3-突入、ランジャの町
アオイ達がランジャの街にやってきてからおよそ半日。
すっかり夜も更け、街の喧騒が昼間とは別種になっていた頃。
飲み屋から漏れ出し道を照らす明かりや、客を引く笑い声、家屋から談笑が聞こえてくる中、それは起こった。
「うん、やっぱり夜なんだね」
日が落ちるまでは談笑していたものの、落ちてからは立ち上がって街を監視していたウィステリア。
ポツリと呟く彼の視線の先には、暴れて建物を壊していると思われる、小さな人影があった。
距離があるため主に音での判断にはなるが、明らかに物が壊れる音が響き、なんとか見える影の動きも不審だ。
ランジャの各所で起こる、他とは違った事件性のある喧騒。
それはこの少し距離のある丘の上からでもわかる程に、確実にこの街を包み込んでいる。
「そのようですね。相変わらずうまく感知できませんが……」
「あそこにいるんだな……!? 家族の仇が……!!」
彼と同じように口数を減らし、街に視線を向けていたアオイとユウリも、もちろん街の異変には気がついている。
アオイは一帯の風の支配を試みながら、やや暴走気味であるユウリは地面を崩しながら、同じく事件が起こっている街を見下ろす。
やはりアオイの能力は一部制限されているようで、手のひらの中に渦巻く風は彼女に情報を与えない。
同様に、ユウリの暴走も相変わらずのようだ。
思わずといったように彼が口に出していた言葉に、隣に座るアオイと離れて立つウィステリアは憂いのある瞳を向けていた。
とはいえ、今まさに黒幕に迫っていくというところなので、無理もないだろう。ほぼ確実に視野が狭まっているが、無理に止めようとしても彼女達の気まで逸れるだけだ。
そのため彼女達は、各々ユウリになにかあっても助ける……というような覚悟を秘めた目をするだけに止め、表面上は気にしていない風を装って話を進めていく。
「まぁ、これから街に降りてみる訳だけど……」
「念のため、1人ずつがいいですね。ユウリ・アキレギアさんは先走りそうなので最後で」
「はぁ……わかったわかった。心の底から不服ではあるけど、しゃーねー。天使ちゃんの心配は受け取っとくぜ」
気遣われている自覚はあるのか、彼女の言葉を聞いたユウリは不満げながらも渋々頷く。目は街に釘付けになっているが、極力普段通りに振る舞おうと笑みを浮かべていた。
だが、ユウリが普段通りに振る舞うということは、アオイもまた普段通りに振る舞うということである。
彼女は心配という部分で目を閉じると、それを否定するように黙り込む。
「……」
「……心配、してくれてるよな? な……?」
「そう思うのなら、無茶はしないでくださいね」
無言の圧力を感じた様子のユウリは、町からアオイへと視線を移して不安そうに問いかけていく。
すると彼女は、微笑みながら目を開き、したり顔をしながら優しげな口調に言葉を投げかける。
どうやら彼に対して、経験として釘を刺したようだ。
彼女の意図を理解したユウリは、安心したようにホッと息を吐く。言葉にはされていないだけで、むしろより確実に無茶をさせないやり方に、彼はバツが悪そうに頬をかいていた。
「そうだなぁ……アスセーナでは姿すら捉えられなかったんだ。冷静に行動しねぇと、結果なんて得られないだろうし……わかったよ。無理やり結果を求めるようなことはしない。
多分、メイビー、おそらく、きっと」
「そこは断言してくださいよ」
アオイの要求に頷くユウリだったが、最後に付け足されるのは自信なさげな単語の数々だ。
安心して笑顔をみせていたアオイは、その言葉に苦笑した。
もしかしたら、土壇場で彼は無茶をするかもしれない。
しかし、彼が少しでも無茶をしないと決めただけでも大きな成果であると言える。
彼の中にその意志がありさえすれば、きっと復讐という狂気にも耐えられるだろう。ひとまず釘を刺すことができた彼女は、改めてこれから向かう街に目を向けた。
「ユウリくんが最後なら、最初はぼくでいいかな?」
2人のやり取りが終わったことを確認すると、ウィステリアは穏やかな表情で問いかける。
この丘に降り立った時と同じで、やはりアオイに危害が加わることがないように、何が起こるかわからない先陣を切るつもりらしい。
彼の意図を理解したアオイは、呆れたようにやれやれと首を横に振る。しかし、彼のことをよく知っている彼女なので、特に異論を唱えたりはせず、素直にその好意を受け取った。
「わかりました。よろしくお願いします、ウィル」
「天使ちゃんが入る時は、まだ外いて俺介入できねーから、本当に頼むぜー、天使くん?」
アオイが了承したことにユウリが異を唱えることはない。
毎回いい格好をする彼に微妙な表情を浮かべるが、それよりもアオイのこと優先で念を押し始めた。
ユウリの言葉を受けたウィステリアは、金色の炎が揺らぐ瞳を輝かせ、余裕の表情で返事をしながら丘を降りていく。
「大丈夫だよ。ぼくは眷属の中で一番強いから。もちろん、油断もしてない。自身のすべてを懸けて守るのがぼくだ。
決して手を抜かず、あらゆる悪意から家族を守るよ」
「ははっ、ちびっ子なのに大口叩くもんだなー」
「聖人だから、ね。背だってきっと伸びるよ。
まぁ、伸びなくてもぼくは変わらないけど」
アオイと同い年であるウィステリアは、当然ユウリよりも3歳年下の13歳だ。スカートにタイツという服装を抜きにしても、女の子と間違われるだけあって、背は女の子と比べても低い。
だというのに、その艷やかな口から出てくるのは勇ましい言葉の数々であり、丘で待機するユウリは苦笑していた。
もちろん、それは思わず溢れてしまったもので、特に侮辱ではないため、ウィステリアは気にせず返して歩き続ける。
飲み屋や家屋からの明かりが輝き、しかし一部では荒々しい物音が響いて、明らかに事件が起こっているランジャへと。
油断なく木々の影を進み、暗闇から少しずつ人の集う明るい世界へと歩み寄っていく。
やがて彼の可憐な全身が光に照らされて、団らんと暴動という2種類の喧騒が包み込んだ頃。
ウィステリアの頭の中には、唐突に怪しげな女性の声が響き渡った。
『取引をしましょう……心に関する取引を。
契約……この街にいる間、あなたはここで起こる非日常を変に思わないこと。醜悪……あなたは感情に素直になること。
色欲……あなたは欲望に素直になること。崩壊……あなたはすべてを失うことになっても、後悔しないこと。
対価として与えるのは、この街に入る許可、自由にこの町を去る許可、衣食住の保障、心の安寧、神秘に成る資格……
さぁ、選びなさい。あなたはこの取引に応じますか?』
脳内に声が響いたのは、前兆もない本当にいきなりのことではあったが、彼は蜜柑とのテレパシーを経験しているため、まったく動じることはない。
明らかに神秘――黒幕またはそれに与するセファール商会幹部の仕業だったため、そっと目を閉じて声に耳を傾けていた。
その声が告げたのは、神秘でなければ失うものと得る可能性があるものの羅列に過ぎない言の葉。
しかし、神秘である彼ならば、それがおそらく4人の神秘によりもたらされた悪徳だと察することのできるものだ。
女性の声が取引内容を紡ぎ終えた後、黙って聞いていた彼は目を開き、ゆっくりと自身の決断を伝える。
「いいよ、ぼくはその取引に応じる」
『……取り引きは成立しましたー。どうぞ、街へお入りください。せいぜい、強大な神秘に飲み込まれないように、ね……』
「……」
女性の声が途絶えた後、ウィステリアはランジャへと静かに足を踏み入れる。
目の前に広がるのは、多くの店から酔っ払い達の歓声が聞こえ、民家から家族の談笑が聞こえてくる光景。
人が集まることによって、自然な暗闇を排斥した集落の姿だ。
しかし、この街にあるのは普通の光景ばかりではない。
足を踏み入れてすぐの場所には、すでに死んだ目をした男が座り込んでいる。
なぜかベランダに引っかかっている女は、体からだらりと力を抜いて、恍惚とした表情を浮かべている。
道行く人々のうち何人かは殴り合いをし、多くは寒さの厳しい時期でありながら薄着で、草の束を食んでいた。
明らかに異質。探るまでもなく異常。
この光景を見たウィステリアは、わずかに表情を歪めながら言葉を紡ぐ。
「契約……そもそもぼくは異変を認識してきた。
醜悪……ぼくにあるのは聖人たる所以の決意のみ。
色欲……今ある欲望は外敵の排除。崩壊……それは結末。
弱っていたアオならともかく、万全な状態の神秘を害することができるだなんて、思わないでほしいかも」
確かに取引を受け入れたことに間違いはないが、それでも彼は揺らがない。敵の望んだすべての事象を跳ね除け、強固な意志を持ってこの街に立っていた。
「大丈夫だったよ、アオ。少し気を張ってた方がいいと思うけど、一応は問題なく入れた。取引をすれば、ね」
『そうですか。少し不安ですが……私も行きますね』
「うん」
暴動が起きていると思われる、少し遠くの区画を眺めながら、彼はテレパシーで同じ眷属であるアオイを呼ぶ。
蜜柑という、強大な神秘である精霊を介して繋がった家族にのみ使える念話……
他の神秘にはない力を使って連絡を取った彼は、残りの2人がやってくるまでこの街の観察を続けた。
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待つこと数分。
ウィステリアと同じように取引に応じたアオイ達は、無事にランジャの街へと侵入を果たしていた。
「……あまりいい気分ではありませんね。強制取引とは」
憂いを帯びた表情をしているアオイは、ひび割れた瞳で街を睨むユウリを風で止めながらため息をつく。
ウィステリアに大丈夫だと言われてきたが、それでも流石に不快感はあるようだ。
「まぁね。だけど、現時点で害はないから大丈夫。
不安だったら、君だけ外にいたらよかった‥」
「いえ、それはありえません。彼の行動が不安です」
ウィステリアが待機の話をすると、彼女は暴れ出すユウリの頭をポカポカ叩きながら断言する。
実際に何も考えず突撃しようとしているユウリがいるので、説得力は絶大だ。
もしも同行するのがウィステリアだけだったら、燃えない炎では止まらないと思われるので、普通に燃やして行動不能にするしかなかっただろう。
それに、サポートが得意なアオイの風は一部封じられているので、外にいても何もできない。
取引が不安であろうと、同行するしかなかったのだった。
「あはは……じゃあ、彼が暴走する前に方針を決めようか。
アスセーナではどうしたの?」
「現在進行系で暴動が起こっている場所に行きました。
一応、セファール商会の監視もしましたが、まだ居場所はわかりませんし、夜は商人も働いていないので探せません。
まずは事件現場に行きましょう」
「そうだね。街の至る所が騒がしくはあるけど……」
"リッドスネーク"
前回の方法を聞いたウィステリアは、目立たないように暗い炎を蛇の形で操り、精度は低いながらも街を探り始める。
燃えない炎すら出せる彼だ。その炎は暗闇よりも暗く、目を凝らしてもほとんどの人は違和感すら抱かないだろう。
彼は密かに、そして素早く、街の大雑把な様子を探知した。
「事件の発生源っぽいのは3箇所……かな?
熱が集まっていて、騒がしいっぽい」
「私も風で地理だけはなんとか探知しました。
教会、商店街、歓楽街……この3箇所に人の動きが多いです」
「熱と音も多分そこ。うーん、手分けして探る?」
「ですね。場所と特性から考えて……」
彼が炎の蛇で探知したのと同じように、風によって街の様子を探知したアオイは、両者の情報を元に怪しげな場所を特定する。
特定したのは3箇所。それぞれから異変が溢れ出しているのなら、各地で悪さをしていると考えられた。
ユウリの仇である黒幕、アオイと記憶に関する取引をした商人、まだ見ぬもう1人の神秘。場所と能力の予想から、彼女は誰がどこにいるのか考察していく。
「商店街が取引――商会幹部。教会が扇動者?
歓楽街に心当たりはないので、新顔ですかね……」
「アオは商会幹部に一度やられたよね? ユウリくんは黒幕を追いたいだろうし……えっと、アオ、歓楽街?」
「それが良いと思います」
「……えーっと」
それぞれの場所に誰がいるのかを考察したアオイは、戦歴や誰を標的にしているかによって場所を割り振っていく。
彼女の思考に保身は一切ない。歓楽街だろうと、それが最善ならば迷わず行くつもりのようだ。
だが、当然ウィステリアは彼女を歓楽街に送ることに否定的である。一度確認して肯定されても、困ったように目を泳がせていた。すると……
「ちょっと待てい!!」
風で拘束されながらも話は聞いていたらしいユウリが、変わらず暴れながら静止してくる。
ウィステリアは縋るような目を向けていたが、アオイは少し面倒くさそうだ。
「歓楽街には俺が行く!! お前は教会行け!!」
2人共に視線を向けられた彼は、これだけは譲らないといった風に宣言する。自分は仇がいる可能性の高い教会ではなく、歓楽街へ行くのだと。
発言だけで捉えれば、単純に欲求に負けただけのようだ。
やはりそう思ったらしいアオイは、軽蔑の眼差しで彼を射抜いた。
「……なぜです?」
「いや、お前に行かせたくないからだろそりゃー」
「男性……というよりあなたの場合、捜索よりも本能に任せた行動をしませんか? 流石にクズですよあなた」
「おいおいおい、勝手に断定すんな!? まだ行ってもねぇよ!? 風評被害にも程がある!! するわけねぇって!!」
しかし、流石のユウリもそんなことはしない。
というか、以前そもそも遊び回っていたのも金策のためだ。
少なくとも現時点では、したこともする気もないだろう。
必死に弁解し、アオイを変な場所に向かわせることのないように苦心する。
すると、彼の勢いに押されたアオイは、その必死さに戸惑いながらも要望を受け入れ始めた。
「……は、はぁ。では、交代しますか?」
「ああ!! ぜひそうしてくれ!!」
「なぜそんなにやる気なのか……
あの、暴走しないでくださいね……?」
「むしろ教会行った方が暴走するっての」
「それはたしかに」
ユウリの熱意に若干引き気味のアオイだったが、最終的には完全に納得し、行き先の交代が決定した。
アオイへの想いの勝利である。
行き先を変更したことで暴走しないと信頼されたのか、風の拘束も解かれて別行動の準備も完了だ。
今まで押さえつけられていた反動からか、彼は爽やかな笑顔で飛び跳ね始める。もちろん天使のような翼はなしで、単純にジャンプしているだけだが。
「お、もう拘束はいいのなー」
「いつでもまた拘束できる状態にて、教会に直接落とそうと考えていましたが、今なら大丈夫そうですから」
「信頼、されてると思っていいのか……?」
いつも通りの雑な扱いに、ユウリは微妙な表情を浮かべる。
しかしすぐに気を取り直すと、やはり少し余裕がないように感じられるひび割れた瞳を輝かせていく。
「ま、いいか。なんかあればテレパシーだろ?」
「うん。連絡あれば、すぐに駆けつけるよ」
「ははっ、なんか心温まるなー。使わねーけど!」
「そうなるといいですね。幸運を祈ります」
最終確認を終えた彼女達は、軽口を叩きながら互いに背を向ける。そして、各々の行き先に向かって歩き始めた。




