公爵の憂鬱【噂の的】
──「千聖さん……私はどうすればいいんですか…………」
大規模な魔物の駆除を目前に、今一度分布地域を確認しようと騎士団で管理している資料室に来た。すると既にミハエルが居て、地図を熱心に眺めているではないか。
あれは私達騎士団もとい、街人や行商人などが目撃・遭遇した魔物を記したものだ。
相変わらず背後の弱い男だな。4〜5m程度しか離れていないのに全く気付いていない。
今回の駆除対象地は我が公爵家から街までの地域。
ミハエルはあまり予習をするような男ではないが、どうしたというのだろう。頭の良い男だから地形は覚えているはずだが。
かく言う私もこの地域は自分にとって庭みたいなものなのだが、今回は別。地域に生息する魔物を殲滅させるぐらいの勢いでないと天宮 千聖を危険に晒らす事となる。
もし彼女が魔物に襲われでもして身体に傷を負ったなら大変だ。たとえ甥の私でも陛下の怒りに触れるだろう。
グレンだって少しのかすり傷でも許さないだろうし、メグや、カイや、アニー、色々な人が彼女を心配する筈だ。
私には責任がある。
この国の貴族として。騎士団の団長として。
彼女の、婚約者として。
ミハエルが彼女の名前を呟く。
地図を広げ、苦しそうに眉を歪めて。
何故、彼女の名なのか。
彼女になんの答えを求めているのか。
それは私では答えられない問なのか。
言いようのない感情に苛まれながら、そっと、その場から離れた。
どうせ資料ならいつでも見れる。魔物駆除の日まで時間はあるから、また後で来ればいい。
心のなかで深い溜息をつきながら私は執務室へと戻った。
その途中だった。
彼女の噂を聞いたのは──。
「ブルぅー様ぁ、あのぉ、お伝えしたい事があるんですぅ……」
「レイラ嬢、どうしたと言うのです」
私が婚約する以前はしつこく付きまとっていた伯爵家の次女だ。
姉は地味で大人しい性格だが、妹であるレイラは派手で遊び好きな性格。姉の方はいっとき婚約者候補で挙がっていたのだが、毎度妹が邪魔をしていた記憶しかない。
レイラの猫撫で声と庇護欲をそそる表情は、典型的な私の苦手なタイプである。
それをメグのように本心でやっているのならまだしも、裏に隠れた欲が見えて気色が悪い。
褒めるところを挙げるのなら、己に対する絶対的な自信だろう。
「わたくし、あの、気が動転して、どうしたら良いのか分からなくてぇ……お友達に相談したら噂が広まってしまって……、本当にそんなつもりじゃなかったんですぅ!」
「…………一体何の話なのか全く見えないのだが」
いつにも増してオーバーな表情は見いて苛つく。簡単に涙を流せるところを見ると涙腺に蛇口でもついているのだろうか。
レイラは何かについて謝っているのだが、主語がないので理解するには難しい。
私が本当に何も知らないと分かったのか、レイラはよりオーバーな表情で「えぇっ! もうお耳に届いているかと思っていたのでぇ!」とまるで嬉しそうに、愉しむように言う。
今朝、城の庭園を散歩していた令嬢達のように。
「あのぉ……余計なお世話だとは思うのですけどぉ、わたくし、ブルー様のことが心配でぇ……」
「心配とは? どういうことだ?」
「もしかしたらブルー様が傷付くかと思うとやっぱり言わない方がぁって考えちゃうんですぅ……でも誠実さに欠ける行為は駄目だと思うんですよねぇ。ほらぁ、わたくしって素直じゃないですかぁ。だから余計に許せなくってぇ……」
相変わらず主語がない。お前の性格も知ったことではない。
なぜこの女の苛々する喋り方を“可愛い”と思う男が居るのか私には理解出来ない。
用件を早く言えと急かせば、口角が上がるのを隠すように俯いた。
「わたくし見ちゃったんですぅ……」
「何をだ」
「千聖様がぁ……」
突然彼女の名が出てきたものだから驚いた。
驚いた私の顔を見て、レイラはより俯く。
「千聖様がぁ、メルヴィン様とぉ、淫らな行為に及んでいるお姿を、見ちゃったんですぅ……」
「なに? メルヴィンだと? あいつがどんな男か知っているのか?」
「はい存じておりますぅ。……でもぉメルヴィン様ったら千聖様の腿を押さえ付け胸に顔を埋め、それはそれは興奮したご様子でしたぁ。メルヴィン様があんなにも男性的な方だったなんてわたくし思わず唾を……あっ、いえ、」
耳を疑う話だ。
メルヴィンにそんな事が出来るわけが無い。未だ女のひとりとも付き合ったことない男だ。あまりに女性との関係が無いから同性好きなのではと噂されるぐらいである。
そんなメルヴィンの姿にレイラ自身興奮している様だが、そのまま話を続ける。
「そのっ、まさかと思ってぇ、お声を掛けようと思ったんですぅ。でもぉ、千聖様がメルヴィン様にぃ……か、固くなりすぎだってぇ……、あとぉ、落ち着いて、ゆっくりでいい、最後まで付き合うからぁって……きゃぁっ、こんなっ、はずかしいぃ〜〜、わたくし見てられなくってぇ、そのまま逃げてしまったんですぅ〜」
派手で遊び好きなレイラに恥ずかしいと言われてもなんの説得力もないが、確かに“何か”を見てなければここまで詳細な嘘を付く必要もないだろう。
メルヴィンが彼女に会いたがっていたのも事実で、その日その時間に会っていたのも事実だ。
そもそもレイラという女自体、虚言癖があるわけでもない。
「ブルー様みたいな素敵な男性が居るのにぃ……あんなこと……しかも幼馴染みであるメルヴィン様とだなんてぇ、わたくしなら、ブルー様を悲しませるようなこと致しませんのにぃ……」
ここぞとばかりに私の胸に両手を添え、庇護欲をそそる表情と蛇口を緩めた瞳で見上げるレイラ。
そんな事をしようがしまいが、私の好みではない。その前に公爵という権力と金が欲しいだけなのは分かりきっている。
私はその両手を、レイラが傷付かないよう、そっと胸から離した。
これから私はどう振舞うのが正しいのだろう。
彼女が誰を好きになろうが、私には、関係のない事だ。
元々小さな国で他の国と隔離されたような地形であるから、噂なんて所詮貴族の戯れ、少々の事なら皆すぐに忘れる。
ただ、あまりにも事が大きくなるのなら私も黙ってはいられないだろう。
しかし、本当に、彼女は、メルヴィンと行為に及んだのだろうか。レイラのようにただ身体を許すような女性ではないだろうから、メルヴィンと何らかの関係を築いたのだろう。
私では足りない何かを、メルヴィンは補ったのだろうか。
それが何だったのか。
メルヴィンのどこに惹かれたのだろうか。
分からない。
私には分からない。
何故こんなにも苛々するのだろう。
今はただ、深く眠りたい。
全てを忘れるぐらい、深く……




