15-取引の代価は
アオイと分かれたウィステリアは、元友人と戦うことになる彼女の背を心配そうに見つめながら空を飛ぶ。
彼女達から聞いた様々な悲惨な出来事を、彼女達と共にいながらすべて傍観していた狂人。
彼が敵の元へ向かいながらも、幼馴染を気にかけるのは当然のことだと言える。
とはいえ、彼も自分の戦いをないがしろにすることはない。
神々しい炎を身に纏い、まっすぐにリデーレの元へと向かう彼は、夜を掻き消すほどの光を放ちながら地上に降り立ち、ナイフを片手に彼女と対面した。
「やぁ、商人さん。ぼくはこれからあなたを殺そうと思うんだけど、準備はいいかな」
「あらあらー? あの女の子が殺しにくると思っていたのだけど、他の子が来たんですねー。怖気づいたのかしらー?」
ウィステリアが真面目に挨拶をすると、リデーレは挑発するようにアオイについて言及する。
商人だから戦闘ができないのか、取引をする時間稼ぎでもしているのか、まだ戦いを始めるつもりはないようだ。
しかし、直前にユウリが能力を封じられていたのを見ていたこともあり、ウィステリアが彼女の話に耳を貸さない。
変な取引をされる前に決着をつけるべく、右手に握っている師匠からもらったナイフを振り上げた。
「みんなが心配だから、返事がなくても始めるよ」
彼の掲げるナイフには、太陽と見間違うような輝かしい光が灯る。全身に纏っていた炎が乗り移り、周囲の風までも取り込んで渦巻いていく。
ここは、アオイが創り出した風の結界の中。
だが、この場では眩い引力を持つ彼こそが世界の中心であり、下手したら結界を飲み込んでしまいそうだ。
"ディヴァイン・スヴェート"
ひときわ輝いた瞬間、ウィステリアはその神炎をリデーレに振り下ろす。ナイフから放たれたのは、世界を焼き斬る神炎の一太刀。
風の邪魔をしたり結界を破壊したりしないよう、多少は配慮しているようだったが、それでも過剰な程の火力がリデーレに叩きつけられる。
彼女が避けようとする間はなく、大地は彼女もろともプリンのように軽々と切り取られてしまった。
「……」
ウィステリアの眼前にあるのは、ユウリが創ったクレーター並の規模の亀裂だ。横幅が短く、縦に長いものではあるが、その横幅も炎で拡大しているので10メートルは軽い。
神秘でも簡単に避けられるものではなく、直撃を受けたのなら防御していても瀕死は免れないだろう。
だが……
「戦いを始めたい……あなたさっき、私にそう聞いてきましたよね? 私の答えはもちほんNOです。
ですが、代価を払えばその権利をあげますよ?」
亀裂の真上には、黒い翼を広げたリデーレが飛んでいた。
斬撃の軌道上にいたということは、避けてはいない。
だというのに、彼女は傷一つついていないどころか、炎を浴びても焦げや煤もまるで無かった。
取引の結果なのか単純な実力なのか、完全な無傷だ。
怪しく微笑つ彼女を見ると、ウィステリアは小首を傾げる。
肩までかかる銀髪を揺らしながら、可憐な仕草で。
「あなたと戦う権利? つまり、戦いは始まっていないから、今はいくら攻撃してもダメージが通らないってこと?」
「その通りです〜♡ 命のやり取りをするというのですから、やはりここは能力を差し出すくらいの‥」
「じゃあ、戦うのはやめよう」
「……はい?」
ウィステリアの質問を聞いたリデーレは、邪悪な笑みを浮かべて取引を提案した。ユウリの能力を封じたのと同じように、制限なしに彼の能力を封じるべく双方合意の取引を。
だが、彼はその取引に応じない。
それどころか、戦い自体を放棄するという宣言までして取引を拒否していた。
当然、その反応はリデーレにとって予想外のものだ。
意表を突かれた彼女は、笑みを崩して素っ頓狂な声を漏らしている。
「……私を野放しにしておくんです?」
「ううん。倒すよ」
「では取引を‥」
「戦うことはしないから、取引もしない」
「ど、どういうことですか……!?」
信じられないといった表情で質問するリデーレだったが、彼は野放しにすることは否定する。
しかし、それならばと彼女が再び取引を持ちかけても、彼の答えはやはり取引の拒否だ。
大いに混乱しているリデーレは、頬を引くつかせ、目をくるくると彷徨わせ、頭を左右に振っていた。
すると、頭がパンクした様子の彼女を見たウィステリアは、美しくも無慈悲な笑みを浮かべて口を開く。
「つまり、攻撃せずに損傷を与えれば良いんだよ」
"アトーンメント・ドラウト"
リデーレに結論を告げた彼は、そっと人差し指を立てて可憐に微笑む。その先端に灯るのは、小さな小さな輝きだ。
しかし、ちっぽけな火種はみるみるうちに巨大化していくと、疑似太陽として彼らの頭上に浮かび始める。
攻撃はしない。戦いではない。
だが、人体から水分を奪う形でダメージを与えていく不戦の苦しみが、リデーレの身を襲っていた。
「か……ぁ、水、分……がッ……!!」
「よかった、ただ熱いだけで攻撃判定受けなくて」
「こんな、もの……攻撃と、何が……違う、のッ……!?」
フラフラと亀裂の側に降りたリデーレを見て、ウィステリアは安心したように柔らかく微笑む。彼女は自分の周りにだけ生じた干ばつによって、翼も四肢もカラカラだ。
いくら大自然のように寿命がなく、普通の生物よりもタフな神秘とはいえ、川が太陽の熱で干上がることもあるように、他の神秘には殺される。
取引という、自然界では獣同士の駆け引きのように概念的な神秘であるリデーレも、炎の神秘であるウィステリアに追い詰められ、いつ死んでもおかしくないような状態だった。
「うーん……これがもしもアオの風だったら、攻撃の意思がなくても直接傷つけるからアウトになったかもね。
だけど、これはただの日照りだから。
運悪く君が巻き込まれたとしても、過酷な自然環境に身をおいてしまったというだけでしょう?
そもそもぼくという炎は、君に触れてさえいないんだから」
四つん這いになって苦しみながらも、ウィステリアを見上げて睨むリデーレに、彼は穏やかな表情を浮かべたまま語りかけていく。
彼女の取引は、ウィステリアの方から戦いを望むのだから、開戦には彼が代償を支払うこと。
彼の能力が直接危害を加えるのではなく、その能力によって引き起こされた現象によって危害が加えられるのだから、彼との取引は無意味だ。
ウィステリアに見下されるリデーレは、耐え難い苦しみに新しい取引を始めた。
「戦わ、なくても……死ぬッ……!? なら……戦う、権利とっ……能力を、使う……権利の、取引を……!!」
「アオが言ってたよね。釣り合っていない。強制しても効果は弱まるんでしょう? そうだね……せっかくだから、干ばつの終息辺りで手を打とうか?」
「成立ねっ……!!」
戦う権利と干ばつが収まることの取引が成立し、この戦いではもうアトーンメント・ドラウトを使えないことが確定した。
彼らの頭上に浮かんでいた日輪は消え失せ、風の結界内には寒々しい冬の夜が戻ってくる。
それにより、息も絶え絶えのリデーレは素早く飛び立つ。
水分的には致命的でも、彼女は神秘だ。
環境さえ正常に戻ってしまえば、まだ抵抗は可能だったらしい。
フラフラとしていながらも彼と同じ高さまで飛翔し、目線を合わせて次の取引を開始する。
「戦いは……始まって、しまった……けど。まだ、私には……次の商材が、あります。私にとって、戦いとは……商売。
攻撃……したくば、代価を……払いなさいッ……!!」
"完全物質主義者"
次にリデーレが始めた取引は、攻撃する権利に対して何かを失わせようというものだ。
さっきは戦う権利がないからダメージが通らないと言っていたのに、いざ戦いが始まれば攻撃まで取引を強制するとは、どこまでも自分勝手な言い分である。
彼女の主張を聞いたウィステリアは、呆れたように首を振り、ため息を付いていた。
「能力を使う権利、戦う権利、攻撃する権利……もしかして、防御する権利とかもあるのかな? 君は毎回一方的だ。
形のないものにまで形を与え、無理やり取引してくる。
なら、ぼくも同じように一方的でもいいよね?」
「今度は、何を……!?」
ウィステリアの言葉を聞いたリデーレは、怯えたように体をすくませ問いかける。彼女はウィステリアと同じ神秘であるはずなのに、異常な態度だった。
とはいえ、ついさっき戦う権利の取引を無理やり潰されたのだから、彼女が怯えるのも無理はない。
彼は商人らしからぬ弱気な態度を見せたリデーレに笑いかけると、その身に神秘的な炎を纏っていく。
"ディヴァイン・オウレオール"
金色の翼には金色の炎が散り、より神々しさを引き立てる。
薄い上着やタイツに包まれた華奢な四肢は、鎧のように金色の炎が包み込んでいく。
その背後には、アトーンメント・ドラウトと遜色ないほどの熱量を誇る光輪が浮かんでいた。
まるで神のような姿を瞳に映したことで、リデーレは言葉を失って呆然とするのみだ。
「あ……あ……」
「ぼくがあなたに支払う代価は、この炎だよ。
観賞用、エネルギー、すべてにおいて価値のあるこの神炎を浴び、見る権利。それをあげる」
「そんな、無茶苦茶な……!?」
攻撃する権利の代価として払われるのは、ウィステリアの炎を浴びたり見たりすること……つまり、その炎の存在自体だ。
あまりにも馬鹿げた取引に、リデーレは絶望に満ちた表情をなんとか堪え、抗議する。
だが、ウィステリアもこの街で一方的な取引契約を結ばされていた立場なので、そんな言葉に揺さぶられはしない。
輝きを放つ炎が揺らぐ瞳で彼女を居抜き、己の身に纏った炎をより一層輝かせていく。
「その無茶を通すのが、君でしょ?
この炎の価値も、あなたにとっては物質として取引対象だ。
……さぁ、短い間だったけど、決着の時だよ。魔人リデーレ。
全人類が羨む程のエネルギーの取引は、あなたの死を以って代価が支払われる。邪悪な商人に断罪を与えよ……神の炎!!」
「いや、いやぁぁ……!!」
言葉が紡がれるごとに、炎は波打つ。
背後の光輪は神秘的に回転していき、伸ばした手に凝縮されていく。
"ディヴァイン・オウレオール"
神炎を向けられるリデーレは情けなく悲鳴を上げていたが、ウィステリアは躊躇なく身に宿った炎を放つ。
それは、まるでドラゴンの咆哮のように。
両手の中から勢いよく飛び出し、神秘の奔流を見せた。




