1-自由を求めて風は征く
「……あの馬車、魔獣に襲われてますね。珍しい」
もう段々と寒くなってきている10月上旬の夜更け。
みかんの収穫時期が迫ってきていた頃。
風を纏って空を飛んでいた和服の少女――アオイは、道の真ん中で止まっている馬車を見つけたことで動きを止めた。
その馬車を囲んでいるのは、覚悟を決めた表情で武器を構える人達と、さらに外から彼らを囲む多くの魔獣達だ。
魔獣は中々襲いかからないので、もしかしたら彼らを餌とみなしながらも、優勢なのは人側なのかもしれない。
そんなふうに思った彼女は、ひとまず地上とほとんど水平に飛んでいた体を空に立つような形で固定すると、馬車を囲んでいる人々を見下ろす。
だが、体勢を整えて見ればどちらが優勢かは明らかである。
魔獣達は一斉に襲いかかることなく、ぐるぐると回っていたのだが、たまに接近するとほぼ確実に手傷を負わせていた。
どうやら、中々襲いかからないのは狡猾な魔獣だったからのようだ。アオイは状況を理解すると、しばし考え込んだあと微妙そうな顔をして助けることを決める。
「あまり気は乗りませんが、急がなくてもあの子達は待っていてくれますし、彼らを助けてから帰りましょうか……」
ため息を付きながら少しずつ高度を落としていくアオイは、扇子を広げて風を強め、和服の裾をはためかせる。
武器を構える人達はまだ気がついていないようだが、魔獣は人と違って大自然に暮らす生物だ。
アオイの風という、自分達よりも遥かに強力な神秘を感じ取ると、すぐさま顔を上げて彼女を見上げていた。
それは多くが犬のような魔獣だが、中には猪やゴリラのようなものまでいる。
しかも、それで終わりという訳では無い。
高度を落としていくアオイが見据える木の陰には……
「気が付かないとでも思っているのですか?」
魔獣に襲われる人達の様子を楽しむように、万が一のことが起きても危険がないように、暗闇に隠れている獅子がいた。
それはアオイが風の斬撃を飛ばすと、素早く木陰を飛び出して彼女と向き合う。
他の魔獣と比べれば小柄だが、普通のライオンとは違って鱗があるそれは、間違いなくこの場で一番の強敵である。
「あの男、結局こんな厄介事を残して……!!」
その魔獣を呼び寄せた男に心当たりがあったアオイは、風を周囲に撒き散らしながら忌々しげに吐き捨てる。
同時に、辺り一帯に吹き荒ぶ風を操って、魔獣達の殲滅にかかった。
"アトマスフィア・コントロール"
アオイに支配されている大気は、魔獣達の体を縛り付けて身動きを封じる。空気は世界中に満ちているものなので、当然逃れることはできない。
唯一、鋼の肉体を持つ獅子だけは力尽くで拘束を解いているが、残りの魔獣はことごとく風に囚われていた。
「うわぁ!? いきなり魔獣の動きが止まったぞ!?」
「な、なんでだ!? けど、チャンスだよな……!?」
「よし、一斉に行くぞ……!!」
さっきまでぐるぐると回っていた魔獣がいきなり止まれば、鈍い彼らも流石に異変に気がつく。
苦しげに呻く魔獣達に向かって、武器を構えて接近していった。
しかし、今のところ風は魔獣達の動きをただ封じているだけで、止めを刺すのはこれからだ。
人が近寄ってしまっては巻き込んでしまう可能性があるので、アオイは仕方なく彼らの動きも拘束する。
それによって、この場で動くのはアオイともう一頭のみ。
「ガルァ!!」
この隙に姿をくらましていた獅子だったが、アオイが群れと人々に注意を向けている間に接近していたようだ。
それは身体能力のみで彼女めがけて飛び上がると、その強靭な腕を彼女に叩きつけていく。
しかし、辺り一帯の大気を支配しているアオイは、もちろんその動きも感知していた。ソファーに沈み込むように背後に倒れ込むと、扇子を煽って晒された腹部に風を炸裂させる。
「……ちゃんとあなたも感じてましたよ、さようなら」
至近距離から彼女の風を受けてしまえば、鋼のような肉体も形無しだ。獅子は空中で身動きができないまま、最大火力を受けて全身を引き裂かれていった。
同時に、アオイは顔の横まで持ち上げた扇子を閉じて、拘束していた魔獣達も一掃する。
それぞれ拘束の中心部めがけて風を圧縮することで、血を撒き散らすことなくそれらを肉塊にしていく。
「ギャー!? なんなんだよさっきから!?」
「まさか、風の精霊様の怒りでも買っちまったのか……!?」
「いるかわかんねぇもんにビビってんじゃねぇよ!?
きっと、きっと……!!」
「あの、大丈夫ですか?」
「っ……!?」
目の前の魔獣達が、血を撒き散らすこともなくいきなり肉塊になっていく様子を見ると、襲われていた人々は武器を落としながら騒ぎ始める。
自分達は何もしていないのに、いきなり捕食者だったものが皆殺しにされたのだ。混乱するのも当然だろう。
だが、空から降りてきたアオイが声をかけると、途端に安心したように表情を緩めた。
「あ、ああ……!! 貴方様が我らをお助けくださったのですか!? ありがとうございます、ありがとうございます!!」
「これほどまでに圧倒的な風を操るとは……
まさか、聖人様なのでしょうか!?」
「……まぁ、そんな感じです」
彼らの混乱がすぐに収まり、安心したのは、アオイが人間……普通の少女の姿をしていたからだろう。
聖人という、この星に満ちた神代の神秘そのものに成った、神のような存在が助けてくれたと勘違いしたのだ。
普通の人間では、才能にもよるだろうが弱い風を起こす程度しかできない。だというのに、彼女は魔獣を瞬く間に殲滅したのだから、ありがたがられて当然だった。
実際は聖人ではなく魔人なのだとしても、神秘ではない彼らにはその違いがわからない。アオイもわざわざ正直に教えることもなく、自分の聞きたかったことを聞き始める。
「ところで、あなた方はなぜこんな時間に移動を?
暗闇の中を進むのは危険ですし、騎士団の駆除が終わっていなかったのなら、襲われることも予想できたはずです」
彼女の疑問を受けた旅人達は、微妙な表情でお互いに顔を見合わせる。焦りの類はなく、単純に困っているようなので、後ろめたい事があるというよりは答え方を迷っているのだろう。
アオイが首を傾げながら待っていると、少しして彼らの代表が前に出て事情を説明し始めた。
「実は……」
「住人の、暴走……」
旅人達に話を聞いた数分後。
風を纏って空を飛んでいるアオイは、旅を終えて帰郷するという予定を変更して、アスセーナという街へ向かっていた。
理由は単純。さっき旅人達に聞いた話が、明らかに人知を超えた、おかしな噂話だったからである。
その彼女が聞いた噂話とは、アスセーナという街でいきなり人々が暴れ出すというようなもの。
嫉妬、不安、孤独、欲望、恨み。
このような負の感情が制御できず、暴れ出す人々がいるというものだった。
もちろん、暴れるのは一部の人間だけだ。実際には見たことがないような人もいるだろう。故に、おかしな噂。
しかし、それが事実であるのならば不自然な事件である。
強い負の感情によって神秘に成った、魔人が引き起こしている事件という可能性が大いにあった。
そのため彼女は、噂話を放置することができずに街へ向かうことにしたのだ。とはいえ、帰郷する予定を変更するのだから、連絡はしなくてはならない。
彼女は自分と繋がっている精霊に意識を集中させると、空を飛びながら虚空に向かって話しかける。
「……蜜柑ちゃん、聞こえますか?」
『はいはーい、もう着くの?』
「いいえ。少し用事ができてしまいました。
帰るのはもうしばらく後になりそうです」
『そっかー……うん、わかったよ。気をつけてね!』
「はい、何かあればまた連絡します」
『うん……またね』
「……はぁ。ままならないものですね、せっかく自由になったというのに、結局私は……」
故郷で待っている大切な人の一人……蜜柑とのテレパシーを終えたアオイは、悲しげに呟く。
自由とはなんだろうか? 彼女は一人旅に出てから、ずっとそんなようなことを考え続けていた。
今の自分のように、どこにでも行けること?
かつての自分のように、役割に縛られていないこと?
だが、現在の彼女は大切な人達と離れているため、彼女達に自由に会うことはできない。役割に縛られていた頃は、大切な人達に自由に会うことができた。
どちらも自由で、どちらも不自由。
結局答えはこうなるのだろう。
自由にどこへでもいけるはずの彼女は、商人達に聞いた話から自ら不自由を選択すると、奇妙な噂の立つ街――アスセーナへと向かっていった。




