6
にゃんにゃんこ
「にゃんにゃんこ」
『--県○○町の住宅街に隣接する森で、熊や鹿などの、その森に生息する野生動物が食い荒らされ、遺骸となって発見されました。野生動物の残骸は一箇所に集められおり、損傷は激しく、そして均一ではなく、決まった内蔵が抜き取られているなどの計画性も見られず、警察は人というよりかは、にゃんにゃんこの犯行とみて、捜査を進めているようです。では次のニュースです……』
え、それってこの住宅街の隣のことじゃん……。事件とか事故とは無縁だと思ってたのにな……。
まあ恐らくだ、この灰色の頭脳が推理するに、この近辺に凶暴なにゃんにゃんこが出没したのだろう。しかし空腹のあまり、付近の森の動物を食い荒らしたのだろう。
危ないから、ヒナもなるだけ外出は控えるようにな。
「えー? にゃんにゃんこがお腹すいてただけかもしれないよ? けーはにゃんにゃんこ怖いの?」
この話は怖いとかじゃないの。
天然もほどほどに、昔からヒナのそういう考えが心配なんだよな。にゃんにゃんこは無害って説も信憑性はあるけども、用心しておくに越したことはないんだ。
実際にゃんにゃんこが何なのか、実態を一切掴めていないわけだからな。
「そうなのかなー。案外かわいいかもしれないのに」
いいや、ヒナには負けるね。ここまでふわふわした生き物を俺は他に知らないし、この純粋培養されたヒナを守っていきたいくらいなので。
「そこまで言われたら照れちゃうよ〜♡」
ここまで溶けているというのに、何度かの愛の告白はバッサリ切られている。なぜだ。果たして何が原因なのか。
「ねえー、お腹すいたー。けーごはんー」
はいはい、俺はご飯ではないからねー。ちょっと待ってなー。
断られているのは髪型だろうか、それとも容姿ではなく何かしら非があるのだろうか。気になって洗面台の鏡の前に立ってみる。特に問題は見られないが。
「にゃんにゃんこ」
声が聞こえた気がした。
ヒナの声だ。しかし振り返ってみれば誰もいない。ヒナは居間で寛いでいるはずだ。疲れているのだろうか。
それはそれとして告白についてだ。逆にこっちに原因があるんじゃなく、ヒナの方に何か考えがあるとすれば、いくら俺が自分を磨いたところで無駄な話となる。
ヒナが自分に自信がないか、または何か機会を探しているか、はたまた他の人に気が向いているのか。
ヒナの思惑が他の人に向いているのであれば、それはもはや俺にはどうにもできない。純粋な心に芽生えた気持ちに横槍を入れたくない。ヒナの幸せを祈りたい。しかし同時に自分の幸せはどうなるのか。ヒナが他の人と結ばれ、俺がヒナから離れるということは、それ即ち死を意味する。
これは比喩表現ではなく、俺は実際に死ぬだろう。
俺は過去に一度危篤状態に陥ったことがあるのだが、ヒナが傍にいてくれたことで、長い時間をかけながらも、奇跡的に回復を遂げた。それ以来不思議と、ヒナが遠くへ行っている間、離れている間は体調がすこぶる悪くなる。酷い時は死にかける。しかし、なお死ぬことがないのは、お互いに繋がりを意識しているからだろう。
ヒナからはマイナスイオンでも出ているのだろうか。
「けー、ごはんー」
ヒナがご飯を強請ってゆさゆさしてくるので思案から浮上。視界に広がったのは洗面台の鏡、それに映る俺、そして後ろにいるのは不満顔のかわいいヒナのはずだ。はずだった。
……そこには口元を赤黒く染めた、にゃんにゃんこが映っていた。
俺はにゃんにゃんこが何なのかは知らないし、姿すら見たことないはずなのだが、その存在がにゃんにゃんこであるということは、自然と理解ができた。
落ち着け、俺。身体中から滝のような汗が湧き出るし、呼吸も少し苦しいが、まだ諦めるには早いだろう。
まずにゃんにゃんこから逃走する線を模索するが、既に、にゃんにゃんこは真後ろにいる。この状況を抜け出すには、何かしらを用い、にゃんにゃんこの気を引く必要がある。しかし生憎今はポケットに、ヒナお気に入りのピーチ味の飴玉しかない。ちくしょう。
死んだフリも無意味だろう。問答無用で食われる。
立ち向かうという、大変愚かな選択肢がないこともないが、熊に勝てるにゃんにゃんこに一般人が武器もなしに勝てるわけなかろう。明白である。
となれば、後はこのにゃんにゃんこは、ヒナであるという可能性だ。このにゃんにゃんこが見える前には、ヒナが確実に後ろにいたのだ。声も聞いたし、揺さぶられた。となれば、にゃんにゃんことはいえ、一瞬で物音すらなしにヒナを退かすのは無理だと思いたい。そしてヒナはお腹が空いていた。にゃんにゃんこは野生動物を捕食していた。ということは、だ。活路は拓けた。
わずか1秒で思考をフル回転させ、解を導き出す。人間も極限状態だと、こんな芸当すら可能なのか。
ヒナ
呼びかけるが返事はない。
ポケットの飴玉を口に含み、振り向きざまに、にゃんにゃんこに口移しをする。にゃんにゃんこは飴玉を受け入れ、停止していた。飴玉をころころしているっぽい。となれば後はどうとでもなれだ。
ピーチあげたんだから、手ぇ洗ってから、大人しく待っててなー。すぐご飯にするからな。
不自然にならない程度に急いで、キッチンまで移動し、包丁を振るい、ツユを混ぜ合わせ、火にかけて鍋を用意する。
深層心理で命の危機を感じていたからだろうか、ムダが全て削ぎ落とされた、過去最高の手際だった。
寒くなってきたからなー、今日は鍋だぞー。
「なべー!」
居間に戻れば、そこにはあのにゃんにゃんこではなく、飴玉をころころする顔の真っ赤なヒナがいた。ヒナはにゃんにゃんこで確定だろう……。
「もう! 女の子の唇は安くないんだよ!」
あはは、ごめんって。じゃあほら、このお肉あげるからさ
「やったー!」
しかしこうして、更に理解を深めた上で、共に鍋をつついてわかることは、にゃんにゃんこであろうとヒナはヒナだ。
実はヒナがにゃんにゃんこだからと言って、それはヒナをヒナとして扱わないことの理由にはならない。
最初からヒナはにゃんにゃんこだったのだろうし、俺は初めて会った時から、既に十数年も経つ。それなのに今の今まで気が付かなかった。実に愚かだ。
告白が受け入れられないのも、今ならわかった。
……ヒナ、ごめんな。正直に言うと、ちょっと怖いと思った。
「……」
でも、ようやくわかった。ヒナはヒナだ。これまでも、これからも変わることはない。
「……」
どんな君とも、苦楽を共にしたい。ようやくスタートラインに立てた。待たせちゃってごめんな……。
ヒナの位置にて、俺と対峙するはにゃんにゃんこ。今までは序章に過ぎない。さあ、ようやくここから始まるのだ。俺とヒナの物語は。
俺はヒナをギュッと抱きしめた。
「にゃんにゃんこ」
にゃんにゃんこ