蜜柑の対策7 混章-眷属の名
荒れ狂う嵐となったアオイを抑え込むユウリは、彼女が仲間を傷付けないように戦場から引き離す。
戦場は大陸の南西。
邪悪の樹や岩以外は何1つない、既に死んだ大地だ。
そのため、向かう方向は自ずと北東に近い方面になる。
蜜柑達から引き離す、ただそのために。
彼は破壊した岩や風などの粒子で嵐を包み、仲間達以外にも余計な被害を出さないようにしながら移動していく。
すると、やがて目の前に見てきたのは2人の人影。
1人は、黒いキャソックを着ている怪しげな神父。
もう1人は、白髪・白髭で、白い法衣のようなものを着ている、いかにも仙人といった風貌の老人だった。
「あんたらか、蜜柑が言ってた心当たりってのは!?」
ユウリは粒子の中の、さらに奥にある嵐の中央にいる。
外の光景など、まともに見えはしない。
だが、目の前に立っていた2人は神秘であるため、彼らが放つオーラによって神秘がいることは確認可能だった。
そのため、粒子に包まれた嵐を人影の手前で止めると、余裕のない声で問いかけていく。
眼下に佇んでいる2人……神父のプセウドスと老人のレーテーは、風で髪を逆立てながら胡散臭く笑いかける。
「えぇ、その通りですよ。誰かしらがこうなる可能性を考慮して、ここに待機していました」
「じゃあやってくれ!! 責任は俺が取る!!」
「……ふふ、自分からですか。後悔なさらぬように」
プセウドスは見るからに胡散臭いのだが、蜜柑の言っていた心当たりが彼なのだから、他に選択肢はない。
ユウリは嵐の中で叫んで鎮静化を要請し、それを受けた神父は満足そうに笑いかけて手を掲げる。
"オールレディ・プセウドス"
瞬間、世界は認識を上書きされる。
嵐となっていたアオイは嵐ではなくなり、狂気に飲まれていた少女は飲まれていないのだと偽装されて正常に。
悲しみは嘘、恨みは嘘、怒りは嘘。
少女の中からは、ウィステリアが死んどことやガーベラが狂い眠りについたことまで偽りとなって消えた。
しかし、それらは彼女という神秘にとって核となる部分だ。
無くなっていいものではなく、無くなって何も気が付かないはずもない。
すっかり暴走が収まり、ただの魔人に戻った彼女だったが、見覚えのある敵の姿を目にして敵意や違和感を覚えたのか、目をぐるぐると回しながら壊れていく。
「お前、は……!! はぁ、はぁ……神父、プセウドス、嘘つき。
エリスの子ども、クリフォトの関係者、許さな、い……!!」
「その記憶や感情も、いりません」
「うっ……」
「おい、暴走はもう止まっただろ!?
それ以上はもう何もするな!!」
壊れゆくアオイに、プセウドスはさらに偽装を施す。
自身やレーテーと争った記憶は嘘、クリフォトとエリスの関係は嘘、自分達への怒りや恨みも嘘。
少女の中からは、クリフォトやエリスと関係のあることは、蜜柑達の記憶ごとすべてが偽りとなって消えた。
ユウリが止めようとしても、まるで意味はない。
見ないものもある程度破壊できる彼ではあるが、プセウドスは偽装するとは言っていないので、何を破壊すれば止められるのかわからないのだ。
今まさにアオイが苦しんでいることもあって、できることはふらつく彼女をなんとか支えるくらいである。
「私、は……有能であらなければ。外から来た私達を受け入れてくれた、村の役に立つために……不自由、に……?」
「ふふ、嘘は目を逸らすが、その場には残り続ける。
苦しいのなら、忘れましょう。レーテー」
「ホッホッホ。わしのことかの?
よかろう、物忘れを彼女にも与えよう」
プセウドスに呼びかけられたレーテーは、自らの名前も忘れている様子ではあるが、染み付いた動きで霧を生む。
それは以前、アオイから一時的に様々な記憶をど忘れさせた忘却の霧。だが今回は、恒久的にすべてを忘れさせる霧だ。
"アスタラビスタ・レーテー"
偽装されたことを、少女は忘れる。
さらに忘れたことも、そんなことはなかったと偽装される。
偽装はさらに忘却され、忘却はさらに偽装され。
何重にも偽装と忘却を施され続けたアオイは、ついには何も言葉を発さず、ピクリとも動かない操り人形のような状態になってしまった。
何もできず、ただ愛する少女が人形のようにされることを見ているしかなかったユウリの心情は、想像に難くない。
今にも彼らを殺しかねないような表情で言葉を絞り出す。
「お前達は、なんでここまで……!!」
「暴走を止めてあげたのですよ。生半可なことで彼女が止められるとでも思っていたのですか? ここまでしていても、放置していればいずれ勝手に封印は解けますよ」
「っ……!!」
「それに、私達の母に会えばちゃんと人間に戻ります。
私達と同じように、名前を与えられればね……」
「おい、それって……!!」
「このままただ封印されているだけの危ういモノになるか、自我を得て封印から意識を逸らすか、どちらがお好みで?」
「ッ……!!」
殺意をむき出しにするユウリだったが、彼の言葉を否定することはできず、苦悩にまみれた表情で口をつぐむ。
名前を……別の方向性を与えられるというのは、アオイという存在を書き換えるということとそう変わりはない。
それでも……封印が解ける恐れが高く、その間も人形でしかない状態でいるか、封印を解く以外の方向性を得て、本格的に操り人形になってでも確実に封じ続けるか。
助けると決めた時点で、彼に選べる道は残っていなかった。
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蜜柑の樹から離れたエンは、治療のためにフォミュルへ戻ると言うドルチェを見送ってから、目的地を決める。
タルトとグプトの亡骸は彼女が連れて行ったので、この場に残るのは心神喪失状態になっているジエンだけ。
もちろん、基本的に仲が良いとは言えず、普段なら気にせず放置していたのだろうが……
蜜柑を見送ったばかりのエンなので、彼の状態を改善するべくユウリの後を追ってきていた。
結果、訪れたのは戦場だった荒野のやや東にある沼地。
エリスやプセウドス、レーテーを前にした彼は、隣に立っているユウリに信じられないものを見るような目で問う。
「おう、ユウリ。まさかエリスに頼んでるとは思わなかったぜ。蜜柑の心当たりって聞いてたが、正気とは思えねぇ」
「俺だって、ここまで尊厳破壊されるとは思ってなかった。
でも、殺さずに済む方法がこれだけなら、俺は見届ける。
もし彼女が戻った時に責められたら、ちゃんと贖うさ」
生き残った数少ない同胞に指定されたユウリだったが、彼は苦しげながら、覚悟を決めたような表情で宣言する。
蜜柑が言っていた通りの反応に、呆れた様子のエンも流石に納得せざるを得ない。そんな彼らの目の前で、彼女達の儀式が始まった。
「レーテー。ジエン君から無駄な記憶を消して。
プセウドス。記憶を調整しながら、プレゼントをあげて」
「はい」
アオイが偽装と忘却を重ねがけされたように、心神喪失状態で使い物にならないジエンにも、いくつもの偽装と忘却が施されていく。
彼からは信仰心が忘れ去られ、その姿はユスティーと瓜二つなものに偽装される。忘却、偽装、忘却、偽装……
幾重にも施されたことで、彼女の指針はユスティーである自分自身が、その姿に相応しい正しさを示すことに。
彼女にはもうユスティーへの信仰心がないが、彼が存在するために必要なユスティーはこの世界に現れた。
それによって自我は戻り、エリスとの儀式が本格的に始動する。
手の動きと連動して湧き上がるのは、どこまでも禍々しく、全てを飲み込むかのような呪いの泥だ。
それは地面に怪しげなサークルを描くと、暗く発光しながら蠢き始める。
まともな人間が見たら、吐き気を催すような光景。
そんな中、エリスは手をかざし泥を操る。
触手のように、蛇のように、うねうねと。彼女達を囲う檻のように、粒すら逃さぬように、しっかりと。
「名を与えよう……力を与えよう……
不和と争いの名において、お前達を我が子へ迎えよう……
名はアルゴス、悲嘆を背負え……
名はホルコス、誓いを背負え……」
窒息しそうな程の泥が、2人の体を包み込む。
段々とその嵩を減らし、より禍々しく。
数十分後、2人を包んでいた泥はようやくすべて消え去った。
まるで、沼地から湧き上がった泥が2人に取り込まれたような光景だ。
先程まで人形でしかなかった2人は、打って変わって力強く、禍々しく産声を上げる。
「よろしくね、娘ちゃん達。
僕と一緒に、この残酷な世界を楽しもう」
「もちろんです、母さん。悲嘆を吹き飛ばす自由に誓って」
「公平な契約に、私のこの身に誓って」
見届ける覚悟を決めたユウリとエンが、それでも複雑そうな表情で見つめている前で、彼女達の目には暗い光が宿る。
そこには、禍々しい神秘が渦巻いていた。
それは、最古の呪い。混沌から生まれた歪み。
眷属は笑う。傀儡は笑う。王は笑う。母は笑う。
呪いは苦しみ。狂気は放棄。
彼らは道化として、高らかに。笑顔の裏には悲しみが。
狂気が望むは生か死か……
来たるべき日のために、2人の娘は世界への恨みを迸らせる。
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蜜柑が眠り、エンが去ってから数分後。
知恵者にはしばしば死滅の国とも呼ばれるこの地には、1つの人影が現れた。
近くに潜んでいた、高速で移動していたなどではない。
白い外套を身に纏った女性は、何の前触れもなく生命の樹の前に現れ、ピタリと手のひらで触れていた。
しばらく手をつけてから話すと、そのクロノスと名乗る吟遊詩人はルネッサンスリュートを構えて、美しい音を言祝ぐ。
『滅びを阻み、種は幻の大地に眠る。摩耗してしまわぬように、決して神達の二の舞いにならないように。
いずれ訪れる冬に抗うため、夢を辿った種は花開く力を蓄えるのだ。けれど、心配はしないで?
小鳥のさえずりと共に、春は必ず訪れる。
これはまだ過程、極寒の死滅に備えた種まき。
崩れかけた混沌ですら、閉じた殻を開けはしないから』
時空を超えて訪れた吟遊詩人は、時の旅人として未来を語り世界を揺らす。これは、時を渡り歩く彼女が見てきた未来。
いずれ必ず訪れる予言の詩。
語るべきことを語り終えた彼女は、ルネッサンスリュートを静かに納めながら自分の言葉で、精霊に語りかけ始めた。
「過酷な道を辿らせてしまって、ごめんなさい。
そして、ありがとう。あなたをこの時代に呼ぶことは知っていたけど、まさか私がここに立つとは思わなかったわ。
今この時しか体験していない私は、ただあなたに感謝を。
このターニングポイントを乗り越えて、幸運が訪れるまでの時間を稼いでくれて、本当にありがとう」
この場には、近いうちに守り手が現れる。
やるべきことをやり終え、彼女達を見届けるためにこの場所を拠点にする守り人が。
そんな彼が訪れるまでの短い間、歴史の強制力によって自身が別の時代に飛ばされるまでの間。クロノスは涙ぐんで樹に寄り添い、延々と感謝を告げていた。




