29-強き恨みは神秘へと
『……して……の……を……じ……か……を……』
――なんの、音……?
エンのお陰で蜜柑が覚醒し、それに触発されたウィステリアもまた神秘と成っていた頃。
レーテーの水球の中ですべてを忘却していたアオイは、彼と同じように影響を受けてわずかに意識を取り戻していた。
とはいえ、彼女は未だ忘却の中である。
途切れ途切れに意識が浮かび上がるだけで、目を開けなければ指も動かせず、風の加護を使うなど夢のまた夢だ。
それでも、蜜柑はエリスと対面しながらも彼女に呼びかけを続けていた。彼女の過去や願いを呼び覚ますように延々と。
――誰かの、声……蜜柑、さんの……
すると、そんな彼女の努力が実ったのか、レーテーが霧を撒き散らす頭上ではアオイがわずかに目を開ける。
外から見てもほとんど変化はない。
だが、たしかに彼女は薄っすらとした意識を取り戻していき、蜜柑の呼びかけをその耳に捉えた。
『思い出して!! あなたの願いを!!
この世界を自由に旅する、絶え間ない風を!!』
「私を、解放して……風を、吹かせて……」
"自由を望む風"
直後、ほぼ無意識ながらもアオイの周囲には風が吹き荒び、レーテーの水球を弾き飛ばしていく。
瞳にはいつになく暗い歪みが渦を巻き、全身にはどこまでも飛んでいけそうな疾風が纏わりついている。
もちろん背中には蜜柑やガーベラ達と同じく羽が生えており、濡れていながらも純白の輝きを放つ彼女の姿は、まさに天使のようだった。
「……!? お主、どうやって逃れたのじゃ……!?」
「あなた、誰ですか……?」
「っ……!!」
突然水球から抜け出して、屋根の上を飛び始めるアオイに、地上で霧を生み出していたレーテーは目をまん丸にして問いかける。
だが、まだ忘却が抜けきっていない様子のアオイが質問に答えることはなく、問答無用で扇子を振って風を放出した。
"神立風"
無意識でやっているのか、その風はレーテーの出していた霧を消し飛ばすように村中が範囲だ。一瞬のうちに、村全体を囲む砦として包み込んでいった。
そして、当然レーテーもその中にいるため、中にいるだけで彼の老体は追い詰められていく。屋根が剥がれ、壁が崩れ、道がひび割れていく中、彼は口の周りを囲うことでどうにか正常に呼吸をする。
「くっ、無茶苦茶しおる……!!」
「思い出しました……あなたは私の記憶を消して、私の友達を傷つける裏工作をしている」
「ホッホッホ……心配せずとも、流石にわしはもう帰るとも。どうやら作戦は意味がなかったようじゃしのぅ」
「逃がすとでも? 傷つけようとしたのですから、それ相応の報いを受けてもらいます」
「実際には傷ついてはおらんはずなんじゃが……」
村に被害を出しながらも忘却を逃れたアオイは、歪みが渦巻く瞳で彼を睨みつける。どうやらかなりの暴走状態らしく、彼が大人しく帰ることは認めない。
作戦は意味がなかったということなので、おそらくは本当に彼のしたことはガーベラ達を傷つける結果にはなっていないはずだ。
それでも、その意思を持った時点で有罪とばかりに容赦なく、戸惑う彼に対して全力をぶつけ始めた。
"アトマスフィア・コントロール"
「ぐッ……!!」
「余所者、男の娘、貴族の娘。この村において、私達は他の子とは違っていた。ウィル以外は何かされた訳ではないけれど、そこにはたしかに壁があって、馴染めなかった。
だから、私達は異端者として結びついた。
幼馴染みということ以上に、唯一心を許せる友として……
……私は、あの子達を信じてる。何があっても、守る。
みんなを傷つけるあなたを、私は決して許さない……!!」
アオイが辺り一帯の大気を支配したことで、レーテーの周囲からは次第に酸素がなくなっていく。もはやただ単に強風で息がしにくいというレベルの話ではない。
口の周りを風からかばっても意味はなく、霧は強制的にかき消され、その体すらも空間支配により歪んできていた。
大気にねじられ、押し潰されているレーテーも、これには息も絶え絶えに悲鳴を上げる。
「傷、つけて……おらんと、言う……とろうに……!!」
「死になさい、窒息で、ねじ切れて、押し潰れて。
惨たらしく死になさい。私が得た自由を奪うな……!!」
「ホッホ……無理な、相談……じゃ……」
「答えは聞いていない」
"ブレイクスルー"
話が通じないアオイに対してなおも訴えるレーテーだったが、当然彼女は完全に無視だ。大気に押さえつけられて動けない彼に向かっていくと、突き出した手に纏う風で彼の全身を揺るがし、骨身を砕いていく。
屋根からレーテーのいる地上へと飛んだアオイは、目の前に立ってから腹部に向かって手を突き出したため、レーテーは横に吹き飛び建物を突き破っていった。
「ゴフッ……!! 空気が、乱れたのぅ……!! はぁ、はぁ……
痛みは……忘却するのみよ。今のうちに、わしは帰るぞ……!!」
だが、老体とはいえ流石はアオイと同じ魔人だ。
骨が砕かれながらも、それを忘れることで無理やり受け身を取って姿をくらましていく。
「ちなみに、私は作戦開始前に村の皆さんを避難させています。エンさんの防壁がある以上、村の中にはいますが、場所を把握している私は多少無茶してもいい」
"鳳爆雨"
しかし、アオイは一切取り乱すことがない。
空高く飛ぶと、上空からレーテーを探しながら一方的な爆撃を開始する。
彼女が生み出したのは、鷹とは違った何十もの風の鳥。
豪奢な羽を持つそれらは、雨のように降り注ぐと地上に激突するごとに炸裂して村を破壊していく。
直撃した家屋は無惨にもズタズタになり、道もひび割れるどころではなく、巨大なクレーターを作って目も当てられない。
この中を逃げていたレーテーも、もちろん何発もの直撃を受けて血まみれで倒れていた。
「……!!」
「神秘は丈夫……確実に息の根を止めなければ」
白い法衣を血で濡らして倒れ伏すレーテーに、アオイはなおも容赦なくその手を向ける。大気を操って、その老いた体を押し潰し、ねじ切り、捻り潰していく。
皮は紙切れを破るように引き裂かれ、中からはブチブチと音を鳴らして千切れる筋肉や、ゴキゴキと砕けていく骨が顔をのぞかせる。
この場にはおびただしい量の血が流れるが、アオイは大気を支配しているためそれを一点にまとめることでグロさを軽減していた。
「うっ……!! 流石に、力の反動が……!!」
レーテーを始末したアオイは、武器として使っていた扇子を懐にしまいながら頭を抑える。どうやら力が強すぎて、そう長いこと使うこともできないようだ。
彼女の目は赤く充血し、その端からは風に舞う血涙が流れ出していた。とはいえ、戦闘はもう終了している。
痛みを緩和するように風で処置すると、何事もなかったかのように空へ羽ばたいていく。
「商会の人達は、どうやら暴走しているようですね……
忘却ではなく、豹変……何か薬でも使ったのでしょうか?
というか、元に戻せるんですかね、あれ……
ひとまずは制圧しておきますが……」
彼女が目指すのは、村の周りを封鎖している鬼哭衆へ襲いかかっている、異形となった商会の男達のもと。
そして、その先にいる蜜柑達のもとだ。
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アオイが村の外へ向けて飛び立った数分後。
彼女が作った爆心地の真っ只中では、骨を砕かれて寝かされるレーテーと、彼を助け出したプセウドスがいた。
「ふぅ……エンのせいでとんでもない目に遭いました。
とりあえず、私が間に合ってよかったですね、レーテー」
「ホッ……ホッ……ホ……本気で、死にかけたわい……
油断、せずに……閉じ込めておった、んじゃがのぅ……」
蜜柑に殺されかけて、エリスに助け出されたプセウドスは、すべての元凶であるエンに毒づく。
レーテーにはそのような余裕はないが、彼も理不尽な出来事には随分と参ってしまっているようだった。血を吐きながら、虚ろな目で空を見上げて悔しそうに呟いている。
「どちらにせよ、母が来たからには私達は用済みです。
速やかに撤退しましょう。あの精霊が必要であれば、きっと捕らえてくるでしょうから」
「わしは、しばらく……動けんぞ……?」
「ふむ、少し気が動転しているようだ。
そんなもの偽装しますよ」
"オールレディ・プセウドス"
倒れたまま弱音を吐くレーテーに、プセウドスはわずかに顔をしかめながら能力を使う。すると、レーテーの血は一瞬で消え去り、すぐに彼はいそいそと立ち上がり始めた。
「ホッホッホ、ありがたいことじゃ」
「ですが、これはただの偽装ですからね。
帰ったらちゃんと治してください」
「わかっておるよ」
レーテーが何もかもを忘れたように笑って撤退を始めると、呆れた様子のプセウドスが釘を刺す。
ひとまずはケガをなくした彼らは、軽く受け流すレーテーを先頭にマンダリンを去っていった。




