7
にゃんにゃんこ
【にゃんにゃんこ】
「剣ちゃん、待って!」
彼女が来たのは自室にて装備の最終確認をしている時だった。まだ私を引き止めるつもりでいるのだろうが、私の意思は硬い。この街のみならず、奴を放っておけば世界まで危険に晒されるというのに、強大な力を持ちながら指を咥えて見ているわけにはいかない。
「だから絶対に行っちゃだめなの! 今回の相手はあのにゃんにゃんこなんだよ! 勝てっこないよ!」
それはもう再三聞いた言葉だ。しかし私にもやるべきことがある。いつからだっただろうか、彼女がにゃんにゃんこに没頭し始めたのは。
水色を好んで纏う彼女は異質であった。初対面から常に、他の人とは「ずれた世界」を生きているような印象で、その上要領が悪いと来たものだ。排斥されるのは想像に難くなく、放っておけなかったのだろう。歩み寄ってみると、彼女は素直に近づいてきた。ちょこちょこと私について回る彼女は陰気を帯びていて、正直鬱陶しく思ったこともある。
しかし、彼女がにゃんにゃんこに興味を示してからの変化は劇的だった。噂話の域を出ない幻の存在とも云われる、にゃんにゃんこの情報をどこからともなく収集してきては、嬉しそうに私に聞かせてくれた。その内容は私の知らないことだらけで、呆れるほどに心地の良い時間だった。
「にゃんにゃんこ?」
「にゃんにゃんこ!」
「にゃんにゃんこにゃんこ!!」
(にゃんにゃんこが過ぎる……)
しかし、幸せな時は今まさに終焉を迎えようとしている。彼女に光をもたらした、他でもないにゃんにゃんこの手によって。皮肉なものだ、彼女は幸せになってはいけないというのか、にゃんにゃんこがそれを拒否しているというのか。そうであるならば、にゃんにゃんこに解らせてやらねばならない。友を悲しませようとした、その愚かさへの罰を与えるのだ。表面上は世界の危機などと考えながらも、奥底では友人の心配をしている。
そう、つまるところこれは彼女に笑っていてほしいという、ワガママなのだろう。
「違うよ……自分に光を与えてくれたのは、他でもない剣ちゃん。にゃんにゃんこはその光を追い続けるための道具、それか道標に過ぎないの」
彼女が私を引き止めるのは、にゃんにゃんこではなく、私の身を案じてのことだろう。にゃんにゃんこの強さは嫌というほど他ならぬ彼女から聞かされている。
「剣ちゃんがいない世界なんていらない、剣ちゃんが生きてさえいれば、他には何もいらないから……」
しかし私が望む世界は、君が笑っている世界。そしてその世界には私の他にも、にゃんにゃんこは必要不可欠だろう。もしにゃんにゃんこがこの領域を破って暴れ始めれば、人とにゃんにゃんこの溝は決定的なモノとなる。今回の出撃は、それを止める意味合いもあるのだ。わかってほしい。
「……」
彼女の袖を握る手が弱々しく震える。しかし、私にも矜恃がある、彼女を悲しませるものがあれば、殴ってでもそれは違うと言ってやらねばならない。
こんな非常事態であるというのに、心は凪いでいた。
そう、揺るがない決意を携え、にゃんにゃんこに挑むのだ。
「……わかった。じゃあ私のこのメモを返しに、生きて帰ってくると約束してね。この中には、にゃんにゃんこに関するあらゆる知識が詰まっているの。その生態から特徴、思考パターンの偏向や体組織の仕組み、弱点も載ってる。少なからず役に立つはずだし、もしこの中の真実が流出でもすれば、人とにゃんにゃんこの共存は叶わなくなる。にゃんにゃんこに手を伸ばし始めている人類にとっての、パンドラの箱といっても差し支えないはず。剣ちゃんのいない世界なんて生きててもしょうがない、これが私の覚悟」
それだけ言い残し、私にメモ帳を押し付けて走り去っていった。自分の願いは届かないことを悟り、邪魔をしないためにもということだろうか。私のワガママを受け入れてくれた彼女のためにも、負ける訳にはいかない。
領域の中心に揺らめく巨大な影を捕捉する。あれが本物のにゃんにゃんこか。話で聞いていた以上の存在に思えてくる。
託されたメモ帳に目を走らせてみれば、その中には人の叡智を結集したところで、到底たどりつけないような真実が羅列されていた。恐らく、この一冊は国を傾けるほどの金銭的価値を持ち、同時に情報兵器とも呼べるだろう。あのように言い残した意味も即座に理解出来た。
本人はにゃんにゃんこを道具だと言っていたが、それでもにゃんにゃんこが好きなのは事実だろう。でなければこんなシロモノを用意することなどできないはず。
であれば、救わねばならない。
友と、その友の好きな存在をも。
にゃんにゃんこが過ぎる
そう呟いてから、にゃんにゃんこへと駆け出した。
【にゃんにゃんこ】
にゃんにゃんこ