17-失意の果てに
ユウリが屋敷から飛び去るアオイと、ズタズタにされた両親や細切れになった使用人達の姿を見てから数時間後。
もう、すっかり夜も明けてしまった頃。
それらが横たわる中でずっと叫んでいた彼は、微かに潤んだ目を真っ赤にして静かに早朝の街を歩いていた。
「……」
彼の視線は足元へ。いつも明るく空を見上げているのが嘘かのように、前を向くこともできずに真下だけを見ている。
目を覚ました街からは、パンを焼く香りや米が炊けた香りが漂ってくるが、彼に染み付いた血の香りには勝てない。
周りで散歩をしている老人らが朝食の香りを楽しむ中、彼だけは今にも吐きそうな様子で、度々口を抑えていた。
「ユウリ様、こんな朝早くから見かけるとは珍しいですの。
散歩でもしてなさるのじゃろうか?」
「……」
「ユウリ様?」
道端で老人に話しかけられたユウリだったが、嗅覚どころか視覚にまでも屋敷の惨状が染み付いている彼は、周囲に意識を割けていない。
当然返事などできるはずもなく、一度通り過ぎた彼は慌てて老人を振り返った。それも、意図せず無視する形になってしまったことで、老人から見ても挙動不審だ。
「おっと、悪い! 大丈夫大丈夫!
いい朝だな! じーさん元気かー?」
「……何かあったのですかのう?
随分と顔色が悪いようじゃが」
「私は元気だよ! 今から友人の所に向かう予定でね!
今から……ワクワクで、胸が張り裂けそうだ……!!」
「もしや、お邪魔でしたかの……? もし疲れておるのなら、早く休みなされ。お父上のように限界が来る前に」
「ッ……!! あぁ、ありがとなじーさん」
流石に様子がおかしいことに気がついた老人だったが、彼は普通であることを取り繕う。しかし、もちろんそんなことができるはずもなく、笑いながらも苦痛が漏れ出ていた。
とはいえ、彼の老人への態度は表向き平気であるということに変わりはない。話を切り上げたがっている様子のユウリに、老人は心配しながらも邪魔しないようにとこの場を離れていく。
そんな老人が最後に残した言葉は、今のユウリには痛すぎるものだった。以前から、貴族としての責任に押し潰されそうになっていた彼の父――シャンヴル。
民衆との繋がりを保ち、経済を回し、信頼関係を築いて人材を集め、普段から心の支えとなるべく立ち回っていた彼だが、最終的に父は何者かに……おそらくアオイに殺されたのだ。
既にフラフラと弱々しかった彼は、より壊れて切羽詰まった表情でシロの家へと向かう。誰に話しかけられてもから元気で押し切り、飛び去ったアオイが戻っている可能性のある家へと……
「何だよ、これ……!?」
しかし、倒れ込むように戻ってきた彼を待ち受けていたのは、予想だにしない光景だった。
さっきまであった料理がなくなっているどころか、テーブルを含めたすべての家具がなくなっている。
おまけに、何もなくなった空き家のようなこの家の四方には、血のりが塗りたくられているという異常さだ。
それも、天井などにつけられた血は、ピチャピチャと鮮血の水滴を落としていく。床も気をつけていないとすぐに滑る程にびしょびしょで、壁も不気味に赤色を滴らせていた。
震える声で呟いたユウリは、フラフラと外に出て部屋を確認する。しかし、ドア横に記されているのは、もちろん前回と変わらずシロの家と同じ文字列だった。
部屋を間違えた訳では無いをと確認したユウリは、ゴクリとつばを飲み込み、再び部屋に入っていく。
視界に収まるのは、変わらず空き家のように何もない部屋。
黒々とした血のりも、屋敷で見た光景を思い出させるようにしっかりと壁中にこびりついていた。
「はぁ、はぁ……!! シロのやつ、自傷行為したのか……!?
あの不安定さ、ありえなくはないけど……」
荒い息を吐くユウリは、中には誰もいないことを確認しながら、もっとよく部屋を観察するべく奥へと進む。
床と四方の壁に塗りたくられている血は、この壁本来の色が赤だったのかと思えるほどに大部分を占めていた。
よく確認するまでもなく、この部屋を染めている赤は血だ。
しかし、決してシロ1人から出るような量ではない。
部屋の中央で見回しているユウリは、どうしてこうなったのかと思考を巡らせる。
「たとえ塗り拡げたのだとしても、この量じゃシロがいないのはおかしい。だけどこれは確かに血だ。それも、出血したばかりの新鮮な……もし、屋敷以外に流血事件が起きていないんなら、これは、この血は、アオイが……?」
この血の出処がわからない以上、いくら考えてもそれは推測の域を出ない。
しかし、少なくともシロ以外の者の手が加わっていることは確実であり、犯人の最有力候補は血まみれで屋敷を飛び出してきたアオイだ。
シロと家具がなくなっている理由は皆目見当もつかないが、彼女の風ならば運び出すのも簡単だろう。
いつ、誰が、なぜ。
何一つはっきりわからない中でも、唯一わかること。いや、何一つわからないからこそ、唯一可能性が残っていること。
わざわざこの部屋に手を出したのなら、犯人はアオイかシロかの2択である。そして、これだけの血を用意できそうなのは、もうアオイしかいなかった。
「戻ってくると知っていて、こんなことをしたのか……!?
なんで……!? 俺を苦しめるためだけのような……!!」
屋敷の惨状を強制的に思い起こされたユウリは、震える手で頭を抱えながら後退りする。両親がズタズタにされた。
使用人達が肉塊にされた。自分の家が実質没落した。
さらには、飛び去ったアオイを探して逃げてきたシロの家では、その血を使われて残酷に景色を彩られた。
もう、彼の精神は限界だった。
「あぁぁぁぁあああ゛あ゛あ゛ぁ゛ッ……!!」
獣の生存本能に負けないだけの強い心を得ることで、人間は彼らと同じく、自然そのものの力を自在に操るようになる。
中でも、何かを恨んだ者はより強い神秘――呪いと呼ばれる力を得て、魔人と呼ばれるようになる。
名はまだ定めない。力の方向はまだ定めない。
だが、彼は確かに神秘に成る資格を得た。
「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛……ぅぅ、ぅぅっ……!!」
名もなき神秘は怒り、嘆く。胸の内にて増幅していく憎悪を叫ぶ。敵はこの事件の首謀者ではない。
敵は最もあの屋敷の惨状を生んだ可能性の高い、風の神秘。
少し前の彼が、焦がれていた少女だ。
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シロの家を出たユウリは、感情が死んだ状態ながらもまずは町民に聞き込みを行った。
目的はもちろん、アキレギア家で起きた惨劇以外にも、昨晩は流血事件が起こったのかどうかを知るためだ。
もしも起こっていたのなら、犯人はアオイではないかもしれない。屋敷での犯人はともかく、あれだけ彼を追い詰めるようなことをしたのは違うかもしれない。
屋敷でのことが違わないのなら意味はないが、今の彼にはもうそんなことを考える余裕はなかった。
少しでも楽になりたいのだとすがるように聞き込みを行い、そして彼は絶望する。
昨晩は他に流血事件は起きていなかった。
それどころか、一切の暴力事件が起きていなかった。
風が抑え込んでいたことで、誰一人不安による暴走を起こしていなかったというのだ。
「あの、ユウリ様……? 何かあったのですか……?」
「……屋敷に、衛兵を、呼んでくれ。俺は、犯人を……」
壊れ、狂い、暴走するユウリの狭まった視野には、もう少女のことしか映っていない。話を聞いた町民が、自分を案じて心配そうに問いかけてくれる中、彼は虚ろな目で後のことを頼んだ。
貴族であった過去を捨てるように。今までのすべてを失ってでも復讐するという、覚悟を示すように。
両親の遺体を置き去り、屋敷を置き去り、街を首都から送られてくるであろう人物に投げ捨てて。
彼は心に巣食った感情の赴くまま、呪いの衝動に従ってこの街アスセーナを旅立った。




