Another story No.3 ルウの最期
今から20年くらい前だろうか。ミレイの母がミレイを産む前に、すでに私は自身の子孫と出会っていた。この事実を明かすつもりは初めからなかったが。
私は自身の子孫の成長を見守るため、絵本屋さんとして近づいていた。公園で遊ぶ彼女を見るうちに、少しでも話ができればいいと考えた。その結果、自分で話を作った絵本を持って、公園で話をすることにした。設定として、ツッコミどころは満載であるが、とりあえずはうまく紛れ込めた。
「さぁ、これは少年が悪い人に捕まって、そこから脱出して、夢の国へ向かう物語だよ」
彼女のほかにも数人の子供たちがいた。近くを見ると、彼女の年齢は15歳前後と言ったところか。
案の定、つまらない物語だったのか、ほとんどの子供たちは途中から席を立ち、別の場所で遊んでいた。最後に残ったのは、彼女だけだった。
「あなたのお話、面白かったです。この物語をずっと語り継いでいきたいです。これから生まれてくる子供にも読み聞かせてもいいですか」
「ずいぶんと変わった方ですね。子供ならもう少しかわいげのある物語の方がよくありませんか」
そう、このお話は、私が収容所にいた時に描いた、現実逃避の物語。現実がこうなればよかったとどれほど切望したことか。
絵本の内容として、いい話が思い描けなかったため、過去に自分が夢見た物語をそのまま書くことにした。これが功を奏して、彼女はすっかり気に入ったのだ。
「私は気に入りました。なので、この本をください」
私はそのまま、本を彼女に渡した。私にとっては、ただあなたと話ができればよかったためだ。
「いいんですか、ありがとうございます」
「ですが、条件があります」
「条件、ですか」
彼女はキツネにつままれたような顔をしていた。その表情が何とも愛くるしかった。
「くれぐれも、私と会ったことは誰にも言わないでくださいね。もちろん、これから生まれてくる子供にも、言ってはなりません」
「どうしてですか?」
「今は話せませんが。いずれ、あなたたち親子の前に姿を現します。その時に、全てをお話ししましょう」
うっかり口を滑らせてしまった。真実を語るつもりは最初から毛頭なかったが。
「わかりましたわ」
月日が経って、彼女の記憶からこの発言が消えてくれることを祈りましょう。
「ですが、ひとつだけ私からも約束していいですか」
何でしょうかと、彼女に尋ねた。
「これから生まれてくる子供に、もしものことがあれば、あなたが助けてあげてくださいね」
「なぜ、私が。私はただの絵本屋さんですよ」
「何となくですけど、あなたは心の底から、私たちを守ってくれそうな気がします」
「それは、あなたが守っていけばいいだけなのでは?」
「何となくですけど、私が守らなくてはいけない時には、私はこの世界にはいないような気がするのです」
「そうですか・・・」
彼女が自身との関係を察知しているのではないかと疑心暗鬼になっていた。もしかしたら、既に彼女は気づいたのだろうか。たった一度会っただけで。
「面白い方ですね。わかりました、お約束しましょう」
「絶対ですよ」
お任せを———
「約束は果たしましたよ。あとは、あなたの子供が自分の力で歩んでいくだけです」
ふと、昔のことが頭をよぎった。ミレイさんのお母様と約束したことが、今になって蘇ってきた。無事に約束を果たせたことでホッとした。ただ、親子そろって報告することができなかったことが悔やまれます。ただ、ミレイさんにはバレてしまいましたが。となれば、結果的には親子そろって、私の正体を知ったことになるのでしょうか。それであれば、私がした約束も果たせたことになるのですね。
すべてが終わってからすぐ、僕はひとりで城を飛び出した。一晩考えると言い、部屋に通されたあの日。頃合いを見計らって、ボルドウから脱出した。
今頃ミレイさんやダイト君は、新しい国の再建に四苦八苦しているのでしょうか。平和な日々を送っているのでしょうか。
ミレイさんからは、国を一緒に統治していこうと言われ、1日考えさせてほしいと言ったが、答えは最初から決まっていた。
『できません』が、答えだ。
いや、正確に言えば、
『国を統治していく時間がない』が、答えだ。
さらに、正確に言えば・・・
『自分の寿命の残り時間がない』が、答えだ。
あの戦いの中で、察知した。もうすぐ僕は死ぬのだと。
天国か地獄のどちらかが、僕のことを引き取る気になったのだろう。きっと地獄の方が引き受けることになると思うが。
事実、肉体はとっくに死んでいた。心臓など、何百年も前から動いてはいなかった。それでもどうして生きているかが不思議でならなかったが、やはり天国と地獄が身元引受を拒否しているのだと、改めて思い知らされた。
死ぬ場所を探し求めたが、僕の最期の場所は、やはりここしかなかった。
かつてイカロスのように空へ向かって旅立とうとした、収容所を見渡せる崖の上であった。絶望した場所に帰るなど、何とも皮肉なものだ。
ここから見る景色は、何百年も経ったせいか、建物は跡形もなかったが、元々が寂れた土地のため崖がやや風化された以外は見晴らしが変わっていなかった。僅かだが、強制収容所の基礎部分の跡が、若干残っていた。今も昔も共通して言えるのは、灰色としか言えないほど色がない景色だ。防風林もない高台の風が身体を突き刺すが、そんなことは気にも留めない。それどころか、かえって懐かしい気にさせる。
生まれ故郷の場所は、300年前の戦争の時に、全てが破壊されてしまった。目印となるタワーも、爆撃の影響で跡形もなく吹き飛んでしまった。故郷に帰ろうにも帰れない。
そのため、僕のルーツとなる場所は、自分が死ぬことが許されなくなる人生が幕を開けた、この崖の上になる。なんとも哀しき人生だ。
自分の人生が残り少ないことを、ミレイさんたちに伝えようか極限まで悩んだ。事実を伝えて、残り僅かな時間を仲間と楽しく過ごすことだってできた。そうすれば、孤独でみじめな人生から、最後は看取ってもらえる人がいるハッピーエンドとなる。
しかし、事実を伝えたところで、結局のところ楽しむことはできない。死へのカウントダウンが刻一刻と近づいてくる中で、楽しめることなど出来はしないだろう。特に、ミレイさんは悲しみに明け暮れるのが目に見えていた。世界も平和になり、これからダイト君と一緒に国の統治をしなければならない。まさに新たな試練が始まろうとしている中、余計な気苦労をかけたくはなかった。
それに、僕はこれまで数えきれない人の命を奪ってきた。今さら幸せになることなど、許されるわけがない。だから、ミレイさんたちと楽しい時間を奪うために、死期が近づいたのか。ならば、納得がいく。殺人者の末路は、孤独なのだと。
今から何百年も前に、僕はこの場所からイカロスになろうとした。何百年の時間なんて、過ぎてしまえばあっという間だった。もう未練はない。これからは、僕が陰で子孫を支えていかなくても、何ら問題はない。ミレイさんがいる限り、国を統治する子孫の繁栄は間違いない。もっとも、ダイト君の血を引くことが懸念材料ではあるが。
崖の方へゆっくり、1歩ずつ近づいた。
断っておくが、これは自殺などではない。寿命による肉体の死だ。生きることを放棄したわけではない。自分が死ねないと聞かされてから、初めの数年間は死ぬことしか考えていなかった。自殺を試した数は数えきれない。自分が死ねないと事実を受け入れてからは、絶望の道を永久に生きていくのだと覚悟をした。
だが、そうはならなかった。最後は、生きていくのが楽しかった。何百年の人生のうち、瞬きの瞬間ですらなかったミレイさんたちとの日々は、饒舌に尽くしがたい。
お宝も事前にあの部族に根回しをして正解でした。おそらく、ミレイさんだけでは太刀打ちできなかったでしょう。下手すれば、あの部族に殺されていたでしょう。昔から、あの部族は気難しいですからね。恐らくあの大臣なら殺されていたでしょうね。がめつい人間には容赦ないですから。まぁ、私にとっては手に取るように操れますが。
それに、部族と会う前からミレイさんの身に危機が何度かありました。事前に私がその危機を取り除いていてはいましたが、振り返ってみれば少々過保護だったような気がしました。ですので、帰還の時にはなるべく手を出さないと誓いましたが、想像以上の困難がありました。結果として私が直接介入しましたが、彼らと直接交流できたことは楽しかった。これまでの影のような存在から、一気にスポットライトを浴びた感覚でした。
だから、出来ればもう少しだけミレイさんやダイト君と一緒にいたかった。何百年も死ぬことができればどれだけよかったかを考えていた自分が、今は死にたくはないと考えている。人生の最後の最後で、生きていて楽しいと本気で思えた。自然の摂理は残酷なものだ。
ミレイさんたちに書き残した手紙に、猫を引取りに必ず帰ると書いたが、どうやら守れそうにもない。いや、守れないことは百も承知の上で書いた。嘘を書いたというよりは、猫を引取るという口実で、またみんなと再会したい願望であの手紙を書いた。
きっとあの猫に憑りついている過去に私が殺した少女の亡霊は、消えゆくはずです。亡霊も死なないと言っていたように、何百年もあの猫は私の前から姿を消すことはなかった。だが、今は完全に僕一人だ。きっと、あの猫に憑いていた少女は成仏したのだろう。僕を許してくれたなんて勝手なことは思ったりはしない。だけど、少しは罪を償うことができたのかな? 少女の亡霊がなくなった今、あの猫は成長することでしょう。これから、自分の人生、いや猫生を生きていくために
生きる・・・
本当に、もう少しだけ、生きたかった。
願望が叶えば、どれだけよかったか。
本当に、本当に。
この見渡す限りの寂れた原野と、かつて強制収容所があった場所を思い返しながら。
普通の人間であれば、泣いているのだろう。死の瀬戸際になっても、涙が出てこない。涙の源泉など、砂漠のように枯れ果てていた。だから視界がはっきり・・・
視界がぼやけている!!
さっきまではっきりと見えていた景色が、白く濁ったようにはっきりと景色を捕えることができない。
身体に力も入らなくなってきた。
終わりが近いということなのだろう。
やはりもうすぐ死が訪れるのは間違いない。
崖の目の前に立ち、あと一歩踏み出すだけでイカロスになれる場所まで、どうにかたどり着いた。既に視界は真っ暗のため、もはや太陽がどこにあるかがわからない。イカロスになろうにも、どこに向かって飛び立てばいいのだろうか。
だが、もうそんなことを言っている時間も残されてはいないようだ。ならば、最後は重力の力に任せて崖から飛び立とう。
よく、死が目の前になると、これまでの人生が走馬灯のように流れてくると言われているが、何百年もの人生では容量が多すぎるのか、一切出てこない。思い出すのは、ミレイさんたちと旅した思い出だけ。
「ありがとう。そして、さようなら・・・」
ふと漏らした言葉は、僕の意思で話したわけではない。無意識に自分の口から出た言葉を、自分の耳で聞いて、自分の言葉だと初めて認識した。
それが、この世界での最期の記憶だ・・・