セーラー服とオーサカ戦線②
自ら死を選んだ馬鹿は地獄にも天国にも行けない。
いつか母が言った言葉だった。
四方八方は墨汁に吸い込まれたような暗闇。私はさっき左に行ったのか右に行ったのかさえ分からない、狂ってしまいそうな不安の世界だった。
なるほど。これが自殺者の末路か。
理解した途端、溢れたのは悲しみでも虚無感でもない。
何も感じなかった。
なんだかどうだってよかった。そんな性格ブスが垣間見える。
「私は今、オバケなのかもしれないな」
神様も幽霊も信じている方だ。
ひたすらに怨念を唱えていれば、あのチンケなクズ共は地獄で釜焼きにされるかもしれない。そして生まれ変わった頃には全部忘れてて、また馬鹿丸出しに繰り返すのだ。
「どうして私は死んだんだろう」
同じことを繰り返すのなら、私が死んだ意味は無いんじゃないか?
今になって思い返してみれば、あれは衝動だった。
臓物のように絡みついた邪悪に駆られ、私は雲の上まで手を伸ばした。死んで消化された衝動は、この暗闇みたく誰にも見つからないところへ溶けていく。
死んだことで私は自由になった。あとは呪い殺すだけ。
呪い殺したあと、呪い殺すまではどうしようか。
さて、これから何をしよう。
「由々しき事態だ」
反響する低い声。
視界を八方に揺らしてみても、その声の正体はどこにもいない。
「まさか私のもとに来ようとは……浄土の神らめ、面倒臭がるから人間は真似てしまうのだ」
「……あのぅ、どうかしたんですか」
躊躇いを剥き出しに訊ねてみる。
つらつら話し続ける何処かの誰か様は上にいる気がする。
天の声やらなんやらはよく上にいるだろう、由々しき事態と嘆いた誰かさんはその類。そうだなあ、と顎を摩る怖色で言葉を繋ぐ。
「もう地獄は定員オーバーなのだよ。八十億人をこれから裁いていくわけだろう? 潔白を貫いた人間は一握り。故に余が管理すべき罪人の数が爆発的に増えてしまう」
「地獄? やっぱり地獄ってあるんですか」
天国があるとも思っていなかった。
「あるに決まってろう。」
闇からぬっと現れる。
私なんかよりもずっと大きい。大仏のようなサイズの人外が視界を独り占めした。
ぺしゃんこにされそうだ。この下は多分地獄だ。
「余はその地獄を管理する神。閻魔である」
…………閻魔ですか。
神様は信じているが、まさか閻魔様もいるとは思わなんだ。
確認や納得の一つも返せない。それが引っかかった閻魔様? は焦りを溢す。あの、無論神のみが存在するわけじゃない。仏道が編んだ物語でも余らしき神は出ている筈だ。
「閻魔様……なんで私だけこんな真っ暗闇に閉じ込められたのでしょうか」
自殺はそんなに罰当たりですかね。
今度は閻魔様が黙る番だ。
効果的な沈黙を挟み、閻魔様は言う。
「貴様は何故自決を選んだ」
「私を自決に追い込んだ輩に復讐する為です」
「復讐?」
彼よりずっと小さな頭を縦に振った。
そう、復讐。目の前で死んでやった。地獄は続く、どこまでも。
「必ず地獄を見る馬鹿共を私の手で呪い殺すんです。天国にも地獄にも行けないのは都合が良い。私の罪は間接的なものだから裁かれることは無いでしょ?」
ぱちくり目を剥いて、閻魔様は突然笑い転げた。
人の積み重ねた決意を押し崩す大爆笑だ。さすが地獄を統べる存在と言ったところ…
「まさかそんな愚かしいことを考える人間がいるとは」
「なんとでも言えばいいです。私の決意は変わりませんから。それだけのことをしたんです、あなたの真下にいる人間が!」
「自殺した時点で天国には行けぬ。此処は天と地の狭間……貴様はこれから数えた罪を償うことになる。自殺と、殺人未遂と言ったところか」
「未遂だなんて。せめて立派な殺人にしてほしいんですけど!」
頬を膨らませるのを一瞥して、閻魔様の顔は固まった。
怒らせたわけではない。
何かが真っさらに片付いたような表情だった。
「貴様は地獄に行きたいのか」
「うん? ええ、だって地獄を終えれば霊になるんでしょう? 全然それが目的です。母の言ったことは立証されなかったけど、霊になれるならなんだっていいやと」
この方がにやけるなんて良い予感はしない。
自殺しても地獄! そうだとしたら私は地獄行き確定だ。とっくに地獄がぱんぱんだとしても罪人なのだから相応の処分はしてもらわなければ。
「閻魔様?」
「よろしい。地獄に行きたがる貴様に似合った地獄だ」
眉を顰める。
反対に閻魔様はやけに楽しげだった。
「転生だ」
長い爪の生えた手に、僅かな光が生まれる。
銀河のような眩い光。希望に満ちているあれが輪廻というやつだろうか。
「良いことを教えてやろう。人生は一度きりだと言って好き勝手する痴れ者にも、必ず二度めの人生がやってくる。虫になっても家畜になってもそれは変わらん」
「な、何が言いたいんですか、ていうか転生っ?」
「もう一つ、並行した世界がある。そこに転生すれば怨念を飛ばすことも出来まい。あの世界は歪んで混沌としている。前世虐めてきた人間を恨む余裕など無かろう」
「いいやちょっと待った! 私は転生する為に死んだんじゃないっ! 地獄に行く為に死んだも同然なんですって‼︎」
「だから言っているだろう。お前の地獄はその世界だ」
ああ言えばこう言う、なんって屁理屈……っ!
私をクズ共から遠ざける為じゃなくて、地獄が定員オーバーだからはしょりたいだけだろう。都合の良いことだけ手に取って、そんなのでいいのか、神ってやつは!
「その地獄で償え」
眩い光は突然爆発するように成長する。
この塗りつぶされた暗闇さえ飲み込むかの如く白で塗り替えされていく。
「自殺する自由さえ無い」
「復讐がよぎる余裕も無い」
「八十億が持ち合わせた常識が通用しない世界で」
「我らが創造した命を軽んじたこと、身を以て償え!」
突き刺さる光はついに私を丸呑みにした。
ごうごう轟く自然の脅威に耳が痛い。私は今左を向いているのだろうか、それとも右を向いているのだろうか。何時間経った。私がこれから地獄を見るのか。
「……はははっ」
足元の入道雲、視線の向こうの水平線。ふと両手を見てみれば、やけに柔らかい肉がついていた。
「絶対に呪ってやる」