使用人の憂鬱【御者のユージン】
俺はハント公爵家に仕える御者だ。
今年で丁度十年目だったと思う。
旦那様が20歳ぐらいの時から世話になっていて、最初はこの公爵家とはなんの繋がりもない伯爵家で働いていた。
ハント公爵家では余計な感情は要らず、ただ己の業務をこなせば良いと聞き、鞄一つのみ携え扉を叩いたのが始まりだった。
今まで働いていた家格とは違うから最初は色々戸惑ったが、ただ業務をこなしている使用人達が己と何処か似ている気がした。
そう気付いた途端に心が軽くなり、旦那様自身も感情を排除し淡々と仕事をする人だったから、今の自分が求めていたそのものだと直感した。
だから今もこうして変わらず働いている。
疲れなくていい。余計な感情は要らない。無駄な思い入れも必要無い。ただ、己の業務を全うすればいい。
公爵家の皆がそうだったから、馴染むまで時間はそう掛からなかった。
以前働いていた伯爵家で、俺は疲れていたんだ。
物を運ぶにしろ人を運ぶにしろ、自分の家族のように大事に扱えと、同じく御者である親父が俺に教えていた事だ。
それを教訓にし、目標にし、守ろうと努力した。
伯爵家で働いていたときは、もうすぐ16歳になるお嬢様専用だと、囁かれるほど沢山出掛けた。
行きたいと言われた場所へどこへでも連れて行った。たとえ用がなくとも気晴らしに馬を走らすぐらい、何処へでも。
自分に娘がいたらこんな風かなと、それこそ家族に接するように、大切に運んだ。
色んな話もした。お嬢様が親に話せない内容も、沢山相談に乗った。
俺には以前妻が居たが、伯爵家で働きだしてからすぐに離婚してしまった。
浮気され他の男と子供を作ったからだ。
自分の子供は居ない。
だから、余計に情が移ったのかもしれない。
ある時、またあてもなく馬車を出してほしいというお嬢様は、いつもより明らかに元気がなかった。
貴族として好きでもない男に嫁がされると聞き、それを俺は素直に受け取って同情し、まだ少女であるのにも関わらず可哀想だと、本当の親のくせに娘に対しあんまりだと、自分の事のように、辛かった。
今思えば貴族でもない、親になったこともない俺が何を言っているんだと言う話だ。
あのときの俺は若かった。
そりゃあそうだ。今より十年も前、俺が27歳のときだ。
若かったから、お嬢様の、最後のお願いを聞いてしまった。
好きな人がいることは知っていた。密かに両想いであることも。
けれど男の方が家格は下で、金もなかった。
伯爵家の令嬢をわざわざ男爵家の金のない男に嫁がす意味なんて無い。
少し考えれば分かることだ。
けどどうしても最後に、その人に会いたいと、そう言うから、俺は真夜中に馬車を走らせた。
──走らせた結果、お嬢様は子を身籠ってしまった。
もちろん結婚は破談になりお嬢様は社交界からも消えた。
そして、お嬢様を想って取った行動だったが全て俺の責任になった。いや、お嬢様が俺に押し付けた。
俺が無理矢理その男と会わせたんだと。
最初は両親にそう言わされているのだと思った。
けど──、
「お願い……! お父様信じて……! これはあの男が無理矢理行った事なの……! 私を嵌めたんだわ! 私に結婚してほしくないからって、だって何度も求愛されていたのよ!? お願い信じて!」
耳を疑ったよ。
同時に女は恐いと思った。だってあれを全て、まるで本当の事だったかのように語るんだ。
俺は家族だと思って、大切に運んだのに。
結果がこれとは。笑うしかない話だろ。
後で聞いた噂だが、縁談の相手は帝国の伯爵家次男でかなりの二枚目だったらしい。
お嬢様もそれを知って後悔したんだろうな。
金と顔には勝てない。俺も勝てなかったように。
俺のせいにされたのは腹が立つが、もうそんな感情は止めた。どうせお嬢様は金のない男爵家の男と結婚するしかなかったから、どうだっていい。
お嬢様が自ら選んだ道だ。
俺も此処で働くと決めたから。感情なんて失くして、思い入れなんて捨てて、そして十年やってきた。
だがここ最近、旦那様が変わった。
他の使用人も気付いているはずだ。
時折見せる柔らかな表情に違和感を覚えた。あんなのは旦那様じゃない。今まで楽だったものに亀裂が入る音がする。
そう。全ては彼女、千聖様が公爵家に来てからだ。
何人もの令嬢と旦那様を馬車に乗せたが、旦那様の表情が全くもって違う。そもそも千聖様も他の令嬢とはまるで違う。
ハント公爵家で働く人間は怖がられているから、旦那様の叔父である国王陛下や、騎士団の方以外誰も話し掛けてこない。それなのに千聖様は馬車に乗るときは必ず「お願いします」と言うし、降りたときも「有難ううございます」と言う。
それを言われる度に亀裂が広がっていくようで居心地が悪い。
旦那様と千聖様の会話が時折聞こえてくることもあるが、お嬢様とは言い難い口調だ。
むしろ親近感が湧くような…………いや、俺はもう誰にも思い入れはしないと決めたんだ。
俺はただ己の業務をこなすだけ。
ただ、人を、物を運べばいい。
ここではそれだけが求められるはずだろう?
だけど、なんだって旦那様はあんな顔をするんだ。
公爵家の馬車を停めるような店じゃない。
俺ら庶民が行くような小さなケーキの店にあんな顔して入って、どこの誰かも分からない奴が飼っている犬を可愛がる千聖様を、あんな風に優しく見守って、一体、何なんだ。
旦那様は普段花屋なんか行かないだろう。令嬢にあげるときだってメイドに指示して行かせてただろ?
何で、何でなんだ。
旦那様だって、同じはずだろう?
俺達と、他の使用人達と、同じはずだ。
「ユージンさんいつも有難うございます」
「いえ、仕事ですから」
「今日はお待たせしちゃってすみませんでした。これ、つまらないものですけど、どうぞ」
「え……?」
黄色の大きな花。
白色の小さな花と一緒にリボンで結ばれた気持ち程度の花束。
亀裂が、どんどんと広がっていく。
なんだか、居心地が悪い。




