ヒナ・テオドール公爵令嬢
レクリゾン共和国から遠く離れた北大陸の西端。グランタル聖王国と呼ばれる大国の首都にて、わたくしは生活をしております。
ディーテ様に願ったまま、桐乃宮陽菜は公爵家のご令嬢となりました。現在の名はヒナ・テオドール。何だか物語の主人公になったような感じですね。
テオドール公爵領は聖都ネオシュバルツよりも、ずっと西側に位置していましたけれど、公爵であるお父様が王城勤めであったことと、わたくし自身が聖都にある貴族学院に通っていることもあって、ネオシュバルツの別邸にて暮らしております。
わたくしは鍛錬する傍ら、ずっと悪役令嬢になろうと努力し続けていました。しかしながら、上手く悪役令嬢を演じきれていないようです。わたくしの評判は悪役令嬢なんてものではなく、どうしてか正反対の聖女。願望とは裏腹に不本意な呼ばれ方をしております。もしも仮に上手くできていることがあるとするならば、それは毎日練習している高笑いだけかもしれません。
講義が終わり、お迎えが到着するのを待っていると……、
「ヒナ様!」
不意に声をかけられていました。でも、それはメイドではなくクラスメイトです。
「オリビアさん……」
オリビアさんは侯爵家のご令嬢ですの。どういうわけか、わたくしを慕ってくれています。
「ヒナ様も王家主催のパーティーにご出席されるのでしょうか?」
オリビアさんが話すように本日はルーカス第一王子殿下のお誕生日とのことで、盛大なパーティーが王城にて催される予定となっていました。
「一応は招待状をいただきましたので、流石に無視するわけには……」
「そろそろ王子殿下がお相手を決められると聞きましたよ!? ヒナ様が選ばれるのではないかと思うのですが!?」
ルーカス王子殿下には婚約者がおりません。北大陸屈指の大国であるグランタル聖王国は外交的な婚姻を必要としておらず、妃の問題はルーカス殿下自身に委ねているみたいですわ。
「いえ、わたくしは殿下に追放していただきたく存じます……」
「追放? 何ですそれ?」
オリビアさんにはピンとこないみたいですけれど、わたくしにとってルーカス殿下は追放してもらわねばならない存在ですの。悪役令嬢として追放イベントは欠かせぬものですからね。
程なくメイドのエルサが、わたくしを迎えに来ました。これより急いで屋敷へと戻り、わたくしは直ぐさま着替えをしてパーティー会場へと向かわねばなりません。
少しばかりの野望をわたくしは抱いていました。見事に悪役令嬢を演じきり、王子殿下に追放を言い渡されはしないかと……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
日が暮れた頃、聖王城内にある巨大なパーティールームでは王家主催のパーティーが盛大に催されていました。
「どうかルーカスを支えてやって欲しい。グランタル聖王国を背負って立つルーカスに皆の力を貸してやってくれ」
グランタル王陛下によるご挨拶のあと、華やかな楽団の演奏が始まります。その一方で主役であるルーカス王子殿下は各国の要人や重鎮たちへの挨拶に忙しそう。
王様曰く今夜は無礼講とのことで、各々に踊ったり食事をしたりしながらのカジュアルなパーティーであるとのことです。
「お嬢様、やはり純白のドレスが良かったのではないでしょうか?」
わたくしは会場の隅にポツンといたのですけれど、一人きりというわけではありません。話しかけてきたのは剣術の指南役であり、専属メイドでもあるエルサ。彼女は華やかなパーティーに不似合いなドレスを選んだことを疑問に感じているみたいね。
「エルサ、悪役令嬢といえばブルーのドレスですわ。冷酷な令嬢を表現するのに純白は相応しくないのですよ」
「お嬢様、ずっと悪役令嬢とか仰ってますけれど、私にはさっぱり分かりません……」
幼少の頃から専属メイドであったエルサでも、悪役令嬢の意味合いを理解しきれていません。なぜなら、悪役令嬢とは地球世界の言葉であるからですわ。まあでも、わたくしが極悪非道な行動を彼女に示していくことで、自ずと理解できることでしょう。
一瞬のあと、ガラスが割れたような音が会場に響き渡りました。
どうやら貴族のご子息様がドリンクのグラスを落としてしまったようです。床にはガラスの破片とグレープジュースが飛び散っています。
「いけませんわ!」
即座にわたくしは駆け出していました。少年の前へとしゃがみ込み、泣き止むようにと彼の頭を優しく撫でております。
「お怪我はございませんでしたか?」
しゃがみ込んだもので、ドレスの裾にジュースが染み込んでいます。けれど、ドレスはたくさん持っておりますし、特に気にするような問題ではありませんわ。
わたくしはハンカチを取り出し、彼の身体や服を優しく拭いてあげます。濡れたままだと、ご病気になってしまいますからね。
「ああ、ヒナ様! 申し訳ございません! 少し目を離した隙に……」
男の子のお母様らしき方が慌てて戻り、深々と頭を下げております。
何をそんなに焦っているのかしら? 顔面蒼白である彼女にわたくしは小首を傾げております。わたくしが何をしたというのでしょう。こんなにも謝罪されてしまうなんて。
「いえ、何も問題ありませんわ」
「いやしかし、ヒナ様のドレスが……」
ああ、なるほど。確かに大きなシミが前面にできておりますわ。きっと彼女はお洋服が汚れたことを気にされているのね。でも心配ご無用ですの。わたくしにはダンスをする予定がございませんからね。
「どうかお気になさらず。彼も反省しているようですので、叱責されることのないようにお願いいたしますわ。子供は自由にのびのびと育つべきなのですから……」
小さく礼をして、わたくしはその場を離れます。すると、どうしてか万雷の拍手が送られていました。わたくしとしましては取るべき行動をしただけであって、特別なことは何もしていないというのに。
戻ってきたわたくしにエルサは薄い視線を向けています。
その目は何かしら? いったい彼女は何が不満なのでしょうかね?
「お嬢様、純白のドレスを選ばずに良かったと心底思います」
「そうでしょ? わたくしは悪役令嬢。冷酷無慈悲な存在なのです。この深い青に相応しいと思いませんか?」
わたくしの問いには首を振るエルサ。やはり彼女は今も悪役令嬢を理解していないみたいね。
「お嬢様、差し出がましいことを申し上げますと、悪であればあの少年を叱りつけ、母親を土下座させるくらいはしないと……」
「はい? どうして叱りつける必要があるのかしら?」
なぜかエルサは頭を抱えています。わたくしは何も間違っていないというのに。
「お嬢様は限りなく善良です。噂通り、聖女そのものではないですか? 少年に駆け寄ったのはお嬢様だけですよ? しかもお嬢様はテオドール公爵家のご令嬢。ご婦人は生きた心地がしなかったことでしょう。お嬢様は掲げる理想と行動が全く噛み合っておりません」
「いえ、わたくしは直ぐ側にいましたから」
「直ぐ側であってもです!」
どうして、わたくしは怒られているのかしら? 彼女は小言をあまり口にしませんのに。恐らくエルサはお腹が空いているのかもしれませんね。
「ヒナ、少しいいかい?」
エルサと話し込んでいると、不意にわたくしたちは背後から声をかけられていました。
これでもわたくしは公爵家のご令嬢ですの。わたくしを敬称なしで呼ぶ者は多くありません。数多の貴族が集ったこのパーティーにおいても限られています。
「ルーカス殿下……」
振り返ると予想通りの人物がそこにいました。わたくしを呼んだのはグランタル聖王国の第一王子ルーカス・グランタル殿下その人でした。
どうしてかエルサはわたくしの肩をポンと叩いてから、そそくさとどこかへ行ってしまう。王子殿下とは面識がありましたけれど、会話が弾むような間柄でもないのですが……。
しかし、わたくしはエルサの気遣いに気付きました。彼女は気を利かせて二人きりにしてくれたのだと。
(きっとエルサは追放イベントのフラグが立てられるように席を外してくれたんだわ!)
絶対にそうとしか思えません。ならば、わたくしは気合いを入れるだけです。
悪評から追放までが悪役令嬢の様式美ですの。王子殿下と会える機会は限られているのだし、しっかりと悪役令嬢を認識させなければなりませんわ。
「ヒナ、テラスで話をしよう」
言ってルーカス王子殿下はわたくしの手を引き、パーティー会場のテラスへと連れて行く。
とても綺麗な星空が拡がっていました。かといって、わたくしは星空に視線を向けることなく、何から話すべきかを思案しています。
(まずは悪口を言って心象を損なう感じで……)
王子殿下の心象は悪ければ悪い方が良い。わたくしを追放できるのは公爵家より上の存在だけなのです。だからこそ、良い印象を与えるべきではありません。
「殿下、わたくしは好きではありませんの……」
悪口が思いつかなかったから、わたくしは直接的な言葉を投げます。他人に嫌われるならば、まずは自分の意志を示しておくべきだと。
「そういえば、ヒナはパーティーが苦手だと聞いている。すまない……」
「ああいえ、滅相もございません! お顔をお上げくださいまし!」
予想外の返答と態度に、わたくしは思わず悪役令嬢ロールを中断。ここは一気呵成に攻め立てる場面でありましたが、王子殿下に頭を下げさせてしまっては仕方ありません。
(いけませんわ。これでは殿下の思うつぼ。であれば……)
悪口は難しいと理解したわたくしは、逆に自分を悪く思わせるという作戦を立てました。自身の心象を悪くするのに、罵詈雑言を並べる必要はないのですから。
「殿下、わたくしは朝と夕方しかお祈りしてませんのよ? お昼まで大聖堂に赴くのが面倒だからですわ」
以前は一日三回のお祈りを欠かしていませんでした。しかし、なかなか悪役令嬢として認知されないために、昼のお祈りは捧げないことにしています。
グランタル聖王国はディーテ教の総本山があり、とても信仰心の厚い国なのです。祈りを疎かにする人間だと、きっと王子殿下はわたくしを蔑むことでしょう。
「ヒナは凄いな。僕は毎日だなんてとても無理だ。しかも一日に二度も大聖堂まで赴くなんて、流石は聖女と評されるだけはあるね」
ところが、風向きは好転しません。それどころか聖女という期待する姿と正反対の単語まで飛び出す事態となっています。
「わたくしは日夜問わず、剣を振り回しておりますの! 食後の身体強化トレーニングも欠かしたことがございません。貞淑な令嬢であるべきですのに、わたくしは殿方に混じって剣術稽古をしたりしております!」
わたくしは負けじと自分を卑下していく。剣術の話であれば、流石の王子も悪く思うだろうと。公爵家の令嬢が男勝りにトレーニングしているなんて幻滅するに違いありませんわ。
「それは一度、手合わせを願いたいところだ。僕も剣術を習っているんだよ。ヒナの実力は公爵から聞いている。かなりの腕前らしいね?」
何を言っても美化されてしまう。正直にわたくしは困り果てていました。どうにかして心象を悪くして、追放してもらいたかったというのに。
思わず唇を噛む。悔しくて、もどかしくて、やるせない。転生するという幸運を、わたくしは手にしていましたが、現状は望んだ姿に少しですら近付いておりません。
「わたくしは……悪役令嬢ですの……」
泣き出しそうになってしまい、わたくしはポツリと呟いていました。
どうしても認めて欲しいこと。それは聖女などではなく、悪役令嬢である自分自身です。前世から強く望んだ姿にわたくしはなりたかった。
今にも泣き出しそうなわたくしに、殿下は困惑されております。でも、慰めの言葉なんて必要ありませんの。わたくしは一言、悪役令嬢だと言われたいだけなのです。
「ヒナ、君が悪役令嬢だというのなら、きっとそうなのだろう。僕はそれを良く理解していないけれど、僕にも一つだけ分かることがあるんだ……」
期待とは裏腹に優しい言葉を並べるルーカス殿下。わたくしはジッと彼の目を見つめています。
「ヒナは美しく成長したね――――」
え? まるで想定していない話ですわ。
どうして、そのようなことを口にされるのでしょう? わたくしは自分を卑下していただけでありまして、美しいと言われたいなど少しも口にしていませんわよ!?
そういえばオリビアさんが話していました。本日のパーティーはルーカス王子殿下のお相手を探す場でもあるのだと。
(これはマズい展開ですの……)
予期せぬ言葉に赤面してしまいますけれど、わたくしは悪役令嬢です。王子様の役目はわたくしを追放することであり、間違っても口説かれるわけにはなりません。
(ここは悪口を言って逃げるしかありません……)
わたくしは無理矢理に悪口を絞り出し、急いでこの場を立ち去らないといけません。
いざとなれば、わたくしにもできるはず。三日くらい寝込むほどの悪口くらい言えますわ。
ルーカス王子殿下、どうぞ覚悟してくださいまし!
「バ、バカ……。別に殿下のためではないのですからね?」
思わず噛んでしまいました。でも、悪口はちゃんと言えましたわ。殿下には申し訳ございませんけれど、三日ほど寝込んでくださいまし。
少しばかり噛んでしまったわたくしは、苦笑いを浮かべながらテラスから走り去っています。振り返りもせず、カツンカツンとヒールを鳴らしながら……。
一目散に逃げたわたくしが知る由もありません。どうしてかルーカス王子殿下が頬を染めて呆然と見送っていたなんて。去り際の苦笑いが、どのように受け取られていたのかなんて……。
兎にも角にも、テラスから逃げ出したわたくしは今日一番の笑顔を見せていました。だけど、それは王子殿下に美しいと言われたからではありません。
「やりましたわ! 馬鹿だと殿下を罵ってしまいました! きっとお怒りになっているはず。これはもう間違いなく追放ですわ!」
わたくしはエルサに空回りしているとよく言われます。でも、この場面は自信がありました。意図せずツンデレムーブをして、王子殿下を籠絡してしまったなんてことは絶対にあり得ませんから!
大成功に終わったパーティー。その締めくくりとして、わたくしは毎日練習している悪役令嬢的な高笑いをここで披露するのでした。
「オーッホッホ!!――――」
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