信がなくなる。


 自分だってそんなもの、感じたこともないしわからない。全く未知の世界なのだから。

 だけど、このまま指をくわえて死期を待つわけにはいかない。


「呪われた公爵令息」

 噂だけは聞いたことがある。

 魔女に呪いをかけられ、領地の奥深くでひっそりと暮らしているらしい。

 社交界に一度も姿を見せたことがなく、謎に包まれている彼。


 どんな人物なのだろう。

 もはや何度目ともわからないため息をついた。


 ***


 二週間後、私を乗せた馬車は、広いキリアーン公爵領の一角にある、別邸の前に止まった。奥まった土地に建つそれは、高い生垣で人から隠れるようにひっそりと存在していた。


 両親も兄も、クソみたいな呪いに「納得できない!」と叫びながらも、最速で私とヨルゲン・キリアーン公爵令息との婚約を結んでくれた。


 大切な娘の命には代えられない。

 全身を呪いで覆われたという息子への突然の婚約の打診に、キリアーン公爵夫妻はたいそう喜び、あっという間に書類を整えて神殿に提出したそうだ。


 この場所で、ここに暮らす男性を好きにならなければ、自分の未来はない。

 私は固い表情のまま、馬車から降り立った。


「アドキンズ侯爵令嬢様、ようこそお越しくださいました。執事のオールディスです」

 出迎えてくれた初老の執事はにこやかに、洗練された所作で迎え入れてくれた。


 案内されて屋敷を進むと、侯爵家からついてきた護衛騎士と侍女が顔を顰め、小声でささやいた。

「…お嬢様、この臭い、大丈夫ですか?」


 臭い?

 ああ、そう言えば、なんだか生臭い臭いがするような。

 ほとんど嗅覚がなくなった自分にもかすかに臭うのだから、相当なのかもしれない。


 たどり着いた部屋に一歩足を踏み入れると、その部屋には先ほどよりも強い臭いが立ち込めているようで、侍女のパティが思わず後ずさる。

「貴方たちはここで待っていていいわ。私が一人で行くから」


 そう言い残すと、カツカツと中央に進んだ。


 応接室とみられるその部屋には、光り輝く男性が立っていた。

 ‥‥実際に光っていたのだ。鱗が。


 顔の右半分を覆った鱗は、体中の皮膚を覆っているという。

 青銀に光る鱗を隠す様に長袖をきっちり着込み、手袋をはめて体を晒さないようにしているらしい。

 しかし、その特性からか、体から染み出た体液のようなものにより、衣服はしっとりと湿っていた。


 私はスカートをつまみ、丁寧に腰を折る。

「はじめましてキリアーン公爵令息様。オフェーリア・アドキンズと申します。この度婚約を結び…」

「君、何が目的?俺の地位?財産?」

 冷たい声が言葉を遮った。


 顔をあげれば、澱んだ生気のない目がこちらを向いている。


「うっわぁ、性格悪…」

 思わずつぶやいてしまった自分は悪くない、と思う。


 相手が礼を尽くす気がないのならこちらもそれなりの態度で返すだけだ。


 目の前の椅子にがんっと座ろう…として、ついつい静かに腰かけてしまった。

 ‥‥身につきすぎた淑女としての所作が恨めしい。


 彼は左眉をぴくりと動かした。

 私はつん、とすまし顔で続けた。

「これでも我がアドキンズ家は余所をあてになんてしなくていいほど財政は潤っていますし、地位だってそれなりだと思っていますわ。そもそも公爵だから偉いとか思っている段階でもうアウトですわね。…まあ、だからと言ってすごすごと帰るわけにはいかないんですけど」


 吐き出す様に言い返せば、彼は顔を背けて言い放った。

「…ふん。どうだか。目的は公爵夫人の座か?なんなら俺の命も狙っているのかもな」


 ホンッと最悪。もはや人としてどうよ、ってレベルだわ。

 恋愛とか、マジで無理。


「何度も言いますが、そのようなものを望む必要のない家系です。それに、貴方、ただの公爵令息、でしょう?結婚しても私は公爵夫人になんかなれませんよ。そこで貴方が死んだらただの公爵令息夫人。侯爵令嬢より残念じゃないですか」


 深いため息とともに吐き出すと、彼は自虐的な笑みを浮かべた。


「…まあ、いい。それより、俺を見て何か思うところはあるだろう?」


 ん?この人、私の台詞聞いていたのかしら。

「だからさっき言いましたが?性格悪いって」

「それだけじゃないだろう!?もっと大きな問題があるだろう!」


 何を怒っているんだ、この人は。

 まじまじと見つめ返して、付け足した。


「…ああ。口も悪いですね」

 そうつぶやくと同時に、何故か笑ってしまった。

 彼はぽかんとこちらを見ている。


「ついでに言えば態度も悪いです。あ、でも、基本の所作は綺麗、かな」

 止まらなくなってくすくす笑い続けると、鱗に覆われていない方の耳が真っ赤になっている。


「し、仕方がないだろう!」

 それからまたそっぽを向いてしまった。

「…こんな体になって、もう社交界に顔を出すことも出来なければマナーなど何の意味もない。やけっぱちになろうとしてもついつい身についた所作が出てしまうのだ」


 思わずぽかんと口を開けてしまった。


「…同じですね」

「は!?同じ?」

 ついこぼれ出た台詞に彼はぎろりとこちらを見たが、気にせず続ける。


「…私も、もうどうとでもなれ!って、グレようと思ったのに、ついつい身についたものを取っ払えなくて」

「…君も、か?」

「そう!」

 なんだか変な連帯感に気分が高揚してしまった。


「もう、食事だって好きに食べてやる!って思うのにカトラリーは音を立ててくれないし、足を投げ出してボンってベッドにダイブしようとしたのになぜか普通に腰かけてるし」


「…君の不良行為はずいぶん慎ましいな」


 言われてみれば確かに。

 へへっと笑うと、顔を背けたままの彼の耳はやはりまた赤くなった。


 …ちょっとだけ可愛いと思ってしまったのは不可抗力だ。


 よく見れば、半分だけ残った顔は切れ長の目が涼し気な、整った顔立ちをしている。


「…ヨルゲン様、とお呼びしても?」

 おずおずと問いかける。

 彼はぶっきらぼうに答えた。

「構わん。様も不要だ」

「では、私のことはオフェーリアと」


 …彼の返事はなかった。


 そのままそっと部屋を辞する。


「お嬢様のお部屋は東の端の客間に用意していただいています。ご案内しますね」

 パティが先導しながら説明してくれた。

 婚約者なのに同じ家に住むという状況と、家中を充満する臭いを考え、彼の隣ではなく離れた客室がよいと判断してくれたらしい。公爵家なりの気づかいだろう。


「ヨルゲン様はずっとここにお独りで?」

 歩きながら尋ねれば、オールディスは深く頷いた。

「見た目は仮面や手袋である程度隠すことは可能ですが、いかんせんあの臭いが…」


「それで、貴族学園にも通わずここで暮らしていらっしゃったのね」

 オールディスが下を向く。

「はい。ここで主に書類関係で公爵家の領地経営のお手伝いをしながら、十年間お独りで、ひっそりとお暮しになられていました」


 小さな魔女の言葉を思い返す。

 ガチョウを蹴り上げるのは絶対ダメだが、それだけでこの生活を強いるのは行き過ぎな気がする。十歳から二十歳までなんて、人生で最も楽しい時期なのに。


 自分のように幸せに生きてきてあと一年の命なのと、ずっと不遇の人生を長く生きること、どちらがいいのだろう。小さく息を吐いた。


 ***


「おはようございますヨルゲン様」

 翌朝、不機嫌な声を隠すこともなく、一人でさっさと朝食を取ろうとしていたヨルゲンにずかずかと近づいていった。


「まさか食事すら別々とは。婚約者をそんなに粗雑に扱っていいのでしょうか」

 至近距離でずけずけと物申す女性など周りにいなかったのだろうか。彼は戸惑った顔で後ずさった。


「いや、しかし…。俺はこのような物しか食べないし、体臭もすごい。‥‥其方、の」

「オフェーリアです」

「…オフェーリアの食欲がなくなってしまうだろう?」


 彼は困惑した顔でこちらを見た。

 なるほど、彼の目の前には丸のままの生の魚が5匹、銀のプレートに並んでいる。


「全く気にしません。パティ!私の朝食をここへ」

 その掛け声に、オールディスも嬉しそうに手を貸し、一瞬で朝食を整えてくれた。


 その様子を彼が呆れたように見ている。

「…俺の近くにいて、臭くはないのか?」


 ん?ああ、言い忘れていましたわね。

「私は病のせいで嗅覚をほとんど失ってしまったのです。ですからどうかお気になさらず」

「え…?」

 彼の目が大きく見開く。そして視線を彷徨わせ、おずおずと口を開いた。

「病って…。それは…もう、大丈夫、なのか?」


 あら、私のことを心配してくださるのね。意外と優しいところがあるじゃない。

「大丈夫です。ほら、この通り元気ですし」

 にっこりと笑えば、ほっとしたように肩が下がるのが見えた。


「では一緒にいただきましょう」

 その声に合わせ、彼も生魚に手を伸ばす。手づかみで丸のまま頭から(かじ)る様子はなかなか豪快だった。


「俺がこれ以外食べられないから。君の料理が作れてシェフも張り切ったことだろう。味は問題ないか?」


 心根は優しい人なのだろう。思わず微笑みが漏れた。

「ありがとうございます。実は、味覚は残っているはずなのに、嗅覚が消えると不思議と味をあまり感じることが出来なくて。でも、多分美味しいと思います。今は食べる訓練をしている状況なので、たくさん食べられなくてすみません」


 これから一緒に暮らすのだから、食に関する嘘はすぐにばれる。ここは素直に伝えるのが正解だと考えた。


 彼の眉がまた下がるのが見える。

「不便なのだな。こんなものでもうまいと感じられる俺の方がまだマシなのか」

「あら。私の朝食の方が盛り付けも綺麗で素敵ですわよ」


 何故か芽生えた対抗心で言い返すと、彼の口角が少しだけ上がった。

「え?ヨルゲン様。もしかして今、笑いました?」

「な!?そ、そんなわけないだろう!」


 笑うことの何がいけないのかわからないが、ものすごく怒られてしまった。

 ま、細かいことは気にしない。


「ヨルゲン様はこれからお仕事ですか?」

「ああ、だが人と会わずにできる仕事などたいして量はない。困ったときは気にせず声をかけるといい」


 こんな呪いを受けてもなお、きちんとやるべき務めを果たしているのだから、卑下する必要なんてないのに。


 そうだ。いいこと思いついた。

「じゃあ午後、お庭でピクニックしましょう!」

「ダメだ」

 ‥‥瞬殺で却下された。


 しゅんと項垂れると、ヨルゲン様が慌てて付け加えた。

「午後は、雨が降るんだ」

 え?

「雨?」

「ああ。しばらく降り続く」


「お天気がわかるのですか?」

「なんとなく、な。それに、雨が止んでも、俺は日差しの下にそれほど長くはいられない」


 呪いはそんなところまで影響があるのか。

「…木陰では、どうでしょう?」


 彼は少し首を傾けた。

「木陰、か。それなら大丈夫かもしれないな。長時間でなければ」

「では、雨が止んだら是非!」




 ***



「今日のヨルゲン様の昼食は何ていうお魚ですの?」

 ようやく実現できた中庭でのピクニックで、いつものように尋ねる。

 たった五日でずいぶん魚に詳しくなってしまった。

 彼は生魚であればなんでもいいようで、シェフが頑張って毎回種類を変え、様々なものを用意している。そして同じ魚をソテーやフライにして私に出してくれることも多いのだ。


「シラギという魚だな。あっさりとした白身で淡白な味わいが、うまい」

「そうなんですね。あ、私のホットサンドに同じ魚のフライが入っていますわ」

 小さなお揃いに嬉しくなる。


 暖かい日差しを避けるように、木の陰にブランケットを広げて座ったランチは、オレンジジュースとホットサンドというシンプルなものだったが、外の空気を感じながら食べるとまた格別な味わいがする。


 穏やかな時間が心地いい。


「少し、散歩するか」

 そう言って立ち上がるヨルゲン様に続くように立ち上がる。

 小さな庭を歩くだけだが、まだ回復途中の自分にはちょうどいい運動かもしれない。


 しかし、立ち上がった瞬間、眩暈に襲われてしまった。


 あの後、雨は三日間続き、地面が濡れているからと更に二日お預けをくらい、ようやく庭でピクニック出来たのは五日も後だった。

 イベント一つにこんなに時間を取られていたら、あっという間に一年たってしまう。

 そんな焦りもあったのかもしれない。

 朝から身体のだるさを感じつつも、無理をして外に出てしまったのが祟ったらしい。

 気づけばふらり、と倒れそうになっていた。


「オフェーリア!!」

 驚いた彼は、私を支えるためにその手を…出さなかった。

 私の身体はそのまま庭の芝にぱふん、と倒れ込む。


「オールディス!オールディス!すぐに来てくれ!オフェーリアが!!」


 焦るように声を出す彼だったが、私に触れることも抱え上げることもしない。

 オフェーリアは柔らかい芝生にその身を預けながら、一人ドン引いていた。


 ヨルゲン様…。


 ‥‥‥‥ないわ~。


 そりゃ芝生は柔らかいし。怪我もないけれど。

 ここは男らしくサッと支えてくれるものじゃないの?

 一人倒れる婚約者を放置ってどうよ!?

 恋愛に発展する要素が皆無なんですが!?


 遠のく意識の中で、ある種の絶望を感じていた。


 結局その後三日間、熱を出して寝込んでしまった。

 その間、彼は様子を伺いには来たようだが、お見舞いに訪れることも声をかけることもしない。

 弱った彼女を優しく見守ってこそ恋は育まれるんじゃないの?

 手を取って励ましたりとか、してもいいんじゃないの!?

 すっかり回復した私は、ヨルゲン様の朝食に突撃した。


「おはようございますヨルゲン様」

「お、おはよう。もう体調はいいのか?」

 いきなりの不機嫌オーラに、ヨルゲン様が戸惑った顔であいさつを返してくれた。

「ええ。おかげさまで」

「よかった」

 その顔は心の底から安堵しているようで、怒っている自分が馬鹿らしくなる。

 だけどここで引いたらなんの進展も見込めない。


「お話があるのですが」

 その強い口調に、彼はおどおどとこちらを見た。

「な、何、か?」

 私が何を切り出すのか、恐れているような。


 私はフンっと鼻息荒く声をあげた。

「どうしてお見舞いに来てくださらなかったのでしょうか?」


 ‥‥‥‥。

 たっぷりの沈黙の後。

「君‥‥は、俺に、お見舞いに来て欲しかった‥‥のか?」

 おずおずと聞いてきた。


 なっ!?

 なんて直球で聞いてくるのかしら!?


「…体調が悪い時は、婚約者の顔ぐらい見たいのが普通でしょう!?遠くにいるのならまだしも、同じ屋根の下で、すぐ近くにいるのに。」

 何故か赤くなりながら必死で言い繕う。


「それと、庭で倒れた時もそうですわ」

「へ?」

 ぽかんとした顔を見ると、本当に何にもわかっていないんだなとイライラしてしまった。


「目の前で女性が倒れそうになったのですよ?優しく支えようと思わないのですか!?ましてや、一応婚約者なのに!…まあ、体調管理が出来ていない私が悪いと言われたらそれまでですが」

 強気だった言葉はだんだんと尻すぼみになってくる。


 ごにょごにょと口ごもり始めてしまった自分を、彼は呆けた顔で見ていた。


 しばらく固まったまま、やがて、うつむいて答えた。

「…すまない。俺が触ると臭いが移るから。触ってはいけないと思ったんだ」


 あ…。


 彼の呪いについて、ようやく思いが至る。

「それに、お見舞いも、俺が部屋に入ったらその、臭いで侍女たちが困るだろう?」

 その声は小さく震えていて。彼が気を使ってくれていたのだとようやく気付いた。


「…私こそ、すみません。ヨルゲン様の呪いのことを考えなくて」

 謝ると、彼もうつむいたまま返してくれた。

「いや、俺こそ。気が使えなくて」


 そっと顔をあげると、同じタイミングで顔をあげた彼と目が合う。

 その目が迷子の子猫の様で、思わず微笑むと、彼もホッとしたように笑った。


「えっと。一応仲直りと言うことで‥‥。一緒に朝食にしましょう!」

「だ、大丈夫なのか?もう食べられるのか?」

 我ながら勝手に怒って勝手に自己完結していると思ったが、彼はそれに怒るというより、むしろ心配してくれている。


「はい!体調は崩しやすいですが、回復も早いのです。だからあまり気にしないでください」

 にっこり笑えば、彼は眉を(しか)めた。

「いや、気にはするだろう。…まあ、食べられるのはいいことだ」


 いい人、だと思う。


 しかーし!いかんせん、恋愛に関して疎すぎる。

 無知すぎる。

 奥手すぎる!

 このままじゃ、何も進まない。


 ***


「というわけで、第一回作戦会議を開きます!」

 オフェーリアの自室で始まった会議は、アドキンズ家から連れてきたパティと護衛騎士、アーノルドの三人。


「‥‥どうして私まで?」

 アーノルドは訝し気に尋ねるが。


「だって、呪いのことを知っているのは私達三人だけですもの。みんなで力を合わせる必要があるでしょう?」

 にっこり笑って返すと、それでもぶつぶつ呟いていた。

「しかし私は男ですから、お役に立てるとは‥‥」

「だからいいのよ!男性の目線からの意見が欲しいわ!」

 なおも詰め寄る。

「‥‥まあ、そう言うことでしたら‥‥」

 しぶしぶ、という感じでうなずいてくれた。


「では、会議を再開します。彼との距離を縮めるために、具体的にどんなプランが有効だと思いますか?」


「はい!」

 やる気に満ちたパティがぴしっと手をあげる。

「どうぞ、パティさん」

「デートがいいと思います!一緒に買い物をして、劇を見るんです」

「却下!」

 アーノルドが即座に否定した。意外とノリノリである。

「キリアーン様は人目につくところには行けないから、そんな普通のデートが出来るわけないだろう」


 至極まっとうな正論で却下され、パティはぶすっとむくれる。

「じゃあプレゼント攻撃なんてどうでしょう?ハンカチとかカフスボタンとか、ブローチとか!」

「悪くないわね」

 私は口に手を当てて考えた。

「でも、物理的距離を縮めるためには少し弱いわね。プラスアルファのプランとしてキープしましょう」


「レストランで食事とかは?」

「だから人の多いところには行けないって言っているだろう!」

 アーノルドがイライラし始めてしまった。

「まあまあ。案は多いほどいいんだから。アーノルドは?何かいい案浮かばない?」


 少し考えた後で、彼はゆっくりと口を開いた。


「‥‥キリアーン様のお仕事を手伝う、と言うのはどうでしょう?お嬢様が手伝えばキリアーン様も助かるし、同じ部屋で過ごす時間も増えて一石二鳥だと思います」

「いい!それ、いい!」

 思いわず食いついてしまった。


 善は急げと言う。

 次の朝、朝食時に彼に直談判を試みた。

「ヨルゲン様。私にヨルゲン様のお仕事のお手伝いをさせてくださいまし」

 自分が出来得る限り最大限の笑みを浮かべてにじり寄れば、やはりたじろいだように後ずさった。

 なんかいつも迫っては後ずさられている気がする。


「‥‥しかし。俺の仕事なんて、所詮書類仕事だけで大したことは‥‥」

「あら!どんなことでも構いませんわ。これでも学園では成績も優秀で、‥‥一部の教科だけでしたが‥‥。アドキンズ家のお仕事もお手伝いして、お父様によく褒められましたのよ」


「うーん‥‥」

 必死のアピールに対し、彼は迷っているようだった。

「‥‥まあ、お父様は私をおだてただけだとは、わかっていますけど」

 小さくなって俯く。


「‥‥貴方の能力を軽んじているわけではないのだ。もしも嫌でなければ、手伝ってもらえるとありがたい」

 少しの逡巡の後、意外にも彼はあっさりと了承してくれた。


 よし!物理的な距離が近づくチャンスができた!


 ***


 案内されて執務室に足を踏み入れると、そこには、大量の資料や報告書、決裁が必要な書類などが積み上げられていた。

 ちらりと見ただけでも重要そうな案件ばかり。

 予想を覆す状況にただ驚いていると、書類を湿らさないよう慣れた手つきで皮手袋に変えながらヨルゲン様が説明を始めた。

「オフェーリアがどのような手伝いをしてきたかわからないから、いくつか提示するけれど、無理なら遠慮なく言ってくれ」


 はあ‥‥。

 大丈夫だろうか。急に不安になってくる。


「今俺が対応しているのはこの案件なんだが」

 すっと出してきた書類は、‥‥結構分厚かった。


「先の大雨で浸水被害にあった地域への補填と、豊作だった南部地域への対応に関する上申書だ。実りが多かった地域の余剰分を被害地域に送ることは簡単だが、どこまでが平等でどの程度だと民から不満が出ないかの塩梅が難しくて‥‥」


 ‥‥これのどこが簡単な仕事なの!?

 驚きのあまり固まってしまった私に、彼は慌てて首を振った。

「大変ならいいんだ。こちらで考えるから」

「いえ!そうではなくて!」

 慌てて否定する。

「…ただ、こんな大きな仕事をしていると思わなかったので…。学園にも通わずに、どうやってこれほどの知識と技術を身につけたのですか?」

 素直に感心して問えば、彼は照れたように下を向いた。


「大したことじゃない。オールディスや家庭教師たちが教えてくれたんだ。こんな外見の俺だけど、皆親切で、学園で習うようなレベルのことはほとんど教えてくれた」


 私はまじまじと彼を見た。

 これだけの知識をひけらかすこともなく、周りに恵まれたおかげだと感謝出来る人なんてなかなかいない。学園でも周りにいた男の子たちは、貴族としての地位に胡坐をかき、身分の低いものを見下す様な人ばかりだった。


「…ヨルゲン様が呪いを受けてもひがむことも曲がることもなく学問に真摯に向き合われたから、教師の皆様も親身になって教えてくださったのでしょうね」

 ごく自然にそんな言葉が零れてきた。

 彼の左眉がピクリと上がり、目が泳ぐ。


 あ、今、照れてる。

 いつの間にか彼の小さな表情の変化がわかるようになってきた。


「‥‥資料を見せていただいても?」

 もちろん、と、彼は何のてらいもなくその報告書を見せてくれた。


 ふむ。

 災害対策は授業でも習ったけれど、下手なことを言ってここで「使えない女」認定されたらこの部屋に入り浸れなくなってしまう。

 必死で頭を回転させた。これでも教育熱心なアドキンズ家、いろいろと叩きこまれているのだ。


「‥‥被害地域には国税が免除される特措法がありましたよね?」

 その質問は正解だったのだろう。彼は嬉しそうに微笑んだ。

「さすが。学園で成績優秀と言うのは嘘じゃないらしいな。だが税の免除だけでは領民は冬を越せない。」

「‥‥南部の収益の一部を被害地域に寄付する形にして、南部の節税に結びつけてはどうでしょうか?」

 必死で報告書に目を通しながら伝えれば、彼は大きく頷いてくれた。

 ひとまずは合格、と言うところだろうか。


「そうだね。でもその金額を全て被災地に送ってしまうと、南部の人は面白くないだろうな」

 そして彼は続けた。

「だから、寄付の一部を被災地のこの冬の食糧に、一部を今後の備蓄に回そうかと考えていたのだが…」


「キリアーン公爵領には備蓄食料はないのですか?」

「もちろんある。ただ、備蓄食料は定期的に入れ替える必要があるから」

「では、寄付金で古い備蓄食料を購入して被害地域に回し、売上金で新たな備蓄を購入するのですね?」

「そうなんだ。市価より安めに設定すれば問題もないだろうし」


 なんだ。すでに考えてるんじゃない。

 でももう一つ、大切なことを忘れている。

「残りを今後の災害対策のための治水工事に当てませんか?」


 彼の目が大きく見開かれた。

「治水工事!?そんなもの、南部の寄付程度で賄える金額じゃないよ!?」

 やっぱりそんな反応になるよね。でも、私は冷静に説明を加えた。


「災害は根本的な解決を目指さないと繰り返すだけです。今年はほんの一部に手を付ければいい。治水工事は何年も、何十年もかけて進めるものですから。肝心なのは、キリアーン家が治水工事に取り組み始めたと知らしめることです。領民は安心し、他領の貴族が見る目も変わってくるでしょう。我が領地でも数年前から取り組んでいますが、その地域に住む方たちの活力が違ってきています」

「なるほど。‥‥で、費用はどのぐらいかかるんだ?」


「それは専門家に頼りましょう。全て自分たちで賄う必要はないですから。いくつかのパターンで試算してもらうのです」


 その言葉に、彼は残念そうに下を向いた。

「俺は人との交流も出来ないし、そのような工事、屋敷に籠っている俺ではとても‥‥」

 途端に及び腰になる彼ににっこりと微笑んだ。


「あら。何の問題もありませんわ。そもそも公爵様だって領地に行くことはほとんどなく、離れた王都から指示を出しているのでしょう?書面で出来ることは多いのです」

「しかし…」

「とりあえずは企画立案してみましょう。実際の工事は公爵様に決断と実行をしてもらえばいいのですよ」

 その言葉に、ヨルゲン様はようやく前向きになったようだった。


「わかった。オフェーリアの案を形にしてみよう。何にしろ、最後に判断するのは父上だ」


 それからの二人は忙しくも楽しくやるべき業務を進めていった。

 公爵家の本邸との定期便を作り、毎日の連絡をやりやすくして小さなことでも相談できるようにし、往復書簡便の量も格段と増えている。

 そして…。



 ***


「‥‥第二回、作戦会議を始めます…」

 オフェーリアの自室には、またもや二人が呼び寄せられていた。


「お嬢様、キリアーン様とはうまくいっているのではないのですか?食事も共にして、お仕事でも毎日同じ執務室で作業されて。なのに喧嘩もなさらないでしょう?」

 パティが首を傾げる。


「順調に築いているわよ、順調に!‥‥同僚って言う立ち位置を、ね」


 そう。


 あれから三か月。

 共に領地経営に取り組む私達はすっかり。

 ‥‥職場の同僚的関係が確立されてしまった。


 私の案を採用してくれ、業務がうまく回ることもあったけれども。

 それだけ。

 それだけなのだ。


 例えばこれが、財政破綻寸前のお家だったら、救世主のようにあがめられ、恋に発展したかもしれない。

 だけどもともと裕福な公爵家が更に潤ったとて。

 それで恋愛に移るということは、まずない。


 はあ…。


 大きくため息をつく私に、アーノルドが怪訝そうに尋ねた。

「ですがお嬢様は毎日こんなに長い時間一緒にいても全くお嫌ではないのでしょう?」

「まさか。嫌どころか、彼の会話は機知に富んでいるし、学園の同級生の男の人みたいに家紋を振りかざすこともしないし、楽しくて幸せよ」

「…それはもはや、好き、なのでは?」


「‥‥そう、なの?」

「それを私に聞かれましても…」

 問うように見つめると、アーノルドは泣きそうな顔をされてしまった。


「でも、キリアーン様はお嬢様を好ましく思ってくださっているのでは?」

 助け舟のようにパティが口を挟んだ。

「お嬢様が体調と崩されると必ずお見舞いに顔を出してくださるでしょう?」

「それは、最初に私が怒ったから…」


「でも、臭いが出来るだけ気にならないよう、必ずシャワーを浴びて、着替えてから来てくださるんですもの。なかなか出来ることではないと思います」

 そうだったら嬉しいのだけれど。

「でも」

「最近は私達が嫌な思いをしないよう、一日に二度も屋敷に清掃が入って、キリアーン様も5回も6回もシャワーを浴びて着替えられますし」


 ああ。

 ヨルゲン様の気づかいを思い出してため息が出た。

 あまりにもシャワーを浴びる回数が多いので、肌がボロボロになるからやめて欲しいと願い出たら、元は魚のようなものだからシャワーは多いほどいいのだと一蹴されてしまったのだ。

 その後、「まあそれぐらいで臭いが消えたら苦労しないんだが」とぽつりとつぶやいた、愁いを帯びた顔が忘れられない。


「ヨルゲン様は優しいから」

 彼の気づかいがすなわち好意だと勘違いしてはいけない、気がする。



 呆れたように眺めていたアーノルドが、ぽつりとつぶやいた。

「嫉妬大作戦なんていかがでしょう?」

「嫉妬‥‥?」

 首を傾げれば、

「お嬢様がどなたか別の男性と懇意になさるのですよ。キリアーン様はきっとやきもちを妬いて、ご自分のお気持ちに気づくかもしれません」


 アーノルドの提案に、またしてもパティが目をきらめかせた。

「いい!それとてもいいです!」



 嫉妬大作戦‥‥。

 想像してみた。私が誰か別の男性と仲良くして、それを彼に見せつける?

 想像してみた。もし逆のことを彼にされたら?


「…やめておくわ」

 私は小さくため息をついた。

 自分がされて嫌なことは、人にはしたくないもの。


 ***


 そんな憂いが顔に表れていたのかもしれない。


「なにか悩みでもあるのか?」

 ヨルゲン様に心配されてしまった。


「あ、いえ。悩みと言う程では‥‥」

 慌てて首を振る。

「なら良かった。心配事でもあるのかと思って」

 そう言った彼の顔は何かを考えているようで。


「‥‥ヨルゲン、様?」

 何か気になることでもあったのだろうか。

 問いかけると、彼は引き出しからおもむろに手紙の束を取り出した。


「‥‥アドキンズ家から何度か催促の手紙が来ているのだ。オフェーリアにたまには顔を出す様にと連絡しているのに一向に帰ってこないと」


 ‥‥あー。忘れてた。

 お父様やお母様、お兄様からもさんざん帰って来いって言われていたのよね。

 でも今はそれどころじゃないって言うの!こっちは命がかかってるんだから。


「‥‥すみません。私が手紙を無視していたから、ヨルゲン様にまでご迷惑を」

 小さく頭を下げると、慌てたように否定された。

「いや、いいんだ。だが俺に気を使っていたのなら申し訳ないと。家になどいつでも帰っていいのだから」


 そうでしょう。ヨルゲン様はそんな小さなことを気にする人ではない。

 余裕がない私の問題なのだ。

 彼はなおも心配そうに聞いてくる。


「…家に、帰りたくないのか?‥‥‥‥ひょっとして、冷遇されているとか。‥‥まさか。虐待や暴力など」

「違います!」

 びっくりしすぎて声が裏返ってしまった。


 私のあまりの勢いに彼も言葉を失っている。

「大丈夫です。ちゃんと愛されています。むしろ愛されすぎて面倒くさいというか、うざいというか‥‥」


 ぶつぶつ呟く私に、ヨルゲン様は小さく微笑んだ。

「そうか。それなら良かった。オフェーリアが帰りたい時はいつでも帰ればいい。遠慮することはない」


 ‥‥ヨルゲン様は、私がいなくても寂しくないのかしら。

 そんなことをふと思って、‥‥閃いてしまった。


 私がしばらく実家に戻って、彼が寂しさを感じたりしたら進展があるんじゃない!?


 もはや、嫉妬作戦を止めた人間とは思えない、底意地の悪い作戦だった。


 それに。

「私が家に戻れば、少なくともその間はパティに長期休暇を取らせてあげられますね」

 ぽそりと呟くと、

「パティ?あの侍女?」

 彼が怪訝そうに尋ねた。


「ええ。パティのお兄さんに先日お子さんが生まれたのです。パティも可愛い姪っ子ちゃんに会いたいだろうと思って。ずっと私についていて、ろくに休みも取らせてあげられていませんし」

 そういうと、彼も大きく頷いてくれた。


「そうだ!せっかくだから出産のお祝いとか、いろいろ持たせてあげましょう!きっとパティ驚くわ!」

「ああ、いいね。俺からのお祝いも是非渡してくれ」

 彼もにこりと笑った後、ふと真顔になった。

「でもそれ、彼女に内緒でどうやって購入するんだ?」


「そう言えば…」

 

 街への買い物に彼女を連れて行かないなんてありえない。

 どうやってもバレちゃうし、知ったらパティは恐縮しちゃうだろうなぁ。


 うーむと考え込むと、ヨルゲン様は悪戯そうに笑った。

「そうだ。俺がパティに頼みごとをしよう」

「え?ヨルゲン様が?」


 それって不自然じゃない?と目で問えば。

「オフェーリアへのプレゼントをこっそり準備したいと相談するんだ。きっと彼女は喜んで君に内緒の買い物に出かけてくれるよ。君はその間に買い物をすればいい」

「ナイスアイディア!」

 思わず叫んでしまった。


「あ、でも、それって私には全然サプライズになっていない…」

 彼はくっくと笑っている。

「可愛い侍女のためなんだから、それぐらい我慢してくれ。それに、何を贈るかは内緒だからいいだろう?」


 あれ?彼はこんなに表情豊かに笑う人だったっけ?

 まぶしいほどの笑顔を、目を細めて見ていると、あることに気づいてしまった。

「でもお互いプレゼントを調達するのなら、街で遭遇しちゃうんじゃないかしら?」


 ん?と首を傾げる彼はいまいちわかっていないようだ。

「ほら、宝石店とかドレスのお店とか、だいたい同じでしょう?」


 そう言いかけた私に、後ろからアーノルドが声をかけた。

「お嬢様。パティの家はそれほど裕福ではありません。宝石をもらっても、お嬢様から頂いたものを売るわけにもいきませんし、あまり役には立たないかと」


「あら、そう?」

 金持ち貴族の金銭感覚を地で行くようで、思わず頬を赤らめた。


「質のいい反物や、日持ちのする焼き菓子などを多めに持たせた方が喜ばれるでしょう」

「なるほど。それだとお店がかち合うこともないわね」


 大きく頷いてはっと気づいて、必死で言い訳をした。

「違うの!ヨルゲン様。私は宝石が欲しいと言っているわけじゃあ!」


 ヨルゲン様はもう耐えられないというように、腹を抱えて笑い始めた

「わかっているわかっている」

 その様子に不貞腐れながらも、頭の中で計画を練り上げる。


「善は急げって言うもの。明日早速決行しましょう。ヨルゲン様、パティにうまく話をしてくださいね。アーノルド、私達はこっそり別部隊で出かけましょう」

 なんだか秘密を共有しているみたいで楽しくなってしまう。思わずにやけると、ヨルゲン様は複雑そうな顔でアーノルドを見た後、視線を逸らしてしまった。


 ***


 ヨルゲンは暗くなり始めた窓の外を眺め、小さくため息をついた。


 大事にしている侍女にお土産を手渡すと、オフェーリアはあっという間にアドキンズ家へ帰ってしまった。


 彼女についてきた護衛騎士も一緒にいなくなり、突然屋敷が広く感じる。


「‥‥静かだな」

 何とはなしに呟く。

 空っぽの部屋に、その言葉までも響き渡るようだ。



 思えばずっと独りだった。


 由緒正しき公爵家に生まれ、秀でた容姿と才能をもち、地位と金も十分にあった。

 全てに恵まれて、小さな頃から持て囃されて、いい気になっていたと思う。

 どうしようもないクソガキで、やんちゃで、あのまま成長していたら最低な男になっていたろうとも思う。


 小さな動物を虐待したことを正当化するつもりはない。

 でもそれは、これだけの状況に貶められて、これだけの悪臭を発する身体にされて、十年も孤独に生きなければいけないほどの代償だったのだろうか。


 両親は狂ったように魔女を探した。

 呪いを解くためにありとあらゆる方法を試した。

 そして、そのどれもが無駄に終わった時。

 彼らは、次の子供を産んだ。

 12歳も年の離れた弟。それは、俺に爵位を継がせるのを諦めた証拠。


 俺はこの姿のまま別邸に移った。

 きっと誰にも顧みられることもなく、一人で死んでいくのだろう。


 絶望と虚無と。

 ただ、自分と世間を繋ぐたった一つの架け橋、公爵家の領地経営の手伝いだけに一縷の望みをつなぐ日々。


 そんな俺の毎日に突如現れた、銀色の髪が艶めく、美しく明るい女性。

 しかも俺の婚約者だと名乗っている。


 俺は夢でも見ているのか?

 あっけにとられて眺めれば、

「性格悪っ!」

 つい嫌味な言葉を投げつけた俺に対し、吐き捨てるように言われた。


 は?性格?

 そこじゃないだろ?もっとでかい問題があるだろ。

 …まあ性格も悪いけど。


 このおぞましい臭いは?鱗は?どうしてそこを気にしない?


 それからの日々はそれまでとまるで違って。

 この、一直線で、そのくせどこかずれている愛らしい令嬢に振り回されて。

 誰かに振り回されるなんて初めての経験だった。

 呪われる前は他人を振り回してばかりだったし、呪われてからはずっと一人だったから。


 明日、目が覚めたらまた彼女に会える。

 寝るのが楽しみで起きるのが楽しみになった。

 可愛らしくて俺の眼を真っ直ぐに見てくれる女性。

 この屋敷に籠る前に向けられた憐みや侮蔑の表情とはかけ離れた、裏表のない瞳。


 ずっと隣にいて欲しい。ガラにもなく願ってしまう。

 触れられもしないくせに。


 恒例となった、晴れた日の庭でのピクニック。

 彼女の首筋に汗が滴るのを見た。

 美しく煽情的な、はじけるような汗。


 若さと健康体の印。

 じっとりと湿り気を帯びている俺の鱗の肌からは出ることがない。


 その煌めきに眩暈がする。

 憧れと、恋慕と、そしてそれを凌駕する、嫉妬。

 羨ましい。彼女の美しさが、真っ直ぐさがうらやましい。

 彼女を愛おしいと思うのと同じぐらい、彼女の健康な体に嫉妬する。

 ずっと隣にいて欲しいのに。離れていくのが怖いのに。

 同じぐらい、彼女が眩しすぎて直視することが出来ないのだ。


 そんなことを思いながら、ふと気づく。

 ‥‥彼女は本当に、健康、なのだろうか?


 この家に来てからだけでもすでに二回は熱を出している。いつもきっかり三日で回復して、「三日熱って呼んでるんです」などと笑っているけれど。

 嗅覚がないなんて、聞いたことがない。


 病気のことについてはこれ以上聞いてはいけない気がした。

 だから調べた。だけどそんな病気、全く見つからない。

 元気になってほしいと願う自分と、嗅覚が戻ってしまったら俺から離れてしまわないかと、怯える自分がいる。


 そして。

 いつも彼女の後ろに控える護衛騎士。

 あいつがオフェーリアの部屋から出てくるのを見た時、世界が真っ暗になった気がした。

 続けていつもの侍女が三人分のティーセットをもって出てきたから、三人でお茶をしていただけだとは思う。

 少しだけ安堵したが、やはりじりりとした焦りに似た感覚は消えなかった。


 生魚しか受け付けない俺は彼女とお茶をするということ自体が望めない。

 紅茶ぐらいは飲めるが、お茶菓子が食べられない以上、雰囲気もへったくれもないだろう。

 彼らが楽し気に午後の一時を過ごす様子を想像して、胸をかきむしりたくなった。


 思えば侍女へのプレゼントを買いに行く時も、なんの迷いもなく護衛の騎士と一緒に出掛けていた。

 彼を振り向いて頬を染めて俯く彼女に苛立ちを覚えた。

 街に出られない自分。

 当然のように彼女の後ろに控え、どこにでも一緒に行くあいつ。

 どす黒い嫉妬が心を覆う。


 彼女に嫉妬し、護衛騎士に嫉妬し。

 そんな自分をますます嫌いになる。

 変わりたいのに変われない。


 窓の外を見ながらまた一つため息をついた。

「今日の夕食は一人か‥‥」

「ヨルゲン様、オフェーリア様からお手紙が届いております」

 すかさずオールディスが声をかけた。


「‥‥は?」


 いやいや、彼女はさっき出かけたばかりだろう?

 今のしっぽりとした時間を返してくれ。


「まだアドキンズ家に着いた頃だろう?どうやっても手紙を出せるはずはないのだが」

 オールディスはにやけ顔で手紙を渡してくる。

「家を出る前に渡していかれたのです。寂しがり屋のヨルゲン様が一人ぼっちで泣いていたらいけないからと」

「泣くわけないだろう!」


「そうですよね。私がいるのですから。一人ぼっちだなんて、失礼な話ですよね」

 いや、オールディスがいたからと言って…と言う言葉は頑張って飲み込む。

 この悪臭漂う家に彼がずっといてくれたから、俺が孤独を感じずに済んだのは事実だった。彼には感謝しかない。


 俺はごそごそと手紙を開けてみる。

 そこに書かれていたのは。


『予言!今夜の夕食は、トラウトサーモン丸ごと一匹だと思います!』


 …なにこれ。わざわざ言い残すこと?

 続きは。

『十日間ほど留守にします。すぐに戻ってきますから、淋しくても泣かずに待っていてくださいね』


 いや、泣かないけど!?

 なんだかしんみりしているのが馬鹿らしくなってしまった。


 それからも、たった十日離れるだけだというのに、彼女から毎日手紙が届いた。

 今日の夕食はクロケットだったとか、シェフがなぜかキリアーン家のコックに対抗心を燃やして大変だとか、俺が送ったドレスを着ているのが気に入らない父親が大量のドレスを買ってきたとか。


 よかった。彼女はちゃんと家族に愛されているようだ。

 当初は、こんな俺と婚約するなんて、家族から虐げられているんじゃないかと心配していたけれど、杞憂だったようだ。


 気づけば毎日の手紙が楽しみになっており、あっという間に明日はオフェーリアが帰ってくる。

 今日は手紙が届かなかった。明日の帰宅に向けて忙しいのかもしれない。

 最後の日ぐらいは家族の時間を優先しないと、彼女は皆から大切にされているのだから。

 ‥‥俺と違って。


「ただいま戻りました!」

 そんな物思いにふけっていた俺の思考を吹き飛ばすような元気な声が玄関から聞こえてきた。


 え?


 俺は走り出した。

「オフェーリア!戻りは明日じゃなかったのか?」

 嬉しさを必死で隠して(多分隠せていないが)尋ねれば。


 ‥‥あれ?

 ‥‥‥‥なんか怒ってる?

「オフェーリア?何かあったのか?」

 慌てて問いかけると、彼女は腕を組んで胸を張り、ふんっと鼻息荒く声をあげた。


「手紙が一通も来ませんでした!」


 ‥‥あ。


「私は毎日書いたのに!ヨルゲン様からは一通も!届きませんでした!」


「‥‥すまない」

 俺は小さくなって下を向く。

「ひどいです、ヨルゲン様。私の事なんて忘れちゃったんですか?」

「まさか!そんなわけないだろう!」


「そうですよね~。どんな健忘症だって話ですよね~。‥‥じゃあどうして届かなかったんでしょう?」

 上目づかいでキリっとにらまれると、更に肩を落とすしかない。

「申し訳ない。俺の毎日なんて単調で、特に伝えるほどのことはなかったから‥‥」

「初日の夕食は何でしたか?」

「は?」

「サーモントラウトでしたか?」

「いや、イサキだったが」

「あるじゃないですか!書くこと!私の予想が外れたよって、教えてくれればいいじゃないですか」


 ああ。

 そんなことでいいんだ。


「‥‥あんまり連絡がないから、まさか私がいないのをいいことに他の女性を連れ込んでるんじゃないかと疑心暗鬼になって、内緒で一日早く帰ってきてしまったんです」


 ‥‥まさか。やきもちを妬いてくれたのか?

 この俺に女性が近づくわけなんてないのに。

 彼女にとっての俺は、そんなに普通の男なのか?

 喜びと自信と、様々な感情が湧き上がってくる。

 むくれたように話す彼女があまりにも可愛らしくて。

 さっきまでうじうじと悩んでいたことが全部消えていくようだった。


 ***


 実家に帰って彼を寂しがらせる作戦は、結論として、私が寂しいだけで終わってしまった。

 家族は優しいし、久しぶりに街に出たりカフェに寄ったり劇を見たりする日々は楽しかったけど、いつも何か物足りなくて。


 今日あったことや食べたもの、全部全部ヨルゲン様に報告したくなる。

 実際報告した。

 毎日手紙を書いて。


 なのに彼からは一切返事がなくて。

 どういうこと?彼は私がいなくてもなんともないの?


 結局、しびれを切らして一日早く帰ってきてしまった。


 この家に帰ってきて、ヨルゲン様の顔を見ると、ふっと肩の力が抜けるのがわかった。


 ただいまを告げる私に、驚いた様子で駆けてきたヨルゲン様もなんだか嬉しそうで、安心する。

 そして、もぞもぞと後ろを振り返り、何か指示をしていた。

「‥‥オールディス、あれを」


 執事が差し出してくれた小箱は綺麗なリボンがかけられていて。

「あ。偽サプライズの、あのプレゼント?」


 思い出してウフフと笑ってしまった。

 本当に準備してくれるのが律儀な彼らしい。

「パティはどんなものを私に選んでくれたのかしら」


 笑いながら箱を開けると、そこには。

 輝きを放つエメラルドが幾つもちりばめられた金の髪飾り。

「それは‥‥、侍女ではない。俺がデザイン画を取り寄せて、自分で選んだ」


 言いづらそうに視線を彷徨わせながらヨルゲン様が呟いた。

「え‥‥?」


 慌ててもう一度その髪飾りを見る。

 とても高価な、宝石をふんだんに使った髪飾りなのに、デザインは普段使いにもできそうなシンプルな一品。

「‥‥これ、ヨルゲン様の瞳と同じ色‥‥?」


 呟くと、彼はあわわ、と慌てて後ずさった。

「いや、決してそんなつもりじゃなくて!ただ、オフェーリアに似合うかと」


「あら、ヨルゲン様の色に合わせたんじゃないのですか?嬉しかったのに」

 素直に返すと、彼は真っ赤になってうつむいた。

「‥‥俺の瞳の色でも嫌でないのなら、つけてくれると嬉しい」

「嫌だなんて!とても嬉しいです。毎日でも付けたくなってしまうデザインですね」


 高く持ち上げてしげしげとみると、彼も安堵したように微笑んだ。


「ヨルゲン様。せっかくだから付けてくださらない?」

 甘えたようにねだると、また彼はあわあわと慌てる。

「いや、それは。髪に臭いがついてしまうから」


「気にしませんわよ。私、嗅覚ないですもの」

 にっこり笑うと、

 いや、それでも…と言い淀んだのち、ちょっと待っててと言い置いて消えてしまった。

 やがて、手を洗って手袋を変えた彼が戻ってくる。

 そんな彼の心遣いも嬉しくなる。


 そうして、ようやく彼は恐る恐るその髪飾りを手に取り、そっと私の後頭部に付けてくれた。

 彼の手袋が触れ、かさりと音がするだけでドキドキしてくる。

 触れるか触れないかの感覚が、どうしようもなくくすぐったい。


「‥‥よく、似合ってる。綺麗だ」

「‥‥‥‥ありがとうございます」

 赤くなりながらも上目づかいで見上げると、にっこりと笑うヨルゲン様と目が合った。


「おかえり。オフェーリア」

 幸せな、幸せな言葉だった。

「ただいま」

 私も微笑んで返した。


 こうやって少しずつ、愛を深められるのかもしれない。


 *** 

  

 ‥‥なーんて考えていた時もあったな。

 オフェーリアは遠い目をする。


 優しい、いい人。

 一緒にいて落ち着く。

 触れるとドキドキする。


 …というのと、「真実の愛」には、天と地ほどの差があるのだ。

 しかも正確には「触れそうになるとドキドキする」のであって、ヨルゲン様は決して触れようとしない。

 膝枕をしようとしたら逃げられるし、彼の肩に寄りかかろうとしたら躱されるし、お菓子をあーんして食べさせようとしたらブチ切れるし。‥‥魚にすればよかった。

 全然「真実の愛」に到達する気がしない。


 そもそも、命が助かるために愛そうって、その段階で全然「真実」じゃない気がする。


 気づけばあっという間に半年が過ぎていた。


 あれ?

 やばくない?

 あと半年…もないわよね?


 長くて一年ってことは、もっと早いかもしれないって言ってたっけ?


 外はすっかり雪景色にかわっていた。


「ヨルゲン様!散歩に行きましょう!雪がすっごくきれいですよ!」

 重い気分を振り払うように明るく声をかける。

 一面雪景色の中を二人で歩くって、ムード満点に違いない。

「…別に雪に興味などないが?」


 冷たく言われて更に落ち込む。

 やっぱり彼は私のことを何とも思っていないのだろうか。だから呪いが解けないのだろうか。


 がっくりと項垂れ、背を向けてとぼとぼと歩き始めると、後ろからふぁさっとマフラーがかけられた。

「…雪には興味はないが。まあ、暇だから。付き合っても、いい」

 その言葉だけで心の霧がぱあっと晴れていく。


 急くように庭に連れ出せば、陽の光に当たって煌めく雪が眩しいほどだった。


「‥‥きれいですね」

 しみじみ呟けば、隣で彼も頷いてくれる。

 そうして、二人で小さな庭を散歩するのだ。


 たったそれだけ。

 雪だるまを作ったわけでも、雪合戦をしたわけでもなんでもない。


 …なのに、また発熱してしまった。


「もう!だから身体をもっと労わってくださいってあんなに何度も!」

 隣でパティが怒りながらもてきぱきと世話をしてくれている。

「…ああ、気持ちいい」

 額に乗せられた冷たい布が、火照った顔の熱を冷ましていく。


「ねえ。…ヨルゲン様は?」

「…自分がいたらお嬢様が休めないだろうと」


 それも彼なりの優しさなのかもしれない。

 だけど、やっぱり寂しいと思う。


 それより、最近の発熱の頻度はおかしい。

「ねえパティ。ヨルゲン様に内緒でお父様に連絡を取ってほしいのだけど」


 ***


「来るべき時が、早まっているようです」

 侯爵家の力を総動員して探し出され、首根っこを掴むようにお父様に連れてこられた小さな魔女は、以前のちゃらんぽらんな様子は鳴りを潜め、珍しく真面目な顔で伝えた。

 人払いされ、ヨルゲン様やこの家の使用人は部屋から出てもらっている。


「早まるって!何故だ!?」

 お父様は蒼白な顔で魔女に詰め寄った。

「もともと一年と言うのは、それぐらいだろうという目安であって確定ではないのです」

 魔女は困ったように答えた。

「でもご安心ください。これからも痛みも苦しみもありません。最後はただ、眠るように、逝けるでしょう」

「全然安心できんわ!!」


 逃げるように魔女が去った後、部屋には重い空気が流れた。


 これまで、真剣に「死」と向き合ってこなかった。

 彼と真実の愛を見つければいい。そう単純に考え、それ以外の未来から目を背けていたのだ。


 魔女の具体的な説明に、初めて覚える恐怖。

 自分の未来は、もうない。


 その夜、お父様が帰った後どう過ごしたのか、覚えていない。

 引かない熱にベッドの中で横になっていると、最悪の状況ばかりが頭の中を駆け巡る。


 しばらくして、ヨルゲン様が顔を出してくれた。その顔は何故か私よりも泣きそうで、なんだか笑えてしまった。

 彼は事情を知らない筈なのに、私より辛そうな顔をしているなんて。


「…オフェーリア、大丈夫か?」

 その目は不安で揺れていて、思わず手を伸ばしてしまった。


 すると。

 ‥‥‥‥彼がその手を取ってくれた。

 手袋越しにもわかる鱗のデコボコと湿った感覚。冷たくて、体温を感じないその手。

 なのに、何故か安心してふっと微笑んでしまう。


「‥‥ようやく触れてくれましたね」

 彼は何も言わず、ただただ私の手をずっと撫でてくれていた。


 熱から回復してからは、オフェーリアは全く外を歩かせてもらえなくなった。

 パティとヨルゲンがタッグを組んだら到底敵わない。

「ずっと歩かなかったら逆に弱っちゃうわ」

 むくれながらも、陽が降り注ぐ温かい窓際でソファにもたれて外を見る。


「…お嬢様。学園時代の御友人などに、会いたくはないですか?」

 パティが静かに問いかけた。

 そう言えば。楽しかった学園生活。友人にも恵まれたと思う。休学したままだから、みんな心配しているだろう。なのに今、会いたいと思う顔が浮かんでこない。

「…やめておくわ」

 ふっと笑って答えれば、パティは辛そうな顔をした。

「それは。ご友人のいないヨルゲン様を気遣われてのことですか?」


 思いもよらなかった問いに驚いて目をむく。

「まさか!今の暮らしが幸せだから、このままでいいのよ」


 そう言いながらふと考えた。

 私がいなくなったら、ヨルゲン様はどうするのだろうか。

 私みたいに臭いが気にならない女性が現れて、隣にいてくれるのだろうか。

 その時は。

 …真実の愛とやらに目覚めて、呪いが解けて彼は幸せになれるのだろうか。


 他の誰か。

 そう考えるだけでずきりと痛む。

 彼が、私以外の誰かにあの優しい微笑みをむける。そう考えただけで胸が苦しい。

 彼にずっと孤独な人生を歩んで欲しいわけじゃない。彼はもう十分苦しんだ。

 幸せになるべき人だ。

 なのに、素直にそれを願えない。どうしようもない独占欲。

 こんな醜い気持ち、到底愛なんて呼べない。


 だけど。

 私がいなくなったら彼はまた一人になるのだろうか。

 ずっと一人で。

 ここで独りで暮らしてきた。

 周りには執事や使用人ぐらいで。

 少年らしい遊びも青年らしいバカ騒ぎも何もなく。


 自分はたくさんの友達に囲まれた楽しい日々を送った。そして今、彼の隣で静かに、幸せに暮らしている。あと少しの命だとしても、十分幸せだったと胸を張って言える。


 いつか。

 彼が心の底から愛しいと思える人に出会えるなら。

 彼が幸せに生きられるなら。




 次の朝、オフェーリアは、姿を消した。



 ***


 彼女がまた熱を出した。

 今度は三日たっても回復しない。


 寝込む回数は目に見えて増え、体が弱っているのがわかる。

 まるで今にも儚く逝ってしまいそうな。

 俺はただ遠くから祈ることしかできない。


 そんな時、アドキンズ侯爵が家にやってきた。

 たくさんの使用人や医者を引き連れ、厳しい表情で彼女の部屋に入っていく。

「今は何も聞かないでください。時が来たらお話しますので」


 そう言われてしまったら、俺には何もできない。

 そもそも通常の嗅覚をもつ彼らに俺は近づけないのだ。遠くから見守るしかない。


 それでも。

 これ以上寝込むようなら、侍女に詰め寄ってでも、護衛をつるし上げてでも、彼女の病の原因を聞こう。そして、公爵家をあげて、何が何でも治せる医師を見つけるのだ。



 しかし、その日は突然訪れた。

 人生最大の幸福と不幸が一度にやってきたのだ。


 朝日の中、不思議な感覚に目を覚ます。

 身体のほんわりとした温かさと、湿った夜着を着ている不快感。

 首を傾げながらふと下を見れば、慣れ親しんだ青銀の鱗はどこにもなく、綺麗な白い肌が見えていた。


 !!!!!!!


 飛び起きて鏡を見る。

 そこには見慣れない、長身の男が立っていた。


「…呪いが、解けたのか?」

 呟いた瞬間、すさまじい異臭に鼻が歪む。

「オールディス!オールディス!」

 転がり出るように廊下に出て叫べば、すぐに走ってやってきた。


「ヨルゲン様!!!まさか!呪いが解けたのですね!」

「解けた!悪いが、湯あみをさせて欲しい。この臭いに耐えられない」

「もちろんでございます!部屋も全て、屋敷中清掃いたしましょう!」

 彼の眼が潤んでいる。


「…オールディス。この臭いの中で十年間耐えてくれたのだな。恩に着る」

 しみじみと伝えると、彼は泣きそうな顔のまま微笑んだ。

「もったいないお言葉です。さあさあ、湯あみを済ませて綺麗にして。オフェーリア様のところに行かれるのでしょう?」


 その瞬間、俺の心は幸福で溢れそうになった。

 そうだ。もう何も後ろめたいことはない。

 正々堂々と、オフェーリアに求婚しよう。

 爵位だって継げるし、社交界にも二人で顔を出すことが出来る。

 目の前に広がるバラ色の未来に浮かれそうになりつつ、超特急で身なりを整えた。


 小走りに東の客間までかけ、その異様な様子にピタリと足を止める。

 そこには泣きはらした侍女と、深刻な顔で彼女を慰める護衛騎士がいた。

「…オフェーリアは?」

 厳しい顔で問いかけた俺に、二人は驚いて顔をあげる。


「貴方は…。まさか。キリアーン、様?」


 近寄りながら声をかける。

「ああ。呪いが、呪いが解けたんだ。オフェーリアに会いたい。中に入っても?」


 半開きになったドアにちらりと視線を移せば、侍女の両目から再び涙が溢れてきた。

「お嬢様は。お嬢様は、‥‥もうおりません」



 ‥‥‥‥は?

「どういうことだ?」


 侍女は泣きながら答えた。

「朝お伺いしたときにはもうベッドは空で。おそらくこの家を出ていかれたかと」

 言った瞬間泣き崩れた。


 出ていった?オフェーリアが?

 呆然と部屋を後にする。

 思考が働かない。

 鱗だらけの俺に愛想を尽かせて出ていったのか?それなら初日に出ていくべきだろう。

 俺が何かまずいことでも言ったか?

 いや、喧嘩などしたことはない。


 ‥‥彼女の病気のせいか?


 急いで彼女の部屋に戻る。

 もう遠慮してはいられない。彼女の病気が何なのか、はっきりと聞かないと。


 つかつかと戻った俺はその足を止めた。

 部屋から侍女と護衛騎士の声が漏れてきていたのだ。


「あんまりです。お嬢様ばかりどうしてこんな…」

 涙声で良く聞こえないが、やはり侍女はオフェーリアの事情を知っているらしい。

「ご自分の命があと少しだというのに。ずっと呪いを解くために奮闘されていたのに」


 ‥‥何を‥‥言っている?


 頭が真っ白になった。

 オフェーリアの命があと少し?

 なのに俺の呪いを解くためにずっと頑張っていた?


(実際には自分の呪いを解くためなのだが。)


 呆然と座り込んだ。

 願って願って、願い続けた元の身体。これが手に入った瞬間、何よりも大切なものを失うなんて。

 部屋の中からはまた声が聞こえてきた。


「お嬢様は最後まで苦しまずに、眠るように逝くと言われていたのだろう?」

「だからこそ!あのように美しいお嬢様がどこかで行き倒れていたら、どこぞの輩に乱暴されるだけです!」


 その言葉に我に返る。

 彼女が他の輩に、乱暴、だと?

 あり得ない。許せない。


 怒りに身を任せ、部屋の中に押し入る。

「オフェーリアはどこだ」

 俺の眼圧にたじろぎながらも、侍女は涙目で首を横に振った。

「わかりません。アドキンズ家に戻っていなければ、分からないのです」

「頼りそうな友人などはいないのか?」


 彼女は震えながら答えた。

「学園では、たくさんの御友人に囲まれていました。ですが死期が迫った時、お嬢様はその誰とも会わなくていいと。ヨルゲン様の隣で静かに最後を迎えたいと、おっしゃっていたので。まさかお一人で消えるとは」


 ヨルゲンは厳しい顔で指示をした。

「キリアーン家に使いを。アドキンズ家にも。オフェーリアを探す。それから、彼女が行きそうなところ、思い当たるところを全て教えて欲しい」


 二人は顔を見合わせ、真剣な顔で頷いた。

 俺は部屋を飛び出した。走りながら必死で思考を巡らす。


 聡明な彼女なら、安全な宿に身を寄せると考えるのが妥当だろう。彼女の容体ではそう遠くには行けない筈だ。

 すぐに見つけ出す。


 ***


「すまない。キリアーン家のものだ。この宿に私の婚約者が泊っていると思うのだが、先ほど体調を崩したと連絡があって。オフェーリアと言う銀髪の女性なのだが」

 一番近くの宿屋に入ると、すぐに宿屋の主人に声をかけた。

 体調を考えると近いところから攻めるべきだ。


 宿の主人は使用人たちと顔を見合わせ、申し訳なさそうに頭を下げた。

「すみませんが本日そのような女性はお迎えしておらず…」


 いきなり一軒目で当たるということはなかったか。

「宿を間違えたか。手間を取らせたな」


 主人に金貨を握らせ、何か情報があったらと連絡先も手渡してすぐに次の宿に向かう。


 幸い領都から外れたこの地帯には、それほど宿は多くない。

 二軒目の宿屋ですぐにヒットした。


「ああ。かなり青い顔で部屋に入られましたよ。良かった、お一人ではなかったのですね」

 宿屋の主人はあからさまにホッとした表情をした。


 具合の悪そうな女性が一人で泊まるなど、宿としても避けたいところなのであろう。


 案内された部屋の前で一瞬躊躇い、そろそろと部屋をノックする。

 ‥‥‥‥

 返事はない。


 主人から預かった鍵で急くようにドアを開ければ。


 小さなトランクを脇に置いて、ベッドで眠っているオフェーリアがいた。

 ベッドサイドの小さなテーブルには、俺が贈ったエメラルドの髪飾り。


 俺は静かに中に入り、ベッド脇で膝をついた。


 彼女の息遣いは規則正しく穏やかで。

 ただ眠っているだけに見える。


 ふいに護衛騎士の言葉が蘇った。

 …眠ったように逝く、と‥‥‥‥。


「オフェーリア、オフェーリア!」

 焦る気持ちを抑えて声をかけるが、彼女は目を覚まさない。


 まさか。

 このまま死んでしまうのか!?

 頼む。

 お願いだから、目を覚ましてくれ‥‥‥‥。


 彼女の手を両手で握りしめる。

 ようやく触れ合えるのに、彼女の手はこんなにも温かいのに。


 ‥‥‥‥温かい?

 温かい!彼女は生きているんだ。

 まだ諦めてはいけない。諦められない。


 俺は彼女をそっと抱え上げると、早足で宿屋を後にした。

 彼女を膝の上に乗せたまま馬車に乗り、屋敷に戻ると、すでに彼女の父親も駆けつけていた。

 元に戻った俺の姿を見て言葉を失っている。


 けれど今はそれどころじゃない。

 口を真一文字に結んだまま、彼女を抱えて東の客間まで歩を進めた。


 彼女のベッドに寝かせ、掛け布を上からそっと被せる。

 声をかけても抱き上げても全く目覚めないなんて。


 一体彼女の病気は何なのだ。


 縋るような思いで後ろのアドキンズ侯爵を振り返る。

 彼はこれ以上ないほど目を大きく見開いていた。

「貴方は‥‥‥‥呪いが解けたのですか?」


 俺は大きく頷く。

 だが今はそんなことどうでもいい。

 問題は彼女なのだ。


「オフェーリアは‥‥‥‥。なんの病気なのですか?」

 絞り出すように声を出すと、困惑したような侯爵が答えた。

「娘は‥‥‥。呪いを受けていたのです」


 ‥‥‥‥は?

 呪い?

 それは俺のはずだが?


 そんな疑問が顔に出ていたのだろう。

 彼はゆっくりと口を開いた。

「十年前、貴方が魔女に呪いをかけられた時、娘も近くにいて、巻き込まれたのです。幸い見た目の身体に変化はなかったのですが、寿命が‥‥‥‥」


 頭を鈍器で殴られたようだった。

 突然目の前が真っ暗になる。


 俺のせいで?

 彼女が?

 ずっと彼女が苦しんでいたのは。

 ちょっと冷えただけで熱を出し、寝込んでいたのは。


 全部全部、愚かな俺の行いのせいだったというのか?


 なのに。

 オフェーリアはそんな態度もそぶりも全く見せないで。

 俺一人が、不幸を一身に背負ったような顔をして。


 膝から崩れ落ちた。

 情けなくて、どうしようもなくて、がっくり項垂れる。


「‥‥‥‥オフェーリアは」

「キリアーン様の呪いが解けたのなら、もう大丈夫です」

 侍女のきっぱりした声に思わず顔をあげた。


「え、‥‥‥‥え?」


 戸惑う俺を尻目に、侍女はつかつかとベッドに歩み寄る。

「お嬢様?お嬢様?もう本当は目覚めていらっしゃるのではないのですか?そろそろ諦めて起きましょう」


 そう言って掛け布に手をかけると、なんと、オフェーリアはぐっと手に力を入れて、顔を覆って隠してしまった。


「‥‥オフェーリア?大丈夫なのか?起きて、いるのか?」

 目の前の状況が信じられず、間の抜けた声を出してしまった。


 やがて、耳まで真っ赤にしたオフェーリアが、ようやく片目だけ顔を出してくれた。


 ボンッ!!!

 突然大きな音がして、白い煙とともに大きな魔女が現れた。

「お前は!!!」


 忘れたくても忘れられない、十年前に俺に呪いをかけた女。

 百歩譲って俺が呪いを受けたのは自業自得だとしても。オフェーリアまで呪ったのは許せない。

「あ~、よかったぁ。ようやく二人の前に出ることが出来た」

 怒りに震える俺に対し、大きな魔女は脱力した声を出した。

 

「‥‥は?」

 俺の声が地を這う程低い声になったのは仕方がないと思う。


「ずっと心配していたのよ。でもあなた達に呪いをかけてからは、‥‥まあこの女の子は意図したところじゃなかったけど、魔王様にド叱られて下界に降ろしてもらえなくなっちゃって、魔法を使うのも禁止されて」


 怒りで言葉が出ない俺を無視するように、魔女は続ける。


「なんとか妹に頼んでヒントを与えたはいいものの、この娘の命の期限が近づいてきちゃったでしょ、ああ、ほんと心配した。良かった、間に合って」

「全然良くないだろう!」


 大声をあげた俺に怯むことなく、魔女は俺を見てにこりと笑った。

「やりすぎたことは悪いと思ってるわ。でも結果的に大切な女性と愛し合うことが出来て、呪いも解けて、良かったじゃない」


「‥‥‥‥は?愛し合う?誰と誰が?」


「キリアーン様とお嬢様ですよ」

 ぽかんとする俺に、侍女が声をかけた。

「だから寝たふりをしているのでしょう?お嬢様」


 慌てて見やると、またもや掛け布を頭まで引き上げたオフェーリアは、ふるふると震えていた。

 顔を隠しているのにはみ出ている耳が真っ赤でくそ可愛い。


「だって。‥‥‥‥だって!」

 ようやくオフェーリアが声を出した。

 オフェーリアの、声が、聞けた。


 安心して、体中の力が抜けてしまった。

「オフェーリア、大丈夫‥‥‥‥なのか?」


「‥‥はい。ご心配をおかけしました」

「どうして‥‥寝たふりなど‥‥」

 呆然と呟く俺に、オフェーリアの可愛い声が被る。

「だって!だって!呪いが解けたってことは私がヨルゲン様を好きだってことがバレたってことでしょう!?」


 ‥‥は?

 オフェーリアが?

 俺を???


 侍女が呆れたように、でも優しく声をかけた。

「お二人で真実の愛を見つけたら呪いは解ける、のでしょう?キリアーン様もお嬢様をお慕いしてくださったということではありませんか。何も恥ずかしがることはありません」


 なっ!!

 真実の愛!?

 なんだそれは!!??


 愕然としていると、おずおずと顔をだしたオフェーリアとようやく目が合った。

 ああ、可愛い。自然と眉が下がってしまう。

「で?お嬢様はいつから目覚めておられたのですか?」

「‥‥馬車で‥‥」

「だいぶ前だな!?」

 思わず突っ込んでしまった。


「だって!だって!」

 またオフェーリアが焦っている。ああ、彼女を困らせるつもりなんてないのに。

「目が覚めたらヨルゲン様が目の前にいて、呪いが解けてものすごく格好良くなっちゃってて、どうしていいかもうわからなくて」


 恰好、いい?

 俺が?


「オフェーリア‥‥‥‥」

「あの。でも。私なんて、私が死んだ後、ヨルゲン様は他の誰かとこうやって笑いあうのかな、嫌だな、なんて、ヤキモチばっかりで。真実の愛なんてとても呼べるものではなかったんですけど」


「俺も」

 思わず同意する。

「くだらない嫉妬や独占欲や。そんなものばかりで、綺麗な愛などとはとてもとても」


「「「‥‥真実の愛って何でしょう?」」」


 部屋にいた全員の視線が集中し、魔女は首をすくめた。

「私もよくわかんないのよね~」


 わかんないのかい!!!

 部屋中の突っ込みが入ったと思う。 


 大きな魔女は俺に顔を向けてにこりと笑った。

「でもそこの貴方、呪いが解けて鱗が消えた時、まず最初に何を思った?」

「そりゃ、これで堂々とオフェーリアに求婚できると‥‥‥‥」


 うっかり口を滑らしてハッと口を閉じる。

 慌ててみると、オフェーリアは更に真っ赤になっていた。

 俺はどんなタイミングで何を言っているんだ。


「あら?せっかく公爵家という地位を持ってその美貌に戻れたんだもの、いろんな女性と遊び放題だって思わなかったの?」

「思うわけないだろう!」

 馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。


 魔女は優しく笑った。

「で、貴方は?どうして彼の前から姿を消したの?」


 それは俺も聞きたい。

 思わず息を詰めてオフェーリアの返事を待った。

「それ、は」

 彼女が小さく答える。

「私が目の前で死んだりしたら、ヨルゲン様の心の傷になるんじゃないかと…」


 魔女はまたにっこり笑った。

「ほら。それでいいのよ。自分の命が終わりかけてもなお、彼のことを思いやって行動したのでしょう?真実の愛なんて、それで十分」


 この魔女は、こんな風に優しく笑える人だったのか。

「嫉妬もやきもちも独占欲も、何にもない愛なんて存在しないわよ。ただ、好きな相手を一筋に想えるのであれば、それでいいの」


 あっけにとられていた俺は、ようやく我に返り、オフェーリアを見る。


「俺は、その。オフェーリアを‥‥‥‥」

 伝えたいのに、伝えなきゃいけないのに。

 これまでの人生で感じたことがないほどの緊張と後ろの人々の無言の圧に、言葉が出ない。


 思わず沈黙してしまった俺に、真横から大きな魔女の飛び蹴りが入った。

「ほら、シャキッとする!」


 ‥‥‥‥やっぱりこいつだけは絶対に許さない。

 魔女をギッと睨みつけながら彼女の横で静かに膝をついた。

「オフェーリア。こんな俺の側にいてくれてありがとう。おかげで呪いを解くことが出来た。もしも許されるなら、これからもずっと、俺の側にいて欲しい」


 ‥‥噛まずに言えた。


「‥‥はい。こちらこそ、‥‥よろしくお願いします」

掛け布で顔を半分隠し、真っ赤になりながらも、震える声で答える彼女があまりにも可愛過ぎて、思わず飛び上がり、抱きしめてしまった。


 ああ、彼女はこんなにも温かくて柔らかかったのだな。

 夢にまで見たその感触にうっとりとしていたら、後ろから侯爵にぐいっと引きはがされてしまった。

 引きはがされながら、二人顔を見合わせて微笑む。


 結局のところ、真実の愛が何かなんてよくわからない。


 だけど俺はオフェーリアが好きで一緒にいたくて、オフェーリアもそう思ってくれている。それだけで、十分。

 二人でいられれば、幸せなのだから。


《Fin》


《後日談~幸せなヨルゲン~》


 元の身体に戻った俺は、すぐに公爵家の本邸に呼び戻された。

 後継者としての教育が本格的に始まる。

「ですが、本当に私でいいのですか?十年間もずっと閉じこもって、学園にも通えず、ろくな教育も人脈作りも出来ていないのに」

 俺は父上に問いかけた。


 父上が決めるのであれば、このまま弟が家督を継いでもいいと思っていた。

 しかし父上はきっぱりとおっしゃった。


「お前は十年間、よく耐えた。普通に公爵家の長男として過ごしていたら知りえなかったであろう、他人からの侮蔑や憐みの視線、孤独や絶望にも折れることなく真っ直ぐに育ってくれた。きっとお前は、私なんかは足元にも及ばないような、良い当主になると思うよ」


 嬉しかった。

 これまでの十年間が全て報われるような言葉に、瞳が潤んでごまかすのが大変だった。

 …まあ、父上も泣いていたが。


 それからの日々はあまりにも忙しくて大変で。

 ‥‥‥‥主にオフェーリア不足が大変だった。


 一緒に暮らし、毎日三食を共にして日中も一緒に仕事をしていたなんて信じられない。

 今は週に二、三回あってお茶か食事をするだけの。

 ‥‥‥‥世間一般の婚約者の距離感になってしまった。

 呪いが解けた瞬間、アドキンズ侯爵が彼女を連れ帰ってしまったのだ。


 彼女は学園に戻り、予定通りに卒業するための課題が大変みたいだし、俺も二十歳にもなって初めて習うことも多く、ついていくのに必死だった。


 経理や経営などの知識はあるものの、マナーやダンス、社交などはゼロからのスタート。


 ただでさえ忙しいのに、俺は剣術の稽古を願い出て、時間を作っては身体を鍛え始めたのだ。

 呪いが解けて喜んだのもつかの間、改めて自分の体を見ると。

 ‥‥およそ筋肉と言うものが全くなかった。

 十年間、なんの運動もしてなかったのだから当たり前だ。

 真っ白でたるんだ身体など、オフェーリアに見せられるはずもない。

 あの護衛騎士の引き締まった体つきを思い出し、筋トレや走り込みを必死に頑張る。


 剣術の稽古なんて、素振りすらろくに出来ず、八歳の弟にも負ける状態で毎日地面に転がされながらも、初心者コースを這いつくばりながらこなしている。

 正直、今から剣術を始めたって、一人前にすらなれるとは思えない。それでも、少しでもオフェーリアにふさわしい男になるために、出来ることは何だってやりたかった。

 幸いにも公爵家にはそんな俺を馬鹿にするような輩はおらず、皆、生暖かい目で見守ってくれているのだけが救いだった。

 ただこの無様な姿をオフェーリアにだけは見せたくないから、この距離感はちょうどいいのかもしれない。


 いつの間にかマメが出来て、それが潰れて、さらに固くなった手のひら。

 それに、うっすらと日焼けして、日々少しずつついてくる筋肉を鏡に向かって確認するのが日課になってしまった。


 それにしてもうちの小さな弟が。‥‥くそ可愛い。やたらと可愛い。

 俺よりも剣術の稽古も進んでいるのに、こんなダサい兄貴のどこがいいのか、やたらとどこまでもついてくる。転がされても転がされても立ち上がる俺を、キラキラとした目で見つめてくる。

 ついつい講義が長引いて夕食が遅くなった日にも、何故かいつまでも待っている。


 可愛いったらありゃしない。

 俺はこの、かわいい弟の未来を奪ってしまったのだろうか。

 今はまだ、キラキラと純粋な目で騎士に憧れているけれど、彼の将来が閉ざされたものにならないよう、見守っていく責任がある。

 ・・・責任。

 これまで無縁だったその単語に、身が引き締まる。


 そして、母親が。


 ようやく一緒に暮らせて、俺と一緒に食事が出来て、嬉しいのはわかる。

 俺のことを心配していたのもよくわかった。

 愛されていたんだ、と実感する。


 だが。

 カトラリーを使うのも十年ぶりで、パン一切れすらうまく食べられず零してしまう俺を見てうるうるとハンカチを目に押し当てたり、デザートやらフルーツやらを食べて微笑むだけでまた泣き出したり。

 愛情が溢れすぎていて、正直、ちょっとウザい。

 母親だけじゃない。

 レストランに行ったことがないと話せば即日予約を取ってくれ、観劇、か、と呟けば翌日にはチケットが抑えられている。

 キリアーン家をあげて甘やかすのはやめて欲しい。このままではダメ人間に戻ってしまう。

 そう訴えたらまた悲しそうな顔をされてしまった。

 なんだか、屋敷の人全員が優しくて温かくて、‥‥ちょっとうざい。


 オフェーリアが、「愛されすぎてウザい」と言っていた意味がはっきりと分かってしまった今日この頃。

 それでも、家族と言うものを、その愛を、感じられる日々は楽しかった。


 そして今日は、マナーと社交の講義の日。

 これもなかなかひどい有様だった。

 十年のブランクと言うものを身に染みて感じる。


 来るべき夜会に備え、今日は午後いっぱいをこの時間に当てるらしい。

 今のところ、講師に褒められたのは立ち姿だけと言う体たらく。オフェーリアが「所作は美しい」と言ってくれたのはお世辞だったのだろうか。

 しかし泣き言は言っていられない。

 俺は真剣な顔で講師の話を聞いていた。


「まずは基本のステップから。今日はペアでダンスを経験しましょう」

 その言葉とともに静かにドアが開き、悪戯そうな顔をのぞかせたのは。

 ‥‥オフェーリアだった。


「ヨルゲン様がダンスのレッスンをすると聞いて、その相手役にと願い出たのですが」

 何故か得意げに入ってくるその顔は相変わらず小悪魔のように可愛らしい。


「‥‥‥‥ヨルゲン様?」

 一瞬呆けた俺を小首をかしげて見上げられ、我に返ってズボンで手汗を必死で拭いた。


 そんな俺の様子を講師もオールディスも生暖かい目で見守っている。

「では向かい合って両手を合わせて、最初は手拍子だけで合わせましょう」


 ニコニコと微笑むオフェーリアの髪には、俺が贈った髪飾りが輝いていた。

 作法に則って礼をして、彼女の手を取る。

 手袋なしの、直接に触れあう手のひらの感覚。温かさ。


「ずいぶん、手が硬くなっていますが。無理はされていませんか?」

 俺の潰れた剣だこに気づいて、彼女が気遣わしげに尋ねた。

「この身体に戻れたことが嬉しくて、つい剣術の稽古や鍛錬に力を入れすぎてしまったからな。でも、心配することはない。楽しいだけだ」

 そう答えると、彼女はホッとしたように微笑んだ。


 1,2,1,2という掛け声に合わせ、右へ左へと単純なステップを踏む。

 久しぶりに至近距離で感じる彼女からほんのりと甘い香りがして、それだけでくらくらと眩暈がしそうだった。


 なんせ会えない間、絶対に彼女には知られてはいけないような妄想ばかりが捗っている俺である。こんな密着状態で耐えられる自信がない。

 …いや、これを耐えるのも、ある意味レッスンなのかもしれない。


「休んでいた間の課題や卒業レポートが大変だと聞いていたが、俺のレッスンになど付き合っていて大丈夫なのか?」

 小声で尋ねれば、彼女は小さく肩をすくめた。


「課題はまだまだ残っていますが、卒業レポートの目途がついたので、なんとか今日は抜け出してきました」

 卒業レポートの目途が立ったって‥‥。

 俺は思わず目を瞠る。

「卒業レポートなんて大変なこと、どうやってそんなに早く?」

 さすがは俺の見込んだ人、と感心しかけたところで、彼女が気まずそうにつぶやいた。

「レポートの課題は、水害の復興と根本的対策のための治水工事、に、しました…」


「それって…」

「‥‥ええ。もう出来ているというか、すでに実践に入っているというか」


 は…。

 思わず笑いが漏れた。

 彼女は必死になって言い訳を始める。

「だって。課題だけでも、もんのすごくあるんですよ!卒業レポートまで真面目に取り組んだらヨルゲン様に会う時間が全く無くなります!」

「それは、困るな」


 苦笑する俺に、彼女も嬉しそうに微笑んだ。


「ヨルゲン様も、夜会の準備、大変だったでしょう?」

 彼女が心配そうに尋ねる。

 二か月後の公爵家主催の夜会は、俺の後継者としてのお披露目と、俺達二人の婚約披露を兼ねたもの。王都中の貴族が集まると言っても過言ではないほどの規模になる。

 本来なら主に母親が取り仕切るその夜会の準備を、勉強と経験を兼ねて俺がほとんど一人で取り仕切っていた。

 大変と言えば大変だが、晴れてオフェーリアとの仲を公にするための手続きだと思えば何の苦もない。

 そして、ようやく案内状を発出できる段階になったのだ。

 すでに、「十年間呪われた公爵令息と、愛の力でその呪いを解いた令嬢の愛の物語」として、主に俺の両親を中心に噂は広めているのだが。

 案内状発出とともに俺達二人の仲は完全な公認となる。‥‥待ちきれない。


「夜会でたくさんの美しいご令嬢を見たら、キリアーン様は私と婚約したこと、後悔するんじゃないかなんて心配になるんです」

 彼女は俯きがちに呟くけれど。


 そんなわけないだろう。


「オフェーリアが一番美しい」

 彼女は驚いた顔で見上げ、そして瞬時に首まで真っ赤になっていた。

 いちいち全部が可愛らしい。


「それに、呪いが解けた瞬間寄ってくるような女性には興味はない」

 そう言い切ると、彼女はまた不安そうな顔をした。

「でも、私だってただ自分の呪いを解くためにたヨルゲン様に近づいただけの、不届きな女で‥‥」

「それを言ったらもともとは俺のせいの呪いだろう」


 そして、大切なこと。

「オフェーリアは、俺の外見を一度も貶めることはしなかった」

 彼女はキッと俺を見据えた。

「当たり前です!そんな!」

「だからいいのだ。側にいて欲しいのはオフェーリア、君だけだ」


 きっぱりと断言すると、ようやく、ふにゃりと幸せそうに笑ってくれた。


 ああ、可愛い。


「あと、もう一つお願いが‥」

 彼女からのお願いなんて珍しいな。まあ、何度だって聞くが。

「なんなりと、俺のお姫様」

 茶化す様に答えると、ぷくっと頬を膨らませて、それからおずおずと話し出した。


「あの。私の学園での友人達なんですが、私が休んでいた間、ずっと私のためにノートを取ってくれていて」

「ああ、聞いている。良い友達だな」

「そうなんです!‥‥それで‥‥」

 うん?やけに歯切れが悪いな。


 「私が病気で臥せっていると聞いて頑張ってノートを取ってくれていたのに、急に私達の婚約発表をするでしょう?彼女たちになんて言い訳をすればいいかと‥‥」


 あー、なるほど。

「病気と闘っていると思ってサポートしていたのに、男といちゃついてたのか!って思われたくないということか。うん、それは大変だな」

「言い方!!」

 くすりと笑うと、彼女はまた真っ赤になってうつむいた。

 

 オフェーリアが休んでいた分の課題作成にも協力してくれている、親切な友達の話は何度も聞いていた。最初にその話を聞いた時には、その友人とやらに男が混じっているのではないかと疑って、つい、調べさせてしまった。


 ‥‥後で彼女にバレてずいぶん怒られた。

 なんでも友人たちの協力が無かったら、今年の卒業はかなり厳しい状態だったらしい。それを聞いて俺も慌てた。卒業が延びたら自動的に結婚も一年延びてしまう。そんなの絶対に耐えられない。


「なので、今度のお茶会に、もしよかったら顔を出してもらえないかと思って。彼女たちにヨルゲン様を紹介すると同時に、病気の間も支えてくれた、と伝えられたら、と思うのです」


「そうだね。あながち嘘でもないし。角を立てないためにはいいかもしれない」


 それより何より、彼女の婚約者として堂々と彼女の交友関係の場に出られるのが誇らしい。これから先、夜会でもお茶会でも、彼女の卒業パーティにももちろん、婚約者として、恋人としてエスコートしていく。その役目は絶対に譲らない。

 たとえお義父上にも。


 ちょっとそれは前途多難だけれど。


 嬉しそうに微笑む彼女が愛しくて、その髪にそっと指を入れてかき上げた。


 本当に、FIN


お読みいただきありがとうございました。 


新連載あります。


目指せ妹ポジからの脱出!~箱入り聖女は魔術師団長を全力で口説き落としたい~ 


https://ncode.syosetu.com/n5559ik/

ほんわかのんびりなお話です。

相変わらず設定はぼんやりですが( ̄∀ ̄)


よろしくお願いします。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 呪いを解くのに必死だったのか異形の姿を全く気にしていないのは何ででしょう? [一言] 侯爵令嬢なのにちょいちょいお口が悪い所が好き。 素敵で良いお話でした!
[一言] 短編好きなので読んだら、内容がめっちゃ濃くておもしろかった!! 29000文字って見て納得(笑) 次点の全6話のお話は、26000文字だったよー 呪いが解けた後もしっかり書かれてて、すご…
[良い点] サクサク読めたのに読み終えたあと短編だったことにびっくりしました それぐらい二人の話は濃密で始まりから終わりまで惹き込まれました 二人を繋ぐのは呪いなのに爽やかで可愛らしいお話し楽しかっ…
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