エピローグ
———ここはどこだろうか? そうだ。僕は死ぬことができたんだ。なら、ここは地獄だろうか。そういえば前にもこんなことがあったような。そうだ、生まれ故郷が焼け野原で当てもなく彷徨って、高台から飛び降りた時だ。
デジャブと似ているが、実際に起こっていることとラップしているため、ニュアンスが少し違う。
結局僕は自殺だったのか寿命を全うしたのか。人を殺めない決まりは、自分自身は対象になるのだろうか。自殺も殺人のうちの一つとならば、僕は約束を破ったことになる。死期が近く無かったらまだ生きていたに違いないから、寿命を全うしたということになるのかな。
さて、あの時の閻魔の使いが恐れていた、閻魔様を拝みに行こうか。僕の過去をベラベラとしゃべったジェーンの復讐という名目もあったが、もうそんなものはどうでもよくなっていた。きっとジェーンは僕の前には現れることはないだろうが。
「お前が、ルウだな」
地べたに座り込んでいた僕が辺りを見回すと、いかつい男が僕の目の前に立っていた。いかにも、地獄の使いだとわかる。大昔に会った自称閻魔の使いとは違い、威厳のある地獄の使いだ。この使いなら信頼できる。
「はい、その通りです」
淡々と答えている自分が、客観的に見ても冷静になっていることが手に取るようにわかった。辺りを見回すと、灰色の強制収容所はどこにも見当たらなかった。さらに、飛び降りたであろう崖もなかった。完全に違う場所である。となれば、ここはやはり地獄の入り口なのだろう。つまりは、僕は死んだことになる。
「尋ねるのも変な話ですが、ここはどこですか?」
「ここは、あの世界で死んだ者が最初に通る入り口だ」
死んだ・・・
「やはり、僕は死んだのですね」
「その通りだ」
どことなく笑みがこぼれた。ようやく死ぬことができたのだ。忌まわしき何百年もの人生にピリオドを打つことができた。
気になったのは、この使いは、過去の僕のことを知っているのだろうか。閻魔大王が恐れるほどの僕であるが、使いは僕を恐れている様子が微塵も感じられない。
僕は、使いに案内されるまま、おとなしくついていった。いや、僕は破壊者でも何でもない。まして、今の僕は閻魔大王の命を取ろうなど微塵も思っていない。あの性格が出なければの話だが。さらに、過去に僕が閻魔の使いを殺したことを、知っているのだろうか。
「考察するに、ここは地獄の入り口なのですね」
「それは違う」
返答は、意外な言葉であった。
「ここは天国か地獄に行くか決められる裁判所のようなものだ。これまで生きてきた世界での行動により、判決を言い渡される」
とはいいつつも、地獄に行くのは目に見えていた。なにせ、閻魔大王が恐れるくらいの罪人なのだから。
「遅かったな、ルウ」
誰かが僕を呼んでいる。霧でよく見えなかったが、徐々に人影が見えこちらに近づいてくるのが見えた。姿がはっきり見えた途端、僕の脳裏にある少女の顔がよぎった。収容所で人間を殺害していた時に、目玉を突き刺した少女だ。この世界では突き刺した目玉は元通り綺麗な二重となっていた。
「あなたは、私が収容所で刺したあの時の少女でしょうか」
少女はにっこりと片方の口角を上げて微笑んだ。
「あの時はよくもやってくれたな」
少女は軽い腹パンを僕にぶつけてきた。一瞬ウっとなったが、痛みはあまり感じなかった。ここでの世界は死がないため、痛覚がなくても構わない意味だろうか。
「どうしました、これで終わりですか? もっと復讐をぶつけてもいいのですよ。私のことを、恨んでいるでしょうから」
「確かに。最初は復讐でお前を殺してやりたかったが、不死身だとわかり仕方なく諦めた」
「やっぱり私のこと、殺したいのですね」
「最初はね。でも、今はそんな殺意はお前にはないわ。それは本当よ」
「お世辞として受け取りますよ」
少女と初めて目が合った。殺意はないことが見てわかった。
「お前が死ぬことができないと分かった以上、ありとあらゆる方法でお前を永久に苦しめてやろうとした。だから、偶然目の前を通りかかった猫に憑依して一生お前を見張ってやろうと考えたのさ」
「やはり、あの猫ちゃんにあなたは乗り移っていたのですね」
猫ちゃんが目の前に現れたあの日、直前に見た夢の内容はやはり現実だったのだろう。
「だが不思議なものだな。お前と一緒にいるうちに情が移っちまった。何百年も苦悩してきたお前を見るにつれて、だんだんと私の心も痛んでくるのが分かった。お前も被害者なんだよな」
「ミレイさんの件はありがとうございました。ミレイさんが大臣を殺害せずに済んだのは、あなたのおかげです」
「まぁ、あのお嬢ちゃんには殺人は犯してほしくなかったのが本音だな」
恐らく本音なのだろう。この件は彼女の良心に救われた。
「とは言いつつも、あなたは天国へ、私は地獄へ行くので、これが今生の別れとなりますね」
彼女に手を振り、最後の審判を受けるために振り返った。もう彼女と会うことも話すこともないだろう。だが、振り返ることはしなかった。きっと僕の寂しげな背中を彼女は上から目線でいるだろう。
(お前がこれまでずっと罪を償ってきたことは、私が一番よくわかってるよ。なにせ何百年も一緒にいたのだからな。もうこれ以上お前は罪を犯さなくてよかったんだ。だから、最後にお前の殺人を食い止めたんだよ。まぁ、この事実を言わないのが、私の最期の復讐だね)
案内された場所は、真ん中にやや高いところから見下ろすように座っている人物がいた。いかつい見た目から、この人が閻魔大王かと思うくらいだが、実際は人間界で言うところの裁判長と言ったところか。
それにしても、この気難しそうな頭でっかちなおじさんが、僕のことを恐れているとは、到底思えない。どうやったらこの人物を殺害できるのだろうか、僕には皆目見当がつかない。
「お前がルウだな」
さっきも名前を確認されたが、これは事務手続きなのだろうか。なんだか、ずいぶん人間界のしきたりだな。
「それでは、お前に判決を言い渡す」
人間界と違って、いきなり判決と来たか。どうやら被告人には弁明も釈明も許されないらしい。それなら、僕の右側にいる人物は、一体何の目的でいるのだ? どうやら、僕を弁護する気などないらしい。まぁ、そんなことはどうでもいい。僕の判決はすでに決まっている。『地獄』だ。さぁ、どんな刑と罰が待っているんだ?
「ルウ、お前は天国への旅立ちを命ずる」
「・・・はい?」
聞き間違えだろうか? 天国になど、行けるわけもなく、縁遠い存在と思っていた。
「なんだ、不服か?」
裁判長が僕に問いかける。確かに判決に不服ではあるが、意味合いが違う。
「なぜ、僕は地獄ではなく、天国に行けるのですか? さんざん人を殺してきた僕が」
「確かに、お前はこれまで数えきれないほどの人間を死に追いやってきた。だがお前は、私情で人を殺したことはなかっただろう。全ては千年前の戦国時代が原因だ。それもあってか、お前は人を殺すことに慣れてしまった。それどころか、精神に異常をきたして、殺しそのものが快楽になってしまった。その結果、不幸にもお前は不死の刑を与えられた。やがて戦乱の時代が終わり、処刑される人もいなくなった。それからというもの、お前の生き方そのものが罪を償ってきた。暴力では何も解決しないことを、これまで幾人に教えてきただろう。さらに、国の存続の危機を救った」
想定外の言葉ばかりだ。強制収容所を抜け出してから今日という日まで、僕は償いながら生きてきたというわけか。人間が一生を迎える何倍もの時間をかけて、償ってきた報いなのか?
「僕は、僕は・・・」
どことなく、仮面を被っていたように人間と接してきたルウが、ここでようやく自分の本性をさらけ出すことができた。ありのままの自分の姿を。
ミレイたちに見せることはできなかったが。
ルウが砂漠のように枯れ果てた涙腺から流した涙を・・・
———城の外の庭園から、遠くを見て物思いにふけっているミレイ。その目は、ルウが戻ってくることを今か今かと待っていたかのようだ。
ルウの失踪からすぐに、全員を徹してルウの大捜索となった。これまで訪れた国々の協力も得たが、結局のところ彼の姿を発見することはできなかった。
ルウさんはやはり旅に出てしまったと、泣きたい気持ちをこらえ、これからの国の統治に向けて、ミレイは気丈になろうと決心した。それに、ルウは不死身である。きっといつかこの城に帰ってくることを信じていた。
ミレイを捜索するも姿が見えず、城の中から出てきたダイトが、ミレイの姿をようやく見つけ、声をかけた。
「どうしたミレイ? こんなところで何をしているんだ?」
「いえ、何となくルウさんが戻ってきそうな気がしたので」
「それにしてもあいつは一体、どこに行っちまったんだ? もう1週間も経つぜ」
もうこのまま帰ってこないのでは、不安になるミレイ。猫を撫でている手つきがどことなくルウに似ていると、ダイトは思った。言われてみれば、ルウとミレイは親族同士だから無理もない、と振り返った。
「ところでミレイ、その猫の名前はどうする?」
「ルウ、ってどうかしら?」
「ルウ・・・なんだかあいつを思い出す名前だな」
「そうですね。これもここにはいないルウさんを忘れないためです。猫を引取りに帰ってくるまで、私たちはルウさんのことを忘れてはなりません」
「それにしても、ルウはいつになったら帰ってくるんだ?」
「さぁ、わかりませんが、いつかきっと帰ってくるでしょう。それまで私たちができることは待つことのみです。それに、私たちは新たな国家の再建に力を入れなければなりません。やることは多いですよ。忙しくて悠長にルウさんを待っている時間などありませんよ」
「へいへい」
王女としての威厳が備わってきたミレイをよそに、新国王となったダイトはやや頼りない。だが、二人は互いに相思相愛だ。これからの国の再建に十分尽力するに違いない。忙しい中ではあるが、ミレイはルウの愛猫を抱えながら、ルウが猫を引取りに帰ってくるのを今か今かと待っていた。
ミレイとダイトが統治していくこの国は、まるで呪いが解けたかのように、今日も雲が一つなくすっきりと晴れていた。
―完―