27-四人目
"マッドフラッド"
全神経を研ぎ澄まして構える蜜柑とエンに対して、空を飛び続けているエリスが放ったのは、地上のすべてを塗り替えるような泥の洪水だった。
シュウシュウと不気味な音を立てながら丘を流れ落ちていくそれは、明らかに毒と同じように触れてはいけないもの。
荒海のような飛沫を上げながら、すべてを飲み込もうと口を開けている波に、エンは隣に立つ蜜柑に叫ぶ。
「飛べ、蜜柑ッ……!!」
『エンは!?』
「俺様は……」
"サモン・サーラメーヤ"
「これよ!!」
エリスの攻撃を見てすぐに蜜柑を空へ逃したエンは、彼女の心配する声に胸を張りながら、自信たっぷりに能力を使う。
すると、少し離れたところから猛スピードでやってきたのは、戦車を引いてくる2つの頭を持つ犬――サーラメーヤだ。
それは泥の波に飲み込まれるギリギリのところを走ってくると、少しもスピードを落とすことなく、彼の前を駆け抜けていく。
だが、エンがそれに乗り損ねることはない。
いつもどんな乗り方をしているのか、彼は装飾品を鳴らしながら、まるで危なげなく戦車の上に着地した。
『すご……!! でも、それもすぐ飲み込まれるよ!?』
「クククッ、お前に問おう!! ここはどこだ!?」
『え……? ガーベラ達の村‥』
「そう、地獄だ!!」
『うん、やっぱり答え聞く気なかったね?』
「地獄に泥責めがあんのかぁ!? ねぇよなぁ!?
地獄道・エン!! その真髄を見せてやらぁ!!」
曲芸のような着地芸を披露したエンだが、彼がいるのは未だ地上だ。村は彼の防壁で囲まれているため安全でも、ただ速いだけの彼が逃れることはできないだろう。
しかし、やはり一方的に話しているエンは、彼女の心配に問いを投げつけると、答えを無視して声高に叫ぶ。
"リードウェイ・ヤマラージャ"
直後、彼とサーラメーヤ、戦車を包んだのは真っ黒い流星のような光だった。その禍々しい光は、泥を無視して突き進んでいくと、みるみる泥を吹き飛ばしていく。
「さぁ、さぁ!! 崩れろヤマプリー!!
そしてこの地獄に来い、忌まわしき魔獣共!!」
さらには、村の数キロ先を囲っている岩壁が次々に崩れていき、遠くから魔獣の咆哮が轟き始める。
もちろん村の周囲にある岩壁は無事だ。
最初にあった数キロ先の岩壁だけが崩れ落ち、この場には数え切れない程の魔獣が押し寄せてきた。
『え、えぇ……!? 何、あの子達に相手させるの!?
普通にどんどん飲み込まれていってるけど!?』
「そう、死だ!! 死んだのなら俺様の領分よ!!」
"ヤマ・ピトリローカ"
エンが駆け回る丘――つまりは地獄に誘われてきた魔獣達は、サーラメーヤと同じように猛スピードでやってきて、丘から流れてくる泥を被ってみるみる溶け死んでいく。
まるで死ぬためにやってきただけのようで、人より生存本能の強いはずの彼らにはありえないような行動だ。
しかし、エンの創る地獄の魅力は本能よりも強いのか、彼らは躊躇うことなく次々に死んでいった。
だが、ヤマ・ピトリローカ内にいるためか、体が死んだあとも彼らは霊体としてこの場にとどまっている。
さらには、その死に呼応するように、崩れた岩壁内にはまたしても不気味な光が満ち始めていた。
「ハッハァ、心配すんな!! 死後の面倒は俺様が見てやるさ、好きに生きな!! ただし、悪は奴隷だがなぁ……?」
『うっわ悪い顔……』
「なっはっは!! さぁ、ここは祖霊の世界。
死後の審判の時間だぜ!?」
"閻魔の審判"
エンの悪人顔にドン引きする蜜柑だったが、エンは気にするどころか嬉しそうに笑い飛ばす。
そして、右手の錫杖を戦車の屋根に打ち付けると、死んだ魔獣達の審判を始めた。
「てめぇら魔獣は、人を食らう。もちろんそれは生きるためだろうさ。だが、俺様は人で、俺様の仲間を食らったことを許してもねぇ!! 独断と偏見により、有罪だ!!」
爆走するサーラメーヤが引く戦車の上でエンが判決を下すと、遠くで溶け死んでいた魔獣達に黒いモヤのようなものが飛ぶ。
モヤは雲のようにほわほわと流れていき、彼らの首に首輪のように巻き付いた。すると、魔獣達はさっきまでよりもはっきりとした姿になり、モヤも黒光りする首輪になる。
"ヤマキターブ"
「契約は成立したぞ!! 俺様のために働け、魔獣共!!」
いつの間にか左手に一冊のノートを持っていた彼は、それに悪と断じた魔獣をの記録を浮かび上がらせ、縛りを与える。
そのノートに記されてしまえば、もう逃げることはできない。
霊体から実体になった魔獣達は、逆らうこともできずに雄叫びを上げてエリスに襲いかかっていく。
もちろん、荒れる泥の海に簡単にあしらわれているが。
「死者を冒涜する。それだから俺はお前が嫌いなんだ……!!
プセウドス、無事かい? 僕の泥を被ってなければいいんだけれど……」
エンが魔獣達を従わせるのを見たエリスは、いつの間に助けていたのか、その細い腕でプセウドスを抱き上げながら声を荒げる。
だが、彼らを無視してプセウドスの救出を行っていたらしいエリスなので、すぐに彼らから興味を失ったようだ。
スッと冷静になると、慈母のような表情で腕の中の彼に声をかけた。
「いえ、問題ありません。母さんに助け出されましたし、私はあなたの子として、ある程度の耐性があります」
エリスが創った足場に降ろされるプセウドスは、その心配を和らげるように断言した。実際、わずかに肌にかかった泥は、あまり彼を溶かしてはいないようだ。
その様子を見ると、エリスも安心したように頬を緩める。
魔獣の軍団を従えているエンや、さっきプセウドスを倒しかけた蜜柑はまったく意に介していない。
「余裕ぶってんじゃねぇぞ!? エリス!! お前が俺様を嫌う理由は知ってるぜ? ここが祖霊の世界であること、かつての仲間を裁かれることを恐れているからだ!!」
「……」
無視を続けるエリスに、自分は準備を終えたからと腹が立ってきたらしいエンは怒鳴りつける。
彼の言葉を聞いたエリスは、死んだような無表情だ。
「おい、俺様を守れ蜜柑!!」
『はい?』
"ダウンバースト"
ジッと無表情でエン達を見ていたエリス。
だが、実際はかなり激怒していたらしく、エンが蜜柑に自分を守れと頼むと同時に、この場にはこの世のものとは思えないような暴風が吹き荒れた。
空から地上を抉るように吹き下ろされる爆発的気流。
それはエン達を叩き潰そうとするだけでなく、地表衝突後にも破壊的気流で泥をみるみる吹き飛ばしていく。
『ッ……!!』
「ガフッ……!! 守れって、の……!!」
『挑発、する前に……言えーッ!!』
"インストール・ラファエル"
一瞬で戦車ごと風に押し潰されたエンは、血を吐き骨身を軋ませながらも蜜柑に文句をつける。わざわざ挑発したのは自分だというのに、酷い言い草だ。
同じく潰されている蜜柑だったが、彼の文句のお陰か、彼に怒りをぶつけながらなんとか風で対抗し始めた。
『っとに……!! ちょっと自分勝手すぎない!?』
「よくやった!! 褒めてやる、しばらく耐えろ」
『ぐっ、この人はぁ……!!』
「さぁ、さぁ、さぁ!! お前が思い焦がれる仲間に合わせてやるぜぇ!? エリス!! ショーの始まりだ!!」
風のドームに包まれたことで、蜜柑とエンは爆発的気流から逃れられる。体勢を立て直した蜜柑はすぐさまエンに苦言を呈するが、彼は褒めつつも傲慢に命令すると、エリスにいたぶるような笑みを向けた。
「ここは祖霊の世界!! お前という媒体がいれば、大昔に死んだ勇士の魂もこの場に呼び出せる!! 蜜柑守れッ!!」
『まったく……!!』
"モルテ・ラメール"
"インストール・ガブリエル"
懲りずに挑発するような言動をするエンに、エリスは彼らを沈み込ませるように海を生み出す。村は防壁で守られているも、その外は水深10メートル近い大海の底に沈む。
エンが暴れさせている魔獣達は肉体があってないようなものなので、泥の毒を気にせず、風を耐えて空のエリスに襲いかかっていたのだが、これには堪らず悲鳴を上げた。
泥では底に降りてから飛び上がるなどしていたが、プカプカ浮かばされる彼らは眠るように目を閉じてしまう。
だが、蜜柑とエンは無事だった。
気流の時は風で作っていたドームを、今度は水で作ることでその死を浄化していく。
「ハッハァ、上出来だ!! んじゃあ、出てこい勇士共!!」
"チェインサモン"
水球の中で笑うエンは、先程から何度もしてきたように錫杖を地面に打ち付ける。すると、彼の周囲にぼんやりと浮かび上がってきたのは数人の人影。
勇者風の男、弓兵らしき少年、重戦士のような大男、術師風の女だ。エンに呼び出された彼らは、死人らしく青白い顔で彼を見つめ始める。
「裁きの時だ!! 俺様はお前達よりも後の世代だが、大まかな歴史は知っている!! 人を守ろうとし、獣に負けた!!
では、人類を守るという役割を全うできなかったお前達は、有罪だろうか、無罪だろうか!?
……俺様はお前達の在り方が好きだ。悪とは思わない。だが、お前達自身はそれを受け入れるのか、自らで決めるがいい」
『……私は、自分自身を罪人だと認識している。
君の言葉に従おう。君達は……君達も、か……』
「よかろう、ならば従属だ!! エリス……エリーゼと戦え!!」
『……君には大変な重荷を背負わせてしまったのに、さらにこんなことになってしまって……すまない、エリーゼ』
閻魔の審判を受けた彼らは、自らを罪人として受け入れる。
勇者風の騎士は迷わず従属に同意し、彼の仲間達もみな一様に首を縦に振った。
そして、エンの命令に表情を歪めながらも、水のドームを突き破ってエリスに向かっていく。
「……こんばんは、みんな」
『ああ、こんばんは。……すまない、君をこんなにも苦しめてしまって。もう、私達のことは忘れてくれていいから……!!』
「……」
彼らを空中で待ち構えるエリスは、挨拶の言葉を口にしながらも変わらず無表情だった。挨拶を返された瞬間だけは淑やかな笑みを浮かべるが、それもすぐに消え去って、口から血を流しながら彼らを吹き飛ばしていく。
「……ははは、俺様が呼ぶのは罪人だ。それ以外も呼べなくはねぇが……その場ですぐに呼べるのは、な。
また会えるだけ、いいだろうが……エリス」
『エン、大丈夫?』
珍しくどこか寂しそうに呟いていたエンに、蜜柑は気遣わしげに声をかける。
彼も別れを経験しているらしいこと、その仲間は呼べないであろうこと、さっきの人達を従属させたくはなかったらしいことなど、明らかに普段とは違う雰囲気だ。
だが、やはりエンはエンで、すぐに豪快な笑みを浮かべると逆に蜜柑を怒鳴り始めた。
「あぁん!? お前は自分の心配をしてな!!
一応言っとくがよぉ、俺様はあいつに勝てねぇぜ?
ありゃ俺様からしても格上だ。だから、な……?
興味あるなぁ、お前の加護ってやつ。
プセウドスのお陰で覚醒してんだろ? 寄越せや、その力」
『そのための時間稼ぎが、彼らなんだね……いいよ。
あなたには感謝してる。みんなと同じように……』
悪い顔をしているエンが要求すると、蜜柑はさっきまでの行動の意味を察してうなずく。
簡単にあしらわれる魔獣を差し向けたのも、仮面を被ったような表情のエリスに吹き飛ばされていく、かつての仲間だという勇士を呼んだのも、すべては対抗する力を得るため。
すぐさま両腕を広げた蜜柑は、自分の本体であるみかんの木とは別の、確固たる意志がある現在の力を込めた木を生やしていった。
"友を護る神秘の樹"
彼女の目の前に生えてきた木は、本体であるみかんの木よりもかなり小さな木。
人型になった蜜柑より頭一つ分ほど下にある、みかんとは別の……りんごに近い果実が生った木だった。
『はい、どうぞ』
「おう、サンキュー」
蜜柑はその木から果実を一つもぐと、わくわくと木を見つめていたエンに手渡す。それを受け取る彼は、お礼もそこそこにすぐさま果実にかじりついた。
「なっはっは!! んじゃあ、第二ラウンドと行こうか!!
こっからが本当の殺し合いだぜ!!」
「……」
蜜柑の果実を食べたことで凄まじい力を放つエンは、かつての仲間を気絶させて抱きしめるエリスを見上げながら宣言する。
そんな彼を見下ろすエリスは、1人黒く変色した羽を羽ばたかせながら、不気味に凪いだ目を向けていた。
文字数制限作ったせいで詰め込みすぎた感が……




