15-断罪の疾風
アオイがシロの家を飛び立つと同時に、故郷の友との念話も切れている。ユウリも協力者であるシロに保護されているため、もはや彼女を縛るものは何もなかった。
心躍るパーティの残り火をかき消すように、これから行う事柄へ向けて氷を研ぎ澄ますように。彼女は冷たい空気を吸い込み、街で一番大きな屋敷へと一直線に向かっていく。
鼻孔には、家庭から漏れ出す夕飯の香りの他、今晩も暴れている薬物中毒者や不安に駆られた者たちの起こす暴力事件によって流れた、微かな血の香りが満ちている。
「今晩だけは、あなた方に暴れさせはしませんよ。
どんな手を使ってでも、邪魔は入れさせません」
"アトマスフィア・コントロール"
夜空を切り裂くように飛ぶアオイは、川の流れのように背後へと消えていく街並みを見下ろしながら呟く。
同時に、懐から取り出した扇子を風の流れに沿って振るえば、その軌道から街中に風は広がり、大気は彼女の支配下になる。
暴れている人達の様子は目では見えない。
しかし、彼らが風を動かすことで大まかな動きは察知でき、大気を支配する彼女は的確に彼らを抑え込んでいく。
黒幕やその関係者は、暴れていないこと、感知の妨害をされていることなどから何も手出しできないが、普通の人であれば手のひらの上だ。
彼らは自分が何をされているのかもわからないまま、次々に拘束されて地に伏せていった。
「やはり黒幕は見つけられませんね……不安に駆られた人々がいるということは、黒幕も動いているはずなのですが」
街中の様子を探るアオイは、やはり黒幕が感知できないことに悔しがるように顔をしかめる。大気という、ない場所などないものを支配していながら、手がかりすらまったく掴めないのだから仕方がないだろう。
とはいえ、今晩の彼女には目指すべき場所があった。
黒幕が潜んでいる可能性が高いセファール商会と、密かに取り引きをしていた領主。
情報統制や薬物の流通など、この事件に大いに関わっていると思われる彼を断罪するために、その屋敷へ。
これで事件が終わらないにしても、最も規模の大きい拡散者がいなくなれば、少なくとも薬物は消えるはずだ。
数時間前に撮った証拠のコピーを懐に、彼女はアキレギア家の屋敷へと飛んでいく。
「警備が多かったのは、隠すべきものがあるからでしょうか? しかし現在、暴動以上の脅威などありません。
彼らには眠っていてもらいましょう……」
やがて屋敷の少し手前の空に辿り着いたアオイは、ふわふわと浮かびながら屋敷の様子を観察する。
眼下に広がるのは、夜になりさらに警備の増えた屋敷。
門、庭、廊下など、いたる所で呼吸や手足の動きから生じる揺らぎ、夜闇を照らす明かりなどが見られる屋敷だった。
この異常なほどの警備は、侵入者が普通の人間であればほぼ確実に侵入を防ぐ、もしくは侵入後に捕らえることができるだろう。
だが、現在屋敷へ侵入しようとしているアオイは、普通の人間ではなく神秘。それも、自由にどこへでも行けるような風の神秘である。
炎のような神秘であれば、目立つため侵入には向かないが、風は密かに侵入し目的を達成することができるはずだ。
少し前にとある宿屋へ侵入したことのあるアオイは、そのことをよくわかっていた。
迷いなく扇子を振るうと、この星に満ちている風を操って静かに彼らを眠りに誘う。
「……!!」
風は彼らの全身を拘束し、口を抑え込み、騒ぎになることを防ぎながらも酸素を断って意識を刈り取っていく。
門番、庭番、廊下の見回り。シャンヴル以外の者に襲いかかる風は、音もなく確実に彼らを沈めていった。
「警備はこれですべて。あとはシャンヴル様と、今回の取り引きや流通に関わっていると思われる執事などの事務職……」
バタバタと倒れていく警備を風で受け止めて寝かせながら、彼女はより人気のなくなった屋敷を見下ろす。
操った風で扉を開けるなど、いかにも怪しげな物音を立てたため、起きている者達も今頃異変に気がついているはずだ。
薬物に関わっている者にやましいところがあれば、きっと他とは違った動きを始めるだろう。
「……当たり、ですね」
それからわずか数分後。彼女の思惑通り、シャンヴルを含めた数人が同じ方向に向かって移動を始めた。
彼らはアオイがこの事件を探っていることを知っている。
既に商人に目をつけていることを知っている。
アオイ以外にだって、探りに来る人がいないとも限らない。
誰かが証拠でも探しに来た、とでも思っているのだろう。
実際に、倉庫で証拠を手に入れるまでは、アオイもその予定だったのだから、あながち間違ってもいない。
しかし、それがわかっているのならば、このようなわかりやすい行動は悪手だ。
それでも動くのは、やはり何が起きているのか見えない場所で怯えるのが辛いから……なのだろう。
衝動的に、恐怖のままに、本能のままに、彼らはアオイを薬物の元まで案内していく。
彼ら、そして彼らについていく彼女が辿り着いたのは、屋敷の中でも最も奥まった場所にある部屋。
明らかに重要な物が隠される場所でありながら、外から運び込むのが楽なように通路が近い部屋だ。
風に乗って後を追っていたアオイが室内に顔を覗かせると、そこではシャンヴル達が焦りながら話し合いを始めていた。
「お、お前達……何で全員が集まってしまうんだ。これじゃあ怪しんでくれと言っているようなものじゃないか……」
「シャ、シャンヴル様こそ……!! 貴方様が動かなければ、罪に問われるのは我々だけだったというのに……」
「罪を押し付けるようなこと、するはずがないだろう!?
この薬に手を出してしまったのは私だ。
すべては私の心の弱さが招いたことなのだから」
「しかし、結局は我らも使いました。貴方様と同じく不安に苛まれて。その上、この薬が不安を和らげるものなのだと、街にバラ撒いてしまったのも……」
中で話されていたのは、アオイの予想通り薬物に関する話。
取り引き現場の写真もあり、こうして薬物の前で密談をしている現場を押さえたのだ。
もうシャンヴル達は、完全なクロとして取り押さえることができる。しかし、この場にはもちろんセファール商会の人間はいない。
薬物をバラ撒いたのは彼ら……中でもシャンヴルの部下の一人らしいが、不安自体は別物で、彼ら自身も苛まれていたことだと言う。
今回の件を完全に解決するためには、やはりセファール商会に潜んでいる、もしくは関わりのある黒幕を抑えるしかなさそうだった。
何はともあれ、薬物に関してはこれで解決させることができることに変わりはない。入り口で様子を窺っていたアオイは、考えをまとめると部屋の中に姿を現していく。
「……こんばんは、シャンヴル様」
「アオイさん……!!」
「私が来ていたことは、わかっていたのでは?」
「い、いや……来たのかも、とは思ったが……」
「まぁ、どちらでもいいです。証拠は揃っています。
倉庫での取り引き、バラ撒いたという自白、この場の会合。
黒幕について、教えていただけませんか?」
わずかに目を見開いたシャンヴル達に対して、アオイは証拠のコピーを全員に見えるよう床にぶちまけた。
もし誰かが破棄しようとしても、これはコピーであり、風で回収することもできる。
そもそもオリジナルはこの国の王の元へと送ってあるため、もうすべてが手遅れ。彼らの失権は決定事項だ。
その上、さらに追い打ちのように写真を撮られ、彼らは抵抗する気を失ったようだった。
部下達は暗い表情でうなだれ、シャンヴルも覚悟を決めたような表情でゆっくりと口を開く。
「先日話したように、黒幕については本当に知らないんだ。
この街の不安は、ある日突然湧き上がってきたんだよ。
だけど、取り引き相手は当然知っている。リデーレという、セファール商会副会長の女性。彼女が取り引き相手だ」
「リデーレ……」
シャンヴルの話を聞いたアオイは、あの日出会った女性商人を思い出す。黒幕と思しき怪しげな人物を追った先にいた、黒ローブの人物は見ていないと証言しながらも、脈に変化があった女性を。
シャンヴルに嘘をついている様子はないし、そもそも嘘をつく理由もない。アオイがこれまで目にしてきたことからも、確かな情報だと言えた。
「それから、彼女達はもうこの街を離れることになるはずだと言っていた。君の能力でわかるかい?」
「そうですね。ほんの少し前に、この街を出ていく集団の気配を感じました。妨害もやめたのか、今なら神秘であることもわかります。逃げた……ということでしょうか」
シャンヴルがさらに付け足して正否を問うと、考え込んでいたアオイは街の外へ意識を向けながら頷く。
どうやら街を出るリデーレを補足し、彼女が神秘であることも感じ取れるようになったようだ。
「そうなのだろうね。利益は私のところで十分なはずだし」
「……では、私は黒幕を追いましょう。証拠は国王様の元へと送ってありますので、あなた方への断罪は済みました」
セファール商会がこの街にとどまる理由がないと知り、彼女は商会を追うことを決意する。黒幕と商会が別物でも、あの夜に庇ったのだから同行している可能性は高い。
まだ黒幕が残っている可能性もあるにはあるが、商会というつながり以外の手がかりはないのだ。その場合最善ではないとしても、商会を追った後、まだ暴動が続いていることを確認してからどうにかするしかなかった。
「処刑されるかどうかは国王様次第ということか」
「えぇ、それでは失礼します」
シャンヴルと加担した部下達の断罪を終えたアオイは、この場を去ろうと頭を下げる。念の為証拠は風で回収し、逃げたセファール商会に追いつくべく全力で風を……
「……キヒッ」
彼女が立ち去ろうとした瞬間、この部屋には妙に響く不気味な笑い声が、不快に染み込んだ。
ピタリと動きを止めたアオイが振り返ると、その目が映したのは三日月のように口を曲げたシャンヴルの姿。
「……」
瞳にいつかの夜のような暗い歪みが渦を巻いているアオイは、彼とは対照的に欠片も表情がなく無言のままだ。
しかし、胸中に何かしらの思いを秘めているらしい彼女は、彼に向かって一歩踏み出した。




