4-この世界の住人
「……」
『……』
蜜柑の木――すなわち、彼女自身を伐採するという話を聞き、彼女が思わずマシンガントークを繰り広げて十数分。
ジーッと蜜柑の木である自分を見上げている少女達に、彼女はなおも沈黙を貫いていた。
しかし、もちろん今更ただの木のフリをしているという訳では無い。話せるのであれば話したいが、初対面。
さらには妙にキラキラした目を向けられて、どうしていいかわからなくなっているだけである。
彼女は普通の木よろしく黙りこくっているが、内心焦りまくりであり、口には出さず直前のマシンガントークを繰り広げていた。
(ちょーっ!! なんでこの子達ジッと見上げてくんの!?
そんなに期待されてちゃ、喋れるもんも喋れないでしょうがーっ!! けど、多分精霊って神様みたいなもんだし、仕方がないのかも……。か、神様……つまりは神仏。あっははは!
一心不乱とは正にこのことね。神だけに……ってぇ、バカァ!!
少しは気ぃ逸しなさいよ、あんたら修行中の仏教徒かぁ!?
今にも南無阿弥陀仏なんて唱え始めそうだよっ!!
なんでだよっ、異世界だよっ!!)
彼女と少女達の我慢比べはいつまでも続く。
最早自分だけの世界に入り込んでしまった彼女に敵はなく、精霊なるものへの期待に心を弾ませる少女達に敵はない。
日は緩やかに天頂へと達し、頭上にある彼女の葉っぱが少女達に影を落とす。我慢比べが開始してから数時間……
それでも、誰一人音を上げることはなかった。
蜜柑の木である彼女に食事の必要はなく、精霊なるものへの期待に心を弾ませる少女達に空腹はない。
文字通り、一心不乱である。
睨み合いは終わらない。
さらに日は緩やかに動いていき、彼女の横から光を照らす。
少女達にかかっていた影は完全に流れてしまい、背後からじわじわと少女達を責め立てる。
それでも誰一人音を上げない……のだが。
実際には1人、いや一本。現実に戻ってきた木がいた。
この場に木はただ1人。もちろん彼女である。
(あわわわわ……この子達、無敵の人……!?
お昼ごはんいらないの!? 私は根から栄養吸ってる気がするけど、何!? この子達も木だった……!?
ってぇ、そんなわけあるかい!! 人だよ!! ノットウッドガール!! ナチュラルボーンヒューマンOK!?
この子達にここまでさせる精霊ってなんなのよ……!!)
もう完璧に自身の体を制御して見せる彼女だ。
動揺した程度で不自然な動きをしてしまうことはない。
未だに黙り込んだまま、微動だにしなかった。
しかし、内心は別である。
ただの木……ではないようだが、特別であろうと木である彼女とは違って、少女達はまだ幼い子ども。
それが何時間も微動だにせず自分を見上げ続けているのだ。
いくら自分の世界に入っていたとしても、流石に全く気にしないなどいうことはできなくなっていた。
(くぅぅ、ここまでされちゃあしょうがない!
子ども版の三顧の礼として、私も勇気を出すとするよ!
勇気を出すと……勇気を、出して……! うっうっう……ここまで放置して今更すぎるってぇ……!! どんな顔して話しかけりゃいいってのよ!? うわぁ、誰か助けてぇぇぇ……!!)
だが、彼女も伊達に人見知りをしてきた訳では無い。
その期間は前世の間中ずっとである。みせかけではなく中身もしっかり……どころか、もう芯から人見知りだ。
少女達に向けられる期待に長時間の放置も合わさって、話しかけようと思っても口が動いてくれなかった。
もっとも、最初から口はないのだが。
つまるところ、精神力不足である。
ようやく話しかけよう、話しかけようと思い始めた彼女だったが、結局はそのまま我慢比べは続くことになった。
話しかけようとしてからも、日は容赦なく動き続ける。
むしろ、現実に戻って焦っている分、彼女の体感時間的には先程よりも早く沈んでいると言ってもいい。
日はあっという間に地平線の彼方へ。
今にも沈みそうであり、既に夜の闇が手招きを始めていた。
それでも少女達は待ち続け、彼女は話しかけることができずにあわあわと無駄に考えを巡らせる。
効果的な案など必要なく、ただ話しかければ済む話なのだから、本当に無駄である。
しかし、こうして話しかけられないのが内弁慶であるということなのだから、仕方がないといえば仕方がないことだった。
(ふぅー……よーし、よし。話しかけるぞー……
話しかけるぞ……あ、あ、あー。これは心のじゅーんびー……)
腐っても鯛とはよく言ったものだが、実際に腐ってみれば価値はない。それが木ともなれば、シロアリの巣になってむしろ有害だ。
それが、彼女は実際に前世で死んでいて、それでもこの性質を残してしまうというのは正に鯛。本当に木に転生しているのだから、どこまでも有害な性質である。
そんな有害極まりない性質の彼女は、ほぼ一日をかけてようやく第一村人に声をかける覚悟を決める。
辺りは暗くなっているというのに景気づけに枝葉を揺らし、流石に怯えを見せ始めている少女達に、震える声で恐る恐る話しかけた。
『こ、こ、こんばんは……』
「きゃあ〜っ……!?」
「うわぁ〜っ……!?」
『ぎゃわ〜ッ……!?』
どうやら単純に帰るタイミングを失っていたらしい少女達は、彼女が声をかけると、甲高い悲鳴を上げながら飛び上がってお互いを抱きしめ合う。
もうほとんど夜になっている夕暮れ。
なぜか急に揺れ出す蜜柑の木。
さらにはどこからか聞こえてくる声だ。
いくらその声を待っていたとはいえ、半分諦めかけていたと思われる少女達には刺激が強かったのだろう。
彼女の声を聞いた2人は、逆に彼女が驚いて叫び返してしまう程に盛大な悲鳴を上げて固まってしまっていた。
『わぁ〜……あー……あれ?』
だが、急に話しかけられたのは少女達であり、彼女には本来驚くような理由はない。少女達の悲鳴にびっくりはしただろうが、それもいうなれば勢いにつられただけだ。
徐々に叫び声の声量を落としていくと、勢いで状況をど忘れでもしたのか、不思議そうに幹を傾げてみせた。
とりあえずは正気を取り戻したようである。
しかし、急に幹が折れ曲がる様子を見た少女達は、逆に恐怖を増してしまう。声量の上がった甲高い声は、だだっ広い草原にどこまでもどこまでも響き渡っていく。
「あぁ〜ッ……!?」
『ああ、あの、ごめんなさい。私、あなた達が言うところの精霊です。あんな目を向けられるとは思わなくて、勇気を振り絞るのに時間がかかっちゃいました』
「あー……え?」
少女達はすっかり恐慌状態に陥っており、逃げることもできず、助けを求めるように叫び続ける。
しかし、いち早く正気を取り戻した彼女が呼びかければ、段々と落ち着きを取り戻していった。
ただし、落ち着きを取り戻したのはガーベラと呼ばれた勝ち気な子だけであり、リアと呼ばれた臆病そうな子はまだガーベラに抱きついたまま叫んでいるが。
『ほんっとーにごめんなさい。悪い木じゃないの。し、信じてもらえたら嬉しいな〜……なんて、思って、みたり……』
「はぁ……はぁ……いいえ、こちらこそすみません。
わたし、こんな時間までお外にいたのは初めてで……
ほら、リア? さっきお話してくださった精霊様よ。
落ち着いて」
「あー……ぁぇ?」
とはいえ、それもガーベラが背中をさすりながら言い聞かせればすぐに落ち着く。臆病な子と強気な子がいれば、当然前者は後者に従うような立ち位置になるのだから、ガーベラが言えば一発だ。
あっという間にリアをなだめると、2人揃って礼儀正しく居住まいを正した。やはり精霊様というのは、人が崇めるような存在らしい。リアは黙ったまま、ガーベラから口火を切る。
「えっと、精霊様。騒いでしまってすみませんでした」
『いやいや、明らかに私の方が悪かったよ。ほんと、ビビらなきゃここまで時間かからなかったんだから……
それと、そんなに畏まられても話しにくいなー……なんて』
「わかりました。ふ通に……
えと、なんて呼んだらいいのかしら……?」
「あ……そ、そうだねー。蜜柑ちゃんとか?」
「ふふ、そのまんまね。わかったわ、蜜柑ちゃん」
『あは、ははは……』
(うわぁ……! この子、随分とコミュニケーションに慣れていらっしゃる! 普通、蜜柑の木なんかとこんなに話せるもんかなぁ? でも、すっごく話やすーい)
彼女――蜜柑が頼んでみると、ガーベラはすんなりと普段通り話すことを受け入れてくた。隣のリアはまだカチコチだが、さっきのように言い聞かせればいずれ受け入れるだろう。
ほんの少しだけ気圧された蜜柑だったが、尻込みするのはこれが最後といった感じで、自分もいつも通りに話し始める。
「うん、それで……あの、時間ってだいじょぶそ……?」
「あ、そう、ね……心配されていそうだし、流石に一度おいとまさせてもらおうかしら。ね、リア」
「へぁっ!? あ、ウン。ソレガイイト、オモウヨ?」
「まったくもう……蜜柑ちゃん、わたし達一度帰るわね」
精霊のことや領主のことなど、この世界について色々と聞こうとした蜜柑だったが、それを口に出す直前で今の時間を思い出す。
すぐさま確認すると、やはり門限は危なかったようだ。
ようやく話せた精霊のことで、頭がいっぱいになっていたらしいガーベラ達は、そういえばそうだった、とばかりに目を丸くして腰を上げた。
『うん、またね。ぜひまた明日!』
「ええ、また明日!」
村に向かって歩き出す彼女達……というよりガーベラは、蜜柑の言葉に可憐な笑顔を見せると、手を振りながら去っていく。
(……ふぅ、疲れた)
蜜柑と名乗ることにした転生者――精霊と思しき木は、不動であり激動の一日を終え、ようやく一息つい……
『うわぁ、夜めっちゃ暗いじゃん!?
誰か照明をください! ヘェルプ、ミーっ!!』
すっかり日が落ちきった夜闇の中には、ただ彼女の叫び声だけが響き渡っていた。