公爵の憂鬱【大事な話】
「少し、話がある」
「…………それ、私に言ってますよね?」
「お前以外に誰が居るんだ」
「いやぁ……珍しいなと思って」
就寝前に彼女の部屋を訪ねた。
髪を梳かしていたのかドレッサーの上には櫛が置かれている。ごく普通の令嬢ならばメイドが手入れをするのだが、彼女は己の身体を他人に任せるのは嫌いらしい。
部屋の家具やカーテンも彼女が住む前のまま。それもそうだろう。彼女には屋敷に手を加える権限が無いのだから。
私の屋敷であるが、ただの婚約者が女の部屋に入るものではない。逆も然り。
この時間に部屋を訪ねるのもあまり褒められたことではないのだが、落ち着いて話をしたかった。恐らく彼女も気にしないだろう。
書斎で話そうと言い、簡単な羽織りに袖を通した彼女とふたり、間接照明に照らされた廊下を歩く。
夜が更けた窓の外には、日が落ちると淡く光るリアライトの花が庭を照らしていた。
春から夏の終りまで咲く花。この地域にしか咲かない花で、薬にも使われる。
きれいだと小さく呟いた彼女も同じものを見ていた。
今でさえ信じられない。私の屋敷に使用人でもない他人が住んでいるなんて。
これから話すことを私の口から言うのはとても気が重い。けれど、とても大事な話。私達ふたりに関わる問題だ。
“結婚”について、決めなければならない。
書斎に着くと彼女を先々代の時代からある革のソファーに座らせた。
殆ど誰も座らない深い味わいを出すダークブラウンのソファーは、彼女を座らせるために今までこうして置かれていたのだろうか。
腰掛けることにより、とろみがかったシルクの羽織りには美しいドレープが生まれる。
まるでそこだけ絵画のようだ。
準備してあった酒瓶を手に取りお前も飲むかと聞くと、一瞬だが目に輝きが見えた。
動物に向ける瞳と同じ。ブルータスや、サンゴウやミハエルノウマ、写真の中のゴンに向けるそれと同じ。
あの焼き付けたいと言わんばかりの輝いた瞳を私にも向けてほしいと、思うようになってしまった。
自分のものだけにしたいと、誰にも渡したくないと、抑えれば抑えるほど溢れてきてしまう。
気付きたくなかった。
こんな、くだらない感情に。
得れば失う怖さに怯えなければならないのに。
私は、気付いてしまった。
彼女を、愛してしまったのだと──。
窓硝子に反射する彼女は美味しそうに酒を飲んでいる。
気に入ったみたいだから今度はお二人でと、カレン嬢がくれたグリューワイン。珍しく鼓動を揺らす私は、酒でも飲まねばまともに話せそうもない。
身体を温めるのはスパイスなのか、それとも彼女のせいなのか。
「陛下から聞いているとは思うが……」
「陛下から? 何か話しましたっけ」
「私達の、婚姻についてだ」
「ああ。その話ですか。そうですね、聞いてます。手続きいつですか?」
「は……?」
「えっ?」
結婚するんですよねと不思議そうに聞いてくる彼女。
もちろん私はそのつもりだったが、彼女の反応があまりにも軽いので少し不安になった。
その意味を理解しているのかと。
「……いいのか? 夫婦になるんだぞ?」
「え、分かってますよそれぐらい。実感はないですけど。元々そうなる予定で婚約したんですもん」
「……そうか。お前がいいなら……、改めて、私と、結婚してほしい」
「っは、はい。宜しく、お願いします」
ほんのり顔を染める彼女が愛おしくて、腕の中に閉じ込めてしまいたい。だがそれはまだ少し早いような気がする。
帝国への来訪者披露パーティーの兼ね合いもあり、実際に婚姻を結ぶのは早くて一ヶ月後。
ドレスや式の予定など決めなければならない。屋敷で過ごす部屋だって変えなければならない。
面倒だと思っていたものが彼女とならば全て待ち遠しいとさえ思う。
一安心して、グラスにもう一杯ワインを注いだ。彼女も飲み干していたので同じく注いだ。
彼女が私との結婚を断らないと知っていながら、やはり不安だった。
もしも、と頭を過っていた。
けれどまだ事実上私のものではない。
一ヶ月も先だと彼女の心変わりだって十分に有り得るので、これからはなるべく側に居させよう。
こんなことを思う私を、陛下は笑うだろうか。
互いに知らないことが多すぎるが、これから時間をかけて知っていけばいい。
それから少し話をして、結局ボトルを一本空けた。
いつの間にかうたた寝をしていた彼女をいつかのように部屋まで運ぼうとしたが、まだかろうじて微睡みの中で己の足で部屋へと戻っていった。
眠っていればよかったのにと、残念に思ってしまう自分は、あの時彼女が刺した毒に蝕まれてしまったのだろう。
今夜はよく寝られただろうか。




