2-ただの木でなく、彼女は蜜柑
『異世界転生、かぁ……』
自身の状況を理解した少女――もとい木は、叫び声と同じように口もない体からため息をつく。
彼女の短かった前世で得た知識を当てにするのならば、これは異世界転生というものである。
異世界に限ったことではないが、肉体が死んだ後の魂が別の肉体を得て新しい生活を送るというものが転生。
で、あるのならば……
『しかも、転生ってことは私死んでるよねぇ!?
もう二度と家族や友達に会えないのに、その上人間どころか動物ですらないって……もう、最悪!! 文字通り最も悪い最悪だよ!! ずっとこんななんて嫌だぁ、うぇーん……!!』
そう、彼女が盛大に嘆いている通り、本来の体とも言うべき少女は既に死んでいる。二度と元いた生活は戻らないのだ。
木である彼女には目がないため、涙が流れることはないが、それを代弁するかのように木の葉が舞い散り、風の音が悲しげに鳴り響く。
しかし、木として転生してしまったのであれば仕方がない。
自力ではどうにもできないことであり、これから何もしなければただ突っ立ち続ける毎日である。
仮にここが異世界ならば、木であっても動けるかもしれない。動けなくても、近くの町に協力を求めることでより良い生活を得られる可能性もあった。
枝を手として動かす、さっきから響いているテレパシー的な声で人に呼びかけるなどなど、今すぐに試してみるべきことはたくさんある。悲しんでばかりはいられないのだった。
しばらく嘆いていた彼女は、やがて心を落ち着けると改めて自分の体を確認し始める。
『ぐすっ、こんなことばっかしてらんないね……
そもそも、変なテンションで弱音吐いたけどそこまで……
まぁいいや。とりあえずこれからどうするか考えないと。
まずこの枝って、全て自分の意思で動かせるのかな?』
人の体と同じように動きたいのであれば、無数に分岐している枝を支配することは必要不可欠である。
人の足に当たる根も同じことではあるが、自分が木だと気がつけたのは枝を見たから……つまりは枝を動かせたからだ。
そもそもの話、根は普通動かすものではないのだから、まず挑戦するべきは枝。努めて冷静にそう判断した彼女は、先程手を動かそうとして枝を動かしたように、意識を集中させ始めた。
『枝は多いけど……今の私は、木! さっき動かせたんだし、不思議な力で私はうーごーけーるーっ!!』
彼女が枝に意識を集中させていると、またしてもさわさわという風の音が強くなっていく。
目線を草原から自分の頭上に向ければ、そこには風に揺れる木の葉の話天井があった。
もちろん、ただ風が強くなっているという訳では無い。
広大な草原に吹く風であれば、同じ方向から均等に力が加えられるはずだが、頭上で揺れる枝葉はその長短に関係なく、揺れる向きも力もバラバラだ。
右に動くものもあれば左に動くものもあり、軽く揺れるものもあれば誰か乗っているの? と聞きたくなる程にしなっているものもある。
制御できているとは言えないが、明らかに彼女の意思で動かすことができていた。
『おお……!? いける、いけるねこれ……! 少なくとも枝は、そのうち自由に動かせるようになりそう……!!』
一本一本を完全に制御するとなると、かなり大変だろう。
しかし、その可能性の一端を見ることができ彼女は、揺れる枝葉の下で嬉しそうな声を上げた。
『あれ? もしかして何か生ってる……?』
枝が動かせたことではしゃいでいた彼女は、しばらく揺らしてからようやく葉の陰にチラチラと見える物に気がつく。
それは、よく見ていれば確実にすぐに気がつけていた物。
まんまるで、小さな太陽のように鮮やかなオレンジ色の果実……生っている数こそ少ないが、どう見ても蜜柑である。
自身に生るみかんの存在に気がついた彼女は、今度は希望が見えたようなものではない、純粋な歓喜の声を上げた。
『わぁ!! 私、蜜柑の木だったんだ!?
え、食べ放題じゃん!? ……って、今の私が蜜柑食べたら自食行為……? そもそも口もないや……』
だが、すぐに自分が何になったのかを思い出して、しゅんとしょげてしまう。木が食べ物を食べられる訳もなく、みかんの木が自分の実を食べていい訳もなく。
今の彼女にとってみかんとは、あるのに手が届かない、届いてはいけない、天上の果実でしかないのだった。
『もう誰にも会えなくて、人間でも動物でもなくて、その上こんな仕打ちを受けないといけないの……!?
もはや悲しい通り越してふざけるな、よ!! もし神が間違えましたーとか言ってきたら殺してやるわ!! 木だけど!!』
少し前まで心中で泣いていた彼女は、死んでしまったこと、植物に生まれ変わったことへの悲しみを乗り越えると、永遠に我慢させられるであろうことに怒り始める。
今度は泣いていないからか、葉っぱや果実が落ちるようなこともない。怒りで膨張した木の幹から、轟くような怒声が響き渡っていた。
『あーもう、なんでよバカー!!』
しかもそれだけではない。感情が強く表に出ているからか、枝葉は完全に彼女の支配下に置かれているようだった。
散々叫んでいた時は怒っているアニメキャラのように枝葉が逆立ち、今は力なくうな垂れている。
彼女が置かれた状態は最悪であったが、状況は刻一刻と良い方向へ進み、彼女の理想に近づいているらしい。
とはいえ、悲しみから怒りへと荒れている彼女は、まだそのことに気がつけていなかった。
『あぅ……蜜柑……でも、仕方ない。もう全部仕方ない!
……というか、もしかしてこの木の体、馴染んできてる?
枝をぐわっと……わぁ!』
気持ちが落ち着いてきた彼女は、今までよりも自然な体の感覚に目を見張る。試しに枝を動かしてみると、幹を反らし、枝を頭上でぐるっと回転させる……いわゆる体を回す運動までできていた。
『よし……ビシッ!』
体を自由に動かせることに気がついた彼女は、だらりと垂れていた枝を無意識に正常の位置に戻した。
逆立ったかと思えば、うな垂れて、かと思えば気を取り直すようにビシッと姿勢を正す。
見た目にもよくわかる、忙しない感情の動きである。
もし誰かがこの一部始終を見ていたとしたら、情緒不安定とでも言うだろう。しかし、彼女は異世界転生だと期待させられてからの木、そして手を伸ばせないみかんを見続けることを強いられるのだ。
気が狂ってしまっても、なんら不思議ではない。
もっとも、彼女は一見ただのみかんの木であり、誰かが見ていたとしても夢か何かだと思うだろうが。
『……さて。体は馴染んだとして、次は何をすれば……?
蜜柑を自由に落とす練習でもする? というか、蜜柑にも私の意思は影響を与えられるのかな……?』
新しい体を自由に動かすことができるようになった彼女は、次に何に取り組むべきかと頭を悩ませる。
感情が荒ぶっていないため、そこまで不自然な動きはしていないが、それでもさわさわと風関係なしに揺れながら。
『うーん……うん? なんか声が……』
するとしばらくして、どこからか小さな声が聞こえてくる。
風に耳を傾けてみると、聞こえてきたのは小鳥のさえずりのように少し甲高い声……どうやら、近くの集落から子ども達がやってきたようだ。
(うわっ、子ども……!? ここが仮に異世界だとして、それでも木が動くものだとは限らないよね……? 少し黙ってよ……)
驚いた彼女は、自分の状態が普通であるかを見極めるためにも、一旦黙っておくことに決める。
先程習得した体をコントロールする術を全力で駆使し、自然な木を演じて彼らがやってくるのを待ち始めた。