公爵の憂鬱【人の温もり】
本当に心の底から私の妻が世界で一番美しいと思ったからそう伝えた。
だって今日この時から私の妻だ。他の誰のものでもない。私の、妻になったのだ。
あれ程迄に億劫だった『結婚』が光り輝いている。
両親の仲が良かったから、私も心の奥底で望んでいたのだろう。家族というものに。もういちど、温もりが欲しいと。
千聖を婚約者にした陛下には、素直に感謝するのはなんだか少し腹が立つが、こればかりは礼を言わねばならない。
この世界に現れるタイミングが悪ければ、千聖は殿下と婚約していた。いや、メグが後から現れたとしても殿下とメグは惹かれ合っていただろうな。
ならば千聖も私のところへ来る運命だったのだと信じたい。
恥ずかしいからと手の甲に口づけする千聖。
目上の者に対して騎士等が行う敬愛の意味をもった口づけだが、私達には丁度良いのかもしれない。互いに敬意を持ちながらこれからも関係を築いていきたい。
けれど結婚の誓いを交わしたのだからもう逃さないだなんて恐ろしい事を思ってしまう。今は契約上の夫かもしれないが、いつか千聖の大切な一人になりたいだなんて、私らしくもないだろう?
人の心まではどうしようも出来ないから、私はただ真っ直ぐに千聖を大切にするだけだ。
今夜は──、満月で初花の儀には相応しい夜だ。だがマルコやイザベラの様子からして、やはり千聖はその意味が解っていないらしい。
長く働いている彼ら彼女らだから、私の変化を楽しんでいるに違いない。
私が言えたことではないが、マルコもイザベラも表情が豊かになった。他の使用人達は信じられないかもしれないが、私がまだ若い頃はもっと豊かだった。
それを変えてしまったのは他でもなくこの私。
申し訳無く思う一方で、とても居心地が良かった。
今働いている殆どの使用人達はその居心地を求めてやってきた。果たして何処までの使用人がこの変化を受け入れるだろう。
いつまでも同じではない。いつかは変化が訪れる。
私もいつかは結婚する予定だったのだから覚悟はしているはず。
庭師のジェームズも、あまり人と関わらず黙々と一人で作業をする男だから気付きにくいが、植える花やハーブの種類が変わった。
彼も、誰かの為に、変わっている。
私も、千聖の為に変わろう。
──「では、私達はこれで。どうぞごゆっくり」
仕度が終わったのか彼女が部屋に来た。
メイドを除き、女性が自室に入るのは初めてだった。
「え、あの、え……だってここ、」
ほら見たことか。戸惑っているではないか。
解らないのだろうと、そう問うと、「え。結婚式のことじゃないんですか……?」と彼女は答える。
月の明かりに照らされて輝く艷やかな肌と、鼻腔を擽る香り、そして非常に脱がしやすい格好。
満月なのだからいっそのこと狼にでもなりたいものだ。
「違う」
「え、じゃあなんですか」
「いわば初夜のことだ」
「…………は? え、まじで? え? なに、つまり一発ヤれってことですか!?」
「他に言い方は無いのか……」
「セックスしろと!??」
「……もういい。喋るな」
過去の会話を思い出しているのか「えー!? だって、えーー!??」等と言いながら頭を抱えている千聖。
単純に愛おしい。普段あんなに大人ぶっているくせにたまに見せる素の少女の部分。
初花の儀に関しては、どうせそんなことだろうと分かっていたから残念だとは思わない。思わないけれど、本音を言えば欲しいのは確かだ。ただ大事な人を無理矢理犯す気はない。
酒でも飲むかと提案すればいつもの千聖に戻った。
ほろ酔いで心地が良いのかニコニコと微笑んで月を眺める千聖。彼女の染まった頬を親指で撫でると、「なんですかぁ」と驚いている。
酒を飲んで、他愛のない話をして、こんな時間がいつまでも続けばいい。
「わたしは歯を磨きます」
「いちいち言葉にしなくて良い」
「そして寝ます」
「分かったから……」
まさか本当に酔ってしまったのか。忠告したのにも関わらず、飲んだことない味だと言っていつもの調子で飲んでいた。
シトラスやアップルの風味で、そこにハーブが加わった爽やかで飲みやすい酒だが、なにせアルコール度数が高い。酔っているにしては足取りもしっかりしているが、言っていることがどこかおかしい。
「ほら、水を飲め」
「くふっ、ブルーさんなんだかお兄ちゃんみたいですね。兄弟いたことないんで分からないですけど」
「私は妹を娶った覚えはないが」
「それ言えてる」
「はぁ……?」
会話になっているのかいないのか。果たして記憶はあるのだろうか。
千聖は寝る準備が出来たのかベッドに腰掛け、背伸びをしながら横になった。己が脱がしやすい格好をしていると分かっているのか?
あとは私が襲えばいいだけなのに。
「いやあまさか初花の儀が初夜のことだって知らずに皆と話してただなんてわたし阿呆丸出しでした」
「ふ、まぁ仕方が無いさ」
「ほんとブルーさんじゃなかったら安心して寝れないですよー。だって私なんか抱かなくたって周りにエロい女いっぱい居ますもんねー?」
「は? お前は何を言っている?」
「えー? ほらなんか居たじゃないですかー、目がうるうるした女と胸でかい女、何だっけ名前…………あーやばい名前出てこない……それに神官の人達だって夫婦仲冷めきってるしー。避妊は絶対の普通に浮気! そういうものなんですよね? 貴族の結婚ってー」
「神官の奴らは否めないが……。全くもってどの女の話をしているのかさっぱりだ」
「いいんですよー、私は別に気にしませんってー」
「気にしないとかの話じゃない」
「ねむーい」
「おい」
私の誓約書がどんな内容か知らないくせに。やはり酔っているのか、好き勝手ほざく千聖に少しでも分からせてやりたい。
お前以外は、有り得ないのだと。
「そうだな。皆、事務的に初花の儀を済ませてあとは好き放題やっている奴もいるな。元々は家の為の結婚なのだから」
「ふぇっ……!?」
千聖の上に覆い被さると、片方の手で逃げられないよう彼女の手首を押えた。驚いているのか素頓狂な声を上げる。
「私達も今日、予定通り初花の儀を済ませるか?」
唇を指でなぞりながらそう言うと、顔がみるみる間に赤く染まっていく。
まさか私がこんな事をすると思っていなかっただろうに。安心しすぎだ。私も男なのだから。
「へっ!? いやっ、あのっ、えっ!? い、色々と準備もしてないですし、ねえ!?」
「準備ならば済んでいるだろう?」
「………………うわ! ホントだ準備めちゃめちゃしてる……!! すっごい入念に準備してくれてました!! えっ!!? でも、あっ! 心の準備がまだって言うか!!!」
「……ふん、冗談だ。早く寝ろ」
「冗談えぐっ!!」
明日になって覚えているのか分からないが、たまにはからかうのも悪くない。私だけが許された特権だ。
神官の奴らは悪い見本だから、あれが全てだと思わないで欲しい。千聖も私のことをなにか勘違いしているようだから、また詳しく聞いてみよう。
──それからすぐに眠りに落ちた千聖を引き寄せて、私は何年振りかの人の温もりを感じながら、目を瞑った。




